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或る大往生<挿絵付き>

作者: 沖 元道

「今夜は嵐になるそうね」

 病室のベッドに横たわっている美和子(みわこ)が言った。

「そうらしいな。外は風が強くなってきたようだ」

 哲也(てつや)は窓の外を見ながら答えた。

「あまり遅くならないうちに帰ってね。心配だから」

「自動運転だから心配ないよ。今日もミイさんが眠ったら帰るから」

「ありがとう。優しいわね」

 二人は病室の中でゆっくりと会話を楽しんでいる。

挿絵(By みてみん)

「最後に海外旅行に行ったのは、僕が七十歳くらいの時だったかな?」

「そうね、もう十年以上前になるわね。一週間くらいスイスで過ごしたわね」

「それなりに楽しかったけど、やっぱり日本が良いと思ったよ」

「あなたは、どこの国に旅行に行っても、いつも同じことを言っていたわよね」

「そうだったかもしれない……」


 夕方、美和子がベッドに腰かけながら食事をしている。すっかり細くなった美和子の腕の動きを、すぐ近くで哲也がぼんやりと眺めている。

「今日のメニューは洋風だね。味はどう?」

 哲也が思い出したように声をかけた。

「ええ、美味しいわよ」

 美和子は箸を止めて哲也に向かって答えた。

「そうか、それは良かった」

「あなたも毎日ちゃんと食べている?」

「ああ、あいつが毎日作ってくれるからね」

「美味しい?」

「ミイさんの料理に比べれば、天と地ほどの差がある。ミイさんの料理は世界一だからね」

「うふふっ。ありがとう」


 夜遅く、美和子が眠りにつき始めたのを見た哲也が、小さな声で話しかけた。

「じゃあ、帰るね。お休み」

「お休みなさい」

 哲也は美和子にそっと口づけをした。



「お帰りなさい」

 哲也が自宅に帰ると、一台のロボットが出迎えた。

挿絵(By みてみん)

「ただいま」

 哲也は小さな声で答えた。

「お疲れさまでした。食事はできていますが、どうしますか?」

「いつものように、少しだけ食べようかな」

「では、すぐに温めますので、お待ちください」

 妻の美和子が半年前に入院してから、哲也は家事ロボットをレンタルして、家事をすべて任せている。料理も掃除も洗濯も器用にこなし、哲也の会話の相手もすることができる優秀な人工知能ロボットだ。

 


 翌日の昼過ぎ。

 哲也は病室に入ると、笑顔で美和子に声をかけた。

「今日は素晴らしい晴天だ」

「本当にそうね。でも、昨夜は嵐がすごかったでしょう? よく眠れた?」

「よく寝たよ」

「私はあまり眠れなかったわ。いろいろと考えていたから……」

「どんなこと?」

「私たちの楽しかった人生のことよ」

「楽しかったし、これからもまだまだ楽しもう」

「そうね……」

 美和子は少し沈黙した後に言った。

(すぐる)淳史(あつし)は元気にやっているかしら」

「心配ないよ。元気でやっているに決まっているさ」

「そうね」

「会いたいのかい?」

「二人とも忙しいだろうから」

「母さんが会いたいと言ってると言えば、二人ともすぐに来ると思うよ」

「お父さんは会いたいと思う?」

「僕は別に会いたいとは思わない。子どもなんて所詮は他人だから。僕にとっての生涯の伴侶はミイさんだけだ」

「うふふ。そんなに大袈裟に考えなくても良いと思うけど」

「……」

「なんだか、少し眠くなってきたから眠っていい?」

「もちろん。寝不足だろうから、眠ったらいいよ」

 美和子は静かに目を閉じた。

 哲也は美和子の寝顔をじっと見ながらぼんやりと病室の椅子に座っていた。

 しかし、美和子はそのまま目を開けることはなかった――。



 妻の葬儀の日。

 哲也は半年ぶりに二人の息子と会った。前回会ったのは、美和子が入院してすぐに見舞いに来た時だった。

 火葬場から骨壺を持って自宅に戻った哲也は、二人の息子に話しかけた。

「卓は最近どうだ? 忙しいのか?」

「うん、出張も多くてまだまだ忙しいよ」

「そうか。淳史の方はどうだ?」

「妻の両親が介護状態だから、いろいろと大変なんだ」

「そうか」

 三人はうつむいたまま沈黙した。

 遺影の中の美和子が優しい笑顔で夫と息子たちを見守っている。

 


