3 変化の石
「すみませんでした……」
イワサキとトモルは、二人揃って頭を下げる。彼らの先で仁王立ちしているのは、イワサキと同じように白衣を纏った壮年の男だった。その男は元々釣り気味な目をさらに吊り上げ、二人を睨みつけた。
「全く、病院で大声を上げるんじゃないよ。患者さんのストレスになったらどうするの」
「すみません、次からは気を付けます……」
次はないからね、と釘を刺したその男は、フンと鼻を鳴らして出て行った。
「……怖いなあ、佐々木先生」
イワサキが深々とため息を吐く。その隣でトモルもほっと胸を撫で下ろしていた。
「で、話を戻しますけど」
イワサキが切り出し、私にぐいと顔を寄せてくる。あまりの勢いに、私は少し顔を後ろへ引いた。
「ランディーヤさんって、ほんとに魔法使いなんですか?よく漫画とかである、異世界から来ちゃった、みたいな」
あの火の玉を見てもまだ信じられないか。イワサキが確認のように訊いてくることに少し腹が立った私は、今度は縮小流水魔法を展開する。じっと精神を手中させて発現させた小さな水の渦が、私の掌で激しくうねる。イワサキもトモルも、私の手中のそれを目を丸くして見つめている。私は渦の威力をそのままに、イワサキに向けて掌を突き出した。
その途端、私の攻撃的精神を感じ取った水の渦は、イワサキの顔面にびしゃりと音を立ててぶつかった。
「これでも信じられんか」
顔に決して少量ではない水を被ったイワサキを一瞥する。彼は、目をぱちくりとさせていた。何とも間抜けな面である。
「いや、ただの確認ですって。信じてないわけじゃ……ぶはっ!」
「確認という行為そのものが信じていないということだ」
彼の返答が気に食わなくて、その間抜け面にもう一度縮小流水魔法を浴びせる。しかし気のせいか、調節したわけでもないのに威力は先程よりも小さくなっていた。
試しに、もう一度魔法を展開する。すると、掌で小さな小さな水の玉ができあがる。しかしそれもつかの間、ぱしゃんと弾けて消えてしまった。
「どうしたことか……。使える魔法には限りがあるのか?」
元の世界で当たり前のように使っていた魔法という力……それこそ身体の一部のようなものだ。やっと取り戻し、完全な自分に戻ったと思ったのに、その力も消えて尽きようとしている。
再び絶望に襲われ、嫌な汗が背を伝った。魔法がなくては、きっと女王のいる元の世界へ……ジダーリャへ還れまい。この魔法が存在しないというわけのわからない世界で一生を終える気がする。
「ちょっと、質問なんですけど」
そこで、控えめな声が私の耳に入る。そちらを向けば、トモルが遠慮がちな視線を投げかけていた。
どうしたの、とイワサキがトモルを優しく促した。
「その石、魔力の結晶体……って言ってましたよね?魔力って、石の中から無限に湧いてくるものですか?」
トモルが指さしたのは、私の手の中にあるルナの石のペンダント。
ルナの石とは女王が常に肌身離さず持っている魔力の結晶。それ以上の情報は女王のみが知り、魔道に携わる宮廷魔法師の私でも石の詳細は全く知らない。
「それがわからないのだ。魔力の結晶体というからには、石から魔力が発せられていることは間違いないのだが……」
トモルは、おずおずと口を開いた。
「もしも石自体が魔力を生み出しているんじゃなければ……えっと、魔力を充電すれば使える、みたいな……」
ああ、とイワサキも納得したように手を叩く。
「つまり、携帯のバッテリーみたいな感じか」
「そう、それです」
「バッテ……?」
そちらの世界の専門用語でしゃべられても困るのだが。そんな気持ちが表情に出ていたのか、私の顔を見たトモルは申し訳なさそうにすみません、と謝った。
「もしかしたら、石自体は誰かの魔力を入れるだけの器だったり……とか。ランディーヤさんが魔法を使えたのは、石に残ってた魔力を使ったからで……」
「そうか!」
トモルの意見に、私は脳内に渦巻いていた疑問が一気に晴れた気がした。
ルナの石という物をあまり知らない私たちは、女王の「ルナの石は魔力の結晶体」という言葉を真正面から信じ込んでいたのではないか。
女王の出自には謎が多く、一国の王であるにも関わらず正確な身元を表す書類は一切存在しないという。
ジダーリャは元々、ならず者の跋扈する荒れた砂漠だった。そして、そのならず者らをまとめ上げ、国の基盤を作ったのが女王だと伝わっている。
ジダーリャ王国が建国されたのは、今から百年前。しかし建国したその女王は、百年生きたとは思えぬほどに若い。見た目は勿論、少女のような屈託のない笑顔が似合う人だった。
誰がどう見ても女王は二十かそこらの女性だ。他の国の者であればそんな彼女に怪しさや不信感を募らせるかもしれないが、ジダーリャの民らは皆、民のためを思い日々を生きる女王を深く慕い、愛している。
女王は神がおわす空に矢を向け、光の空間を創った。それは、卓越した魔法師でも呪術師でも成し得ないものだ。まさしく神のなせる業。
そこでふと気付く。
我らの慕っていた女王は、天上で人間を見守っている筈の神ではなかろうか?
