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6 弟

 トモルと別れた後、私はイワサキが持ってきてくれた夕食を食べ、眠りについた。ここの寝台は清潔で、決して寝心地が悪いわけではない。しかし、病める者たちが集められる場所とイワサキに聞いてからは、どうも安心して眠れる気がしなくなってしまった。怪我や病に罹った人々の集まる場所は、戦場の衛生班の天幕を思い出してしまうのだ。

 女王は今も、無事でいるのだろうか。

 あまり眠れぬままに夜が明けた。よほど酷い顔をしていたのか、約束通りに迎えに来たトモルには小さく悲鳴を上げられた。


 どうやら私が元々着ていた法衣は、トモルが引き取って洗濯しておいてくれたらしい。私は早速法衣に着替えた。洗濯されたおかげで匂いこそ違うが、肌に当たる布の感触や重みなどは普段通りで、それが私を安心させた。


 しかし、その安心もつかの間。


 今まで私がいた場所――病院を出ると、石畳とも違う黒く硬い道の上を、奇妙な箱が物凄い速さで走っていた。それがまさに殺人級の速度であることは一目瞭然である。中にはひどく大きな音を立てて他の箱よりも一際速い速度で走り去っていく箱も見られた。どれもその中には人が乗っていた。道の上には白い線が規則的に引かれており、人々は停止した箱の前を通り線の上を歩いて反対側の道へ行く。

 私のいた世界での移動手段は、徒歩か、グリフォンやペガサスなどの動物である。ここの人々は、動物は使わずにこの金属でできた箱に乗って移動するようだ。

「トモル、あの乗り物は何だ?」

 私が指さした箱を見て、トモルはああ、と頷いた。

「ああ、あれは車っていうんですよ。ここでは主な移動手段になりますね」

 しかしこのクルマという乗り物、何となく危険な感じがする。

「そうか……しかし、あのような速度で大丈夫なのか?もし人にぶつかったら……」

「そうですね……車にぶつかった人が死ぬこともあります。そんな頻繁に事故は起きないですけど」

 平然と人が死ぬと言ってのけたトモルに、私は少し恐怖を感じた。


 多分、こちらの世界の技術は私たちとは別の方向で発展し、その速度は私のいた大陸よりもだいぶ上だと見受けられる。が、発展しすぎたが故に人の生命を脅かすかもしれない物を平気な顔をして使っているような気がする。私たちの世界では命あることを第一とし、万に一でも命を落とす可能性がある技術は、全て切り捨てられてきた。太古に使われていたという生贄の義も、呪術の起源となった(のろ)いもだ。

 ここの人々は、高度な技術と引き換えに、真の命の重みというものを失いかけているように思えてならなかった。


 クルマ以外にも物珍しいものは続々と現れる。

 やたらと背の高い、四角い建物。赤に黄色に青色にと色を変え、人とクルマとを隔てる灯り。

 行き交う人々のほとんどが手にしている、長方形の薄い板のような物。服も私たちの国で着ているものとはだいぶ異なる作りをしていることがわかる。

 私はきょろきょろと辺りを見回していたが、不意に自分の隣から小さな笑い声が聞こえてきて、そちらを向いた。

「ふふ、ランディーヤさんってば、お上りさんみたいで可愛いですね」

「オノボリサン?というか、私は可愛くなどない」

 可愛いと言われたのが納得行かず私は否定したが、トモルはからかうように笑った。

「可愛いですよ」

「可愛くないと言っている」

 可愛い。可愛くない。私とトモルはそう言い合いながら、目的地であるトモルの家まで歩いた。


「あ、ここです」

 トモルは一つの建物の前で立ち止まった。

 目の前にあるのは、三角屋根の小ぶりな建物。どうやらここが彼女の家らしい。

 トモルは迷いのない手つきで扉を開け、中へ入る。私が入るのに躊躇しているのを見て、手招きした。失礼しますと一言言ってから私も入った。

 トモルはその場で「ただいま」と声を上げた。

 すると、家の奥から一人の少年が小走りでこちらへ来た。トモルと顔つきがよく似ている。きっと彼がトモルの言っていた弟なのだろう。

 しかしこの少年、私の頭からつま先まで値踏みをするかのように見ると、むっと顔をしかめた。失礼な。

 私が不機嫌になっているのにも構わず、少年は私を指さしてトモルの方を向いた。

「この人が姉ちゃんの言ってたランなんとかって人?てかその服、コスプレかよ」

「ランディーヤさんだよ。言ったでしょ、この人は異世界から来たって。ランディーヤさん、弟の慎次(しんじ)です」

 トモルは両手を腰に当てて注意するが、少年――シンジには全く効果はなかった。……本当にトモルとシンジは姉弟なのか?確かに顔は似ているが、こうも性格が違うとは。

「ああ。今日からうちに住むんでしょ?いいけど、あんまり勝手なことするなよ。あと、名前長いから、ランって呼ぶわ」

 それだけ言って、シンジは奥へ引っ込んでしまった。と思いきや、もう一度壁の陰から顔を出して「姉ちゃんに変なことするなよ」と睨みつけてきた。

「変なことなどしない。私を馬鹿にするな」

「こっちじゃドが付く世間知らずなんだから、大人しくしてろよ」

 今度こそ、シンジは奥へ引っ込んだ。彼とはどれだけ一緒にいても仲良くなれるとは思えない。もとより、仲良くするつもりなどない。

「すみません……。慎次はほんとはいい子なんですけど、初対面だから緊張してるのかも」

「……私にはただ敵意を向けてきているようにしか感じられなかったが」

 シンジは絶対に緊張はしていないだろう。それだけは言える。仮に緊張していたとしても、初対面の人間にあんな失礼な態度を取るだろうか。私ならば、初対面の人間にはまず礼儀正しく挨拶をする。

