36
リュシーはバラ園で聞いた話を思い返していた。
アシルが海のような瞳を真っ直ぐリュシーに向け、『何があっても僕のお母様はリュシーだけだ』と言ってくれた。
そして、シルバーの瞳を鈍く光らせながらクロードも鼻が当たる距離で、『私も誓おう。何があっても我が妻はリュシー、お前だけだ』
よく似た二人の親子が張り合うように目で火花を散らす。
その様子にリュシーは微笑む。
『二人にそこまで言って貰える私は、何て幸せ者なのかしら』
リュシーが二人の頬に手をやると、クロードとアシルは小競り合いを止めて、リュシーの暖かな手を堪能した。
それぞれの部屋に戻ると、アシルは一番に行動を開始した。
アメリテーヌの部屋をノックすると、不機嫌そうな返事が帰ってきた。
「だれ?」
「僕だよ。ママ」
「・・・アシルなの? どうぞ入って頂戴」
甘い声で招き入れてくれるアメリテーヌの横を、不機嫌なマティルデがアシルと入れ換わりで出ていった。
その際、マティルデはアシルに見向きもしなかった。
「ママ、おばあ様どうしたの?」
無邪気を装って駄目元で聞いてみる。
「ちょっと愛人に怒られ・・あら! 嫌だわこんな事を可愛いアシルに聞かせる話ではないわね」
アメリテーヌはついうっかり話したのをごまかそうとした。
「よくわからないけど、おばあ様のご機嫌はよくないんだね? 甘いお菓子を持っていって差し上げたら元気になるかな?」
アシルは最後に可愛く首をコテンと傾ける。
「そうね、後で持っていったら喜ぶかもね・・・」
アメリテーヌは興味がないのか適当な返事をする。心の中ではやっぱり子供ね、騙しやすいから楽だわとほくそ笑んだ。
「それより、あの赤毛の女がアシルに優しくするのは、公爵の息子だからよ。騙されないでね。どう? あの女より私の方があなたの母親に相応しいって分かってくれたかしら?」
子供相手に笑うのが余程苦手なのだろう。
気持ちの悪い薄ら笑いに、アシルの背筋がぞぞぞっと寒気が走った。それと同時にリュシーを悪く言われて怒りが表情に出そうになった。
しかし、感情を噯にも出さないように堪えた。
「ううんとね・・まだよくわからないの。だってリュシーさんの作るアップルパイがとっても美味しいんだもん」
「・・・アップルパイ?・・」
予想外の回答に一瞬アメリテーヌが戸惑う。
「そう、アップルパイだよ」
「分かったわ、すぐに美味しいアップルパイを用意して上げるわね」
アメリテーヌは面倒くさそうにため息をついて、アシルを部屋に残し調理場に向かった。
(この部屋にも盗聴器があるのか・・迂闊な事は言えないな)
アシルは音を出さずに、引き出しをそっと開けていく。
その中に鍵が掛かった引き出しがあった。
アシルの魔法を使えば、簡単に引き出しは開き、その中に全く関係のないジャムの小瓶が入っていた。
しかも、ジャムの中は減っていてここで食べているようなのだ。
こんなところにジャム?
パンにも塗らずここで舐めているのか?
うーん・・アメリテーヌは物凄い甘党なのかな?
アシルはこんな場所にあるジャムを違和感を覚える。
考えてもわからないので、瓶ごとポケットにねじ込んだ。
あちこちを見たが、それ以上、目ぼしい物は見付からなかった。
ソファーに座ってアメリテーヌを待つ。
暫くすると、「料理長にアップルパイを作るように頼んできたから、焼けたら持っていくわね。部屋で待っててくれるかしら?」
と、そわそわし出す。
「ママ、僕の為にわざわざ料理長に頼みに行ってくれていたの? ありがとう」
アシルが感謝の気持ちを言うが、なぜかアメリテーヌは唇を噛んで、顔をひきつらせ焦り出す。
「ええ、あなたの為だったら何でもするわよ。出来上がったらあなたの部屋に運ぶように言いつけたから、ほら、早く部屋に戻っていた方がいいわ」
明らかにアシルをこの部屋から追い出そうとしている。
もう少し様子を見たかったが、アメリテーヌがそれを許さない。
追い立てるように、アシルを部屋の外に出す。
その際、アメリテーヌの手が僅かに震えているのをアシルは見逃がさなかった。
父と連絡を取ったアシルが、バラ園に入る。
見た目には、仲の良い父と息子が庭園を散歩していると映っただろう。
「お父様、呼び出してすみません」
「ああ、いきなり『お母様のために薔薇を摘んで差し上げたい』と入ってきた時は驚いたよ」
あどけない顔で言うので、本当に薔薇をリュシーに贈りたいのだと思ってしまったが、いざバラ園に着くとアシルの様子が一変した。
「アメリテーヌは病気を患っていると聞いた事はありますか?」
アシルの唐突な質問に、クロードはうーんと少し考える。
「いいや、そんな報告は聞いてないな」
「そうですか・・・手が震えていたように思えたのですが・・・ではこれをお父様の魔法で鑑定していただけますか?」
取り出したのは、アメリテーヌの部屋で見付けたジャムだ。
「これは?」
中身の少ない食べかけのジャムを出されて、クロードは怪訝な表情を見せる。
「アメリテーヌの部屋の引き出しにジャムが入っていたんです。しかも、わざわざ鍵付きの引き出しに、隠すように入れられてたのが不自然で、これはただのジャムではないのかもと思って持ってきたんです」
クロードは瓶を目の前まで持ってくると凝視する。
するとクロードの瞳が灰色から、金色に光り出した。
父の瞳が金色に光るのをじっと見ていたアシルが、羨ましげにポツリとこぼす。
「いいな、お父様は鑑定の瞳の持ち主で・・・僕にもあればお母様の食べ物に毒が入っていないか調べられるのに・・・」
鑑定が終わったクロードが、しょんぼりしているアシルに目を移した。
「きっとお前も訓練すれば鑑定持ちになるだろう。これは血筋が強く作用するスキルだからな」
「え? 本当?」
ぱあーと顔を輝かせるアシル。
頼もしく思う一方でこれで鑑定スキルを持てば、益々アシルはリュシーにベッタリになるのではないかとクロードは危惧した。
今は食事の際には、クロードがリュシー達の食事を鑑定して一緒に食べるようにしている。
これがアシルも鑑定が行えるとなると・・・
(私はお払い箱になるのではないか?!!)
