仕事、訓練、そして彼女の決意
2025/03/31 書き直しました
街の誘惑と覚悟の出発
その後、俺は父さんに連れられ、なぜか実験室の隅に行く。
……そこでいきなり、背中の服を上げ鱗を一枚、ベリッと引き剝がされた。
「いってぇぇぇぇぇええっ!」
一瞬、全身が跳ねるほどの激痛だった。
「なんで!? なんで!? せめて一言、言ってくれよ!」
思わず叫ぶと、父さんはまったく悪びれる様子もなく、手を翳してすぐに治癒魔法をかけてくれた。痛みはすぐに引いたけれど、心のダメージはわりと深い。
「言ったら、どうせ嫌がるだろう? 必要なことだ。それに、鱗はまた生える。心配するな」
淡々とした声でそう言うと、父さんはそのまま踵を返してジジさんのほうへ向かっていった。
「先に帰ってなさい。俺はこれから話し合いをしてから戻る」
そう言い残し、すでにジジさんと何やら真剣な表情で話し始めている。鱗一枚の理由は……たぶん、資材か解析か、どっちかだろう。
「みんな、帰るわよ」
母さんがやわらかく声をかけてきた。俺とミケに向けたその言葉は、どこか安心感があった。
でも、俺はふと、周囲の景色に目を向ける。
センカ姉さんやゼン義兄さん、それからフォールの技術者たちが築いてきたクランの街並み――その全貌を、俺はまだ見ていない。
このクランに来てから、案内されたのは――ジジさんの研究開発室と、実験室。それだけだった。
街並みも、人々の暮らしも、センカ姉さんたちが築き上げてきたクランの姿も、まだ何ひとつ見られていない。
「街が見たいんだけど……ダメなのか?」
思わず口をついて出た問いは、正直な気持ちだった。
せっかくここまで来たのに、何も見ないまま帰るなんて、どうしても物足りなかった。
母さんは、そんな俺の言葉に優しく微笑んだ。
けれど、その微笑みのまま、首を横に振った。
「今日はダメよ、エクスちゃん」
「……なんで?」
聞き返す俺に、母さんは変わらぬ穏やかな口調で答える。
「もう時間がないの。父さんたちはまだ話があるし、あなたたちは訓練が残ってる。今から街を見て回る余裕はないわ」
その声には、ほんの少しだけ残念そうな響きもあった。
「七百年あるとはいえ、だからこそ今を無駄にしないでおきたいの。街は逃げないもの。今やるべきことを終えてからでも、ちゃんと見られるわ」
確かに、今日は濃すぎる一日だった。
装置を見て、起動して、未来を決められて。……そのうえに訓練まであるとなれば、時間的にも精神的にも、もういっぱいいっぱいだ。
「……はい」
俺は素直にうなずいた。
その隣で、ミューケイが小さく頷く。
狐耳がふるりと揺れて、一本の尻尾が軽やかに動いた。
「頑張りましょう、エクス。私たち、まだ始まったばかりなんだから」
その言葉に、少しだけ気が楽になった。
俺はもう一度だけ、あの装置へと視線を向けた。
青白く輝いていた二連魔力式縮退炉が、ゆっくりとその光を収めていく。
やがてすべての光が消え、再び沈黙へと戻る。
まるで、また目覚めの時を待つかのように。
――また来る。
次は、きっと時間にも余裕をもって。
必ずまたこの場所に来て、全部、自分の目で見よう。
そう心の中で誓いながら、俺は母さんとミューケイに並んで、帰路についた。
翌日。
俺は父さんに連れられ、王城の中にいた。
どこを見ても見事な装飾と無駄に広い空間。もう慣れたと思っていたはずのこの場所が、なぜか今日はやけに重たく感じる。
そして、案の定というかなんというか――
執務室で机に向かっていたドラシエル兄さんが、難しい顔で腕を組んでいた。
「……エクスに仕事をさせろと?」
