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玄関では未だにクロードとマティルデが言い争っている。
「よくも私を騙したな。何が『死ぬまでに嫁と孫の顔が見たい』だ!! 何を企んでいる?!」
「あら、嫌だわ。何も企んでなんていないわよ。貴方達が来る前日に丁度、アシルの母ですってアメリテーヌがここに訪ねてきたのよ。だから会わせてやっただけよ」
そんな言い訳が通るなんて、思う方が可笑しいのだが、マティルデは強引に言い訳を押し通す。
「ぬけぬけとそんな言い分が通るとでも思っているのか!」
クロードはマティルデに怒りを向けるが、マティルデは全く動じない。それどころかクロードの怒りを焚き付けるような言葉を投げつける。
「それにしても、あの赤毛よりブロンドのアメリテーヌの方がこの公爵家にはぴったりだわ。それにクロード、貴方にもアメリテーヌの方が似合っているわよ」
何を言っているのだ? とクロードはその瞳をゆっくりと広げて
次に彼女が何を考えているのか分からず、目を細めてマティルデを見つめた。
何故今さら、あの女と私を引っ付けようとしているのだ?。
そこで、アシルとリュシーがいない事に気がつく。
慌てて、マティルデを押し退けリビングに向かう。
そこには、勝ち誇ったようにリビングを出ていくアメリテーヌとぶつかりそうになった。
アメリテーヌは値踏みするように、ねっとりした眼差しをクロードに向けてくる。
「お久しぶりね、クロード。貴方がその気なら私はやり直しても良いのよ」
昔の私は一体この女のどこに魅力を感じたのか?
アメリテーヌを罵る言葉を探したが、何も言わずに通りすぎた。
そんな事よりも大事なのはリュシーとアシルだ。
クロードがリビングに飛び込むと、リュシーは呆然と立ちつくしている。一方アシルは、自分の腕をじっと見て何か考え込んでいるようだった。
「二人とも大丈夫か?」
クロードの声で、二人は止まっていた時計の針が動きだしたように我に返った。
「私は・・何も・・」
「僕は大丈夫だよ」
リュシーの様子が気になるが、無事そうなのでホッとする。
「あいつは何の話をしていたんだ?」
クロードが聞くと、アシルが辺りを見回して首を振る。
ここでは話せないとアシルは思った。このリビングには自分達の他の誰かに見張られているような気がした。
それはクロードもすぐに異変を感じた。
だが、魔力が極端に少ないリュシーには分からない。
目配せの意味が分からないリュシーは、自分がいるところでは出来ない話なのだろうか?と悪い方に考えてしまう。
クロードは屋敷の中をくまなく、調べる。
アシルとニコラも庭園を調べる。
するとあちらこちらに、会話を盗み聞き出来る盗聴器のような装置が仕掛けられていた。
普通の魔力の持ち主ならば、見つけられないところだが、コルネイユ公爵の家系特有の魔力には、特定の魔力を感じとるセンサーがある。
巧妙すぎる魔力には、効かない場合があるが、この程度な魔力の物ならば、アシルでも気が付いた。
夫婦の寝室や庭園にもそれはあった。
盗聴器の魔装置は、高額な物だ。緑色の箱のような形をしているが、起動して装置を設置すると、回りの色に同化して見つけられにくくなる。
それが屋敷中に仕掛けられているという事は、マティルデがどこからかお金を調達しているのだ。
「ここにもある。夫婦の寝室もアシルの子供部屋にまで・・・」
苛立ちながらも、盗聴器を叩き割りたいのを我慢した。
このまま叩き壊すには、厄介な魔法が仕掛けられている。無理に壊すと特定な人物に呪いが飛ぶのだ。
この呪詛のような魔法を解除し、一つ一つ潰すには時間が掛かり過ぎる。
更に探すと、屋敷の中で唯一盗聴されていないのは、調理場の横にある材料置き場だけだった。
建物の外はニコラとアシルが庭園を探し回った結果、バラ園だけ盗聴器がなかった。これは先々代がここを大事にしていて、悪意のある魔法が掛からないようにしていた為だ。
バラ園を家族で散歩している風を装って話をしようとクロードは、リビングに一人ポツンと所在無さげに座っているリュシーの傍に行く。
「リュシー、今日は母のせいで驚かせてしまって悪かった。気分治しに庭園に行かないか?」
クロードは、自然を装いリュシーを連れ出したかったのだが、リュシーが動かない。