リュシーの事となると、途端に器の小さくなる男が必死で言い繕う。
「だが、アシル。これは成長過程で育つスキルだ。焦ることはない」
「えっでも、さっきは訓練すればって出来るとお父様は仰ってましたよね?」
クロードの大人げない考えを、アシルに知られてはならない。
すぐに話題を変えた。
「えーっと、鑑定結果だが・・アシル、すごいぞ!よくやったこのジャムには『ゼダ』という成分が入っている。これは使用禁止の薬物だ」
リュシーへの執着心が激しいクロードは、アシルの質問を躱して、検定の結果を答えた。
実際にこの情報は、貴重な情報だった。
「このジャムが作られている製造元や、販売に携わっている者を辿ればこの件の黒幕に行き着きそうだな。アシル、ありがとう」
クロードはアシルの頭を撫でた。
この様子を遠目で見た者は、親子がじゃれているだけにしか見えなかっただろう。
現にクロードを監視していた者は、黒幕への報告をする。
「まだ、何も勘づいていないでしょう。仲良くバラ園で散歩をして、摘んだ薔薇を奥方に届けていました」
「そうか。公爵がここに現れた時は慌てたが、早々気が付くまい。それにしてもマティルデは稚拙な企みをしよって・・・全くバカな女は綠な事をしないな」
ターナ侯爵は葉巻を灰皿に押し付けて、窓の外を見た。
◇□ ◇□ ◇□
その夜、クロードの執務室にニコラが窓から入ってきた。
クロードは話し声が漏れないように、小さく結界を張る。
「誰にもつけられなかったか?」
クロードがカーテンを閉めながら尋ねた。
「もちろんです。ここに入るのも誰にも気付かれてませんよ。それよりアシル様があなたの元嫁のところから取ってきたジャムですが、この領地で作られていました。」
「おい、『元嫁』と言うな。所でこの領地になぜ『ゼダ』入りのジャムが作られているのだ。そんなことが公になればわが領地はお終いだ」
クロードはこの領地の危機なのに、『元嫁』に反応している所が悠長すぎるだろうとニコラは、心配になる。
「隣国のセルダガイ国からわがコルネイユ領は砂糖を輸入していますが、その中に『ゼダ』が混入していたようです。しかし、これはマティルデが故意に混ぜて輸入していると思われます」
「クソッ、また母か!! これまでも何度も煮え湯を飲まされてきたが今回ばかりは、私共々巻き添えにして没落するつもりか?」
『ゼダ』とは砂糖と同じ色だが、その成分は麻薬と同じ効果がある。
それを混ぜてジャムを作って売っているとなれば、食した者は脳内に多量の快楽物質であるドーパミンを発生させる。
すると、食した者は再びそのジャムを欲するようになり、ついには『ゼダ依存症』になってしまう。
この件に係わっているのは、隣国のセルダガイ国と、ターナ侯爵だ。
このジャムを見付けたアシルが
『おばあ様は愛人に、怒られていたようです』と報告をしてくれていた。
この愛人というのがターナ侯爵だ。
彼はマティルデを通じ、このコルネイユ領を利用して、隣国から砂糖を輸入していると見せかけ、『ゼダ』を密輸した。
そして、花と果物の産地のこの領地を利用して『ゼダ入りのジャム』を作った。
多くの者を依存症にさせて、さらに高く売り付けようとしている。
万が一、この事が公になっても密輸しているクロードのコルネイユ領の者が捕まるだけだ。
輸出入してはいけない貨物を輸出入する行為、つまり密輸出入犯として裁かれるのはこの領地を治めるクロードだ。
ターナ侯爵は現在35歳の男盛り。
ダークブラウンの長めの髪を無造作に流し、無精髭と胸毛を見せるようにブラウスの前ボタンを開けている。
その姿が社交界でターナ侯爵の色気で気絶するお嬢様が後を絶たない・・と真しやかな噂で有名になっていた。
母は八つも年下のそのターナ侯爵に、多くの貢ぎ物をされて有頂天になっている。
まさか自分が騙されているとは思わずに、悪事を手伝っているのだ。
いざ、事が露見した場合、蜥蜴の尻尾切りのように捨てられるとも知らずに・・・。
それだけではない。
「『ゼダ』入りのジャムとは知らずに売り付けられていた」とターナ侯爵が言えば、コルネイユ領に多額の損害賠償を請求をされてこの領地を乗っ取られてしまう。
現在、クロードは係わっていなくても、密輸出入犯になる可能性は高い。
ニコラが胸元からスッと一枚の紙を渡す。
「クロード様、私はとっても働き者でしたよね? どうぞ伯爵家でも良いので、執事の推薦状を書いて下さい。それから、今までの残業代もお支払くださいね」
薄情な執事は他所の貴族の家に推挙する旨の手紙を書いて下さいと、笑顔で言い出した。
「残念だな、ニコラ。私たちは一蓮托生だ」
推薦状はビリリと破かれる。
「ですよねー・・・」