思い返せば、その推測を裏付ける事実はあったのだ。
女王は秩序のないならず者たちをまとめて建国し、百年間心身共に若さを保ち続けていた。
それに、魔力を広大な砂漠に行き渡らせ、人間が生活する環境を整えるのは並大抵のことではない筈だ。それだけの強大な魔力を有するのは大陸でも女王だけ。魔道の国ともいわれたルディナ王国にすら、そんな人間は存在しない。
――私が貴方たち人間を守るのは当然の役目よ。
私がここに飛ばされる直前、確かに女王はそう言った。”人間”という、まるで別種族のような呼び方は、まさしく女王が人間でない超常の存在であることを示していた。
仮に女王が神で、トモルの言うようにルナの石が神の魔力を受ける器だとする。
神の魔力を宿した石。それだけで強欲な奴らは飛びつきそうだ。誰もがルナの石を求め、世界に不必要な争いを起こし、流さなくてもよい血を流すことになるのは予想できる。
だからこそ、女王は自身が持つルナの石をただの魔力の結晶体と偽り、大陸の注目を逸らした。ただ、どこからか漏れた石の噂が大陸に出回り、彼女の行動はほぼ水の泡となってしまったわけだが。
ルナの石に元々注いであった女王の魔力のおかげで、魔法が存在しない世界でも魔法を展開できたのだろう。展開する度に魔法の威力が弱まっていったのは、ルナの石の中の魔力が減ったから。そう考えれば辻褄が合う。
それに確か、トモルからルナの石を受け取った時から、私の身体に魔力が満ちようとしていた。それは、石にある魔力を吸収したからだろう。
しかし、縮小魔法とはいえ、魔法の威力は既にだいぶ落ちてきている。石の中の魔力は残り少ないのか。
魔力を完全に失くしたら、私はこちらに生きる人間と何ら変わりない。そして、元の世界へは戻れまい。
「魔力を集める術はないだろうか……」
呟けば、イワサキもトモルも、難しそうな顔をする。
「ここは元々魔法のない世界だし、魔力を集めるのは不可能だと思いますよ。あ、知り合いにオカルトマニアがいるんですけど、そいつにも聞いてみますね」
イワサキの言葉にまた妙な響きを覚え、思わず聞き返す。
「オカルトマニアとは」
「あー……まあ魔法とか呪い大好き、みたいな人ですよ」
「なに、魔法を扱えるのか」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
私もイワサキも明確な答えを得られず。……もう耳なじみのない言葉を聞いたとしても何も言わないようにしよう。
『魔力を集めるのは簡単ですよ』
突然、どこからか第三者の声が部屋にこだました。聞いたことのない声だ。
イワサキもトモルも声が聞こえたようで、きょろきょろと辺りを見回していた。
「誰だ、どこにいる」
『ここですよ、アナタのすぐ傍に』
「すぐ傍だと?」
前後左右に目をやっても、その声の出どころらしいものはいなかった。天井を見ても、ただ白が広がるのみである。
「今の声、どこから……」
ベッドの下を覗いていたトモルは、身体を起こすと首を横に振った。
『もう、いつまで気付かないんですか。ここですって、アナタの手の上ですよ』
ついに痺れを切らしたらしい声の主は、自分のいる場所を白状した。じれったくなるならば最初からそうすれば良いものを。
しかし、示された場所も場所である。まさかと思い手の上――そこにあるルナの石を見る。
何も変わりないルナの石のペンダント。
この場にいる三人が揃っていないじゃないかと思った瞬間だった。
ルナの石が淡い輝きを放ち、点滅しだした。チカチカと光る石は自身の放った光に包まれ、その中で小動物のように形をとった。
最後に一際まばゆい閃光を発し、その声の主は正体を現した。
長い垂れ耳、釣り気味の大きな目。薄桃色の柔らかい毛に覆われたその動物には、見覚えがあった。
「カーバンクル……か?」
『全く、気付くのが遅いんですよ』
カーバンクル。それは、ジダーリャ王国では神聖なる神の使者として崇められていた聖獣である。
神が愛したとされる宝石が額の中心にある動物で、王宮にいた頃は稀だが姿を見ることがあった。
そのカーバンクルが何故ここに。一瞬そんな疑問が浮かんだが、手に、ルナの石の代わりにカーバンクルが座っているのを見て、これはルナの石が変化したものだと知る。よくよく見れば、カーバンクルの額にはルナの石と思われる宝石が輝いていた。
『ワタシはルネミーニャ。あの人のもとへ還る鍵を握る者です』