神様、あなたを愛していました
しばらく顔を出さなかった神社の元宮司が祭壇の前に立ったが、言っている内容は大して変わらなかった。以前のように紫の袴を着こなし、姿を見ることができない私に向けて堂々と声を張り上げる。交通機関会社からの祈願のお願いから、交通安全の神である私に願うにはお門違いなお願いまで逐一報告するところは変わっていて欲しかったが。
一通り祭壇の前で喋ると、突然、私を感じとれない癖にこんなことを言った。
「好きだと言ったら怒りますか?」
それを聞いた私はズッコケそうになって慌てて榊にぶら下がる。
『なんで怒らないと思った』
思わず「ツッコミ」というものをしてしまった。が、この宮司に私の声は聞こえない。
「あなたをこの上なく愛しています」
『いやお前、妻も子供もいるだろ』
初老の宮司の顔に、冗談を言っている気配はない。最も、この宮司は元が無表情で読めるものも読めない。
頼むから、冗談を言うならもう少しそれっぽくしてくれ。百歩譲って、神社の祭壇じゃなくお前たちが住んでる畳の居間で言ってくれたなら、冗談に付き合ってやった。
「家族との時間も割いて、あなたのための時間を作っております」
『神社の宮司だから、神の俺に会いに来るのは当たり前だ』
「仕事ですからね」
『わかってるのかい!』
さっきから宮司は表情を変えなかったが、ふとため息をつく。
「時に、私は神は信じていますが、奇跡はないと思っています。よって、これは願いではありません」
『いきなりどうした』
「私は、もう時期病気で死にます」
私は驚くこともせず、その言葉に耳を傾ける。
この宮司も歳をとった。正直、そろそろだとも思っていた。
これでも、人間の寿命は数世紀前に比べればかなり長くなっている。まぁ、良い大往生だろう。
『私に健康を願わないのか』
「あなた様は交通安全の神ですから、健康は願いません」
一瞬、言葉が通じたのかと思った。しかし、人間と神は直接言葉を交わせない。
「ですがお伝えはします。この62年、この神社を、あなたを愛していました。ここの神社に従事できて本当によかった」
そう言って一礼すると、宮司は背を向けた。おそらく、これが最後になるだろう。
何人もの宮司の死を見送ってきた。ここまで丁寧に挨拶できた宮司はいなかったが、だからといってこの宮司に特別思い入れることは無い。
私は一路平安、道中の安全のために祭られた神だ。人の健康のためには動けない。
『せめて、私を取り残すように去っていく宮司に、安らかな最後であらんことを……』
「悲しまないでください。生まれ変われば、また必ず会えると知っていますから」
そう言い残して、あの宮司は二度と帰ってこなかった。
突然振り返って言い放ったこの言葉のせいで、死期が近かったあの宮司に私が見えていたのか、今でもわからない。