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クロードの母マティルデは、要望通りターナ侯爵とは別の島に送られるだろう。
裁判では、吹っ切れたマティルデが全てを白状した。
マティルデは公爵夫人と言う肩書きを奪われた今、漸くそれらしい佇まいを世間に見せる事が出来たのだ。
そして、退廷までその姿は公爵夫人だった。
アシルの実母であるアメリテーヌは、病院施設で『ゼダ』を体から排出後に、裁判が開始されるのだが、かなりの年数が掛かるだろう。
コルネイユ領主として、一連の出来事の判決では無実を証明されて、漸く落ち着きを取り戻していた。
だが、果物に毒物が入っていると言う風評被害のせいで、コルネイユの領地で採れた果物や関係のない生花の売り上げは、がた落ちになった。
クロードはこの噂の払拭に奔走したり、母親の裁判等が重なり精神的に辛そうな時期もあったが、家族の支えもあって、今は少しずつ元気に回復している。
そして、王都の屋敷では再び夜会のためのリュシーのドレスで揉めている真っ最中なのだ。
また、例によってクロードはリュシーへの愛?と言う名の執着心満載のドレスを考案していた。
それに対し、ニコラとジゼルは
今回こそ『奥さまにデザインを考えさせて欲しい』と願い出る。
リュシーもあんなに恥ずかしいドレスを着て歩くのは、もう勘弁して欲しかった。
しかし、今回の事件で落ち込んでばかりいたクロードが、子供のように瞳を輝かせて「今回はさらに君の美しさを引き立たすドレスを考えているんだ。ああ、私の考えたドレスを着たリュシーが、私の隣で微笑んでくれたなら、どんなに幸せだろう・・・」
ーーと流し目で迫るのだ。
時には子犬のように、甘えた声で・・・
時には色気をムンムンと漂わせて・・・
お願いされたリュシーはあっさりと陥落してしまったのだった。
意気揚々と再び執務室で仕事を放置して、真っ白な紙を机に広げデザインを書いていく。
その瞳が爛々と輝けば輝く程、出来上がりのドレスが恐ろしい物になっていくような気がして、リュシーは怖くなった。
再び屋敷に呼ばれた仕立て屋が、青い顔をしてふらふらしながら去っていくのを見た使用人達は、出来上がるドレスを想像し胸騒ぎが止まらない。
そして、誰も彼もリュシーを見ては、不憫そうに目を逸らすのだ。
夜会の当日に届いたドレスは、クロードからジゼル一人で着付けをお願いされた為に、他の使用人はその全貌を知らない。
ドレスを着て、鏡に全身を映した自分を見て、リュシーはホッとした。
いや、覚悟を決めて意気込んでいたせいもあって、幾分拍子抜けだった。
鏡のリュシーはラメが入ったグレーのドレスに、布地をたっぷり使ったドレープが印象的だがシンプルだった。
何の模様もない。
しかもこの前のドレスより、少し肩が出ている。
赤い髪を豊かに結い上げて、大きめのイヤリングを見せれば、派手なドレスよりもセクシーに見えた。
何度見ても以前のような執着心の固まりの意味合いは見つからない。
リュシーが部屋から出ようとすれば、その前にクロードが部屋まで迎えに来てくれた。
そして、リュシーの細い腰を後ろから支えるように後ろに立ち、包み込むようにエスコートをする。
屋敷の玄関では、以前のドレスの事もあるので、手の空いた使用人が驚く人数で見送りに来ていた。
怖いもの見たさだったが、歩いて来たリュシーを見て、皆は一様にホッとする。
「クロード様の考えたドレスだから、また凄い想いの詰まったドレスだと思ったけれど、旦那様の瞳の色のドレスだけとは、クロード様も落ち着いたみたいだね」
この会話も相当、可笑しいものなのだ。
自分の瞳の色のドレスを送るだけでも、相当な執着心の塊のドレスとされているのだが、前が前だけに、使用人達も『普通』を忘れるくらいに毒されているのだった。
とは言え、以前からしたら本当に大人しいドレスだ。
迎えの馬車に乗り込む時に、後ろから支えていたクロードが、横にずれてリュシーの手を取った。
