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7 風呂場の悲劇

「貴方がランさん?よろしくね、別の世界から来たって聞いたわ。後で色々聞かせてね」

「母さん、ランさんは疲れてるだろうし、もう休んでもらおう。その話は、ランさんが都合のいい時に聞けばいいさ」

 トモルの家に世話になる初日の晩。仕事から帰ってきたトモルの両親は、私のことを温かい笑顔で迎えてくれた。二人とも、元々異世界だとか魔法だとか、ここでいう幻想的なものが好きらしく私の話も信じてくれるようだった。ただ、シンジが私のことをランと呼ぶから、トモルの父も母も私をランと呼ぶようになった。


 この世界の物は色々と不可思議な技術が多い。私が今ソファに座って眺めているテレビとかいう箱がまさにそれである。

 これは箱の中に人がいるわけではなく、別の場所で映した映像を箱の画面に映し出しているらしい。

 映る映像も実に多様で、人が踊っているかと思えば動物が走っていたり、果てにはあのクルマが映ったりと様々だ。この世界の技術には感心せざるを得ない。

「ランさんは明日から学校だから、早めに寝ないとね。慎次、お風呂に案内してあげて」

 こちらに来てから一日経ったが、湯浴みをしていなかったことに今更ながら気が付く。こちらに来る前は戦に参加していた上、戦場が砂漠だったために、法衣にも身体にも砂が付着していた。汗や砂埃などで、今まで私は臭くなかっただろうか……?

「何で俺が……」

 シンジが案内役。やはりそんな気はしていた。湯浴みくらいなら一人でできそうな気もするが、ここにある物は使い方がわからない物ばかりである。勝手に触って失敗をするのは避けたい。

「あら、じゃあ燈にお願いしようかしら?」

「わっ、私が!?」

 トモルの頬にさっと差すのは朱。この光景を幾度見たことか。最早何も言うまい。

「俺が行く!案内するから来い!」

 真っ赤な顔を両手て覆ってしゃがみ込んでしまったトモルを押しのけ、シンジが私の法衣の袖を引っ張った。私に対しての態度は最悪であるが、姉であるトモルのことは大切に思っているらしいシンジのこの言動はもう予想ができていた。そのため、私は文句を言わずについて行ってやることにした。風呂場へと向かう私たちの後ろで笑い声が聞こえたが、気にしないようにした。


「ここが風呂。んで、これがシャンプー。使いたきゃトリートメントも使いな。身体はそこの石鹸使って。あと、あっちにあるタオルも使っていいから。パジャマはここに……って何なんだよその顔」

 通された風呂場に、私は思わず絶句した。私はシンジが呆れるほど、間抜けな顔をしていたという自覚はある。しかし、自覚があっても、表情は戻しようがなかった。

「……風呂場とはこのように狭い場所なのか?」

「は?文句あるなら入るなよ」

「い、いや文句というわけではない。こんな狭い浴場は初めて見たものでな……」

 この瞬間だけは、シンジへの嫌悪も忘れていた。


 ジダーリャ王城の各所にある浴場は、どれもまさに泳げるほど広かった。

 城に住み込みで働いている使用人や馬番などは共用の大浴場を使っていたが、女王の右腕としてそれなりの立場にいた私には個室が与えられていた。その個室の浴場も大浴場とまではいかぬが広く、ゆったりと一人の時間を満喫できた。突如として異世界に飛ばされ、風呂だと聞いてようやく気が休まると思ったのだが。浴槽も大人が足を延ばせるほどはなく、少し身を縮めなければならない。

 トモルの家を見た時から、うっすらとではあるが、浴場が狭いような気がしていた。が、これほどまでに狭いとは……。


「狭い狭いってうるさい。どんな豪邸に住んでたのかは知らんけど」

「すまない。ただ、もといた国の風呂はどこも広かったものだからつい」

 異世界から来たという私を不審な目で見ず、家に泊めてくれるだけでもありがたいことなのだ。多少の不満は呑み込むべきだろう。

「湯に浸かるのはわかったが……どうやって水が出るんだ?」

「そこの蛇口をひねる。右が水で左がお湯」

 シンジはジャグチというらしい金属の取っ手を反時計回りにひねる。すると、ジャグチの上にある、レンコンのように穴の開いた物――シャワーというらしい――から水が流れ出てきた。私は、思わず小さく歓声を上げた。

