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(アシル視点です)
僕が、アメリテーヌの手を取ろうとしたのは、本当に一瞬の気の迷いだ・・・。
僕のお母様はリュシーだ。
そう確信した時、腕に痛みが走った。
お母様を見る為に振り返ろうとした僕の腕を、アメリテーヌが力一杯掴んだのだ。
強く握ったアメリの爪が、僕の腕に食い込み傷付いた。
アメリはそんな事はお構いなしで、『私の愛しいアシル』と口先で喋っている。
これで、ハッキリした。
彼女の瞳に僕は映っていない。
比べるまでもない。
僕の大切なお母様はだた一人、リュシーだけだ。
僕は咄嗟にアメリテーヌに笑顔を向けて、『ママ』と呼んだ。
感情を隠して笑う事は簡単な事だ。
ニコラがいつもしているのを、真似をすればいいんだ。
僕のお母様を傷付ける奴は、産みの母だろうが、祖母だろうが関係ない。
許さない・・・
その後、バラ園でお母様が僕の腕の傷を見つけて、ハンカチを巻いてくれた。
お母様は心配そうに自分が丹精込めて刺繍したハンカチに、血が付く事も厭わずに、ハンカチを巻く。
『大丈夫なの?』
お母様の優しい瞳が、僕に尋ねる。
とても心配そうだ。
お母様のハンカチをダメにしちゃったのに、僕を心配してくれるお母様の手が腕に触れる度に、くすぐったくて頬が緩んでしまう。
こんな時に不謹慎だったけど・・・
笑顔の時のお母様の瞳は、日に透けた若草色のペリドットだ。
でも僕を心配したお母様の瞳は、少し陰り深みのあるエメラルドだ。
そうだ。あのアメリテーヌが僕に向けた目は光のない、路傍の石だった。
バラ園で、お花を堪能している風に見せ掛けて、お父様が話出す。
「この屋敷には、たくさんの盗聴器が仕掛けられている。安全な場所はここくらいだ。今から話す事は、この4人以外には漏らさぬようにお願いする」
念のための注意で、お父様は先に口を開いたが、僕が先程からそわそわしているのを、見かねてすぐに話を振ってくれた。
「アシルはすぐにでもリュシーに、言いたい事があるのだろう?」
そうだ。一刻も早くお母様の誤解を解きたい。
僕の話を先にさせてくれるなんて、ありがとう、お父様。
僕と同じ目線になるために、しゃがみこんでいたお母様の手を取る。
「あの・・僕がさっきあの女の人を『ママ』って呼んだけど、誤解しないでね」
お母様が不思議そうにして小首を傾げた。
「えっと・・・、誤解も何も・・確かにあのアメリテーヌ様はあなたのお母様だもの・・ママと呼ぶのは当たり前のー」
「違うよ! あの女の人はお母様じゃない・・僕がお母様と呼ぶのはリュシーだけだ」
やっぱり、お母様に勘違いされていた。逸早く否定が出来て良かった。
でもお母様はちゃんと分かっていないのか、複雑な顔のままだ。
「この腕の傷はあの女・・コホンあの女の人に付けられたんだ」
うっかり、『あの女』って言いそうになった。
お母様を失望させたくないので、すぐに訂正した。
でも、そこにはお母様は気付いていない。それより腕の傷が、アメリテーヌのせいだと聞いた事の方がショックだったみたい。
「えっ? まさか・・そうなの?」
お母様が険しい表情になる。
「あの人はきっと僕に注ぐ愛情なんて一滴も持っていない。あの人が僕に向けた取って付けた笑顔をみるに、きっと僕を使って、あのおばあ様と何かを企んでいるにちがいないね」
正面にいるお父様とニコラを見ると、僕の意見が正解だと言うようにうんうんと頷いている。
僕はこれで、お母様が安心してくれて笑ってくれると思ったのに、ひどく悲しげな顔をしている。
僕は急に不安になる。
お母様に嫌われた?