その瞬間、使用人はリュシーの後ろ姿を見て息を飲む。
あるものは「ひぃぃ」と小さく呻いた。
リュシーのグレーのドレスの後ろには、紫のアスターの花が腰から裾に掛けて斜めに刺繍されていたのだ。
紫のアスターの花言葉
『私の愛はあなたの愛よりも深い』
誰に対してのメッセージなのか・・・・
リュシーに対してと言うより、リュシーを狙う男性に対しての威嚇のようだ。
それにも増して恐ろしいのは、クロードのイブニングテールコートの後ろとリュシーのドレスの後ろの腰辺りにチェーンの装飾がある。・・・二人はいつも鎖で繋がっていると言う意味で、これを見た使用人はゾッとした。
後ろの装飾を見ていないリュシーが、なにも知らず馬車に乗り込み、本日の夜会へと去って行く。
重いため息を使用人達が漏らす中、『奥様、ごめんなさい』と一人手を合わすジゼルの姿があった。
が、他の侍女達は何も言わず、ジゼルの肩をポンポンと優しく叩いて労う。
ジゼルはリュシーに後ろの模様や鎖の事を話せずに、そのまま送り出してしまったのだった。
ジゼルが震える手で着替えの手伝いをしていた事は、リュシーは気が付かなかったのだ・・・。
◇□ ◇
今回の夜会では、少し前の公爵家の騒動について聞き出そうと、野次馬根性の者達が、二人の到着を手ぐすね引いて待っていた。
もし、今回リュシーが自分のドレスを知っていたなら、恥ずかしさで胸を張ることも出来ず、悪意に満ちた貴族の餌食になっていただろう。
だが、リュシーはグレーの普通のドレスを着用していると思い込んでおり、公爵夫人として堂々と威圧することが出来た。
クロードとリュシーの姿を見つけるとざわめきが起こる。
するとすぐに噂好きで、人を貶めるのが大好きなご婦人達が、心の中のどす黒い優越感を隠した笑顔で二人の側にやって来た。
「おほほ。今回も素敵なドレスだわぁ。所で今回は大変だったわねぇ。公爵のお義母様のせいで、リュシー様も苦労が絶えませんわね」
「本当にあの人は男を取っ替え引っ替えで、公爵様もご苦労だったわよねえ」
クロードは自分の母の事を言われて、少し怯んだのか押し黙る。
それを見た、他の貴族の男性も攻撃に転じようと集まってくる。
「うふふ。私には素敵なお義母様でしたわ」
リュシーが声を高く、皆に良く聞こえるようにゆっくりと見回す。
「お義母様は私に、『自分の話題を一切ださず人の嫌がる話題を一番に話したがる人物とはすぐに距離を置きなさい』と教えてくださったわ。友人は良く見て選びなさいとね・・。所でターナ侯爵は社交界にご友人も多かったようですね。私どもはあの方と一切繋がりをもっていませんでしたが・・・そう言えばペリー伯爵夫人はターナ侯爵とご友人関係でいらしたわね。あの方とどういうお話をなさっていたのか知りたいわ~」
マウントを取りに来た伯爵夫人は、顔色を変えてすぐに『用事が出来たわ』と去っていった。
その他の貴族もターナ侯爵との関係を公にされたくない人達は、リュシーの毒牙に掛かる前にさーと離れる。
『さすが、あのドレスを堂々と着こなす度胸のある女性だ』
と恐れ入っている。
ここで初めてドレスに関する言葉がリュシーの耳に入った。
「何? このドレスが何? 今回は至って普通のドレスじゃないの?」
リュシーには後ろの装飾がみえていない。
「今回のドレスは気に入ってくれたかい?」
ハゲ鷹のような貴族達を追い払ってくれたリュシーを、クロードは誇らしく思い、目を細めて眺める。
「・・・ええ、このシンプルなドレス、とても気に入りましたわ・・・(本当にただのシンプルなドレスなら)」
「ああ、私の女神が気に入ってくれて嬉しいよ。君以外にこのドレスをこんなに美しく着こなす女性はいないだろう」
クロードはリュシーしか目に入らず、リュシーを囲い込んだ。
だが、二人の世界に割って入った者がいる。
セスト・ユルバン王太子だ。
「また、この前にも勝るドレスを着ているね」
せっかく、リュシーが気に入ってくれているのに、今さら余計な事を言うなと、射殺す様な目でクロードは牽制をする。
以前より勝るドレスとは?