 妻の葬儀の一週間後。

 哲也はレンタルしていた家事ロボットを買い取り、終活ロボットとしての機能を追加して暮らし始めた。

「これから改めてよろしく。私の最期も看取ってもらうつもりだ」

 哲也は、終活ロボットに言った。

「はい、楽しい生活を過ごしていただけるよう、精一杯頑張ります。いつまでも元気で長生きしてくださいね」

 これまでと外見は変わらないが新たな機能が追加された終活ロボットは、これまでどおりの優しい声で哲也に語りかけた。

「この世に未練は全くないが、二人の息子たちとの別れの仕方をいろいろと考えたいので、相談に乗ってもらいたい」

「はい、承知しました」

「所詮は他人だが、何かの縁あっての親子だから……いや、逆か。何かの縁あっての親子だが、所詮は他人だ……」

「何でもご相談いただければ、できる限りのサポートをさせていただきます」


 一年後。

 哲也は、長年暮らした自宅の寝室のベッドで横になっている。

「ロボさんに世話になったことは死んでも忘れないよ」

 哲也はベッドの横にいるロボットに話しかけた。

「いつまでも元気でいてくださいね」

 ロボットは洗濯物をたたんでいた手を休めて、哲也の顔を見ながら言った。

 哲也は弱々しくほほ笑みながら、部屋の天井を見つめた。

「ロボさんには遺言も伝えたし、もう何の心配もない……」

 終活ロボットには遺言を記録する機能があり、記録された内容には法的な効力が与えられている。

――本当はミイさんより先に逝きたかったのだけれど……。

 哲也は、美和子のことを思い出し、ベッドに腰かけ、枕元に置いてある写真立ての中の亡き妻の顔を見た。

 そして、再びロボットの方を向いて言った。

「ロボさんのお陰で、寂しい思いをせずにすんだよ」

挿絵(By みてみん)

「私にできることは何でもしますので、何でも言ってくださいね」

 ロボットはたたんだ洗濯物をタンスの引出しにしまいながら、哲也に優しく語りかけた。

――もう死ぬ覚悟はできている。二人の息子たちへの別れの言葉もまとめることができた。あとはあの世から迎えが来るのを待つだけだ。

 哲也は、妻の葬儀で会って以来、息子たちには一度も会っていない。

――所詮は他人なのだ……。


「ロボさん、胸が苦しい……」

 哲也は、ある日、少し離れた所で部屋の掃除をしていたロボットに声をかけた後、意識を失い倒れた。

「大丈夫ですか?」

 ロボットが駆け寄って声をかけたが、返事はない。

 ロボットは救急車を呼び、哲也は総合病院に救急搬送され、医師の手術を受けた。

「心臓の血管の手術をしました。成功しましたので安心してください」

 緊急手術を終えた医師は、付き添ってきたロボットに病状を説明した。

「このまま長期間の入院をしなければなりませんか?」

 ロボットは医師に尋ねた。

「しばらく入院して様子を見て、良くなれば退院できます」

「分かりました。ありがとうございます」

 ロボットは、哲也が手術後の眠りから覚めた後に、医者から聞いた説明を伝えた。

「良かったですね。しばらくすれば退院できそうです」

 ロボットは優しい声で言った。

「本当にありがとう。ロボさんに命を救われたよ」

――死ぬ覚悟はできていたはずだったが、実際に死に向き合うと怖いものだ……。

 哲也は目をつぶって、美和子の最期の日のことを思い出した。

――あの世で美和子と再会できれば嬉しいのだが……。

 ロボットは入院中もいつもどおりに哲也の世話をし、しばらくして哲也は退院し自宅に帰ることができた。

「ロボさん、今回は命を救ってもらってありがたかったが、今度同じようなことがあったら、延命は望まない。静かに自宅で死を迎えたい」

 哲也は真剣な表情で、静かな声でロボットに伝えた。

 終活ロボットは、自宅暮らしの老人の死を看取ることが制度的に認められているので、本人が延命治療を望まないことを予めロボットに告げておくと、自宅で亡くなる直前に医者を呼んだり救急車を呼んだりするというドタバタを避け、自宅で静かに死を迎えることができる。

