06
奥様なのか、お客様なのか、厄介者なのかはっきりしない立場のリュシーの生活が始まった。
朝起きると、昨日から一緒の部屋で暮らす事になったアシルが、小さな寝息を立ててベッドで寝ている。
リュシーは寝相があまり宜しくないのでソファーで眠った。
ソファーでも快適だった。
今まで、固いベッドで寝ていたリュシーにとって、公爵家のソファーの寝心地は最高だった。
ジゼルが朝食を運んでくれたが、その顔は沈んでいる。
食事を見て、浮かない顔の理由が分かった。
教会が行う、浮浪者の炊き出し程の薄いスープと固いパンだけなのだ。
リュシーは顔を顰めるが、アシルは普通に飲み始める。
まさか!?とアシルを凝視する。
「もしかして、アシルの食事はいつもこんな感じなの?」
アシルが首を横に振ったので、リュシーはほっと胸を撫で下ろした。
(さすがに、子供にこんな酷い食事を作るなんてしないわよね)
料理長にも人の心があったと思った・・・のだが・・・。
「いつもじゃないよ。ニコラが食事を運んでくれる時は具が多くて、いない時はこんなスープだよ」
「うぐぐぐ・・・」
リュシーの喉奥から変な音が漏れる。
怒りを押さえたが、押さえきれなかった結果だ。
「アシル、私はすぐに戻るからここで待ってて。他に食べ物をもらってくるわね」
アシルを不安にさせないように、顔だけ微笑みを絶やさず、部屋を出た。
だが、廊下に出ると大股でずんずんと調理場に向かう。
「すみません!!」
道場破りのように勢い良く入る。
調理場には10人もの料理人がいる。
それらが一斉に入り口を見る。
「今日、私とアシルの料理を作ってくれたのはどなたですか?」
調理場の男達が気まずそうに目を逸らす。
だが、奥から料理長が煙草を咥えて出てきた。
「俺が作った。だからなんだ?」
白髪短髪で、図体のでかい気難しそうな50代半ばの男が凄んで出てきた。
一歩下がりそうになったが、逃げるわけにはいかない。
「だからなんだですって?! これだけ沢山の材料があるのに、使いこなせないのであれば、腕前に問題があるのではございませんか? それとも私達の料理を作る気がないのなら、私がここで作るので場所を貸して下さい!」
「ははは、貴族のお嬢ちゃんが料理を作るだって? 食材はいくらでもやるよ。でもな、ここは俺達の神聖な職場なんだ。他で作れ!」
そういうと、リュシーはさっさと調理場から追い出されてしまった。
「食材はいくらでも持っていけと言ったわね・・なら調理場を確保してやるわ」
悔しかったが、食材の確保という収穫はあった。
だが、手ぶらで帰ったならアシルの朝御飯はあの薄いスープだけだ。
せめて柔らかいパンを掴んでくれば良かったと思うが、またあの顔の圧力がハンパない料理長と対峙する気力はなかった。
ドアの前で深呼吸して、元気にノックして部屋に戻る。
「調理場に行って来たけど、今日はご飯がなかったみたい。次からなんとかするからね」
アシルはどれ程がっかりするだろうと覚悟したが、アシルからは全く違う反応が返ってきた。
「良かった。いきなり出ていったから、もう帰って来ないかと心配しちゃった」
アシルの愛らしい声と心底ホッとした顔で言われたら、胸に穴が空く程キュンとする。
「ふぐっ! ・・私は出ていかないです」
アシルを一人置いて出ていきたくない。
まだ、少し不安そうなアシルに、気分転換してもらいたくて、外に誘った。
「そうそう、ご飯が済んだらこの広い庭を散歩しましょう」
リュシーはアシルの色の白さが、気にかかっていた。
ずっと部屋の中で日光に当たっていないと健康に良くない。
固いパンと格闘した後、ジゼルも一緒に三人で散歩に出掛ける。
ジゼルが一緒で良かった。この広い庭園で迷子になり彷徨い歩く羽目になるところだった。
昨日は本館から離れて、西のお客様専用棟で着替えをしたが、今日は反対の東側の散策に出掛けた。
本館から北東に、池があるときいたので向かっている。
タイルの道の両脇に木々が並び、王都にいるのが嘘の様に静かだ。
木漏れ日が気持ち良い風を運ぶ。
その先に大きな池があり、その奥に一軒の小さな二階建てのコテージがある。
明るいオレンジ色の木材を使った可愛い建物だ。
「このコテージは先々代の公爵様が、週末に夫婦二人きりで過ごす為に作られたものなんです」
ジゼルが建物に近寄っていき、鍵を開けてドアを開けた。
「勝手に入っていいんですか?」
さすがのリュシーも慌てる。
でも、ジゼルは気にせず入っていく。
「誰も使っていないんです。ここは私がたまに窓開けを担当してるから、大丈夫ですよ」
だが、中は埃っぽい。
上下窓を開けて、鎧戸も開ける。
沢山の陽光が差し込み、途端に部屋が明るくなる。
部屋の間取りは6LDK。
公爵家のコテージにしてはこじんまりしている。
だが、夫婦が二人っきりで過ごすには十分過ぎる広さだ。
キッチンも広く使い易い。金と青の小花の絵が付いたデザインタイルを張った壁。
先々代の公爵夫人のセンスが分かる明るいキッチンだ。
「・・・食材はもらえる。ここで過ごせば気兼ねなく生活が出きるわぁー!」
リュシーは自分の案に酔いしれた。
「そうよ、浴室を借りるにも嫌みを言われ、ご飯もまともに貰えない所にいるより、絶対にここを借りて生活する方がいいわ」
「ジゼル、こんな素晴らしいところを案内して貰ってありがとう」
ジゼルの手を取って感謝する。
そして、リュシーはアシルの目線に合うようにしゃがんで話す。
「ねぇ、アシル。ここで私と住みませんか? ここならきちんとご飯が作れるわ。暖かいシチューだって作ってあげられる」
アシルは暖かいシチューがどんな物か分かってないが、頷いた。
リュシーが嬉しそうにしているのだから、美味しいのだろうと思ったからだ。
「よし、そうなったら準備よ。ここに入っている寝具はカビ臭いわね。ベランダに干しましょう」
2階のベランダは広くて、ここで食事をしても気分が良さそうだった。
それから、調理道具は揃っているので、料理長が約束してくれた通りに、食材を貰いに行った。
運良く料理長はいなかった。
先の遣り取りを見ていた若いシェフが、沢山食材を分けてくれた。
彼らもアシルへのご飯には、心苦しく思っていたみたいだ。
その料理長への反動なのか、ベーコンや野菜等惜しみ無くくれた。
(あれ? もしかして料理長が居ない時、シェフの皆さんはいい人じゃないのかしら?)
