婚約していても不幸感満載
新連載です。
あまり長くないお話。
私はいつもの通り、馬車乗り場で彼を待っていた。
授業は同じ時間に終わっているはずなのに、彼、マークスはいつも私を待たせる。
待つのがトクベツ嫌なのではない。
校門側の樹木が色付いて、はらりと葉を落とす季節。
午後の少し涼しい風に、髪がなびくのは好き。
徐々に早くなる夕暮れの空を、眺めているのも好きだから。
「シュリー嬢」
マークスと同じクラスのダニエルだ。
「ごきげんよう。ダニエル様」
「マークス待ち?」
ダニエルはクスッと笑う。
その表情が悪戯する少年みたいで、私もつられて微笑んだ。
「何してんだ、シェリ! 帰るぞ!」
伸びる影が見えた。マークスだ。
遅れてゴメンのひと言もない。そして安定の不機嫌顔。
「あ、はい」
ダニエルに軽く会釈して、私はマークスの後に続いた。
馬車の中でもマークスは口を結んで、きつい目付きのままだ。
私は静かに息を吐く。
「ったく。他の男に色目使いやがって! しかも格下の子爵なんぞに」
マークスの言葉は、とても高位貴族のものではない。
もっとも、これもいつものこと。
「……使っていません」
「何!?」
私は前を向いたまま告げる。
「色目なんて、使っていません」
バチンと音がして、私は頭に衝撃を受ける。
「口答えするな!」
叩かれた痛みはさほどない。
ただ、心が痛い。
正式に婚約して三年たつが、マークスと二人の時、私はいつも俯いてしまう。
――お前は俺の言うことに「はい」と言っていれば良いんだ!
――くだらない女友だちと俺と、どっちが大切か分かるだろう?
――体調不良なんて、お前の根性が曲がっているからだ!
――お前みたいな地味な女と結婚してやるんだ、感謝しろよ!
家族や友人のいないところでは、いつも喚きたて、あるいは罵倒する。
そして決まってこう言うのだ。
『俺はお前のことを思って、わざわざ言ってあげているんだ。いずれ我が家の嫁になる女なんだから、きっちり躾けないとな』
軋む音を立て、馬車が止まる。
私の邸に着いたのか。
マークスは私の髪を一房取り、自分の唇を当てる。
「よく反省しておけよ」
片目を瞑って、にやりとするマークスの顔は、女子が騒ぐほどの美形とは私には思えない。
何をどう、反省しなければならないのか分からない私は、湧き上がる不満を押しとどめ、馬車を見送った。
私はローザン伯爵家の次女として生まれ、間もなく十六歳になる。
王都の学園に入学する前に、バーランド家の長男であるマークスと婚約した。
どちらの家も伯爵家だが、家格はバーランド家の方が上だ。
マークスと私の婚約は、家同士の繋がりを重視した、所謂政略的なものである。
どんなに疑問や不満が生じても、私の一存でどうなるものでもない。
それに周囲は誤解している。
「あらあ、帰ったのね、シェリ。毎日送り迎え付なんて優雅なこと。相変わらず愛されているのね、マークス様に」
誤解している人その一。
姉のモニク。
侯爵家の三男と婚約中。
私が愛されてる?
本当にそう思っているの? お姉ちゃん……。
「でも嬉しそうじゃないよね、シェリ姉さま。何が不満なのかしら。あれだけ大切にされて」
誤解している人その二。
妹のケミファ。
間もなく幼馴染の騎士団員と婚約予定。
大切にしている女性を、叩いたり貶めたりするのかしらね、ケミファ……。
姉も妹も、政略というより元々お互いに好意を持っていた相手との婚約だ。
ちょこちょこ喧嘩などしても、すぐに仲直りしている。
そして婚約者や婚約予定の相手と、対等に会話をしている。
私が望んでも、それはマークスとは出来ないことなのに。
姉も妹も、豊かなブロンドヘアと蒼い瞳を持つ、美しい女性たち。
髪も瞳もアッシュグレイの、地味な私とは違う。
だからかな。
マークスからいつも、小馬鹿にされるのは。
「はあっ……」
逆らったりして、もしもマークスから婚約破棄なんかされたら、私は嫁ぐことが出来ないだろう。
姉や妹と違って、私は見た目も地味だし、これといって誇れるものが、何もないのだから。
だから我慢する。
ここ三年、そうして過ごして来た。
けど……。
そろそろ、限界かもしれない。
どうすれば良いのだろう。
部屋に辿りつくと、侍女のヨナがお茶を淹れてくれた。
「秋ですねえ、お嬢様」
「そう、ね」
多分表情がいつもより更に暗い私を気遣ったのだろう、ヨナが言う。
「明日は神殿で豊穣祭が行われますね。シュリーお嬢様も豊穣の女神様に、お祈りを捧げては?」
「ありがとう、ヨナ。そうしてみるわ」
お祈りでもしてみようか。
私の人生が、少しでも実りあるものに、なりますようにって。
暴力反対。