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クロードがこのコテージに入るのは、祖父が他界してからは初めてだった。


綺麗に掃除され、暖かな雰囲気は祖父母が生きていた時のようだった。

辺りを見渡すととても丁寧に掃除がされていた。

ジゼルだけでなく、リュシー自らも手入れを欠かさずしているのが見てとれる。


リビングのソファーに座ると、祖母が作ったクッションがそのまま使われていて、懐かしくて目を細めた。

他に懐かしいものはないかと、内部を見渡すと、金髪が柱の影に隠れたのが見えた。


ギクっと体が強張る。

クロードはそれを(アシル)見ないふりで遣り過ごした。


「ワイン、冷えてないけどいいわよね? それとここには、ワイングラスなんておしゃれなグラスはないからコップで飲んで下さい」


リュシーはキッチンから戻ると、ワインとコルクスクリューをコルクに刺して回す。

引き抜こうと頑張るがびくともしない。


「フッ」

クロードに鼻で笑われ、リュシーはムキになって引っ張る。


「おい、貸してみろ」

見兼ねたクロードはワインボトルを奪い取ると、いとも簡単に引き抜いた。


「ぐぬぬ」

悔しがるリュシーを尻目に、クロードは流れるような所作でコップにワインを注いだ。

ここでリュシーがふと気付く。

あの倉庫からクロードの態度が、大人しくなっている事に・・・



二人でコップを傾ける。


「これは・・・!」

クロードが顔を顰めた。


「あら、美味しいー」


リュシーの思いもよらない感想に、クロードが「ワインを飲んだ事がないのか?」と驚いている。


「だって、爽やかな花の香りで酸味があってさっぱりしているわ・・・ああ、だからこれが熟成されていない若いって言う味なのね?」


ランドに言われた事を思い出して、グラスの色を見た。

クロードはリュシーが持っているグラスを指差し、


「そうだ、この赤紫の色は若い色だ。色で『ミセット』ではないと分かる。本物は綺麗なバレンシア色なんだ。それに味が全然違う」

と複雑な表情でクロードは淡々と教える。


「私の父も、私も人を見る目がないな。ずっと料理長を信頼していたのだが・・・こんな風に裏切られていたのか」

クロードの父は祖父の信頼厚かった料理長を追い出し、今の料理長を就任させたが『良い人物』が見つかったと自慢していた。


リュシーが慰めの言葉を掛けようとした時、アシルが物陰から出てきた。


その途端にクロードが跳ねるように立ち上がり、アシルを一瞥すると「帰る」と呟きコテージを出て行ってしまった。


残されたアシルは、俯いたままポタリポタリと大粒の涙を流して立ち尽くす。

「嫌われてたのに、僕はなんで出ていったのだろう・・・」


リュシーは急いで跪きアシルを抱き締める。


「アシル泣かないで。私が悪かったわ」

リュシーは自分の失策を悔いた。

あの屋敷以外で会えば、少しはクロードもアシルと会話をするのではないだろうかと、淡い期待を持ってコテージに招き入れたのだ。


だが、結果はアシルを傷付けただけだ。


「アシル、泣かないで・・・私がいるわ」

リュシーはこう言い続ける他に掛ける言葉が思い付かず、録音されたようにこの台詞を繰り返し続けた。


リュシーは、震え泣いているアシルに、どうする事も出来ない自分自身の不甲斐なさを思い知る。


この親子が、手を繋ぐ景色をいつか見る事が出来るのだろうか?

自分の安易な考えで、二人の仲をさらに悪化させてしまったと後悔し、その夜は眠れなかった。



次の日には、アシルは何事もなかったように、元気に起きてきた。


「アシル、おはよう。今朝はパンケーキを焼こうと思っているの。沢山食べられるかしら?」


「うん。五枚は食べられるよ」


アシルの食欲が減っていなくて良かったとリュシーは安堵した。

少し落ち着いて食事をすれば大丈夫だ。昨日の事は触れずにおこうと思っていたが、そうはいかなかった。

無遠慮に物を言う人がいるからだ。


「オーイ。あのさ、昨日クロード様となんかあった? ああ、私はコーヒーね」

ニコラが朝一番にコテージにやってきて、ダイニングの椅子に座って、ジゼルにコーヒーを頼んでいる。


リュシーは昨日の事もあるので、ここでクロードの話をしたくはないが、ニコラが返事を待っているので仕方なく話をする。

「・・・昨日、クロード様は私と倉庫に入って、料理長のワイン詐欺が発覚したところです」


「えっ? そうかぁー・・」

ニコラは頭を抱えて椅子の背凭れに体を預ける。


「クロード様がどうかしたのですか?」


昨日アシルにとった行動は許せないが、あの飛び上がって出ていった後、少し心配になっていた。


「信じていたのに裏切られて、自信喪失って感じだ。山のように溜まっている書類があるのに、仕事をしないんだ。それで大変困っているんだよ」


困ったと言っている割りに、ニコラはここで優雅にコーヒーの香りを楽しみながら飲んでいる。


本当に忙しいのだろうか?と疑いたくなる。

丁度、アシルが食べ終わって二階に行ったのを見計らって、リュシーは倉庫での事や、このコテージでアシルと会った時の事を細かく説明した。


「そうか、直に料理長が話しているのを聞いたんだな。よし、これでやっと料理長の首を切れる。証拠の二重帳簿を突きつければ終わりだな。それとアシル様の事はまだ時間がかかるだろうな」


ニコラは立ち上がると、出ていくのかと思いきや、キッチンに行きパンケーキを焼いているジゼルに自分の分も追加して頼んで、もう一度席に着いた。


(忙しいって言ってたのに、この人ってばいつまでいるのかしら?)


