表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

再会

 結局父親から何も言われることのなかったハヴァードは、セレイザが喜ぶと思った提案を、ジェイから伝えてもらうより先に本人に直接話してしまった。

 ファレムだけでなくエナまでいると聞いたセレイザは、当然その場で皇子妃の代理を務めることを快諾して、グレッド邸に帰ってきた。

 

「行き先がシェレンではなかったのは、少し残念だったけれど」

 

 七の月に決まった調印式は、てっきりシェレンで行われると思ったが、ハヴァードは違うと言っていた。

 それでは、ディアンやダイレンやラカ、オルジェに会えることはなさそうだ。それでもうれしそうな娘に、シンザはなんだか複雑そうな表情だった。

 

 通商協定の調印式は、西大陸の北西海岸部を治め、海運王国と呼ばれるカッシアという国で行われる。

 シェレンとは古い付き合いであるカッシアは、フェデルマとも建国当時から交流を持っていて、この協定の締結に一役買っていた。シェレンからの要請を受けて、最初にフェデルマとの対話の橋渡しをしたのがこの国だったのだ。

 もちろんカッシアとしても、親切だけで仲立ちをしたのではない。カッシアは両国間の航路の中間にある。大抵の船は一旦ここに寄港することになるだろう。そうなればその物資補給や船員の休憩、宿泊、港の使用料など、大きな利が生まれるのだ。

 外交面にちからを注いでいる王弟夫妻が立会人として、調印式と晩餐会に出席するという。

 

 シンザは昔、皇帝と外交のために西大陸にも行っていた。カッシアも訪れたことがあるから、王家の人間と多少面識があるらしい。

 政治に関わりのないセレイザは、外交の場なんて初めてである。これはフェデルマとシェレンが国家間の約束を交わす場、歴史的な協定が結ばれる場面なのだ。参加するのは晩餐会だけとはいえ、今さら少し緊張してきた。

 

 でも人前では、ファレムさんたちとは初対面の振りをしなくてはならないのよね。

 

 それはなんだかむず痒い気もするが、「すぐに打ち解けた」という形さえ出来上がれば、その後は友人として接することができる。商業目的だけとはいえ航路が繋がるのだから、クレナスへ会いに行ける日もくるかもしれない。

 そんな未来を空想しながら、セレイザは寝台の中でしばらく眠れない時間を過ごしていた。

 

 

 

 出立の日、帝都の近くにある港には、ティノーラとエリセも見送りに来ていた。

 皇家の船は大きく、船体は黒塗りで威厳がある。

 三年前エナが王都からクレナスへやってきた時のシェレン王家の船は、装飾が美麗な船だった。

 なんだか対象的ね、とセレイザは黒い船を見上げながら一人思っていた。

 

「行ってくる。留守をよろしく頼むよ」

「もちろんよ。心配いらないわ。ここに前当主夫人だっているんだし」

「そうよ。シンザは留守が多い人だったもの。慣れたものよ。何も心配せず、お勤めをしっかりね」

「はい、叔母上」

 

 行ってまいります、とジェイがティノーラとエリセに挨拶し、セレイザも続いた。二人が船に向かって桟橋を進むと、シンザが少し遅れて歩き始めた。

 

「お父様も行ってらっしゃい!」

 

 長女エリセの元気な声に、シンザも明るい笑顔を作って振り返った。

 行ってくるよ、と言ったシンザに、ティノーラが無言で歩み寄った。なぜか桟橋に行ってしまった母を、エリセが不思議そうに眺めている。

 ティノーラは、背の高い夫を見上げ、その太い腕に手を添えた。

 

「お勤めももちろんだけれど……セレイザを頼んだわよ、シンザ」

「……わかってる」

 

 ティノーラの手に、シンザは反対側の手を重ねた。

 目を合わせた夫婦の間の会話は、それだけだった。かつては生死もともにしてきた二人には、それで充分だった。同時に手を離すと、ティノーラに見送られながら、シンザは船に乗り込んだ。

 

 

 

