第十二話「バレンタインデーにて」
冬休みが明けて、新学期になった。
クリスマスに、正月。イベントは盛沢山だった。俺は友人たちともそれなりに有意義に過ごした。
そして…、やはりといっていいのか…、拓も秋本も学校に来ていない。
クラスの中では、もう当然の出来事と受け入れられており、友人たちの会話でも話題になることは、なくなっていた。
あの日の拓の母親の姿を俺は忘れられずにいた。
『あの時、俺が通報していれば』
ずっと、そんなことを俺の中に引っかかるものがある。
毎日ニュースをチェックするようになり、DVや家庭内暴力の事件が取り上げられる都度、ヒヤッともしていた。
唯の母親には様子を見た方がと言われたので、その場では通報を断念したのだが、実は俺は警察に通報してみた。
だが、俺は単に子どもの一友人でしかなく、頻繁に訪れている人間でもないことから、経過報告を求めるには力不足であった。
話の内容までは教えて貰えなかったが、訪問したということだけは教えて貰うことができた。
いくら子どもであっても、身分を明かした人間が、大怪我している人間が居るなどとは、イタズラでは言わないだろうとは思ってもらえたようである。
その結果が、このモヤモヤだ。
社会的には俺は、どこにでもいる中学2年生でしかなく、未成年の母親役を演じた中学生女優や、お料理中学生アイドルのような、社会的地位は確立できていない。
ただの中学生にできることはそう多くはない。単純に思い知らされただけであった…。
そんな、モヤモヤを抱えながら過ごしていたある日のこと。
ある日といいつつ、少し特別な日ではある。
13日の金曜日。少し前は、この日をテーマにしたホラー映画もあったようで、縁起が悪い日とされている日である。
しかし、学生の男女にとっては少し異なる。
バレンタインデー。
言わずと知れた、女子からチョコレートが貰える日である。
もちろん、好きな男子にというパターンはごく一部で、一定以上仲がいいと、学校の規則の目をかいくぐって、女子から貰える、ある種のステータスのようなものだ。
10円チョコを男子全員に配る女子という話も聞いたことはあるが、そんな女子は少数派で、やはり、女子同士と一定以上仲が良い男子だけが貰えるものだ。
チョコを貰えることで好意を持ってもらえているなんて自意識過剰な男子は居ないが、普段、仲良く話しているようで、アイツは貰ってて俺は貰えなかったという事実は、中学生男子にはグサグサ来るのである。今年は幸いといっていいのか、土曜日であるため、貰えなくても、土曜日だったから貰えないという言い訳ができる一方で、前日に貰える又は、土曜日に貰えるという特別な年でもあった。
大抵の男子は、意識していない風を装ってはいるが、人間性を試されるときでもあり、内心は全く穏やかではない日だ。
もちろんそんなことを気にしていない男子も居るが。
昼休みには、ちょっとした女子の動きがあり、選ばれた男子たちは、嬉しさと安堵が混じったような空気を出していた。
選ばれなかった男子たちは、まだ放課後があると思うものも居れば、ショックを顔に出さないようにしつつも、ちょっと悲しそうな空気を醸し出すものも居た。
そして…。
「はい。これ。もちろん義理だよ。」
「なんて嬉しくない渡し方だ。」
「迷惑?」
「ごめん。嬉しい。」
「だったら、素直にそう言うこと。今日、女子の機嫌を損ねる男子は、一生後悔するよ?」
昼休み、昼食を食べていると、不意に奏からチョコをもらうことができた。
もう少し歳をとると、お返しを考えるのが面倒で、全員に配られる義理チョコとか面倒極まりなく感じるのだが、仲が良い女子から貰える分には嬉しいものだ。友達以上とは認めて貰えているという、自己肯定感を擽られる気がする。
俺と冬田と剣太は、無事、チョコを貰えない男子から脱却することができた。
その日の放課後、俺は唯と帰っていた。少し寄り道して、駅の方に向かう。唯の行きたかった店は駅前の大通りから少し脇に入った小道にあった。
少しこじゃれたケーキ屋さんがそこにあった。地元では結構有名な店だ。俺も何度か食べたことがある。
数年後、流行の風に乗って、向かいにパンケーキ専門店ができたのをきっかけに、ケーキ屋が数軒でき、ちょっとした有名スポットになる。
店は、大きなガラス張りになっていて店内の様子がよくわかるになっている。ケーキ屋に限らず、オシャレ感を売りにしている店には多い造りだ。
丁度、ティータイムだからだろうか、結構にぎわっているようだ。
