01
17歳のリュシー・ルコックは、朝から働き通しだった。
洗濯の途中でリュシーの真っ赤な髪が頬にかかり、とても邪魔だった。
新緑を思わせる明るい緑の瞳が、傍に落ちていた髪紐を見つけた。
リュシーが髪を縛るのは、リボンではない。そんな物はとうに捨てられて一本もない。
端切れを切った布が彼女の髪を縛る紐だ。
山盛りの洗濯が終われば、父と義母と義妹の食事の用意をしないといけなかった。
アベーレ・ルコック伯爵家は政略結婚で結ばれたリュシーの母エレンの事を、結婚当初から気に入ってなかった。
母エレンはリュシーと同じ真っ赤な髪と緑の瞳で優しい女性だったが、娘リュシーを産むと産後の肥立ちが悪く、ベッドから起き上がれなくなる。
そして、リュシーが8歳の時にとうとう亡くなってしまった。
その後父は、喪に服す事なくすぐに現在の義母と義妹を迎え入れた。
リュシーは母が病で苦しんでいる間、父が家に戻らなかった理由をこの時始めて知るのだ。
また、この時からルコック家は義母と義妹の浪費により、家計がどんどん傾き出す。そして、その皺寄せは働く使用人達に被ったのだ。給料は安く、仕事は使用人が減る度にキツくなった。
そして、とうとう女性は今やリュシーだけになり、一人でこなしているのだ。
「あーもうこんな時間。そろそろご飯の時間だわ」
リュシーは父、義母、16歳の義妹を屋敷で飼っている猫だと思う事にしている。
そう思えば、意地悪な事を言われたとしても、そう腹も立たなかった。
急いで調理場から配膳用カートに、朝のスープとパンとサラダを乗せて屋敷のダイニングに運んだ。
ダイニングの扉を開けて三人が座っているテーブルに、皿を運ぶ。
「リュシー、またこのスープなのか? 野菜しか入っていないじゃないか!」
「申し訳ございません。鶏肉の値段が上がって、手に入り難くなっています。もう暫く野菜のスープでご了承ください」
リュシーはペコっと頭を下げて、給仕を済ませて部屋から出た。
「何勝手な事言っているのでしょうね。大体お金もない癖に贅沢三昧を繰り返してたら、そりゃ肉も買えなくなるわよ」
声が届かない場所までくると、リュシーはカートを押しながら文句を言う。
もう、この屋敷に侍女も侍従もいない。
いるのは、料理長マカーリオと先代からの執事グイドだ。
この二人は既に高齢で、いつ辞めてもおかしくない。
だが、リュシーの為に働いてくれているのだ。
この二人がいなければ、リュシーはきっとこの世には、いなかっただろう。
リュシーが幼かった頃、マカーリオは、お腹を空かせていたリュシーにいつもこっそりご飯を与えていた。
そして、料理を教えたり、買い物の手伝いと称して、外の町にも連れ出してくれた。
グイドはリュシーに勉強や貴族の所作や領地経営を教えた。
時には痛い腰を伸ばして、ダンスも教えてくれた。
リュシーにとって、この二人だけが家族だった。
そして、グイドとマカーリオにとっても、リュシーこそがこの落ちぶれた伯爵家に残っている理由だった。
ある時、コルネイユ公爵家のパーティーに義母と義妹とリュシーが招待された。
「すごいわー。さすがコルネイユ公爵家ね。パーティー会場に有名なあのホテルを貸し切ってするみたいよ」
お金持ちのやることはスケールが違うわねとリュシーはぼんやり思う。
その高級ホテルは宿泊費が高額で、一泊すら出来ないのに、貸し切るなんて・・リュシーには別世界の話のようだった。
まともなドレスも無いリュシーが、この手のお茶会やパーティーに参加する事はなかったし、義母が連れて行く筈もなかった。
だが、今回オレリアが父に頼み込んだ。
「お父様、リュシーお姉様も今回は一緒に連れて行ってあげましょうよ」
リュシーは彼女の魂胆を探ろうと、じっと窺う。
「なんて優しいんだ。こんな姉を連れてやっても良いだなんて、オレリアは天使か?」
父の言葉にリュシーの顔が歪みそうになったが、執事のグイドが首を振ってリュシーを止める。
「でも、お姉様と一緒の馬車には乗りたくないの。だから、お姉様はご自分でいらしてね。それから、今日お姉様のお部屋のごみを捨てておいてあげたわ」