リュシーは一人一人見ると、リュシーにもきちんと微笑み返してくれる。しかも、調味料も分けてくれた。
きちんとお礼を言って、次は侍女の集まるリネン室に行った。
本館から、石鹸等の消耗品やタオル、着替えをもってコテージに帰るとジゼルに驚かれた。
「こんなに沢山の石鹸や、タオルを誰が分けてくれたのですか? おお、しかも食材も・・・」
「料理長がいなかったから、みんな気前良く、くれたわよ。それに侍女頭のいない隙に、他の侍女もあれもこれもって持たせてくれたわ」
アシルがふわふわのタオルを顔に当てて、すりすりしている。
「うわーこんなに柔らかいタオルって初めてだー」
「くっ・・・!」
またリュシーのやり場のない怒りが増えた。
この怒りはどこに向かって吐き出せばいいのだろうか。
リュシーは怒りを愛情に変えて、アシルを抱き締めた。
「リュシー・・どうしたの?」
「何でもない・・事ないけど・・なんでもない・・」
意味不明だ。でも、アシルに説明出来ないからしょうがない。
「うふふ、リュシーは面白いなー」
「アシルの笑顔で元気が出ましたわ。だから、これから三人で手分けして、この家の大掃除をします」
「「はーい」」
アシルとジゼルの良い返事が、コテージに響いた。
お昼ご飯を食べた後も掃除は続いて、夕方にどうにか快適に過ごせるようになった。
そこから、ジゼルに手伝って貰って、夕御飯を作った。
その間アシルには、全ての窓閉めをお願いした。
アシルは人に頼まれるのが、嬉しいのか、次から次へとお手伝いをせがむ。
なので、最後はみんなで夕御飯を作っていた。
ベーコンを使った野菜炒めと、バゲット、ジャガイモのスープ。
ジゼルも一緒に三人で頂いた。
掃除で疲れていたので、簡単な献立になったが、誰にも気兼ねなく食べる暖かい料理は、身体も心も満たしていく。
アシルは、一口食べる毎に、『美味しい!』と蕩ける笑顔を付けた。
夕食の片付けまで手伝って貰うと、ジゼルの帰る時間が遅くなるので、暗くなる前に従事者専用棟に帰した。
浴室は何とお湯が出る機能付き。
熱いお湯に浸かって身体の疲れを癒す。
アシルもお風呂上がりは、ピンクの顔で出てきた。
(ちょっと、お湯が熱かったみたいね)
明日から気をつけなければと、反省。
大きな部屋にベッドが二つ並んでいた。きっと先々代のご夫婦の部屋だったのだろう。
流石にこの部屋を使うのは、遠慮しておく。
次の部屋を覗くと、日当たりの良いオレンジのカーテンが可愛い部屋があった。
お客様の部屋だったのか、ここも広く大きめのベッドがあった。
アシルにどこで寝たいかを尋ねると、『今日だけここで、リュシーと一緒に寝たいな・・明日からはリュシーの隣の部屋で寝るから・・・いいかな?』
と言われ喜んで一緒の部屋で眠った。
(はぁ、アシルにはまだ言ってないけど、義理の母になるのよね・・言ったら喜んでくれるかな? それとも嫌がられるかしら?)
言いそびれてしまった事実を、いつ話そうかと考えていたが、そのまま寝てしまった。
◇□ ◇□ ◇□
暗闇を彷徨う影があった。
「どうしよう・・寝る所がない・・」
ジゼルは侍女頭のエマに、言いがかりを付けられて、従事者専用棟から追い出されていた。
泣きながら、暗闇を彷徨うジゼル。
やっと辿り着いたのは馬小屋だった。
そして、誰にも見つからないように、馬小屋横の乾し草の上に体を丸めた。