「席はありそうだね。いこっ」
唯が嬉しそうに、俺を先導する。
ここに来るまでに、少し悲壮感漂う表情だったのが、気分が変わったのか、いつもの唯に戻っていた。
店に入ると、甘い香りが漂ってくる。
店に入ると、レジの並びにケーキのショーケースがあり、鮮やかな色使いのケーキが並んでいた。
「お客様、店内でお召が上がりでしょうか?それともお持ち帰りでしょうか?」
「店内で食べます。」
店員は、中学生カップルが背伸びして来たのかと、少し微笑ましいように俺たちをテーブルに案内してくれた。
席に付くと唯は慣れたように、メニューを広げる。
「どれにする?ケーキセットだと、ケーキにプラス100円で、飲み物が付けれるから、いいと思うよ。」
「色んなのがあるんだな。」
「私は、このフルーツのケーキがお薦めだよ」
メニューを前にして、完全に復調したようだ。
今日は、帰り際に唯から少し寄り道したいと声を掛けれらた。
悲壮感漂う顔で。
今日の終礼で、担任から報告されたことが理由だと俺は思っていた。
『秋本君の失踪について、公開捜査となりました。』
詳しくは、説明されなかったが、秋本が学校に来ていないのは、不登校ではなく、家に居ないこと。家出か事件性があるのか、まだ分かっていないこと。もし見かけた人が居れば、学校でも警察でも誰にでも、どんな情報でもいいので連絡して欲しいとのことだった。
当然のように、教室は騒然となり、色々な質問が飛び交ったが、先生からは一般的な回答しか得ることはできなかった。この件については学校も分かっていないということなのだろう。
また、拓についても質問があり、拓は行方不明ではないことが、はっきりと担任の口から述べられた。
恐らく、秋本のことで警察が来たことで、他の不登校の生徒全員について、所在を確認したのだろう。
せっかくの女子からのお誘いであったが、余り楽しい話になりそうにないと思いつつも、こんな表情の唯をほっとく気分にもなれず、誘いに乗ったが表面上だけでも持ち直してくれたようで良かったように思う。
「ご注文はお決まりですか?」
俺たちより少し年上くらいだろうか、若い女性の店員がテーブルにやって来た。
「はい。私は、この季節のフルーツタルトのケーキセットで。飲み物は紅茶をください。」
「自分は、これと同じく紅茶のケーキセットをお願いします。」
「はい。ではご注文を繰り返しますね。」
注文を確認すると、店員は奥のカウンターに入っていった。
「何それ!緑色じゃん!」
「ああ、変わってるなっと思って頼んでみた。」
「へー。私にも一口頂戴ね。」
「ああ。」
唯は楽しそうに言ってくる。
「私のも少しあげるね。」
「ああ。」
ピスタチオのケーキか…。全く食べたことはないが、唯を元気にするきっかけになってくれたのであれば、注文としては正解だったかな。
「あのさ…。」
少し間を開けて、唯が口を開く。唯のまっすぐな性格だ。すぐに本題に入るとは思っていた。
「秋本君…。公開捜査って。」
「うん。」
「親がそうしたってことなんだろうね。」
「多分。」
「あのさ。誤解しないで欲しいんだけど。」
「うん?」
「私さ。小学校の時に秋本君と付き合ってたことがあるんだ。」
「うん。」
ああ、いつだったか、そんな話を聞いたことがある。すぐに別れたみたいな話だったか…。
「ちょっと色々あってすぐに別れちゃったんだけど…。別にそのことを未だに引きずっているとか、今でも秋本君が好きとかそんなんじゃなくて…」
「うん。」
「なんかさ…。自分でも分かんないし、先生から話を聞く前から行方不明だったことは私は知ってたけども…。それでも…。なんか今日すごくショックで…。」
「ああ、俺も気持ちは分かるよ。公開捜査って聞くと、事件なのかなって空気は感じたし。」
「だよね。…秋本君、家出なのかな。それともやっぱり…。」
「それは…、分からない。もちろん事件に巻き込まれたってところも否定できないけど、単なる家出ってのも否定できないし。姉ちゃんと仲悪いって言ってたけど、あれって、姉ちゃんだけじゃないんだろ?」
「…うん。それは秋本君から?」
「ああ。そこまで深く聞いたわけじゃないけど。」
「そっか…。秋本君さ、家でちょっと孤立気味だったんだよね。お母さんが、お姉ちゃんばかり構ってて。考えないようにしてんたんだけど、公開捜査にするのが遅かったのも、お姉ちゃんの受験が終わるのを待ってたんじゃないかって思って。」