 しかし、トモルがあまりにも申し訳なさそうな顔をするので、すぐに笑顔を作った。

「大丈夫だ、彼とも何とかやっていけるだろう」

 大嘘である。あんなひねくれた子供と一緒に波風立てずに生活するなど、できるわけがない。一つや二つは衝突が起こると断言できた。


 部屋に案内してくれるというトモルに、私は大人しくついていく。こちらの世界の建物は、内部さえも建築様式からしてジダーリャとは似ても似つかぬものだった。我らの国の建物のほとんどが木造であるのに対し、こちらはコンクリートとかいうものを固めて家を形作るのが主流らしい。最近は木造の家も増えてきているそうである。もっとも、こちらの国の家も元々は木造だったとか。


 階段を上がってすぐ目の前に現れた扉を、トモルは押し開いた。

「ここが私の部屋か」

「はい。あ、でも……あ、今日から一緒の部屋でいいよね、」

 トモルが中へ入ったのに倣い、私も部屋へ一歩足を踏み入れる。彼女が何か言いかけたが、気にせずに足を動かした。

 ――その瞬間、私は自分でもわかるほど、思い切り顔をしかめた。

「どうもこんにちはぁ」

 私の視線の先には、寝台に座り、小憎たらしい笑顔を向けてくるのは、できれば顔を合わせたくないと思っていたシンジ少年である。どうやら向こうも同じ気持ちのようで、貼り付けた笑顔はわざとらしく、表情の端々に嫌悪をにじませていた。

「相部屋とか勘弁してほしいの顔~」

 にいっと厭味ったらしく口角を上げ、こちらを煽るような視線を送ってくる。……殴りたい。

「それはこちらもだ。こいつと同じ部屋など……私は外で寝るぞ」

 トモルを安心させるためとはいえ、「何とかやっていける」などと言ったそばからこの空気である。心の奥底ではまだトモルに対する申し訳なさがあったが、それも徐々にシンジへの怒りへと変わりつつある。自分でも冷静さを欠いてみっともないのはわかっていたが、もう止められなかった。

 シンジはハン、と鼻で嗤うと、私に見下すような視線を送ってくる。

「元々ここ俺の部屋だし?ぜーんぜん、むしろ早く出て行けよ」

 しっしとまるで犬を追い払うかのように手を払われ、私の怒りはまさに頂点に達しようとしていた。

 そこで、トモルが私の法衣の袖を軽く引っ張り、一歩を踏み出す。彼女の足は、部屋の出口へと向かっていた。

「シンジ!……もう、ランディーヤさん、私の部屋へ行きましょう。ぬいぐるみとかいっぱいで、シンジの部屋よりもちょっと狭く感じるかもしれないけど……」

「は?なんだそれ」

 それはそれで問題ではないか。私とトモルは同い年の男女になる。例え互いにその気がなくとも、はたから見れば性にだらしのない人間に見えかねない。このトモルの発言には、流石のシンジも目を丸く見開き驚いていた。

「慎次がわがまま言うから、わ、私の部屋に行くしかない……じゃん」

 己の発言を思い返したのか、顔を真っ赤にするトモル。声もだんだんと小さく、か細くなっていく。

 私はこの家に置いてもらえるなら、少しでも安心できる場所で寝泊まりできるのなら、寝床が土の上でも不満はない。シンジと顔を合わせずに済むのなら、私は地面との抱擁で一夜を明かす。

 しかし地面や床で寝ると言っても、トモルは退かないだろう。かえって逆効果な気もする。

 何かトモルを納得させられる発言はないか……そう考えを巡らせていると、急に自分の肩に何かがもたれかかってきた。

「よーしラン、一緒に仲良く部屋で過ごそうぜ!」

 場違いなほど明るい声に、何事かと自分の横を見れば、シンジがこれまでにない眩しい笑顔をこちらに向けてきていた。……なるほど、このひねくれ少年は、流石に姉が他の男と一緒の部屋で生活するのは心配らしい。私が信用されていないようで少しだけ頭にきたが、それが当然の考えなので、私もこの時ばかりは彼に同調することにした。

「ああ、私もそう思っていたところだ。これからよろしく頼む」

 私も腕をシンジの肩に回し、笑顔を作った。

 アハハ、アハハハハと、乾いた笑い声が室内を漂う。それは明らかに無理をしている、または作り物の笑い声であったろうが、トモルはそれに気付かないのか、心底嬉しそうに笑った。

「よかった!二人が仲良くしてくれると嬉しい」

 彼女の笑顔を見て、私はその場に凍り付いたように動けなくなってしまった。


 何故なら彼女のその笑顔、私の敬愛するクレンヴ女王陛下の笑顔と瓜二つであったからだ。いや、瓜二つなどという言葉では片付けられないほど……まさしく同じ顔をしていた。

「どうかしたのか、ラン。これから楽しく過ごそうぜ!」

 私の硬直が解けたのは、シンジの妙に明るく、それでいて薄っぺらい笑い声だった。

「……あ、ああ。そうだな。平和に、仲良く」

 今は女王に似ている似ていないではなく、ジダーリャ王国へ還るために感謝の心、つまり魔力を集めねばならない。それに雑念は不要だ。

 私は胸に新たに巻いた渦をかき消すべく、一際大きく明るい笑い声を上げた。

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