4 帰還の術
聖獣ルネミーニャが現れた。神の使者であるカーバンクルがこの場にいるということは、まだ元の世界へ還れる可能性があると考えても良いのだろうか。
ルネミーニャと名乗ったカーバンクルは、じっと私を見つめてくる。
『ワタシは、あの人のもとへ還る術を知っています』
あの人と言われて、思い当たるのは一人しかいなかった。
「あの人とは、女王か!?だったら教えてくれ、どうすれば私は還れる?」
『静かにしてください、聖獣は繊細なんですよ』
思わずルネミーニャに顔を近付け、普段よりも声を荒げてしまった。こんなところを国の連中に見られれば、聖獣を脅かしていると取られ、即刻牢屋行きだろう。
私の大声を厭うように首を横に振ったルネミーニャは、ぴょいと私の手を離れ、トモルの胸に飛び込んだ。トモルは困惑気味だったが、ルネミーニャの触り心地がよかったのか優しく抱きかかえて身体を撫で始めた。
『そうです、アナタ方が女王と呼ぶ人です。まあ、厳密には人ではないんですけど』
ルネミーニャの方もトモルの撫で方がちょうどいいらしく、うっとりと目を細めている。
「魔法がなくても戻れるの?」
『まさか。魔の力を借りなければ無理ですよ』
イワサキの問いを、ルネミーニャはにべもなく切り捨てた。しかし、石に残った魔力はもう僅か。魔法の存在しないこの世界で勝手に魔力が増えるとも考えにくい。どうしろと言うのか。
『一つ問います。魔法、魔力の根源とは何でしょうか?』
ルネミーニャは、その小動物のような小さな右前足を持ち上げ、私に向けた。
「は?どういうことだ」
小さな聖獣の言うことの意味が解らず、私は首を傾げた。それが気に入らなかったようで、ルネミーニャは目を吊り上げ、キャンと一つ吠えた。
『アナタ、宮廷魔法師のくせにわからないのですか?魔法の源となるもの。それが安定していなければ魔法は展開できないものです』
魔法を展開するために、安定していなければならぬもの。私が魔法を展開する際、常に安定――統一をしているもの。
そこまで考えて、一つ思い当たるものが見つかった。
「……精神、か?」
ルネミーニャはこくりと頷く。どうやら当たったようだ。
『その通り。精神……つまり感情の動きは、魔力の大きさや流れに直結しているものです。故に、たとえ魔法の存在しない世界でも、本気で奇跡を信じ絶望にも屈しない心をもつ人間には、魔法を扱う力が発現するでしょう』
この聖獣は何が言いたいのだ。なかなかぴったりな答えを寄越さないルネミーニャに、私は少し苛立った。
「ええっと……気の持ちようで魔力は生まれるってことですか?」
『まさにその通りです。アナタはそこの宮廷魔法師よりも魔法師に向いているかもしれませんね』
冷静な口調でトモルを褒めるルネミーニャ。現役の私よりも魔法師に向いていると言われたトモルは、困ったように笑った。
なんだか私だけが取り残された気分だ。別世界の人間である二人は理解しかけているというのに。
それで、ですよポンコツ魔法師。冷ややかな声でルネミーニャは言った。少し話を理解するのが遅いからって、ポンコツとは何だ。しかし今度はルネミーニャの真剣な眼差しに貫かれ、幼子のごとく怒るような真似はできなかった。
『ワタシはこれでも神の使いとして、空間を行き来することができます。しかし、今はその魔力は尽きかけ、本来の姿は封印状態にあると言っていいでしょう。魔力は人間の感情から得ることが可能です。そしてワタシの源となるのは、感謝の心からくる魔力。それを満たすことができればワタシが元の世界へお連れしましょう』
なるほど、そういうことか。ようやく聖獣様のおっしゃることが理解でき、ひとまず落ち着いた。
そこで、ルネミーニャは苦しそうに身じろぎした。
『この姿を保つのも、そろそろ限界のようです。次に会うのは、少し魔力が戻った時でしょう』
では、と軽く頭を下げたルネミーニャは、トモルの腕から飛び出してこちらへ突っ込んできた。私も突撃してくるであろうルネミーニャを受け止めるべく、構えた。
しかし、トモルから私へ移るまでの間に、ルネミーニャに変化が起こった。
