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皇子の提案

 皇帝リューベルトは肘掛けに肘をつき、手を組んで話し始めた。

 

「すぐに本人から正式に要請がいくと思うが、グレッド家にハヴァードの護衛として帯同してほしい仕事があるのだ」

「承知しました。ハヴァード殿下の護衛ですか。いずれかの国へ赴かれるのですか」

「そうだ。かねてより交渉内容を詰めていた、シェレン王国との協定がまとまったのでな。近く調印式が執り行われる」

「そうですか、それは良かった……!」

 

 シェレン王国は最近、北大陸の南沿岸にある国とそれぞれ通商協定を結ぶ交渉を始めており、本格的にこちらへ航路を広げているらしい。

 フェデルマがその協定締結の打診を受けたのは、半年以上前のことだ。

 フェデルマ帝国中枢では、成熟した国家として広く認められるためにも、東大陸との国交回復はいつか達成しなくてはならない事項と、長年感じてきたことであった。しかし、フェデルマ建国よりもずっと以前、二百年間も断絶していた東大陸には、少しの縁も人脈も何もない。そこへ突然舞い込んだシェレンからの申し出は、フェデルマ側からすれば少々不思議だが有難い話だった。間違いなく東大陸との国交正常化の第一歩となるだろう。

  

「これで、フェデルマは国としてひとつ成長できますね。ファレム様のおかげでしょうか」

「交渉自体は外務官同士で行われていただろうが、ファレム様や、セレイザを助けてくれたという他のご兄妹のお力添えあればこそだろうな」

 

 ジェイがうれしそうに叔父を見れば、しかめっ面だったシンザも顔をほころばせていた。

 ジェイがここでファレムの名を口にできるのは、皇帝がセレイザの旅のことだけでなく、グレッド家が呪いから救われた経緯――ファレムが解呪したことまでもすべて聞いているからだ。それは皇后と皇子たちも同じである。

 今回のシェレンからの申し出が、セレイザが図らずも繋いだか細い縁の結果であることは、彼女の一年半に及ぶ家出を知っている、グレッド家とリエフ家と皇家にだけはわかっていた。

 

「そう……そうなのだ。おそらくあちらの王家、特にファレム王子のご意向が強く働いている。今回協定書の調印式に出席なさるのもファレム王子だからな。こちらからは、ハヴァードを行かせる」

「我々はその護衛ということですね」

 

 リューベルトはこの通商協定に前向きな意向だけを示し、国内の意見のまとめと反対派の説得という難しい仕事を長男ハインに任せ、シェレンとの協定の交渉は二男ハヴァードに担当させた。自分はなるべく表から身を引き、次代への引き継ぎを考えてのことだった。

 

「そこでハヴァードが気を利かせてしまってな……。そちらに依頼を出す前に話しておこうと、こうして来てもらったのだ」

 

 ジェイにはまだ話が見えなかったが、シンザにはなんとなく読めてきていた。

 

「調印式後には晩餐会もある。普通は妻を伴うものだが、ハヴァードの妃は今、懐妊中だ。国内移動ならまだいいが、船で他国へ行くことは医師に止められている。それでハヴァードは、その代理をセレイザに頼むと言い出した。恩人に再会できる機会になるから、ちょうどいいのではないかと」

「それは……セレイザも喜ぶご提案と存じます。ご配慮に感謝申し上げます」

 

 ジェイはハヴァードが、ファレムとグレッド家を公式に引き合わせようと配慮してくれたことをうれしく思い、つい身を乗り出した。

 しかし隣に座るシンザは、少し深刻な面持ちで下を向き、小さく呟いた。

 

「ハヴァード……気のつく男だが……余計な……」

 

 ジェイは不思議そうに叔父の顔をのぞきこんだ。

 