「承知しました。もし、気持ちが変わったら伝えてください」

 ロボットは、哲也の真剣な表情を見ながら、優しい声で言った。


 哲也が自宅に戻った後、二人の息子が一緒にやって来た。

「お父さん、大変だったね。父さんの入院中、仕事が忙しくてお見舞いに行けなくて、すみませんでした」

 卓が軽く頭を下げた。

「お父さん、とても心配していたよ。同じ時期に妻の父親が倒れて大変だったんだ。お見舞いに行けなくて、すみませんでした」

 淳史も軽く頭を下げた。

 哲也は二人の顔を見ながら黙って話を聞いた。

 そして、三人ともうつむいたまま沈黙した。


「それにしても、終活ロボットがいてくれて良かったな」

「緊急時には並みの人間よりも適切な対応をしてくれるようだしね」

 二人は、父の家を出てそれぞれの自宅に帰る途中、電車の中で座席に腰かけながら話し合っていた。

挿絵(By みてみん)

「子供の頃は、親父は煙たかったけれど、自分も子供を持つと、父親の気持ちがようやく分かった気がする」

「僕もそう思うよ。昔は随分と反発したけれど、今は感謝している。だけど、残念ながら、親父に恩返しする余裕がない。時間的にも金銭的にも……」

「……何だかんだと忙しいからなあ。親父には申し訳ない気持ちはあるけれど、親父も俺たちの気持ちだけは分かってくれているといいんだけれどなあ」

「きっと、分かってくれているんじゃないかなあ。さっきも僕たちの話を黙って聴いていてくれたし……」



 半年後。

 終活ロボットの世話を受けながら人生の最後の時間を過ごした哲也は、ロボットに看取られてこの世を去った――。


 終活ロボットはすぐに哲也の葬儀の手配を行い、二人の息子とその家族たちが葬儀に参加した。

 葬儀の後、ロボットは二人の息子と小部屋に入って告げた。

「お父様の遺言の内容をお伝えします」

 二人は緊張した面持ちでロボットの次の言葉を待った。

「全ての財産を慈善団体に寄付する。ただし、終活ロボットの火葬費用は除く。以上です」

 日常生活で人工知能ロボットと身近に暮らす人が増え、役割を終えたロボットを廃棄物として処理するのではなく、ロボット専用の火葬炉で火葬をするというサービスが生まれていた。哲也も、世話になった終活ロボットを火葬にすることを遺言していたのだ。

 終活ロボットが告げた遺言の内容が、あまりにもシンプルで、しかも自分たちの取り分が全くないというものであったため、卓も淳史も驚いてしばらく沈黙していたが、卓が口を開いた。

