第三十五話「未来へ」
俺が目を覚ますと、病院のベッドの上だった。
あれから数か月も経っていた…、なんてことはなく、1日が過ぎただけだった。
軽い塩素ガス中毒で、気を失っただけで、軽い検査をして異常がなければそのまま退院らしい。
俺が意識を取り戻したことを、両親と妹はとても喜んでいた。
まさか両親にあれほどまでに泣かれるとは思わなかった。
…何度もやり直してきたが、俺が死んだとき、両親をその都度泣かせてしまっていたのかと思うと、少し心が痛む。
外傷もなく、意識もハッキリしていたことから、手続きだけ済ますと、両親たちは先に帰ると、病院を後にしていた。
そして…
「思ったより、元気そうだな…。」
「お見舞いきたよ!」
命の恩人といっていい2人が入れ替わりに入ってきた。
2人がベッドの前の椅子に座ると、俺もベッドの上でゆっくりと体を起こす。
「…ああ。ありがとう。」
「どんな感じなの?」
「何ともないらしい。診察受けて、何もなければこのまま退院らしい。入院した記憶すらないが…。」
「そっか。」
「ところで、奏は…。」
壮馬と唯は少し困ったような顔をしたものの…、
「奏は…、出頭したよ…。」
「出頭…。」
「ああ。冬田のことと…、お前のことと…。」
「そうか…。」
「なあ。壮馬…。お前は奏のことを…。」
「そうだな…。忘れようと…何度もしたけれども、忘れることができなかった…。」
「うわぁ。奏好かれてるなぁ…。」
「俺が…、俺なら止めることができたはずなのに…。」
「壮馬…。」
「さて…、リョータも元気そうだったし、冬田の方も見てくるよ…。」
「冬田…?」
「ああ、冬田のほうもこの病院にいるよ。もう意識も戻ってる。」
「そうなのか…。」
「私も行くよ。もう少し、弱ってるリョーマをイジメてから。」
「手加減しておいてやれよ。」
冗談口を叩きつつ、壮馬は病室を出て行った。
「リョータ…。無事で…、良かった…。」
「ああ。2人のお陰だ。ありがとう…。」
「うん…。」
「奏のことは…。」
「…。」
壮馬も唯も、何が起こったのかきっと分かっていないだろう。それに…、俺の知った真実を伝えたところで信じられるはずもない。俺は奏を恨んでいない。親友にはそう伝えておくべきか。
「なあ、唯。俺は。」
「あのさ。」
「うん?」
俺の言葉に唯が言葉を重ねてきた。
「リョータはさ、奏の事…、どう…思う?」
「ああ。恨んだりしちゃいない。」
「違うよ。」
「…違う?」
「20回以上も死んでまで…、愛されてて、ちょっとどころか、すごく重い子だけどさ…、リョータはどう…、思う?って」
「な…。」
「わたしさ…、聞こえちゃったんだ。2人の会話…。」
「え…。」
「壮馬は少し固いところがあるから、2人の話合いがあるのなら、そこは聞くべきじゃないって、少し離れてたんだけど…、私は気になってさ…。そしたら…。」
「唯…。」
「今でも意味が分かってるかって言ったら…分かってない。突拍子もない話だったもの…。けどね…。」
唯は座っていた椅子から立ち上がると、俺の傍により、そして…
「なっ?」
「私はようやく好きだってことに気が付いたのに…。リョータがどう選択するにしても…、私はこれで気持ちの決着を付けるよ。」
唯は…、俺の口にそっとキスをした…。
「じゃあ、私も冬田のお見舞い行ってから、帰るね。…またね。」
「あ…、ああ。また。」
何事もなかったかのように、俺に向かって手を振り…、唯は病室を出て行った。
唯は…話を聞いていたのか…。
どこまで聞いていたのか分からないが、そして…、どこまで信じられるのか。きっと唯の中での整理ができてないのだろう。それに…、誰かに伝えたところで誰も信じられる話でもない。
俺自身も…、やり直しをしていた俺自身ですら、ようやく真実を知れたのだから…。