「クロード様・・アシルは本当のお母様と暮らす方が幸せなのでしょうか? 私がアシルを幸せにしようと思っていたのは・・・やはりそれは私のエゴなのでしょうか?・・・それに、とてもアメリテーヌ様は美しくて・・・貴方も・・」
これ以上リュシーにここで話させる訳にはいかない。
リュシーが落ち込む事はアメリテーヌを喜ばすだけだ。
リュシーの言葉を遮るためにクロードがリュシーの口をキスで塞ぐ。
「あ、ふぁ・・んん・・」
突然の口付けにボーとなっているリュシーに、クロードが耳元で囁く。
「私の幸せは君がいる事だよ。君は私を幸せにしてくれないの?」
端正なクロードの顔が間近に迫り、灰色の瞳がリュシーの瞳を覗く。
「私は貴方を幸せにしたい・・でも・・」
リュシーの弱気な言葉をクロードは遮る。
「じゃあ、私の傍に常にいて貰わないといけないな。さぁ、祖父の自慢の庭園を見に行こう」
クロードはリュシーを抱えあげるとそのまま庭園に歩きだした。
クロードは愛しいリュシーの弱音を、忌々しい奴らに聞かせたくなかった。
それに、彼女の弱味を知った奴らがそれを使って彼女に何かするのではないかと、気が気でない。
「重いでしょう? 自分で歩きます」
リュシーがなんと言おうとクロードは下ろさない。
諦めたリュシーはそのまま、クローッドに抱っこされて庭園を見て回る。
そして、バラ園のガゼボに着くと漸くリュシーは椅子に下ろされた。
「素敵な庭園ですね」
「ここは色んな種類のばらが咲いているんだよ。祖父が世界各国を回って薔薇を集めただけあって、時には研究者達も訪れたほどなんだ」
クロードが説明をしていると、アシルがこちらに向かって駆けてきた。
「おかあさまー」
いつもと変わりのないアシルの笑顔と声にリュシーは安堵する。
まだ、『おかあさま』と呼ばれているのが嬉しかった。
ガゼボに到着したアシルは、リュシーにしがみつく。
いつもよりも力を込めて抱きつくアシルは、「あぁ、やっぱりリュシーが僕のおかあさまだ」
「どういう意味?ーーまあ!・・アシル、その腕の傷はどうしたのです?」
リュシーに言われて、アシルが改めて腕を見ると、さっきアメリテーヌの爪でつけられたところから、少し血が垂れていた。
「手当てをしないと!」
すぐに立ち上がって屋敷に戻ろうとするリュシーをアシルが止める。
「こんなのは放って置いても大丈夫だよ。それより、大事な話があるから、ここでおかあさまに聞いて欲しいンだ」
真剣な眼差しのアシルに、リュシーは屋敷に薬をとりに帰るのを諦めた。その代わりにアシルの前にしゃがみ、自分のハンカチをアシルの腕に巻いて手当てをした。
心配そうにハンカチを自分の腕に巻くリュシーを見て、アシルは一瞬でも、アメリテーヌが優しそうに見えた事に落ち込んだ。
「屋敷に戻ったら薬を塗りましょうね」
リュシーが巻いたハンカチの場所から、腕が暖かくほんわかする。
(僕もお父様みたいに、きれいな人の笑顔に騙されやすい体質なのだろうか・・? でも、もう騙されない。僕がお母様を守る)
「お父様とお母様に話があります」
アシルの決意した声を聞いて、リュシーは体を固くした。アシルがあの綺麗な本当の母の元に行くと、言うのではないかと足が震えた。
けれども、構えたリュシーに対してアシルは、
「あの人は僕の母ではありません」とさらっと言ってのけた。
「あの人は僕を何かの取引の駒にしか考えていないってわかったんだ」
「そんな・・・だってあの人はアシルの事を『愛しいアシル』って・・・」
リュシーは自分の息子を取引の駒に使う母がいるだろうか?と訝しんだ。
戸惑うリュシーの気持ちが伝わったのか、アシルは自分の腕を指す。
「これが、その証拠です。あの人は自分の爪が僕の腕を傷つけていても気が付かない。それに、あの人の僕を見る目は・・・」
クロードの方を見て、口を噤んだ。
そう、クロードの母、マティルデが自分の息子を見る目と、アメリテーヌが自分を見る目が同じだったのだ。
あの人達には『母』という自覚は無いのだろう。
アシルは今、自分の目の前で、気遣うように見ているリュシーが本当の『母』なのだと、改めて思う。
リュシーは、アシルがアメリテーヌを選んでも、リュシーの傍にいることを選んでも、アシルの幸せを第一に考えて意見を尊重するだろう。
アシルは、目線を合わせてしゃがんでくれているリュシーの首に腕を回して抱きつく。
すると、リュシーも優しく背中に手を回して背中を擦ってくれる。
アシルの心にほわっとした安らぎが、充満しだす。
(やっぱり、僕のお母様はリュシーだけだ)