「そんなに珍しいか?進んでるんだか遅れてるんだか、そっちの文化は全く想像がつかないな」

 シンジはただおかしそうに笑う。そこには私に対する悪意は感じられず、少し不思議な感じがした。

 そこまで来て、私はまだ疑問が頭の中に残っていたことに気付く。

「質問なんだが」

「何だよ」

「さっき言っていたシャンプーとは何だ?」

 シンジの顔が呆れに歪む。心底呆れているらしい彼の表情を見て、私は少しむかついた。お前たちにとっては当たり前の名称なのだろうが、私にとっては未知の物でしかないのだ。わかって当たり前だと思うな。

「あー……髪、髪洗うやつ。液体石鹸?」

「そうか。では、タオルとは?」

「そこの布」

「パジャマとは」

「寝る時に着る服」

「トリートメントとは」

「あああもう!知らんことばっかだなお前!そして記憶力いいな!?」

 淡々と答えてくれるのをいいことに質問をし続けると、ついにシンジが頭を抱えてのけぞり、叫んだ。やりすぎたか。しかし本当に疑問をぶつけていただけで、悪意など微塵もない。私は悪くない。

 シンジはまるで小悪党の捨て台詞のようにトリートメントの用途を言うと、出ていってしまった。

 ちなみにトリートメントとは、髪の保湿剤のようなものらしい。


 とりあえず、まずは髪を洗おう。きっと汚れが絡まっている。

 シンジに言われた通りシャンプーを手に取ってみたが、そこで困ったことになる。

「どうやって中身が出るんだ……?」

 この容器の中に髪を洗うのに必要なシャンプーが入っているのはわかっている。が、しかし、よくよく思い返してみれば、シンジは場所を示しただけで細かい使い方などは教えてくれなかった。

 容器の上の方は鳥のくちばしのような形で、よく見てみると小さな穴が開いていた。そこから中身が出るのだろうか。試しに振ってみたり、傾けてみたりしたが一向に出てくる気配はなかった。

 もう一度彼を呼ぼうかと思ったが、大声で名前を呼ぶのも、裸のまま他所の家の中をうろつくのも誇り高き宮廷魔法師としてできるものではない。一人で解決するしかないのだ。

 容器をいじくり回すこと約一分。容器のくちばしよりも少し下の部分を反時計回りにひねると、くちばしの部分が外れた。そうして手の上へ傾けてみれば、中から白い液体が出てきた。成功である。

「これを髪につけて洗えばいいのか。どのくらいの量をつければ……」

 私の髪は、肩甲骨より少し下の辺りまで伸びている。もとはそのように束ねるほど長くはなかったが、ここのところは戦があったため、自分の頭髪に気を遣ってなどいられなかったのだ。


 長い髪を洗うのには、もう少し量がいるか。手の中にある、ほんの少しのシャンプーを見てそう思った私は、容器を頭の上まで持っていき、そこで傾けた。その途端、ひんやりと、どろりとした独特の感覚が私の頭頂部を包んだ。その感覚はだんだんと下へ降りてきて……。

「うわっ!」

 私は突然、両目に酷い痛みを感じた。まるで、柑橘系の果実の汁に目を浸けているかのような痛みだ。それの原因が何であるかを悟った時、私は数秒前の自分を殴りたくなった。

「シャンプーが、目に、しみる……!」

 目に入ればしみる。石鹸と似たような物なのだから当たり前だ。シャンプーの容器を攻略できたからと気を抜いていたのが、ここにきて痛い目に遭うこととなった。

 水で洗い流そう。あまりの刺激に目を開けていられず、暗闇となった視界で手探りでジャグチを探す。それはすぐに見つかり、勢いよくひねった。


「ああっちゃあああああ!!」

 瞬間、巨大な鞭で叩かれたかのような痛みが頭全体を襲った。あまりの衝撃に、シャンプーの容器を手放してしまう。痛み……いや、これは熱だ。熱い、一周回って冷たささえ感じるほどの熱さ。

 慌てて頭を後ろへ引いたが、床にこぼれていた何か(おそらくシャンプーだろう)に滑り、派手な音を立ててひっくり返ってしまった。腰を強く打ってしまったようで、身動きが取れない。

 しばらくして、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてくる。それはだんだんと近付いてきて、風呂場の前で止まる。

「どうした!?」

 シンジの声だった。ただ、私は返事をしようにも腰の痛みで起き上がることもできず、その場にて硬直していた。

 ややあって返事がないのを不思議に思ったらしいシンジが、一言断りを入れてから風呂場の扉を開ける。

「……何やってんの。てか熱っ!何で熱湯なんか被ってるんだよ」

 助けてくれ。まだ目に入ったシャンプーが流しきれていないんだ。そう言おうと口を開いても、腰が痛いので声にならない。

 彼の驚きと呆れの入り混じった声を聞いてもなお、私は地面に転がることしかできなかった。

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