20
ジゼルも本館でリュシーと同じ医者に治療を受けていた。
ジゼルは恐れ多いと断っていたが、早く治してリュシーを安心させてほしいと言うクロードの言葉に、最終的に従った。
傷の浅かったジゼルは、リュシーより少し早めに完治し、誰よりもニコラが喜んだ。
二人とも、傷跡も殆ど治った。僅かにリュシーの腕の傷がうっすらと赤く線がある程度だ。この傷も時間はかかるがいずれ消えるだろう。
公爵夫人を襲うという事件を起したエマは、公爵家を仕切っているうちに、自分がこの屋敷の女主人なのだと思い上がっていった。
そして、前妻は自滅したが今回のリュシーは追い出せず焦っていた。
しかも、使用人達の多くがリュシーを奥様だと認め始め、遂にクロードまで本館に帰って来なくなったのだ。
それで、彼女は誰がここの女主人かを教えてやろうと計画を練っていた。
クロードは自分の味方をしてくれるだろうと絶対の自信を持っていた。
だが、愛しい坊っちゃまはリュシーの為に怒り、エマを殴った。
今、彼女は自分の考えのどこが間違っていたのか気がつかないまま牢屋にいる。
そして未だに彼女は、自分の過ちを理解することなく、公爵家は自分の物だと言い続けている。
彼女が現実から逃げて、夢の中で自分が公爵夫人だと思い続ける限り、彼女は牢の中でしか生きられない。
覚めることない夢の中で彼女の生涯は終わるだろう。
エマがいなくなった後、ジゼルの先輩であるソレーヌが侍女頭になり、屋敷の空気感は明るく爽やかになった。これは、リュシーが人事を任され、相談相手に選んだソレーヌと共に、エマと一緒に非道な行為を荷担していた使用人を一斉に解雇した結果でもある。
以前仕切っていた料理長に続き侍女頭のエマもおらず、屋敷の使用人達は笑顔で献身的にリュシーにもアシルにも接してくれるようになった。
この屋敷は以前、アシルに冷たかった場所ではなくなった。
それどころか、前料理長や前侍女頭の顔色を伺って助けてやれなかった後悔と懺悔もあり、よりアシルに優しく接していた。
リュシーは痛みもなくなり、立って歩けるようになっても、過保護なクロードがどこに行くのも付き添っては、少し歩くと抱き上げようとするせいで、体力と筋力がもとに戻らず困っていた。
すっかり治っても、どこに行くのもクロードが心配そうに後ろを歩く。
「クロード様・・私はもうすっかり大丈夫です。ほら、もう飛んだり跳ねたりしても・・ね?」
「リュシー、無茶しないでくれ。心臓が痛む」
クロードが心配のあまり、リュシーよりも重症のような苦しい顔をする。
「クロード様は私に過保護すぎます」
リュシーに怒られて、ワンコが落ち込んだように元気をなくした。
言いすぎたと反省したリュシーが、「怒ってはいませんよ」と慌てて言葉を足した。
「怒っていないなら、ここに来て欲しい」
クロードが嬉しそうに両手を広げて待っている。
(・・・? もしかして胸に
飛び込んで欲しいと言うことかしら? いくらなんでも恥ずかしいわ)
躊躇ったリュシーだが、満面の笑みで待っているクロードが可愛くて、つい、その胸に飛び込んでしまった。
クロードはリュシーのか細い腰に手を回して抱き締めた。
その熱々ぶりに、誰もこの夫婦が未だにキスもしていないと思わないだろう。
知っているのは、ニコラとジゼルくらい。
知らない使用人は、この二人にあてられて鼻血を出す者までいるのだ。
二人にはこれがイチャイチャしていると認識せずにやっている。
何とも迷惑な二人である。
ある日、クロードに呼び出されたニコラが執務室で待っている。
「待たせたな。実は相談があって・・・重要な話しなのだが」
クロードの重要な話という前置きに、ニコラが真剣に前のめりで聞く姿勢を取る。
「なんでしょう」
「もうリュシーの怪我は治ったと主治医に聞いた。そこで、伸ばしていたプロポーズを今日にも言おうと考えたのだが・・どう思う?」
「えーっと、わたくし・・以前にその話を聞いた記憶があるのですが・・・デジャブ? って言うかまだ言ってなかったのですか?!!」
驚愕の事実にニコラは、気持ちが遠くに飛んで行きそうになる。
(独身の使用人の目の前でイチャイチャしまくって、この展開とは?)
