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09


コルネイユ公爵の屋敷より、ずっと東にアグリ川が南北に流れている。その川に架かる橋を渡りさらに東に行くとシュクレ市場がある。


その賑わいは、ここに来れば何でも揃うと言われるほどの店の多さだ。

市場の中は小さな路地が無数に点在し、迂闊に入ればすぐに迷子になる。


買い物に来た4人は、アシルを守りながら、ゆっくりと店先を見て回った。


アシルにとって、市場は始めての体験であちこちを見ようと走り回る。

子犬のように駆け回るアシルを、迷子にならないように見ているのが大変だった。

しかし、普段屋敷の中では見られない子供らしいアシルに、リュシーの頬は緩んでしまう。

匂いに誘われたのか、アシルはパン屋の前で立ち止まって、その中を覗いている。


「どうしたの?」

リュシーが尋ねると、アシルは興奮気味に話した。

「ここのパン屋さんは凄いね。全てのパンがやわらかくて、美味しそうだもの。しかもこんなに沢山のパンの種類を作れるなんて本当に魔法みたいだ」


あまりに大きな声だったので、店主が嬉しそうに、店内の奥の作業の手を止めて出てきた。

「ははは、こんなに褒めて貰ったからには一つ無料(ただ)で味見させてやろう。どれがいい?」


「え? いいの?」と素直に喜び、焼きたての美味しそうな香りをくんくんしながら、アシルは特に柔らかそうな白いパンを選んだ。


そして、それを四当分してリュシーやジゼル、ウルバーノに分けようとする。

リュシーは首を振って「アシル様が全部食べて下さい」と言ったが、アシルはパンを持った手をリュシーに向けたままだ。

「あのね、僕・・一人で食べると美味しくないの・・。みんなと食べると美味しくなるでしょう?だから一緒に食べたいんだ」


リュシーは胸を押さえつつ、自分に差し出されているパンを受け取った。

「そうですね。みんなで食べると美味しいですわね」


ジゼルもウルバーノも胸を押さえ、もう片方の手で受け取った。

ジゼルはもう少しで泣き出しそうだったが、楽しい買い物の雰囲気を壊すまいと必死で涙を引っ込めた。


「ほら、やっぱり! みんなで食べると美味しい・・・それにこのパン本当に柔らかくて甘い。噛むと美味しさが溢れてくるよ。それに中からジュワって出てくる」


「それはバターが染みだしてきたんだよ」

店主が自慢げに話す。

「あら、その子が食べているパンを貰おうかしら?」

通りがかりの主婦が、立ち止まる。

「このパンとても美味しいんだよ。中がふわふわで少し焼いても絶対に美味しいと思うよ」

アシルは店員のように、接客を始めた。


「あら、そうなの? じゃあ五つ貰うわ」


「本当に美味しそうね。坊やが今食べていたのはこのパンね?」


急に店が混みだし、小さな店は客でいっぱいになった。


「あはは、坊っちゃんのお陰で今日は新作のパンがいっぱい売れたよ。ありがとう」


アシルは首を傾げ、店主に聞く。

「どうして、僕のお陰なの?」


「そりゃ、どう見ても良いとこの坊っちゃんで良い物を食べている子が『美味しい』って言ったら良い宣伝になったんだよ」


「良いもの? でも僕はリュシーが作ってくれるまで、黒くて固いパンしか知らなかったよ」

店主が驚く。

どう見ても御付きの従者を引き連れた、金持ちのお坊っちゃんだったが、嘘を言ってるとは思えなかった。


「そうか、坊っちゃんも色々苦労してんだな。そうだ、お礼に安くするよ」


店主のお言葉に甘えて、アシルはその店でパンを沢山買った。


次ぎに入ったお店でも、不思議とアシルは店の店主や店員と仲良くなり、沢山の質問をしていく。

どの店の人もその質問に丁寧に答えてくれた。


次の果物屋さんでは、果物は高価で一般庶民には祝いの日にしか食べられないものだと説明を受けていた。


「ねぇ、リュシーこんなにも沢山の人が生活をしているなんて、知らなかったよ。僕の世界はあの屋敷のほんの一部分だったんだね」


「そうね、小さかったアシル様の世界を少しずつ広げて行きたいと思っているの。だから私と一緒に沢山の物を見て聞いて、感じていきましょうね」


リュシーの微笑みにアシルも笑みを返すが、少し悲しい表情になる。

「僕はリュシーに見つけて貰って本当に幸せだ。この市場の中にも幸せそうな人と、そうじゃない人もいる。これはどこにいても変わらないんだね」


アシルの目は、綺麗な所ばかりを見てはいなかった。路地裏の隅で蠢くように生きている人も見つけていたのだ。


服がボロボロで、痩せ細った子供達に、アシルは自分の今の幸福を分けてあげたいと口にする。


やっと普通の暮らしが出きるようになったばかりのアシルは、手に入れたばかりの小さな幸せを分けてあげたいと思うのだ。


この、純真無垢な少年の為にリュシーは何としても公爵邸に残りたいと願った。

それはアシルを見つめる二人も思っているようだ。


少し元気がなくなったアシルに、リュシーはお菓子屋に連れていった。


色とりどりのキャンディに、クッキー、グミ、が可愛い瓶に詰められている。


アシルが特に目を輝かせて見つめていたのは、棒付きのキャンディーだ。

「好きなのを買っていいですよ」


七色の渦巻きキャンディーを見て、それからリュシーを見る。


(子犬の尻尾が見えるわ)

その物欲しげな期待の瞳に、大人三人が心を鷲掴みにされてしまった。

「うっ。愛らしさが眩しい・・アシル様・・その大きなキャンディーが欲しいの?」

リュシーが胸に手を当てて、尋ねた。


「いいの?」

「ええ、もちろんよ。その他にも沢山お菓子を買って帰りましょうね」


うんうんとアシルは高速で頷く。


だが、次にアシルが発した言葉に、三人は戸惑いこの子が置かれていた状況を、思い知らされた。


「この綺麗なキャンディー?っておうちに飾るの?」


「「「・・・!!」」」


そうなのだ、この子に今までお菓子をあげた人がいたのだろうか?