「いかがなされましたか、叔父上……?」

「あー……うん……ちょっとな……」

「やはりジェイにも言っておらぬのだな」

「……それがあの方のご意志だ。お前にだけは話してしまったが」

「どう思っている? どうにか隠しながらハヴァードを止めるか?」

「……何のお話ですか……?」

 

 ジェイは、なぜハヴァード皇子の提案をシンザが受け入れ難そうなのか、さらに皇帝もその提案をやめさせようとしているのか、その理由を理解できなかった。まるで二人とも、セレイザをファレムに会わせたくないような様子に見える。

 

「セレイザは、ファレム様にお会いしたいと思いますが……何か問題があるのですか」

 

 シンザは甥の問いに返答できず、黙っていた。

 ジェイはあくまでもシンザを立てているが、グレッド家の動向を決定するのは当主のジェイである。皇子の護衛のことも、セレイザが皇子妃の代理を務めることも、最終的な決定権はジェイにある。

 だからリューベルトも、この場にジェイを呼んだのだろう。こうなってしまうと、シンザは話さないわけにはいかくなった。

 

「……ジェイ。……ファレム様は……セレイザに懸想なさっているんだ」

「……え? ……ええ!?」

 

 あまりの驚きに、ジェイは皇帝の前でつい大声を上げ、立ち上がりかけてしまった。すぐ我にかえり、礼を失した行為を主君に謝罪したが、皇帝は小さく笑っていた。

 

「それほど驚くことでもなかろう。家出なんて大胆なことはしたが、セレイザは器量も心立ても良い娘だろうに」

「それでも、陛下……自分の従姉が、王族の方に懸想されていると聞かされたら驚きます――」

「いや、今もそうなのかは……わからないんだが。セレイザ自身は気がついていなかっただろうしな」

「フェデルマへ来てくださった時は、そうだったということですか? 叔父上はなぜご存知なのですか」

「俺とセレイザで、ファレム様を港へお送りしただろう。その時に俺からお聞きしたんだ」

 

 シンザは、三年前の秋にファレムによって呪いから解き放たれた後、三人で港へ向かった時のことを思い返していた。

  

 

 

 十年振りに別邸からイゼルの本邸へ、シンザたちは帰還した。

 ジェイはともに来てもらったファレムに、できうる限りのもてなしをした。

 グレッド家は滞在を望んだが、ファレムはディアンとの約束があるので、翌朝には出立しなければならなかった。ジェイは馬車を用意しようとしたが、ファレムはとても急ぐのでと辞退した。道程は難しくなかったから一人で問題なく帰れる、彼はそう言ったが、セレイザはせめて港まではお送りします、と言って聞かなかった。

 当然、確実に宿泊を伴う道程を、二人だけで行かせるわけにはいかない。同行者が必要だ。シンザは家長として――というより、娘の父として自分が行くと決めた。

 

 しかし、シンザは帝国内では知られすぎた存在で、とにかく目立つ。呪いが解かれたことがまだ公表もされていないのに、シンザがそこにいると民に知れたら、大騒ぎになる。一緒にいるファレムも注目されてしまうだろう。フェデルマに来ていた痕跡を残したくないファレムにとっては迷惑になる話だ。

 シンザは平民の服を着るだけでは足りず、変装を余儀なくされた。それでも危ないため、食堂での食事も避けざるを得なかった。

 

 港に着いたのは三日後の夕方で、その日の定期便はもうなかった。途中の町同様、セレイザが食事を買いにった。客人に行かせるわけにはいかないし、シンザはなるべく町を歩かない方がいいからだ。

 一日目の町で、そつなく一人で買い物をしてくる娘に、シンザは驚かされたものだ。十五歳の誕生日の夜から、一瞬で二歳ぶん大人に成長してしまった娘が、シンザにはかなり切なかった。

 

 そして、気づいてしまった。ファレムが娘を見る目には、複雑な気持ちが混じっていることに。

 