「…それで、気にしてたのか…。」
「…うん。」
事実は分からないが…、秋本も事情が深いのかも知れない。何がきっかけかは分からないが、これまでのやり直しの中で、秋本が行方不明になったことはなかった。何かあったんだとは思うんだが…。
「ごめんね。知ってた人間も少ないし、私が一方的に愚痴っちゃうかもって思うと。それに、ちょっと奏も暗そうな顔をしてたから…。」
「ああ。俺も気になってたことだし。そんな申し訳なさそうな顔をしなくていいよ。」
「ごめん。ありがとう。」
「はあ。彼氏だったら、もっと甘えたりできるのになぁ。ねぇ、私の彼氏にならない?」
「うん。って言ったらどうするつもりなんだよ。そんな雰囲気になったのかなと思って告ったら勘違いとか痛すぎるんだけど。」
「あっ、酷いなー。私のこと、そんな悪い女子みたいに見てるのー?」
「いや、全く本気を感じなかったよ?」
「うっ…。でも、全く本気でもなかったこともなくて…。」
唯は図星を突かれたような顔をしつつ、独り言のように小声で呟く。
「誰にでも言える話でもないってところまでは俺も同じだし。しんどくなったらさ、話しぐらいいつでも聞くから。事件って決まったわけでもないし、俺たちには心配と、ひょっこり帰ってきたアイツを怒ってやるくらいしかできないんだしさ。」
「うん。…そうだよね。…何も分からないことは変わってないしね。」
「お待たせしました。こちらに置きますね。」
先ほどの店員が注文を持ってきて、テーブルに並べていく。うお。思っていたよりも緑だ。枝豆みたいだな。ずんだ餅みたいな味なんだろうか?
唯も俺のケーキの色に少し驚いているようだった。
「ご注文はお揃いでしょうか?」
「はい。」
「では、ごゆっくりどうぞ。」
「すごー。本当に緑だね。ね、ちょっともらっていい?」
「ああ。」
「あっ。美味しい。私これ好きかも。もう一口いい?」
「そういうのは、もう一口食べる前に普通は言うと思うけど?」
「細かいなー。だから彼女居ないんだよ?」
「いや、彼女とかじゃなくて、人としてだな。」
「当面、彼女できなさそー。」
「…。」
いやいや、俺、中学生の時に、君と付き合ったことあるからね?そんな奴の彼女に君はなったことあるんだよ?くっ、俺は心の中でマウントを取るのがやっとだった。
「…でも、ありがと。今日、突然誘ったのに。」
「ああ、俺も行きたいと思ったところだ。」
「今のは合格点かな。じゃあ、合格したので、はいっ。これあげる。」
チョコレートだった。
「俺に?」
「やっぱり減点かな…。」
「ありがとう、すごく嬉しいよ。」
「まったく、最初にそういう反応ができないなんて、ほんと女子が分かってないよね。」
またも駄目だしされてしまった。
あの話がなければ、放課後にもらえていた感じなのかな。唯からか。確かに嬉しいな。今回のやり直しでは余りそういう見方をしてはいなかったが、ちょうどいい距離感みたいなものがある。裏表を感じることも少ないし、やはり男子にモテるわけだ。
最後、別れ際にまだ何か言い足りなさそうな空気を感じたが、まだ、自分の中で整理がついていないような話なのか、結局、唯は言い出しそうになかったため、触れないようにしてその日は帰宅した。
俺は、バレンタインデーに、無事、奏と唯からのチョコを貰うことができた。
と、思っていたのだが、翌日、バレンタインデー当日の昼、俺は自分の家の玄関で意外な訪問者と対面していた。
「はい。これっ!」
お菓子の入っていそうな小さな紙製の手提げだった。
いや、とぼける必要はない。間違いなくチョコレートだろう。
「ありがとう。」
俺は受け取ると同時に笑顔でそう返した。
昨日のダメ出しのリベンジだ。
「うん。じゃ、私、昼から用事あるから。また学校でね。」
「うん。ありがとう。」
本当にこれだけのために来たのか、一度だけ振り返って手を振って、帰っていった。
「まさか、自宅に当日に持ってきてもらえるとは…。」
思わず声に出てしまった。かなり驚いた。付き合ったときですら、こんなシチュエーションはなかった。
まさか、智美が自宅まで来てくれるとは。
一番、智美を避けてる人生のはずが、智美との距離を離すことができない。
なんとも言えない気分で、俺は家に入っていった。
すみません。ちょっととある検査を受けないといけなくなり、結果陰性だったのですが、結果が出るまでは自宅から出れなかったり、その間、ちょっとダウン気味であったり、皆様もどうぞご自愛ください。