ニコラのジト目を余所に、クロードは話を続ける。
「以前は、まだその時ではなかったんだ。今求婚したら彼女は受けてくれるだろうか?」
「・・・ハイ。キット奥様はオヨロコビニナルト思イマス。(棒読み)・・・私、忙しいのでこの辺で失礼したいのですが宜しいですか?」
心のこもらない話し方で、さっさと部屋を出ようとする。
「本当にそう思うか?」
不安気なクロードに、しょうがないなと呆れながらも「奥さまも旦那様の事が大好きですよ」
と背中を押してやった。
ニコラの言葉に勇気を貰って、その夜騎士団の護衛を引き連れて、王都が一望出きるイルムの丘にリュシーを連れ出した。
出掛ける前に、クロードはアシルに相談をしていた。
「アシル、ちょっと良いか?」
「何ですか? おとうさま」
「今日、リュシーに私の奥さんになって欲しいと頼もうと思っているんだが、アシルはリュシーがお母さんになっていいか?」
「・・・僕はリュシーがいい! お母さまはリュシーしか考えられないよ」
「そうだな。私も妻はリュシー以外考えられない」
親子揃って一緒だなとクロードは、笑った。
そして、責任重大だと気合いも入る。
丘に着くと、馬車から降りた二人をレンガ作りの展望台に誘う。
螺旋階段を登り切ると、目の前が開けて、眼下に王都の町並みが広がった。
小さな光が集まって、とても明るく美しい夜景だ。
どの灯りにも人々の生活の営みが感じられる。
「綺麗ね。王都にこんな場所があるなんて知らなかったわ」
夜景を見つめるリュシーの後ろで、クロードが跪く。
「リュシー・・」
クロードが緊張からか少しかすれた声で呼ぶ。
振り返ったリュシーはクロードの行動に驚く。
「クロード様・・どうされたの?」
跪くクロードに戸惑う。
「リュシー、聞いてくれ。私は一度結婚には手痛い失敗をしている。それで息子を放置するようなダメな父親だった。だけど君と一緒にいればどんな事でも乗り越えられそうなんだ。リュシー、心から貴方を愛している。どうか私と結婚してくれ」
グレーダイアモンドを差し出しながら、思いの丈を込める。
リュシーは一瞬、私でいいのかしらと思ったが、素直な気持ちで返事をする。
「はい、こんな私ですが宜しくお願いします」
リュシーからOKの返事を貰うと、クロードは指輪を彼女の細く白い指に嵌めた。
自分の指にある、グレーダイヤモンドを見てうっとりとしているリュシー。
それを見てほーッと呆けているクロード。
「ありがとうございます。こんなに素敵な指輪を頂いて、とても嬉しいです」
はにかむ彼女は、クロードの心をキュンとさせるには可愛すぎた。
「うっ!!」
「クロード様? どうされました?! 胸? 胸が苦しいのですか?」
「いや、心配ない・・・これはきっと名前を呼んで貰うと治るかもしれない。クロードと呼んでくれ」
「お名前と胸のご病気は関係があるのですか? それならお呼びしますが・・ クロード・・」
再びクロードの胸の痛みが増す。(これが所謂キュン死と言うやつなのか?)
クロードが心のなかで呟くと、心配そうに覗き込むリュシー。
(何て可愛いのだろう。赤い髪にグレーの宝石がよく似合っている)
この喜びを早くアシルにも教えてあげたい。この歓喜を早く息子と分かち合いたいと帰りを急いだ。
クロードは結果を待っている息子に伝えるために屋敷に着くと、大急ぎでリュシーを抱えてアシルの部屋に入った。
「さっきまで起きて待っていらしたんですが、待ちきれずに眠ってしまわれたところですわ」
ジゼルはリュシーの方を振り返ると、その指に宝石が輝いているのが見えた。
「まぁ、やっと・・・コホン・・奥様とクロード様、お二人の気持ちを確かめ合う事が出来たのですね。おめでとうございます」
ジゼルは自分の事のように、喜び目に涙を浮かべた。
「ありがとう、ジゼル。これもあなたのお陰よ」
本当にジゼルがいなかったここでの生活に耐えられず、今ごろは出ていっていたかも知れないと感謝し、リュシーは頭を下げた。
「お止め下さい。奥様に頭を下げられては困ります。私の方こそ奥様がいなかったら、と思うと怖くなります・・・そうだ、この喜びをニコラ様にも教えてあげたいので、ご報告してきて良いですか?」
クロードは自分が言いに行くと何を言われるか、想像が付くのでそれはジゼルに任せる事にした。
「そうだな、頼む。ニコラにしっかりと伝えてくれ」
ジゼルが部屋から出ていくと、二人はアシルの寝顔を見にベッドに座った。
アシルは小さな寝息を立てて、穏やかな顔で寝ている。
「今日中にアシルに言いたかったな・・」
残念そうなクロードが、アシルを起こそうとして優しくアシルの額をつつく。
「こら、寝ている子を起こしてはいけませんよ」
リュシーは『メッ』とばかりに少し怖い顔をする。
顔をあげると、近くにお互いの顔があった。
クロードの灰色の瞳は、優しい雨雲のように揺れている。
リュシーの若草色の緑は、期待に輝いていた。
二人の距離が近付いて、唇が重なった。
始めはつつくような小鳥のようなキスを。
さらに長いキス・・そして深く纏わり付くようなキスに変わる。
ここで、クロードがリュシーを抱き上げて自分の部屋に運ぶ。
「あの、クロード様?」
戸惑うリュシー。
「クロードだ。もう間違えたのか?」
寂しそうに口をへの字に曲げてすねるクロードが可愛くて、リュシーは笑いもう一度言い直した。
「クロード。大好きです」
目を瞪り息を止めるクロードにリュシーが呼び方を間違えたのかと焦り呼び直す。
「あの旦那様?」
コテンと首を傾げて不安そうに瞳が揺れる。
「くっ・・・。旦那様って・・どっちもイイ・・今からなのに・・そんなに煽るなんて、我慢は出来ないよ」
熱のこもった眼差しを向けられて、リュシーは自分が何を煽ったのか知るのは、数分後だった。
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