どうしようと焦った僕を、突然、お母様に抱き締めた。
「アシル・・無理に笑わなくていいから・・・傷付いた時は泣いてもいいのよ。苦しかったわよね。アシルがそんな事を感じて悲しんでいる時に、私は・・あなたがアメリテーヌ様に取られてしまうのではと、自分の事ばかり考えていたわ・・・ごめんなさい」
お母様の赤い髪が僕の頬に触れる。
お母様が僕を想って、震えている事に嬉々とする。
僕があの女に取られると思って、焦ってくれたなんて・・・考えただけでも、くすぐったい気持ちになる。
僕はキュッとお母様の背中に回した手に力を込めた。
「お母様が、僕の事を思って行動してくれる。それだけで僕は気持ちが軽くなるんだ。だから謝らないで」
「・・アシル・・」
お母様の腕がさらに力が込められ、僕の体に伝わる。
うん?
お父様?
そんなに羨ましそうに僕を見ないで下さい。
でも、ついつい僕もお父様に優越の目を向ける。
「コホン・・・。リュシー、ではそろそろ本題に入ってもいいかな?」
お父様はこの状態のお母様と僕を引き裂く様に、話題を変えた。
全く大人げないです、お父様。
でも、確かに時間がないので、僕はせっかくのお母様の腕を解いた。
「お母様、あのおばあ様とあの女の人が何を企んでいるのかわからないので、ニコラとお父様が探っている間、僕は二人に言い寄ります。その時にあの女の人を『ママ』と呼びますが、決して心ではそう思っていないと覚えてて下さい。誰が何と言おうと、僕のお母様はリュシーあなたです」
僕の話を聞いたお母様が、再び抱き締めてくれた。
だから、お父様・・その寂しそうな顔をするのはやめて下さい。
息子に嫉妬するなんて恥ずかしいですよ・・
それから、お父様も話出す。
「あの二人が揃ってここにいるのは、偶然じゃない。何を企んでいるか想像は付く。私の母の狙いはこの屋敷と自由になるお金だ。領地経営の権利を私から奪う事が目的なら、私を狙っているのだろう」
お母様の瞳が悲しげに大きく揺れる。
実の母が息子の命を狙う。お父様が淡々とその事を話ているのも、お母様には辛い事なのだろう。
悲しげなお母様の頭を、ソッと優しく撫でたお父様が話を続けた。
「私を殺すか追い払った後、その権利はアシルに継承されるが、この場合アシルがまだ幼い故、母親に権限が一時移る。その時に邪魔になるのがリュシーだ。だから、君にはここに居る時は私かニコラが用意するもの以外食べないで欲しい」
僕はお母様の命が狙われるなんて、考えもしなかった。
「お父様!! お母様の命を狙う奴らの近くにいる必要はありません。お母様だけでも王都に帰して下さい」
僕はお父様に怒りを向けた。
「・・・確かに母親の言う事を真に受けて・・・君達をこんな危険な領地にまで連れてきた私は本当に・・・バカだった・・」
シュンと大きな体を縮ませたお父様はさらに、項垂れて小さくなる。
「いいえ、私やアシルをお義母様に会わせようとしてくれたあなたは悪くないですわ」
お母様がお父様の手を取って優しく撫でる。
お母様はそうやって甘やかすから、お父様は反省しないンです。
さっきまで小さくなっていたお父様が、もう顔を上げて嬉しそうにしてますよ。
心なしか、この状況なのに喜んでいますよね。
ため息が出そうなのは、僕だけではなかった。
僕よりも、盛大にため息を付いたのはニコラだった。
すぐにニコラがこの状況に釘を刺した。
「・・・先も言いましたが、この屋敷には盗聴器だらけです。つまりクロード様も、奥様もですが、もちろんアシル様にもご注意下さい。それと、昨日怪しい人物を見たのですが、ターナ侯爵がこの領地をうろついています。まだ彼の目的は分かっていませんので、充分にお気を付け下さい」
厄介な盗聴器なので取り外しに、手間が掛かるようだ。
お母様に甘えられないのは、癪だが我慢しよう。
ニコラがまだわからない人物なんてほんとの黒幕っぽい。
さしあたって、僕がしないといけない事は、アメリテーヌに甘えて見せて、自分に靡いたと思わせるのだ。
アメリテーヌに甘えるなんて考えただけでもゾッとする。でも、お母様との幸せな暮らしに一刻も早く戻るためにやって見せる。
アメリテーヌが僕に気を許したら、少しは屋敷を彷徨いても怪しまれない。
アメリテーヌを駒として動かしているのはマティルデだ。そのマティルデの企みを阻止する為に、探って見せる。
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