 フェデルマ帝都を出た皇家の船は、途中大雨に見舞われ、予定を狂わされてしまった。カッシアへの到着は一日半ほど遅れ、七日目の午前に港町レイティエに入港した。

 レイティエは、西大陸の北東に突き出た岬に造られた港から発展した、三大陸でも最大級の港町だ。桟橋もたくさんあるが、船の係留施設も広大だ。港から街の奥へと建設された大きな二本の運河が、街を三つに仕切っている。東側海沿いが貴族の街、レイティエの大部分を占める真ん中が平民の街、北側海岸線が海運業と漁業の街となっている。

 

 フェデルマの船は、貴族の街の港の立派な桟橋に横付けされた。

 護衛であるグレッド家の騎士たちが最初に下船し、桟橋とその先まで配置された後、皇家の従者が降りた。従者が船と桟橋の間に渡された厚い板の最終確認を済ませると、ようやく皇子ハヴァードが船を降りるため、板に足を踏み出した。

 そこで彼は後ろを振り返り、手を伸ばす。

 

「足元、気をつけて」

 

 ハヴァードの次に船を降りようとしていたセレイザは、きょとんとした。グレッド家の者ではなく、皇子自らが手を差し出している。

 

 ――あ、そうよね。私はハヴァードの奥様の代理なんだから。

 

「ありがとうございます」

 

 ハヴァードの手を取りながら、セレイザはつい笑いそうになった。今はずいぶん歳が離れてしまったが、幼い頃はお互いに従兄妹だと勘違いしあっていた皇子。同じ馬車にも遠慮なく乗って、紳士ぶった子どもの彼が、いつもこうやって手を取って降ろしてくれた。それを思い出した。

 

「何だか懐かしい気分だわ、ハヴァード」

「私の方が懐かしんでいるよ。何しろ私にとっては二十年くらい前の思い出なんだからな」

 

 ハヴァードも少し笑っていた。同じことを思い出していたようだ。

 彼は、今の時期まさに結実している麦の穂のような、温かみのある金色の髪をしている。瞳は紺碧で、凛々しい顔つきだ。すでに父親であるが、女性からは今でも憧れの視線を向けられている。幼馴染でなかったら、セレイザもその一人だったかもしれない。

 

「……あの方が、ファレム王子?」

 

 誰にも聞かれないよう小さな声で、ハヴァードがセレイザに耳打ちした。

 セレイザはハヴァードの視線を追った。

 桟橋の向こうに、三年振りに会えた懐かしい姿がふたつあった。美しく神秘的な翡翠髪(ひすいがみ)。異性なのに似ている、整った顔立ちの兄と妹――セレイザの目にはまるで、二人の周りだけ明るい光が差しているかのように、その存在が際立って映った。

 

 ファレムさんとエナ様だわ……!

 

 フェデルマ帝国の皇子一行を出迎えに来ていたのだろう。ファレムとエナは後ろに護衛騎士を従え、姿勢を正して立っていた。

 彼らが微笑みを見せているのは、外交相手を迎える場面だからだ。セレイザのように、うれしくてつい笑顔になってしまったわけではない。

 セレイザは慌てて両手で頬と口元を覆い隠した。これでは初対面には見えなくなってしまう。グレッド家とハヴァード以外は誰も何も知らないのだ。

 

「ハヴァード様、ようこそお出でくださいました。お待ち申し上げておりました」

「お出迎えありがとうございます、ファレム様。予定より遅れてしまいまして、申し訳ありません」

「いいえ。大雨に遭われたのではありませんか。こちらではひどい雨が降りまして、案じておりました」

「ええ、実はそうなのです。少々流されてしまい、一度航路を外れてしまいました」

 

 ハヴァードとファレムは、国の代表として握手を交わした。セレイザとエナは、それぞれの「主人」から紹介され、淑女の礼をした。

 セレイザと目が合ったエナは、言葉こそ発しなかったが、うれしそうな目をしていた。

 ハヴァードと話しているファレムとも、紹介された時だけ目が合ったが、残念ながら一瞬だったので、表情がよく読み取れなかった。

 

「実は、お立ち会いくださるランケル様がもう到着されているのです。お疲れかと存じますが、ご紹介してもよろしいですか」

「なんと。明日のご予定ではありませんでしたか」

「あの大雨で心配されたようです」

「それは申し訳ない」

 

