躾って何?
マークスの叔父さん、男爵のディックという男性。
バーランド伯爵の実弟で、男爵家に婿入りしたと聞いている。
見た目はマークスとよく似ていて、若い頃はいつもたくさんの令嬢に、囲まれていたらしいのだけど……。
マークスと婚約してすぐに、伯爵邸で会った。
「なんだよ、ローザン伯爵家の娘と婚約したって聞いたから来たのに、とんだ期待外れだな」
赤ら顔の男爵は、挨拶抜きにそう言った。
顔も体もたるんでいて、かつての美丈夫の面影は少ない。
「あらあら。飲みすぎですわよ、ディック。シュリーちゃんは語学も算術も得意で、ステキなお嬢さんなの」
「ふん。どんなに女が賢くても、可愛さと色気がなけりゃ、ダメだな」
マークスのお母様が一生懸命庇ってくれたけど、男爵は全く聞いていなかった。
マークスは私を庇うことなく、ニヤニヤと笑っていた。
叔父さんの前で照れている?
あの時はそう思った。
ううん……。
そう、思いたかった。
元々マークスは伯爵家のお父様やお母様よりも、妙にディック男爵に懐いていた。
多分、男爵が甘やかしてくれるからだ。
ハーランド家嫡男として、マークスは幼い頃から厳しい教育を受けていた。
「お土産だ、マークス。男はくだらん勉強よりも、やっぱり剣だよな」
ある年、マークスのお誕生日に、男爵は模造剣をプレゼントしたそうだ。
一番嬉しいプレゼントだったと、私は何度も聞かされたものだ。
これから男爵は、バーランド伯爵家に向かうのだろうか。
「聞き捨てならないことを言ってましたね、あの前を歩いている男」
男爵と直接の面識はないヨナが、ちょっとお怒りモードで囁く。
「そうね、確かに感じ悪いわ」
「躾って何ですか、全く! 犬や猫でも愛情持って育てる方がイイコに育つというのに!」
ヨナは動物好きだ。
それは私も一緒。
「あんなこと言う男に限って、奥様に軽く逃げられるんですよ、ホント」
ヨナが怒ってくれたおかげで、私は宥める側になった。
だから、ディック男爵との不愉快な想い出は、少しだけ薄らいだ。
翌週、いつものように、マークスが迎えに来た。
仏頂面の彼は、手を引くこともない。
ああ、今日もまた不機嫌。しかも重症だわ。
馬車の中でもムスっとした顔を崩さないマークスの機嫌を取る気はない。
ガタガタと馬車に揺られ、学園の門が見えて来た頃に、マークスは口を開いた。
「おい」
私は顔だけ動かした。
「はい、なんでしょう」
「なんでだ」
「え、何が?」
「なんでお祭りに俺を誘わなかったんだ!」
え?
私から、誘わなければいけなかったの?
「ホント気が利かないな。お前のせいで、俺が母上に怒られたじゃないか!」
「ご挨拶はいたしましたが……」
多分マークスのお母様は、私に対して怒ったのではないだろう。
気が利かない息子への、注意だと思うけど……。
「叔父さんが、豊穣祭には綺麗な令嬢がたくさんいたって言っていたのに……。それにお祭りの夜になったら……」
「お祭りの夜? 何かありましたっけ?」
ブツブツ文句を言っているマークスに訊いたら、彼は声を一層荒げた。
「なんでもない! と、とにかく次からは、気をつけろ!」
ぷりぷりしながら、マークスは馬車を降りて行った。
朝からドッと疲労したシュリーは、重い足取りで校舎へ向かった。
「おはようシュリー嬢。元気ないね。豊穣祭の女神様の御加護は、まだやって来ないのかな?」
ダニエルだ。
「おはよう。女神様はきっとお忙しいのね。一番後回しかも、私……」
そう言いながら私は、椅子に置いてあるダニエルのカバンから、赤紫色の紐が垂れているのを目にした。
恋の、おまじない?
「ねえ、ダニエル」
「何?」
「お祭りやパーティにパートナーと参加する時って、女性から誘うものなのかしら?」
ダニエルは顎に手を当てて答える。
「僕は自分で誘うかな。でも、相手から誘われるのも、きっと嬉しい」
ダニエルの白い歯が見えた。
そうか。
やっぱり、ダニエルには、組み紐に願をかけている相手がいるんだ。
「でも、どうしたの? 何かあった?」
私は軽く首を振る。
「なんでもないわ。ちょっと思っただけ……」
その日は、クラスの友だちと用事があると言って、マークスの送りを断った。
マークスは無言で背を向けた。
次話は、マークスサイドです。クズは血筋か?
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