ルナの石から聖獣へと姿を変えた時のような光に包まれた。そして、私の手へ届く頃には聖獣ルネミーニャではなく、ルナの石のペンダントとなっていたのだ。それは、魔力が少なくなって聖獣の姿を維持することが困難になったためだろう。
せっかくペンダントという形になっているので、首に着けてみる。女王が所持していた物だからだろうか、女王の温かな力が私を包んでいるような感覚に陥る。
「女王が、私のすぐ傍に……」
言いようのない喜びを覚える。女王に優しく抱きしめられているような心地になった。
「あーっ!」
目を閉じてしばらくまどろんでいたが、それはイワサキの素っ頓狂な声であっけなく壊れてしまった。
何事かと目を開けてみれば、真っ青な顔をしたイワサキが時計を見て震えていた。
「どうかしたんですか?」
「午後、佐々木先生に呼ばれてたのを忘れてた……!す、すみませんが僕はこれでっ!」
イワサキは、バタバタと慌ただしく退室する。
残されたのは、私とトモル。イワサキのせいでこれまでの真剣な話が全て吹っ飛んでしまったようで、どうにも間の抜けた沈黙が漂う。……さて、何の話をしていたんだったか。
「ランディーヤさん、これからどうするんですか?」
先に沈黙を破ったのはトモルだった。心配そうな視線を注いでくる。
何を訊くのかと思えば、わかりきったことを。私は一刻も早くここを出て、この世界の人々の感謝の心を集める。それは、ルネミーニャの話を聞いた時から決まっていたことだ。
「いや、それはわかってるんですけど……。住む場所とか、食事とか、お金とかはどうするのかなって思って……」
「……確かに」
その辺りは全く考えていなかった。ルネミーニャの言う感謝の心というのは非常に抽象的で、どんなふうにして集まるのか、どんな形状のものなのか、そもそも形を保っているのかなどわからないことだらけだ。当のルネミーニャに関しては、今の魔力の状態を想えば頻繁に出てきて助言をしてくれるとは考えにくい。感謝の心集めも長期戦になることが予想できた。
そんな中で、住む場所もなければ食糧を確保することもできないとなると、その先に待っているのは餓死のみだ。異世界から来たなどと言っても誰も信じてくれないだろうし、私一人ではこの先やってい
けるのかどうかも怪しい。
考えれば考えるほど、不安が私の頭に積もっていく。そしてそれは次第に、巨大な鉛の玉と化して私を押し潰そうとした。
「あの、もしよければ」
一人俯きぐるぐると思考を巡らせていた私の頭に、小さな声が響いた。
「感謝の心集めの拠点、私の家にしませんか?食事も付いてくるし、寝る場所にも困りません。それに、人のいっぱいいる学校に通えば感謝の心は集まりやすいんじゃないかと」
トモルの申し出はありがたかった。食事にも住む場所にも困らないならば、身体精神共に余裕ができるのは間違いない。
しかし、一も二もなく頷いては流石に図々しいと思った。ぜひ彼女の家に転がり込みたいと訴える幼い思考を押さえつけ、冷静を装う。
「ありがたい……が、君は一人暮らしか?それならば、何の関係もない男と二人暮らしでは気まずいだろう」
「いえ、まだ学生なので家族と暮らしてます。で、でも、親も弟も説得するし、私はランディーヤさんと暮らしても気まずさなんて感じません!」
トモルは先ほどまでの控えめな態度を一変、必死の形相でぐいぐいと詰め寄ってくる。これには流石にたじろいだ。最早トモルの申し出は、申し出というよりは懇願に近い。
……そこまで言ってくれるのならば、私を必要としてくれるのならば、いいだろうか。
私はひとまず息がかかる距離に来たトモルの顔を、彼女の肩を押し返すことで遠ざける。
「わ、わかった。私もトモルの家で生活できるのならば助かる」
私の言葉を聞いた途端、トモルの顔がぱっと明るくなった。彼女のこんな心底嬉しそうな顔は初めて見た。
「よかった……!これからよろしくお願いしますね」
「ああ、よろしく頼む」
とりあえず住居の確保はできたので、それを今日の収穫としよう。
これからどうなるかは全く想像がつかない。異世界に飛ばされた挙句、還る術は感謝の心。そんな非現実的な状況で、私は無事に女王のもとへ還れるのだろうか。