暖かいスープ一つ与えなかったあの屋敷の人が、お菓子なんて与えたなんてどうして思ったのだろう? リュシーは自分の愚かさに腹が立った。


リュシーは小さな飴を一粒だけ買う。

「これは舐めて食べるお菓子なの。アシル様、お口を開けて舐めてみて。噛んじゃだめよ」


アシルの小さな口にキャンディーを一粒放り込む。

すると、始めは難しい顔をして舐めていたアシルが、カランコロンと音を立てていくと、どんどん眉間のシワが緩んで顔中に笑みが広がった。


「美味しい?」


「うん、こんなに小さい食べ物なのに、全然なくならないよ。これってずっと甘いのが続くの?」


「うふふ、そうだったらいいのにね。でも、残念ながらちょっとずつ小さくなってそのうち、なくなっちゃうの」


アシルはこの甘いのがなくなると聞くと、途端に悲しそうに動かしていた口を止める。


それを見たウルバーノが、とんでもない行動に出た。


「俺がこの店のキャンディーを、買い占めよう」


ポケットから金貨をじゃらじゃらと取りだそうとするのを、リュシーは慌てて押し止める。


「限度を考えて下さい。それに、そんな事をしたら、アシル様の歯が虫歯になります」


「ああ、そうか・・・それじゃあ、・・・」


ウルバーノは『それじゃあ』の後に悔しそうに『少しだけ』と続けた。


あの屋敷はアシルには厳しすぎる。だからウルバーノの様に甘やかす存在がいても良いのではないかと思う。


お菓子屋では、ウルバーノがアシルと一緒に試食と買い物を繰り返し、予定していたより沢山のお菓子を買い込んでいた。


一口食べる毎に瞳を輝かせ、幸せそうに笑うアシルを見て、ウルバーノには買い控えるなんてできなかったのだろう。


偉そうにウルバーノに注意していたリュシーだったが、自分も沢山のお菓子を買い漁り、店を出たときは彼に冷ややかな目で見られてしまった。


その次は、野菜を売っている店にいく予定をしていたが、アシルが宝石店に興味を示し、足を止める。


「この青いのを耳に着けたリュシーは、きれいだろうな」


イヤリングを見て、リュシーの耳に着いているのを想像しているアシルの頬を、ウルバーノがつついた。


「おおー、おませなだな。もう自分の瞳と同じ宝石を女性に贈ろうなんて、将来が楽しみだな」


揶揄ったつもりが、アシルは真剣に聞き直す。

「自分の瞳の色の石を贈ると、どうなるの?」


「えーっと・・」

ウルバーノは答えて良いか、リュシーの顔を伺う。

しかし、リュシーはこの手の質問に答えられるほど、経験がない。

ウルバーノから向けられた視線を逸らして、素知らぬ振りをするしかない。


仕方ない。自分で撒いた種だと、ウルバーノがコホンと咳をして、話す。

「自分と同じ瞳の色の宝石を贈ると言うのは、その女性が自分のものだと他の男に向けて威圧しているのさ」


「そうなの?・・・よし、僕もお金を稼いでいつかは、青のその石を買えるようにするよ」


今朝出掛けたときより、アシルの顔が大人びたような気がした。



帰りの馬車に揺られて、アシルはリュシーの膝を枕に眠っている。


熟睡を確認して、ウルバーノがリュシーに小声で明日の予定を教えてた。


「明日、午後には領地に行ってらしたクロード様が帰られます」


「え? 今まで領地に行ってらしたの?」

クロードは自分が嫌で、他所の女の所に転がり込んでいるのだとばかり思ってたのだ。


「はい、少し問題が起こったようで、ニコラを伴っていたので、比較的早く問題が解決したのではないでしょうか?」


「ああ、それでニコラさんもいなかったのね」

ニコラにも放って置かれたのかと心配していたがそうではなかったらしい。


「あれ? ウルバーノさんは一緒に領地に行かれなくてよかったのですか?」


騎士団長なら、率先して着いていくのだと思っていたが、ここにいて良いのだろうか?と疑問に思う。


「今回は副団長が護衛任務に当たっているので、俺の出番はないんですよ。今回、ニコルがわざと俺を外したらしいのだが、理由は・・わからん」


「うーん。本当にニコラさんってよく分からない人ですよね」

リュシーはニコラの食えない態度を思い出した。             


「あーそうだ・・」

とウルバーノの顔が曇る。

「クロード様がアシル様の事を気に掛けるとは思えないが、もしアシル様が屋根裏にいないと知れば厄介な事になるかも知れません」


リュシーはこの屋敷の大きな問題を、再び思い出した。

「ニコラさんから、大まかな話しは聞いていますが、前の奥様の罪をアシル様に負わせてはいけません。だから、私はアシル様をどんな手を使っても守ります」


リュシーの決意が裏目に出るのでは、とウルバーノは心配になった。

「・・・俺が恐れているのは・・・アシル様のその容姿をご覧になるとクロード様の感情の制御が出来なくなる事です。その時の事を考慮して騎士団員を一人コテージに配備しておきましょう」


ウルバーノの態度から、アシルとクロードの親子関係の深い闇の深さを再確認する。


柔らかな寝息を立てながら、寝ているアシルを見ていると胸が痛む。

リュシーは『アシルを守る力を下さい』と神に祈るしかできなかった。

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