 セレイザの買い物を待つ間、父娘が宿泊する広い部屋で、シンザとファレムは色々な話をした。それぞれの国の話はお互いに非常に興味深かった。いつか国交を回復できたら、とファレムは言った。北大陸に対して、そんな前向きな感情を持ってくれている王族が東大陸にいたことに、シンザは感銘を受けた。

 

「私が若い頃のフェデルマは……そちらの方々のご想像どおり、荒れた国でした。いくつの戦を乗り越えたか、自分でもわからないくらいですよ」

「……しかし、今のフェデルマ帝国は平和です。私が見てきたことを、シェレンの民に話せないのが……本当に残念でなりません」

 

 善い方だ、とシンザは思った。そう思ったからこそ、確かめずにはいられなくなった。

 

「まことに失礼ながら、ファレム様は……セレイザに懸想しておられるのではありませんか」

「――っ!?」

 

 ファレムは驚いた顔になって肩を引いたが、否定しなかった。それどころか、なぜか叱られた子供のように、すみません、と小さく謝って視線を落とした。

 

「こちらこそ、不躾な質問をお許しください。……戦場に長くいると、相手の感情を読むことに長けてしまうものなのですよ」

「……私は……ご息女にこの気持ちを伝えるつもりはありません。今の国同士の関係も、私の立場もそうです。彼女にとっては迷惑にしかならないことは……よくわかっています」

 

 セレイザを煩わせたくもないし、負担に思われたくもない。彼はそう言った。

 セレイザはファレムのことを、とても返し切れないほどの恩人だと捉えてしまっているのだ。そんな彼女に気持ちを伝えれば、断りたくても断れない立場の者につけ込むような行いになってしまう。ファレムには、そんな真似はできなかったのだろう。

 

 実際にグレッド家にとってファレムは命の恩人なのだが、シンザは娘を売るつもりはなかった。そんな思いで牽制をかけようとしたのだが、まったく必要がなかった。ファレムはシンザが思っていたより遥かに心ある人物だった。シンザはこの時、娘を思うあまりの無礼を恥じたくらいだ。

 

「でも、フェデルマに対する考えに変わりはありません。きっかけはご息女に出会ったことですが……それは本当です」

「ありがとうございます。あなた様のような方がおられるなら、きっとよい未来が開けるでしょう」

 

 かつて戦場を駆けて国を守った偉丈夫は、これからを担う若者を見つめて微笑んだ。

 

 翌日、ファレムは本当にセレイザに何も告げることなく旅立った。グレッド家が船を借り上げることも考えたのだが、目立ちたくないからと断られ、以前のセレイザのように彼は定期便に乗って帰途についた。

 

「半月前のシェレンではね、船と港……立っている場所が逆だったわ」

 

 セレイザは船が見えなくなるまで動かなかった。

 

「二度と会えないと思っていた方にもう一度お会いできて、またお別れするというのは……つらいことなのね、お父様」

 

 シンザの記憶より少し顔つきが大人に変わった娘は、寂しそうにそう言った。

 

 その後、こちらからクレナスへ行くことは不可能だったわけではない。

 しかし、お互いの立場がある。

 セレイザがシェレンを、ファレムがフェデルマを訪れたいう事実は、表沙汰にしてはならない。それは即ち、セレイザとファレムは知り合いですらない、という前提に立たねばならないということだ。

 フェデルマの上級貴族が国交のないシェレンへ行くのはあまりに不自然となり、もしそれを無視してクレナスへ行っても、他に用もなく総督府にいる王子を訪問するのは、周りにも――周辺諸国にも違和感を与えてしまう。

 グレッド家は、ディアンやエナにお礼に行くこともできなかった。

 

 それが今、通商協定が結ばれ、その調印式と晩餐会という公の場でファレムと出会えることになれば、グレッド家は彼と交流を持つことも可能となるかもしれない。

 しかし――

 

「今回、ハヴァードの妃は、出席できないれっきとした理由がある。この場合は失礼には当たらず、代理は必ずしも必要としない。それでもセレイザを連れていき、ファレム王子にわざわざ会わせるとなると……」