リュシーが恐る恐る尋ねた。
「このドレスは、以前のドレスより大人しくて素敵なドレスだと思いますが・・・そうじゃないのですか?・・・まさか・・」
セスト王太子が首を横に振って否定するので、リュシーの言葉も尻窄みになる。
セスト王太子はちょいちょいと手招きをして、リュシーを大鏡の前に呼ぶ。
「ほら、ここなら後ろが良く見えるね」
リュシーが誘われるまま鏡を見ると、そこには驚愕の事実が発覚した。
「ほら、ここに紫のアスターがあるよ。意味は・・知っているよね」
あんぐりと口を開け、呆けながら頷くリュシーに、もう一つ考えられないものが映った。
チェーンだ!!
はっと気付いたリュシーは、急いでクロードの背中を見る。
あった。お揃いの鎖だ。
私ったら今までこんな服を着て、胸を張って歩き回っていたなんて・・・恥ずかしいいいいい!!
クロードにとてつもない怒りが沸き起こるが、今は夜会の真っ最中。
グッと堪えて笑顔を作る。
一度ならずも二度もこんなドレスを作ったわねと怒りがこみ上げる。
リュシーが耐え抜いた、苦痛と羞恥の夜会が終わった。
無言の馬車・・・
屋敷に着いたその馬車を出迎えたニコラは、到着と同時に馬車から飛び出すリュシーとそれを追いかけるクロードを見送った。
「えーっと、大体の展開は想像が付きますが、この後の収集の仕方は・・・分かりませんね・・」
ニコラはこの夜会の途中でドレスに気が付いたリュシーが、怒って帰って来る事は想像していた。
が、この後どうやって謝って仲直りをするのかは静観するつもりだ。火中の栗は拾わない。
くわばらくわばら・・・。
「ちょっとは、あれを着せられる奥様の気持ちを考えて反省をさせる方が良いだろう」
御者に、馬車の掃除を頼んでニコラは屋敷に入った。
屋敷では、部屋に立て籠ったリュシーの部屋の前で、動物園の熊みたいにウロウロしているクロードがいる。
「ごめんよ。そんなにこのドレスが嫌だったのかい? グレーの色が良くなかったのかな? それとももっとマーメイド風のシルエットのデザインにすれば良かったのかな?」
ニコラは的はずれな意見を言っている自分の主人が憐れになった。
「クロード様、奥様が怒っている理由はそこではございません」
ちょっと反省をさせようと思ったが、あまりにも正解に遠すぎた。
これではリュシーの怒りの理由に到着出来そうになかったので、仕方なくニコラは少し手助けをした。
「クロード様のデザインした花が良くなかったと思います」
「アスターの花が嫌いだったのかな?」
「違います!!」
速攻でニコラは否定した。
「クロード様の考える花の花言葉がいつも重すぎるんです。『私の愛はあなたの愛よりも深い』って怖いです。引きます」
「え? 引くのか?」
「はい! ドン引きです!」
ニコラの歯に衣着せぬ言葉で、漸く理解したクロードは、もう一つの心当たりも口にした。
「・・・えっと。鎖も怒っているのか?」
うんうんとニコラは頷く。
ここで、クロードは部屋に閉じ籠るリュシーに向けて反省文を読む生徒のようにボソボソと話し出した。
「あの、リュシー。聞いてる? 今回のドレスは悪かったと思ってます・・。次からはきちんとリュシーの意見も聞いて作る。だからここを開けてくれないか?」
「・・・」
無言の後に、部屋の扉が開きリュシーが顔を覗かせた。
「本当にこれからは私と一緒にドレスのデザインを考えてくれますか?」
リュシーの顔を見れたことでクロードは喜びを顔いっぱいに表す。
「うんうん。勿論だよ。これからは一緒に考えようね。リュシーの嫌がる図案はもう考えないよ」
「ああ、クロード。本当ね? ありがとう」
雨降って地固まる・・とはこの事だろう。
この後、二人は仲直りの儀式を明け方までしていたようだ。
ただ、この一件でクロードが反省し、普通のドレスを作ったかと言えばそうではない。
クロードは一見すると普通の布地だが、透かすと模様が出る技術を考案した。
所謂透かし織りである。
この技術を領地で生産させると、一気に人気が出た。
傾きかけた領地は、これで一気に復活を遂げる。
クロードの執念が、結果的に好転したかたちとなった。
透かし模様の布地作ってまで、再び恐ろしい花言葉の意味を込めて作ったドレス。
それを見たリュシーは、もう諦めたのか、達観した顔でパーティに出席している。
夜会の度、侍女達に「奥様、今日も頑張って下さい」と励まされながら・・・
次は最終話です。
短いので本日中には、更新したいと思ってます。