しかし、真実を知ったといっても、何も解決してはいない。俺自身まだ戸惑っている。
智美のこと。剣太のこと。秋本のこと。そして…奏のこと。
いくら21回目の人生とはいっても…、少しヘビーすぎだ…。
奏は出頭したらしいが、一体何をどこまで話すつもりなのだろう。真実を言ったところで誰も信じやしない。かえって、罪を軽くするために頭がおかしくなったフリをしているなどと言われるかもしれない。
コンコン。
扉のノック音とともに、回診にきた医師と看護師が入ってくる。
「体調はどうですか?」
●
診察で特に何も異常がなかったことから、俺はあっさり退院となった。
冬田の顔を見て帰ろうと思ったが、ちょうど田舎からお見舞いに来たらしい祖父母が、泣いている声が聞こえたため、俺は冬田の病室に入ることなく、病院をあとにした。
そして一か月ほどが過ぎ…、奏は不起訴となった。
俺も…、そして冬田も示談に応じたからだ。
俺はともかく、冬田が示談に応じたのは意外だったが、志穂の友人であった奏に対して思うところがあったのだろう。
俺も警察で事情聴取があったが、その際にも些細な口論で何とも思っていないと証言した。
秋本のことについては、奏が証言した場所からは死体が発見されることはなかった。剣太が移動させたのかも知れない。
剣太の行方が分からなかったため、嫌疑不十分となった。そのため、剣太の事故のことも本人の証言だけで、採用されることはなかった。
奏の父のことについては、会社の同僚の証言から飲酒運転が常習化していたことが、事故当時の調書に記録されていたため、これも嫌疑不十分となった。
壮馬のことについても、壮馬は自分で飛び出したと、遂に証言を翻すことはなかった。
結果、奏は冬田と俺に対する傷害についての容疑だけとなった。
冬田を刺した件については、変装してナイフを購入していたことが悪質と判断されると思ったが、冬田は偶然そこに居合わせてしまったということになり、変装と傷害事件との関連性は低いとされた。
今日、あの日以来、奏と会うことになっている。
壮馬と唯、そして…智美と一緒に。
完全に以前のように戻るには時間がかかるだろう。ひょっとしたら戻れないかも知れない。しかし、それでも俺は集まることを提案した。
その日、俺たち5人は明け方まで、飲んで、話して、また飲んで…。
色んなことを話した。
語りつくせぬぐらいに話した。
もっとも、俺と奏の真実のことは遂に話すことはなかったが。
だが…
「ねぇ。奏。」
「何?急に真剣な顔をして?」
少し、風にあたるためにと店から出た奏に合わせるかのように、智美も店から出てきた。
「おと…なのよね?」
「あら。バレちゃった?リョータに聞いた?」
「ううん。リョータは知ってるの?」
「そうね。」
「警察の事情聴取でね…、きょうだいで怨恨はありましたか?って聞かれて…。最初は何のことだか分からなくて…。」
「うん。」
「それでね、奏がね、おとだって…。」
「うん。」
智美が奏に飛びつくように抱き付いた。
「もう二度と会えないと思ってた…。」
「うん…。」
「私のこと、嫌いだったでしょ…?」
「うん。」
「だよね…。」
そういいつつも、智美は奏の体から離れることはなく、智美の頬に涙がつたう。
「智美のことは嫌いだったけど…、憎んではいないよ?」
「そっか…。」
そして、奏も…、智美をややぎこちなく抱きしめた。
俺は、その様子を少し離れたところから見ていた。
まだまだ時間が必要かも知れない。時間でも解決はしないかもしれない。
だが…、これが最後であろうと最後でなかろうと、俺が自死することはないだろう。そんな予感がした。
俺は…、ようやく、自分の人生を取り戻したような気がした。