ニコラもまた、行動が読めない人物の一人だ。

食後もニコラは本館に行かず、本屋で買ってきた新しい絵本を、アシルに読み聞かせている。


目を輝かせてワクワクしながらアシルは、挿し絵を見ている。


ニコラは時計を見て、アシルに「今日はここまでな」と慌てて、自分の仕事場である本館にかえって行った。


(あぁ、アシルのショックを見兼ねて時間ギリギリまで遊んでくれていたのね)


腹黒いニコラだが、アシルには父や兄の様な優しさを見せる。

本当の父であるクロードは全くアシルを避けて寄り付きもしないというのに・・・


リュシーは深く長い息を吐く。


またすぐくるだろうと思っていたニコラは、仕事が忙しいのか、コテージに顔を見せなくなった。


それどころか、すぐにクビになるだろうと思っていた料理長はいつまで経っても偉そうに調理場に立っている。

これはどういう事か?

どうやらこの事とニコラが忙しくなった事と関係があるようだッた。




ある朝、リュシーがコテージから出ると、池の桟橋付近で靴も靴下も脱ぎ捨てて足を水に浸けて座っているクロードが見えた。


虚ろに水面を眺めるクロードに、声を掛けようかどうか躊躇ったが、クロードの様子はまるで幼子が所在無さげに、ポツンといるように寂しげで、ついつい傍に歩いていった。


リュシーが来るのを分かっても、動かない所を見ると、近寄っても大丈夫かな? と思いクロードの隣にしゃがんだ。


クロードはリュシーを見る事もせず、水面をぼんやり見つめたまま「何か用か?」と呟く。


「ええと、別に用事はなかったんだけど・・・何となく気になってね・・・」


「ああ、そうだな。使用人に騙されている私の事が面白いのだろう?」

自嘲気味に嗤うクロードに、リュシーは首を振る。


「いいえ、そうは思っていません。でも、なぜ料理長を解雇せずにいるのかが分からなくて・・・」

早く料理長を辞めさせないといつまで経ってもこの屋敷の不正は無くならないというのに、こんな所で呑気に水遊びをしているクロードの行動に理解出来ないでいた。


「この件を公にすれば、私は長年騙されていたのを貴族社会に公開する事になるんだ。私はこれ以上世間に恥を晒したくない・・・」


妻の浮気で憔悴した心が未だに癒えていないのに、再び騙された事に立ち向かえと言うには過酷過ぎるだろう。


リュシーはクロードの横顔を見ながら、言葉を慎重に選ぶ。

「貴方の苦しみを理解するには、私の経験では足りないと思います。でも、これだけは分かります。貴方を軽んじて苦しめている人物がいて、貴方はそれを排除出来る力を持っています。でしたら、一刻も早くバッサリと切り捨ててスッキリしましょう。このままでは、貴方の心が荒んでいくばかりだわ」


クロードはリュシーが優しく、どこまでも自分に寄り添ってくれている事に気付き、横を見る。


気遣わしげにクロードを見ている若葉色の瞳がすぐに飛び込んできた。

彼女がここに来てからクロードは優しい言葉一つ掛けてもいない。なのに、どうして慰めてくれたのかと不思議に思ったが、彼女の瞳からは深い慈愛だけを感じる事が出来た。


「きっと君は・・・」

クロードは後の言葉を飲み込んだ。

(彼女はきっと深い愛情一杯の家で育てられたのだろう。人の醜さとは縁の無い生活をしていたのだ)


だから、これほどまでに他人に優しく接する事が出来るのだと思った。


彼女の言葉に嫌味に感じるものは一つも無かった。

「そうだな、君の言う通りだ。このまま見過ごすわけにはいかない。騙されていた事実と、自分の気持ちと向き合って解決してみせるよ」


クロードは池に浸していた足を、勢い良く抜いて桟橋に立ち上がる。

そして、裸足のまま靴と靴下を持って本館に向かって歩き出した。


急な事に驚きその後ろ姿を見送っていたリュシーに、クロードは振り返り「これが片付いたら、勇気をくれたお礼を持ってくるよ」

と手を振った。


(お礼なんか要らないのに・・でも、元気になって良かった)


リュシーはクロードが大股で歩いていくのをホッとして微笑んだ。

(あれ? 何でこんなに嬉しく思ったんだろう)

クロードを毛嫌いしていた筈なのに? と困惑し、暫くその場で悩んでしまった。


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