 ハヴァードとファレムは話しながら、港から貴族の街へと歩き始めた。その周りをぞろぞろと、お互いの護衛が囲いながら進む。セレイザとエナもその囲いの中を並んで歩いていた。

 シェレンの時と違って、エナは敬語で話した。どれだけ小さな声にしても、これでは周りの人間に聞こえてしまうので、他人行儀になるが仕方がなかった。

 今向かっているのはカッシアの旧公爵家の屋敷だと、セレイザに教えてくれた。エナとファレムは現在、今は無き公爵家が使っていた屋敷を借り、シェレン王国公館としているのだという。一年近く前からシェレンではなく、ほとんどここに居住していたのだ。それは、フェデルマを含めた北大陸の南海岸の国々との通商協定の打診に、カッシアの仲立ちが必要だったこと、そしてその後の交渉を円滑に進めるためにも、なるべく近くにいた方がよいためだった。

 

 港から馬車を使う必要もない距離にある旧公爵邸に着くと、カッシアの王弟ランケルと面会するファレムやハヴァードとは別行動になった。きっとそのまま会談が始まるでしょう、とエナは見解を示した。

 

「セレイザ様は、わたくしがお部屋にご案内いたしますわね」

 

 セレイザが宿泊する客間を、まず最初にシンザが入って検めた。セレイザは少し眉をひそめた。

 

「お父様、心配のしすぎよ。失礼じゃない?」

「今回のお前は皇子妃の代理だ。護衛対象の部屋を検めるのは当然の仕事だ」

「まあっ、お父様でしたの?」

 

 エナが驚いてセレイザとシンザを見比べた。シンザはずっと喋らなかったし、二人は特に似てもいないので気がつかなかった。

 

「……ということは……」

 

 時呪いにかけられていたというご家族――

 

 エナはそう言いかけて口ごもった。

 シンザ以外の護衛は外に控えており、部屋の中には三人の他にエナとセレイザそれぞれの侍女がいる。エナの侍女はクレナスでセレイザに会っているので問題ないが、セレイザの侍女がどこまで知っているのか、エナにはわからなかった。

 セレイザがそれを察して、侍女を紹介した。

 

「エナ様、このカーリはすべての事情を理解しておりますから、お気遣いなく」

「あ、そうなの……? ああよかった! もう、他人の振りって疲れるわよね!」

 

 エナはほっとして、以前のように明るく人懐こく話し始めた。

 シンザも、エナの侍女とセレイザが顔見知りだと教えられると、エナの前に跪いた。グレッド家を代表して、三年前セレイザが世話になったこと、自分たちの解呪に協力してくれたことについて、心から謝意を表した。やっとエナにだけでも、感謝を伝えることができた。

 

「私にお礼なんて必要ありませんわ、シンザ様。私もセレイザさんに助けられているのですから。お元気そうで、うれしく存じます」

 

 シンザに会えたことを、エナは本当にうれしく思っていた。彼らが時を止められていたことも、そこからの解放に成功したことも、エナはすべてセレイザやファレムから話で聞いただけだった。セレイザの家族の姿がここにあるだけで、彼女の旅が実を結んだことを初めて実感できた気持ちだった。

 

 私たちはゆっくりしていましょう、とエナは海が見えるテラスにセレイザを案内した。下には庭園がある。大雨によって生じていた海の濁りもすっかり消え、深く透き通る青色はとてもきれいだった。

 

「失礼だけれど、見違えちゃったわ、セレイザさん」

 

 エナは、ふふっと笑った。

 三年前のシェレンで出会った時のセレイザは、自分を平民と言い、旅人の装いをしていた。

 今日のセレイザは、皇家から供されたドレスを着用している。ハヴァードを引き立てる紺碧色のドレスは、セレイザ自身の月色の髪や白肌も美しく際立たせる計算がなされていた。首元にも、重たいくらいの真珠のネックレスをつけている。

 セレイザは恥ずかしそうに笑った。

 

「あの時は……本当に平民のつもりだったんです」

 

 小さな丸テーブルの向こうのエナは、相変わらずの綺麗さだ。いや、以前は可憐な美少女だったが、今はまばゆい貴婦人になっていた。薄い紫色のフリルのドレスも素敵だ。

 