「そうだ。午前中だけだがな。午後は予定通り訓練を行う」
父さんが淡々と告げると、兄さんが眉を寄せたまま唸る。
「ふむ……王城以外でも構わないのか?」
「大丈夫だ。城下でもよい」
おい、ちょっと待て。
ふたりでサラッと話を進めるな。
「俺の意見は?」
思わず口を挟むと、父さんはあっさりと言い切った。
「ない」
……ひどすぎる。
「ならば、王都のギルドに行ってくれ」
兄さんが書類を一枚取り出しながら、視線も向けずに言う。
「場所は知っているな? フリーギルドだ。受付にこの書類を出せば通される」
「何をするんだ? まさか冒険者の登録か?」
さすがに、それは早すぎるだろう。俺はまだ――
「そんなわけがないだろう! バカか」
兄さんが、きっぱりと否定する。
「お前には雑用をしてもらう。ちょうど視察も兼ねて人を送ろうとしていたところだ。その役目をやれ。要するに――ギルドの裏側を見てこいということだ」
雑用……。
初日からこれかよ。
いや、仕事なのはいい。訓練と両立するのも覚悟はしてる。
でもこの感じ、絶対にまともな雑用じゃ済まない予感しかしない。
俺の長い七百年の初仕事は、こうして強制的に始まることになった。
「ミケはどうするんだ?」
俺がそう尋ねた瞬間、執務室の扉が控えめにノックされ、すぐに静かに開く。
「それは、私から説明いたします」
姿を見せたのは、ミューケイの母――イナホさんだった。
その佇まいはいつも通り静かで落ち着いていて、しかし今日のその一歩には、ほんの少しだけ“儀礼的な緊張感”が宿っていた。
ミケに似た整った顔立ち。白銀の髪は丁寧に結い上げられ、九本の尻尾はゆるやかに揺れている。九尾族としての風格、そして王城メイド長としての気品が、その姿に自然と滲んでいた。
イナホさんはまっすぐ執務机の前まで進み、軽く膝を折りながら――
「国王ドラシエル様。お時間を頂き、ありがとうございます」
と、丁寧に一礼する。
兄さんは書類から顔を上げ、静かにうなずいた。
「許す。要件は?」
「はい。娘、ミューケイについてです」
声に揺らぎはなかった。
「現在、メイドとしての正規資格を得るため“王城勤務”を実地課程として組み込んでおります。つきましては、本日より午前中の間、王城内にて職務を与えたく、許可を賜りたく参上いたしました」
一切の無駄もない、完璧な報告だった。
ドラシエルはわずかに目を細めると、椅子の背に軽く体を預けた。
「構わない。城の運営はすでに一任している」
「感謝いたします」
イナホさんがもう一度頭を下げる。
だが、兄さんはそこで一拍置き、ゆっくりとした口調で言葉を続けた。
「……だが、良いのか? 娘を“冒険者”にするということは、それだけで命を賭ける立場に置くことになる」
誰もが気になる、そして親なら誰しもが悩む問い。
けれど――イナホさんは即座に答えた。
「承知の上です」
その言葉には、揺るぎがなかった。
「娘が選んだのです。私の手を離れ、誰に仕えるかを自分の意志で定めた。その結果が、エクス様に仕えるという選択であるなら――それが王命であろうと、私から否はありません」
一瞬の沈黙のあと、ドラシエルがゆっくりと頷く。
「……わかった。王城内のこと、引き続き任せる」
「畏まりました」
またひとつ深く頭を下げ、イナホさんは静かに下がっていった。
その背には、微塵の迷いもなかった。
たぶん、母としてはきっと不安もあるはずなのに。
――それでも信じて送り出す。
その強さが、言葉よりも強く響いていた。
ミケは、そのやり取りを見届けながら、なにも言わなかった。
けれど、その表情にはほんの一瞬、柔らかい光が差したように見えた。




