ダンピール
夜明け前に部屋へと戻ってきたレインは、げんなりしながら目覚めた。真夜中に森でしていたことは、いわば応急処置だ。喉の乾きと栄養失調を、ひとまず動物の血でまぎらせてきたのだった。だが、それは食事とはいえない。ひどく不味く、吐き気がするほど。ただ、鎮静薬や発作止め程度にはなってくれるとわかった。
精神的にはキツイが、これで体を騙すことが、もっと仲良くなれる時間を作ることができる。
人のふりをして過ごすと決めたレイン。そうして人間のことをよくよく知りたくなり、図書室に入り浸るようになった。レインが昼間外へ出られないと知った少女たちも追いかけてくるので、あまりゆっくり過ごすことはできないが。しかし、おかげで子供たちとも仲良くなれた。一方、少年たちは外で元気よく遊んでいる。
我慢と努力の甲斐あって、レインが吸血鬼であることは、まだ誰にも気づかれてはいない。
レインは、居候を許されたお礼として、子供たちの世話を手伝うと申し出ていた。それで、夜の見回りとおやすみの挨拶のほか、幼児たちへの絵本の読み聞かせが日課になった。よく遊んだあとにそれをやると、そのまま寝そべってしまう子もいる。
そのため図書室の片隅には、遊び場と昼寝スペースを兼ねた広いマットが敷かれた。
今日もひととおり子供たちの相手をし終えたレインは、読み終わった絵本をなおしに本棚の列へ向かった。ここからは子供たちの昼寝の時間。気になる本は、このあいだに読むようになった。寝室に持ち込むこともあるが、真夜中には飢えをしのぎにこっそり出かけることを覚えてしまったから暇がない。知られると困るので、体がもつかぎりは控えているものの。
人として自分に課せられた務めを無事に果たしたレインは、疲れた・・・と吐息をつきながらも笑みを浮かべて、そのまま本棚の書籍を眺めて回った。ことに実用書と呼ばれるものに興味がわいた。
いろんなものが食べられて、いろんなものを作れて、いろんなことをして遊べる・・・。
「人間って、いろいろやることがあって忙しいな・・・いつでも、どこにでもいられるからか・・・。」
羨ましい・・・と思った。
ふと、気をひかれる背表紙を見つけた。
そして、とたんに表情が固まり青ざめた。
【 闇に潜む妖艶なる魔獣 】
それは吸血鬼について書かれているに違いないタイトル・・・。
孤児院の本はほとんどが寄付である。子供にはどうかと思うものまで紛れているが、ここに引き取られる子供たちの年齢ではそういう本には興味をしめさないから、前の管理人が気にすることなく並べたものだ。
怖いもの見たさにも似た気持ちでそれを引き抜いたレインは、恐る恐るページをめくった。
【 吸血されると痛みは快感へと変わり、吸血鬼の牙から注ぎ込まれる毒は、いわば媚薬。若く美しい姿で人間を誘惑し、そうして快楽に抗えない獲物を存分に味わい尽くして殺してしまう魔獣である。】
「わざわざ、こんなふうに書かれているなんて・・・はは。」
同時に、レインは嫌な言葉を思い出していた。人間の男に口汚くこう罵られたっけ。
賤しい吸血鬼が・・・。
生き血をすする非情な獣。恐れられ、嫌悪されている存在・・・嫌われたくない。
やるせなくなって、レインは思わずそれを持ったまま子供たちのもとへ戻った。この本をラヴィに見つけられたくない、と思ったのかもしれない。
カーテンを閉めきった薄暗い部屋の片隅で、どの子もみんな、今はもうすっかり眠りに落ちていた。
レインはカーテンの隙間から本で陽光を遮って窓の外を眺めた。陽射しがいっぱいに降り注いで明るい庭の空き地では、少年たちが元気よくボール遊びをしている。
「あんなふうに、あの光の中へ行ってみたいな・・・病みすぎてもう死にたくなったら、最後はそうしようか。」
ため息をついてカーテンをぴったり閉めたレインは、昼寝をしている子供たちの姿をふたたび眺めた。すると、少し落ち着いた。
「日中、こんなに起きていることなんて、今までなかったな・・・眠い。」
以前は、太陽が照らしてくる時間はほとんど眠っていたレインの口から、思い出したようにあくびが出た。
「一緒に寝ようかな・・・。」
レインは、棚の陰になっていて特に暗い場所で眠っているメイの隣に横になった。眠気が勝って、幸い、それほど食欲は感じずにいられる。メイは4歳の女の子。その寝顔を眺めていると、無意識に髪を撫でたくなった。
ああ・・・そうだ。これが・・・。なんか、まったりする感じ・・・心地いい?
なのに体は正直で、ずっと人の生き血を欲して悲鳴をあげている。無視できない本能と物足りなさに参らされる。苦しいのに心地いい、ホッとするけどやるせない、奇妙な感情が胸の中で複雑に渦巻く。本能が邪魔をする。
レインは悔しくて滅入った。人の生き血でないと満足できない体に嫌気がさした。ずっと憧れていた、今までにない幸福感というものを知ることができそうなのに、あくまで吸血鬼であることを思い知らされる。残念でしかたが無かった。
そして同時に、人の血の味を懐かしく思う自分を呪った。
あれはもう何日前のことだったかな・・・最後に人の血を飲んだ日。彼女、綺麗な人だったな。優しそうだったから近づいたら、窓から現れても簡単に入れてくれた。だから、分かってくれると思った・・・でも、やっぱり一緒だった。牙を見せたら、話し合えずにみんな急に変わってしまう。結局、受け入れてもらえないまま吸血をするのは虚しい。
「食べられる人間からしてみれば、勝手な話なんだろうけど・・・。」
でも・・・決して独りよがりな欲望じゃない・・・とレインは思っていた。こんな話を聞いたことがあったからだ。
それはダンピール(※)と言われる、吸血鬼と人間とのあいだにできた子の話。一人の人間に執着し、大事にそばに置いて生かして、愛し合えたから生まれた混血。
喜んで捧げてくれる人と戯れにする吸血って・・・どんな気分だろう。
愛・・・って。
※ ダンピール = 人と吸血鬼の混血の呼称。