薄いピンクの髪を揺らして悪戯っぽく笑い、紫の瞳を輝かせる。
(ああ、本当に容姿だけ見ていると義妹は天使のように可愛いわね)
だが、言っている事は全く可愛くない。
いつもの事にリュシーの部屋が、どうなったのか見なくても分かる。
きっと部屋にあった最後のドレスが捨てられたのだろう。
そして、ボロボロのドレスを来て歩いてパーティー会場に行けと言うのだ。
「リュシー、お前も参加しろ。オレリアが言ってくれたんだ。感謝して必ず行くように」
ルコック伯爵は、全くリュシーを見やる事なく命令する。
この一言で、どんな理由があろうとリュシーは参加せざるを得なくなった。
「承知しました」
リュシーが返事すると、ルコック伯爵は片手を振って部屋から出ろと合図した。
もちろんこの合図で出ていくのは、使用人の立場の者である、執事グイドとリュシーだ。
ドアを閉めると部屋の中から、ケラケラと笑うオレリアの声が響いていた。
昔たくさんいた侍女の部屋の一室が、今はリュシーが与えられた部屋だ。
その扉を開け、真っ先にクローゼットの床板を外して探すが、隠していた母の形見のドレスがなくなっていた。
いつ、見つかるかずっとビクビクしていたのに、いざ捨てられてしまっても悲しさはなかった。もうリュシーにその感情はとうに失くしてしまっていたのだ。
「さぁてと、ドレスはない。お金もない。馬車もない。こんなに何もないとクヨクヨしている時間がもったいないわ」
吹っ切れた顔で立ち上がる。
(侍女のお仕着せを着ていけばいいか。その方が歩いて行けるわ)
悩む事なく、掃除道具を持って玄関に向かった。
手早く玄関の拭き掃除を終えると、沢山ある部屋を次々に掃除していく。
使われてもない部屋をわざわざ掃除をするのは、もちろん義母がリュシーに命令しているからだ。
『部屋は毎日掃除をしなさい。シーツも毎日洗濯しなさい」
あの三人からリュシーに向けて発する言葉は全て命令形でしかない。
部屋の掃除を終わらすと、一休みする間もなく立ち上がる。
それから、昼食の用意をするために調理場に向かった。
マカーリオが、浮かない顔で立っている。
もう、リュシーの母の形見のドレスが捨てられた事をしっているのだ。
「ふふふ、マカーリオ。そんな顔をしないで。ドレスがなくなるより、貴方がそんな顔をしている方が辛いわ。ねぇ、私にホットサンドを作ってくれない? お腹がペコペコなの」
ウィンクして緑の瞳を細めると、マカーリオが漸くいつもの笑顔の戻り、パンを切り出した。
「でも、ドレスもなくてどうするんだ?」
マカーリオが卵を割りながら、リュシーに尋ねた。
「ああ、この服装で行くわよ」
お仕着せのスカートをちょっと持ち上げる。
「その服でか・・?」
マカーリオが驚き手を止めるが、リュシーはパンに具材を挟んで、マカーリオが卵を焼くのをのんびりと待っている。
「このメイド服で行った方が気が楽かもしれないわ。でも、楽しみのホテルの料理は食べられないわね」
人差し指を額に付けて、いい案がないか考えている。
「ほら、ホットサンドが焼けたよ」
「ありがとう。お茶を淹れるから、マカーリオも一緒に食べましょう」
二人でこうやってのんびりと遅めの朝食を食べている時が、リュシーは好きだった。
だが、すぐにけたたましいベルが鳴って、リュシーの時間は削られる。
「あの鳴らし方は、ドロテ様ね」
ホットサンドを口に詰め込んで
、調理場をあとにした。
コルネイユ公爵家のパーティー当日。父と義母ドロテと義妹オレリアは借りた馬車に乗り込んで、既に出掛けた後だった。
リュシーはあの馬車を借りるのに、いくらの金額を支払ったのか気になった。
(高い金額でないことを祈りましょう)
三人が出掛けたのを確認したグイドが、手招きしてリュシーを執事室に呼ぶ。
「どうしたの? グイド」
リュシーが部屋に入ると、グイドが流行遅れだが質のよいドレスを広げて持っていた。
「・・・それは?」
「私の妻が着ていた服だ。古いがお仕着せを着てパーティーに出席するよりいいだろう?」
リュシーがそのドレスを手に取る。自分の肩に合わせて鏡を見ると、そこには小さな花柄の素敵なドレスの自分が写った。
