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19層 来る、狂人

「はぁっ!」


 勇者。それは、かつて存在した巨悪、魔王を討ち果たし世界に平穏を齎した最強の存在。今は文献でしか当時を知ることは叶わないが、その伝説は数知れず、大まかなものから細かいものまで、十分過ぎるほどに記されている。

 それほどまでに大きな希望だったのである。


「やっ!せいっ!」


 それは今や、数多くの魔族を滅ぼした者に贈られる称号へと成り下がった。というよりも、かつてほどの強大な勇者は未だ現れておらず、それと区別するための名誉職といった扱いが正しいだろう。


「消え去れ、シャイニングブレード!」


 そこでは、もうずっと、戦っていた。狼牙の勇者、今の時代で最強の勇者である。


「がっは…まさか…そんな…!」


 一切の澱みも、狂いもない一閃。袈裟に掛けられた魔族は、不自然にずり落ちていく視界をただじっと眺めるほかなかった。


「さ、すがだな…狼牙の勇者……だが、御皇様が…必ず…貴様w…」


 彼は、迷いなく魔族の頭を踏み砕いた。


「待っててね、エレシー。僕が必ず」




 んがああああああああ!

 そんな情けのない叫び声をあげながら、俺は森の中を逃げ回っていた。最近ずっとほったらかしにしてしまっていたノワとじゃれあっているからである。

 戯れ合うといっても、溜まりに溜まったノワのストレスを、俺をサンドバッグに発散させるだけである。まあ、ノワも死なない程度に加減はしてくれているし、こちらとしてもいい修行になる。


「ちょっと、タンマタンマ!」


 いや、本気で殺しに来ているかも知れない。明らか当たればタダじゃ済まなさそうな黒雷が俺のそばを掠めた。

 …構ってあげれてなかったからな、ここのところ。その憂さを存分に晴らさんとして攻撃を仕掛けているのだから、しっかりと避けて、受け切ってあげなければ。

 そんなこんなで全て終わったのが夕方に差し掛かった頃だった。その時には俺はもうへとへと。指一本も動かせそうにないほどの疲労だった。だが一方でノワは、あらかた暴れられて満足げに後ろ足で耳を掻いている。

 息一つ上がっていないその姿に、俺は思わず内心で感心してしまった。


「お父さん、お疲れ様!」

「んぁ?ミソラか…ありがと」


 俺は、ミソラからスポーツドリンクを受け取り、それを飲み干す。ニコニコとこちらを凝視するミソラは非常に楽しそうである。


「なんでそんなに笑ってるんだ?」

「え?久々にお父さんのお世話ができるから?」

「…楽しいか?」

「うん!」


 そんな満面の笑みで言われちゃあこちらとしても反応しづらいじゃねえですか。

 俺は、スポドリを飲み終えた後、軽く伸びをしてノワを撫でる。


「ごめんなぁ、最近構ってやらなくて」

「コン!」


 まるで許すとでも言いたげなその鳴き声は、疲れた体の特効薬として沁み渡った。


「よっしゃ、帰るか!」

「うん!あ、お父さん、今日の晩ご飯はお父さんのハンバーグがいい!」

「おう、いいぞ!チーズはどうする?」

「入れる!」

「はいよ」


 他愛もない、こんな日常がずっと続けばなぁ。そんなことをぼんやりと考えていたからか、あるいは疲弊からか。俺は自分たちを観察しているものがいたことに気づけなかっな。




 突如、警報がけたたましく鳴り響いた。


「っつぅ…」


 咄嗟に飛び起きたものの、体はまだ回復しておらず、筋肉痛という悲鳴をあげていた。だが、そんなことよりも侵入者だ。

 急ぎモニターを映し、その侵入者を覗き見たのだが…


「んであの女…」


 そう、レヴァテンで出会ったトンデモ戦闘狂のお姉さんだった。


『ははははははっ!どうせ見ているのだろう、魔族!すぐにそっちに行ってやる!楽しみにしておけっ!』


 俺の額を冷や汗が伝った。

 だがしかし現状は変わらない。軽く握り込んだ両刃の剣を軽く振りながら、罠を壁ごと切り取ってとてつもない速度で奥へと突っ込んでくる。

 やはりあの時感じたヤバさは間違いじゃなかったと再度認識しながら、俺は迎え撃つ準備を進めていた。


「…お父さん、がんばれ……」


 ミソラが小さくつぶやいたが、それは誰の耳にも届くことなく消え失せたのだった。

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