「俺はファレム様のお気持ちを知っているんだ。娘との仲を認めると暗に言っているようなものになる」

「……確かにこの状況なら、そう取られても無理はないかもしれませんね……」

 

 護衛として帯同するジェイとは違い、セレイザは行かなくてもかまわない立場なのだから。

 極端に言えば、シンザにとっては娘を差し出すような感覚に近いのだ。

 

「しかし……ファレム様も、晩餐会に誰か伴われるのではありませんか?」

 

 もし別の女性を連れているのなら何の心配もない、ジェイはそう思った。しかし、皇帝は否定した。

 

「いいや、彼は独身らしい。妹御のエナ王女がご出席なさるそうだ」

「……それは……セレイザはますます行きたがるに決まっていますよ、叔父上」

 

 エナ様は友達になってくださったの、と旅から帰った直後のセレイザが話していた時の楽しそうな笑顔が思い出され、ジェイはシンザの顔を横目で見た。

 

「……そうだな……」

 

 シンザはもはや、文字通り頭を抱えている。

 

 叔父上も皇帝陛下も過剰な憂いなのではないか、とジェイは思った。王族や貴族では、好意の気持ちを伝えるということは、求婚することに等しい。残念だがシェレンは、王子がフェデルマの女性との結婚を望めるような国ではない。きっとファレムは、とうに気持ちの区切りをつけているはずだ。そうするしかないのだから。

 

「ところで、セレイザの方はどうなのです? 私には、ファレム様にもエナ様にも、とても好感を抱いているように見えますが」

「その好感は恩人だからなのか、それ以外なのか……娘の気持ちなんて、父親にわかるわけないだろう?」

「そ、そう……ですね………」

 

 顔を上げないシンザを見下ろすリューベルトは、ふう、と息をついた。やはり思ったとおり、シンザには決断できないようだ。

 

「ジェイ、お前が決めてしまえ。シンザには無理だ」

「はい……いいのですか、叔父上? 私はこのまま、ハヴァード殿下のご要請をお受けするつもりですが。一応セレイザ本人の希望を聞いた上でご返答申し上げます、とお伝えします」

「……」

「今セレイザに内緒にして断ったとして、もし後でエナ様たちのことを知ったら、きっとセレイザは叔父上に怒りますよ」

「……わかった……」

 

 あっさりと決断し、核心もついつくる当主に、前当主シンザも諦めがついた。確かに娘は、お会いしたかったのにどうしてなの、とシンザに怒るだろう。

 

「では、それでいいな、シンザ」

「わかったと言っただろう」

 

 シンザは顔を上げたが、むすっとした顔は繕おうともしていなかった。

 リューベルトには、こうなるであろうことは察しがついていた。ハヴァードの提案をグレッド家が断ることは可能だ。しかし、当のセレイザが喜ぶはずの内容なのだから、理由を明かさずに断るのは難しい。そしてシンザは理由を明かせない。

 リューベルトがシンザを呼んだのは、ハヴァードやセレイザの前で慌てふためくことのないよう、先に覚悟させておくためだった。

 

 退室するシンザは、来たときと違ってすっかり滅入って肩を落としていた。その後に続くジェイに、リューベルトが少しからかうような声で言葉をかけた。

 

「ジェイ、奥方は元気か。よろしく伝えてくれ」

「はい。とても元気にしております。ありがとうございます」

 

 ジェイは少し照れたような笑顔を見せた。

 

 

 

 セレイザは、馬車で数日かけてキュベリー領から帝都へ帰ってきた。

 すぐに済む簡単な報告だったため、グレッド邸に寄らずに、魔導士団本部のある城に入った。

 依頼が無事完了した旨を伝え、下城しようとしたところで、セレイザは幼馴染であるハヴァード皇子に呼び止められたのだった。

 

 

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