「奥さまの大事な形見のドレスを、私が着てもいいの?」
嬉しかったが、形見のドレスの大切さは誰よりもリュシーが知っている。
「いいですよ。私が持っているよりも、誰かに着てもらったほうが妻も喜びます」
グイドが、妻のドレスを合わせたリュシーの姿に目を細めて笑う。
「グイド、ありがとう。お仕着せで行くって言ったけど本当は、不安だったの。本当に嬉しいわ」
リュシーが深く頭を下げて、グイドに礼をする。
「ほらほら、時間がありませんよ。馬車は借りられませんでしたが、マカーリオがホテル近くまで、荷馬車で連れて行ってくれますよ」
「・・・!」
リュシーが振り向くと、マカーリオが親指を立てて、ニカッと笑っていた。
グイドとマカーリオのお陰で、リュシーは、コルネイユ公爵の貸し切ってるホテルに辿り着いた。
パーティーの会場は、化粧の匂いと香水の香りでリュシーは噎せそうだった。
だが、ここまで来たからにはグイドとマカーリオの為にも、楽しんで帰らなくてはと意気込む。
コルネイユ公爵夫妻は二人とも23歳と若い。
先ずはコルネイユ公爵夫妻に挨拶をと近寄ったが、夫人はリュシーを一目見ただけで、眉をひそめて扇でシッシと追い払う仕草をした。
隣に立っていたコルネイユ公爵にも、同じように冷たい瞳で無視された。
リュシーは住む世界が違うので、きっと挨拶も違うのだと思うようにした。
「『扇でシッシ』はごきげんようの代わりなのだわ。それにしても、夫婦揃って嫌な感じ・・・じゃなくて、お人形のようにお美しく心もきっと空っぽなのね」
リュシーは挨拶もそこそこに、テーブルに並ぶ見事な料理の数々を前に、感嘆のため息をもらしていた。
「あらあら、こんな所に我が家のどぶネズミが食べ物を漁りに来たのね」
早々にオレリアに見つかる。
その取り巻きの貴族の子息令嬢も、ニヤニヤと嫌な感じだ。
「よく、そんな古臭いドレスでこのパーティーに来たな。ここをどこだと思っているんだ? コルネイユ公爵家だぞ!」
男の癖にキラキラの光物をふんだんに着けた、男がリュシーに喚き立てる。
「招待状には、詳しいドレスコードが書いていなかったわ。つまり貴方はドレスコードを書いてなかったコルネイユ公爵様の手落ちだと言いたいのね?」
リュシーが詰め寄ると、男は一歩下がった
「な、な何を言っているんだ?! 俺はそんな事一言も言ってないだろっ?!!」
「では、このドレスに言いがかりをつけるのは止めて下さいね」
リュシーはそう言い残し、さっさとその場を離れた。
「もう、料理を堪能する時間が惜しいのに、あんな奴らと一秒でも関わっていられないわ」
リュシーは目を付けていた、次の料理を目指して、テーブルに向かった。
一頻り食べ終わって、外の庭園で座っていると高位貴族の執事らしき男性が近寄ってきた。
「こちらのアクセサリーは貴女が落とされた物ですか?」
見るからに身なりの良い執事は、大きな宝石の付いたネックレスをリュシーに差し出した。
(私のこの身なりにそのネックレスを落とす訳がないでしょう!)
リュシーはどこぞの執事に、どやしつけたかったが、微笑んで首を振った。
「いいえ、私のネックレスではございませんわ。他の方のでしょうね」
ふんわりと笑顔で否定した。
「では、このハンカチはどうですか?」
執事は白くて金の刺繍が施されたハンカチを出した。
リュシーは男の意図が分からず、(めんどくさい)とため息が漏れた。
「そちらのハンカチは貴方の奥様の物ではないですか? ハンカチから貴方と同じ匂いがしますわ」
男は驚いてハンカチの香りを確かめてから、顔をリュシーに向けた。
「よく分かりましたね」
本当に感心しているようだった。
リュシーは、この執事が何をしたいのか分からず怪しむ。
「私、鼻が利きますの」
リュシーは微笑むとサッサと踵を返して立ち去った。
(胡散臭い人にも私の鼻は利くのよ。この公爵に集まる人達に、良い香りの人はいないわ)
リュシーの後ろ姿を、コルネイユ公爵家の執事であるニコラが、見送っていた。
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