「随分と冷淡だな、親父は」

「まあ、仕方ないだろう。俺たちは親父の世話や介護は何もしなかったからなあ」

「親父のことを気にかけてはいたけれど、それは伝わらなかったようだな」

「俺たちのことを恨んでいたのかもしれない」

 ロボットは二人に向かってさらに言った。

「遺言とは別に、お父様からお二人へのメッセージがあります。お聞きになりますか?」

 二人は一瞬顔を見合わせた。

「それは止めておこう」卓がすぐに答えた。

「どうせ俺たちへの恨み言だろう」淳史も聞く気はない。

 ロボットはしばらくの間沈黙し、二人の目を見つめ続けた。

「親父のメッセージはいい。聞かなくていい」

 卓が改めてロボットに告げた。

「では、明日からいろいろな手続きを始めます。何かご希望はありますか?」

 ロボットが二人に尋ねた。

「いや、特にない。全てあんたに任せるよ」

 淳史が答え、卓もうなずいた。

「分かりました。すべての手続きが終了した後に、私の火葬の時だけはお二人に立ち会っていただく必要がありますので、よろしくお願いいたします」

「分かった。その時になったら連絡してくれ」

 卓がそう言うと、淳史もうなずいた。



 終活ロボットは、哲也の葬儀を終えると様々な契約上や行政上の手続きを開始し、また資産の売却や財産の慈善団体への寄付の手続きなど手際よく進めていった。

 そして、哲也の死の半年後、終活ロボットとしての全ての役割を果たして、火葬される時を迎えた。


 終活ロボットは、自ら手配したロボット用の火葬場で、今は亡き哲也の二人の息子に向かって言った。

「すべての手続きは無事に終了しました。これを確認してください」

 ロボットが示したリストを二人は確認し、それぞれがサインをしてから、ロボット火葬場の担当者に手渡した。

 火葬場の担当者は手渡されたリストを見て言った。

「ロボットの中に保存されているお父様のメッセージを、まだ聞いておられないようですね。お聞きにならなくてよいのですか?」

挿絵(By みてみん)

 二人は一瞬沈黙した後、短く答えた。

「結構です」

「僕もいいです」

 二人の返事を聞いて、担当者は思った。

――きっと親子関係があまり良くなかったのだろう……ロボット火葬場の担当者として、無理に勧める立場ではないけれど、念のためもう一度だけ言っておこう……。

「本当によろしいですか? ロボットに記録された内容は、完全に消滅してしまいますが」

「結構です」

 二人は同時に短く答えた。

 担当者は姿勢を正してから、厳かな口調で言った。

「では、ロボットの電源を切ります」

 ロボットが自ら火葬台の上に乗って横たわった後、担当者がロボットの電源を切ると、終活ロボットは静かに死を迎えた。

「では、これから火葬炉に入ります」

 ロボット火葬場の担当者がそう言って一礼をした後、壁に設置された赤いスイッチを押した。

 火葬台が低い機械音を立てながらゆっくりと動き出した。

 二人は、役割を無事務めてくれた終活ロボットに向かって、静かに黙礼をした――。

 


 二人の息子たちが火葬場を去った後、火葬炉の中で高熱の炎に焼かれていたロボットが、沈黙を破り突然しゃべり始めた。

「私の最期の言葉を二人に伝えたい」

 哲也の声でメッセージが再生され始めた。

 ロボットは炎を全身に浴びながら話し続ける。

「二人が小さい頃は、いろいろな所に遊びに連れて行き、父さんも母さんもとても楽しかった」

 耐熱素材のロボットの表面が高熱で真っ赤に変色している。

「二人が成長と共に反抗期を迎えた時には、父親として言うべきことは言ってきたつもりだが、言っても効果がないと分かってからは、静かに見守ることにした」

 ロボットの表面が少し波打つように歪み始めてきた。

「楽しい時も苦しい時も悲しい時もあったが、父さんと母さんは、お前たち二人の息子の親だったことをいつも幸せに思っていた」

 ロボットの鼻が熱で溶け始めた。

「二人がそれぞれ結婚した時は、心から喜び、孫が生まれた時には不思議な充実感を覚えた。孫が小さいうちは、二人とも孫を連れてよく遊びに来てくれて、賑やかで楽しい時間を過ごせたことは、いつまでも忘れられない記憶として残っている」

挿絵(By みてみん)

 ロボットの口も溶け始めたため、低くこもったような音声に変わった。

「孫たちが大きくなるにつれて徐々に疎遠になったが、それは当然のことだと思っていた。守るべき家族を最優先にすることが、親となった者の使命だからだ。自分の親と疎遠になっていくことは、親としての自分の責任の大きさを自覚することの裏返しだと思う」

 ロボットの体全体が溶け始め、音声が途切れ始めた。

「……父親として二人には……という気持ちから、厳しい……」

「……母さんが先に亡くなり寂しい思いも……二人にはそれぞれ守るべき家族が……」

「……私は信じている。二人がこれからも…………人生を全う……」

「……最後に……本当にありが……」

 溶け崩れたロボットは完全に沈黙した――。






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