「まさかエナ様とファレムさんが、カッシアにいらっしゃるとは思いもしませんでした」

「ふふ、そうでしょう? 本当はね、ここからならフェデルマにお手紙を出せるのにって、ずっと思っていたのよ。でももし、私とセレイザさんがやり取りをしていることが知られてしまったら、不審に思われてしまうでしょう?」

 

 シェレンの王女と、時呪いに遭っていたフェデルマの侯爵家の娘。接点などあろうはずがない。

 セレイザはあの旅――家出の事実を隠してもらったことで、貴族の身に戻れたとファレムから聞いた。少しでも危ないことは避けるべきだと思い、筆を執るのを断念した。

 

「私は、お兄様に無理矢理ついてきたのよ」

 

 二年ほど前、兄たちが北大陸との貿易の強化を国政の場に発案した時、自分も何かしたくてたまらなくなった、とエナは話し始めた。

 アラクとディアンは、母の故国で勉強してきたファレムが作り上げた資料を元に、貴族たちを説得した。どれだけ時間がかかっても推し進めるつもりでいたが、案外強硬な反対は少なかった。大半の民が北大陸を嫌っているのが現実だが、王と王妃の方針をよく知り、王都で暮らす機会も多い貴族たちは少し違ったのだ。これから人口的にも経済的にも発展が見込めるこの大陸の国と、早めに商業面で手を結んでおくことは、シェレンにとって悪いことではない。国は、北大陸との航路を西のフェデルマまで広げる案を採択した。

 

「それで、ファレムお兄様がそれぞれの国と交渉する外務官の取りまとめ役として、ここに駐在することになったの。私も手伝いたいって、お父様に毎日毎日お願いしたわ。もう本当に、お兄様たちが貴族を説得した時より大変だったと思うわよ」

 

 エナはそう言いながら、肩をすくめてみせた。セレイザはくすりと笑った。

 結局エナは、王妃の母に全力でお願いにかかった。母は東大陸内だが外国生まれで、シェレンで一番の北大陸との交流推進派だ。エナの真剣さについに折れ、ファレムが一緒なら危険はないでしょう、と父を説き伏せてくれた。

 

「手伝えることは多くはないけれどね。でも、晩餐会には女性を連れて行く必要があるし、シェレンにいるよりはできることがあると思っているの」

 

 エナまでこの協定の実現に尽力してくれていたとは、セレイザは話を聞きながら感動すら覚えた。

 シェレンから打診があったとジェイから聞いた時も、本当に驚き、本当にうれしかったことを思い出す。

 

「……でも……ね。もしかしたら、すべてが終わるまでは手伝えないかもしれないの」

「……シェレンに戻られるのですか?」

 

 エナは、はにかんだ笑顔を見せた。セレイザは、なんて愛らしいのだろう、と思ってしまった。

 

「私、つい先日婚約が内定したの。このカッシアの王族の方で、お兄様たちみたいにお優しい方よ」

「そうだったのですか! それは素敵なお話ですね。おめでとうございます!」

 

 セレイザは家族のことのようにうれしくなった。

 婚約内定の段階なら、まだ結婚まで時間はあるだろう。しかし王族同士の結婚だ。その前から、婚約式などで忙しくなるに違いない。まだ締結に至っていない他の国との交渉が長引けば、兄の手伝いは難しくなるだろう。

 

「この先、お兄様にも支えてくれる方ができたらいいのだけれど」

「そうですね……」

 

 エナは、セレイザがびっくりしてつい身を引いてしまったほど、近くまで顔を寄せて声をひそめた。

 

「……ねえ……セレイザさんは、どう……?」

「どう……?」

 

 セレイザは、顎に指先を当てて、少し考えた。

 

「あ、婚約者がいるかどうかのお話ですか。いいえ、私にはまだそういうお話は提供できないんですよ」

 

 年頃の女性同士だと、よくこういう話になる。セレイザはまだ聞くばかりだった。

 

 エナはなぜか小さく唇をとがらせた。もごもごと、口の中で呟く。

 

「……そういう意味じゃなかったのに……」

 

 公館の使用人がテラスにお茶を運んできて近くに控えたため、そこからは会話が制限されてしまった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