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19 妄想海の深海女

 教室に戻ったのは、授業開始のチャイムが鳴るおよそ一分前だった。またもや遅刻になるところだったので、私は思わず冷や汗をかいた。


 朝から全速力で走り、その後にみっともない大人の子供じみた口論を聞いた私は、心身共に疲労が確実に蓄積されていた。だから、老人が孫に話しかけるかのように穏やかな口調の夏岬先生を前にして、眠気が襲ってきた。まるで先生の声が子守唄代わりのようだ。

「いっ……!」

 うとうとと夢の国へ船を漕いでいた私は、勢いよく頭から前に倒れ、額を机に激突させてしまう。そうしてしっかり目覚めることができたが、覚醒した私を待っていたのは、教壇で苦笑する先生と、一斉にこちらを振り向いた学級の生徒たち、そして隣で恥ずかしそうに俯く燈だった。

 ……一つ目の授業から大変な失態だ。正直、恥ずかしくて消えたい。しかし、これが鬼塚先生の授業でなくてよかったと心の底から思うのだった。


 どの教科も私の知らぬことばかりで、理解に時間がかかる。その場でついて行けるものと言えば、身体を動かすことが主の体育くらいのものだった。その中で行われる競技も、ルールさえ理解してしまえば後は自分の身体を動かすのみだから、割と没頭することができた。私も魔道を主に扱うとはいえ、一国の兵士である。同じくらいの年代の者たちよりは体力も俊敏さもある。生徒から頼られることや担当の先生からも褒められることが多く、私は終始上機嫌だった。


 何とか四つの授業を終え、昼休みに入った。昼休み前の四個目の授業が男女別で行う体育だったため、燈とは別行動になった。

 服を着替えて教室に戻ると、既に制服姿の燈が自分の席についており、弁当を広げていた。その向かいには、だらしなく頬杖をついてパンを頬張るれあちーの姿があった。

 席に近付く私に気付いた燈は、こちらを見て笑って手招きした。

「お弁当、一緒に食べましょう」

「燈ちゃんてば意外と積極的なのね~?可愛いわあ~!」

「ちょ、ちょっと永久恋愛ちゃん、私はそ、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「あ、アタシってばお邪魔?二人の世界の方がいいか……」

 いつものように腰をくねらせつつも席を立とうとするれあちーを、私と燈は引き留めた。


 彼女は勘違いしているようだが、私は燈と恋人同士ではないし、互いにそんな感情ももってはないない。私にとって燈は拾ってくれた恩人、そして燈にとっては単なる同居人でしかない。

 しかし、れあちーの言葉を真っ向から否定するほどでもないだろう。彼女の場合は誰に対しても過剰に恋愛の妄想を含んだ目を向けてしまうようだから。

 れあちーは立ち上がりかけた腰を椅子に落ち着け、再びパンをかじり始めた。

「ところでさ、さっき二人で何しに行ってたの?……はっ、も、もしかして、言えないようなイケナイこと!?」

 一人で妄想の炎を焚くれあちー。燈は顔を真っ赤にして胸を叩いていた。どうやら弁当が喉に詰まったようである。……色んな意味で大丈夫だろうか。

「何がイケナイのかはわからんが……とりあえずれあちーが想像するようなことはやっていない。ただ、入部届を出しに行っただけだ」

「あら~、入部届?どこ部よ?」

「馬術部だ」

「馬術部?天月君て馬に乗ったことあるの?……というか燈ちゃん、天月君の入部届を出すのにも一緒なのね~!?ラブラブじゃな~い!」

 何でもかんでも恋愛の方向に持ち込みたがるのがれあちーの性質ようだ。ここまでくると、もういちいち否定するのにも疲れを覚える。

「…………燈も馬術部に入るんだ。だから二人で行った。それに、案内してもらわないと迷子になってしまう」

 燈までもが馬術部に入るとは予想していなかったのか、れあちーは「えーっ!?」と目を丸くして驚いた。

「燈ちゃんも?あ、天月君がいるから?キャアアッ、ホントにもぉ~!」

「ま、まあそんなとこ……?へ、変な意味じゃないから!」

「へっ、変な意味!?そんな、やっぱりそんな関係なの~!?」

 燈の「変な意味」という言葉が引き金となり、れあちーは一人妄想の海へと飛び込んでしまった。何か視線を感じると思って教室内を見回すと、真澄と目が合った。眼鏡越しでも、彼女がこちらを見て引きつっていることがわかる。騒がしいのはれあちー一人であって、私も燈も彼女のように発狂はしていないので誤解しないでほしい。

 私と燈は互いに顔を見合わせ、れあちーが収まるまで、真澄の視線に耐えながら黙々と弁当を口に運んだ。


 結局昼休みの間れあちーの暴走は収まることなく、堪忍袋の緒が切れた真澄によって強制的に自分の席に連行されるまで一人、妄想の海を猛スピードで泳いでいたのだった。


 午後の授業二つを終え、放課後。私と燈が帰ろうとすると、ヒュンッと風を切る音が聞こえた。

 この三滝高校の中で鞭を常備している人物は、たった一人しか見当たらない。

「は~い、放課後までちゃんといい子だったかな~?」

「……鬼塚先生」

 開けっ放しになっていた教室の扉から顔を出したのは鬼塚先生だった。彼女の顔を見た途端、燈はむっと顔をしかめた。

「この後は予定とかはないかな~、暇かな~?」

「ああ、何もないが……です」

 元の時代の敵・ビアンと瓜二つの容姿のせいで、少しでも気が緩めば敬語で話すことを忘れそうになる。今の彼女は鬼塚先生であって、ビアンではない。そう自分に言い聞かせた。

 先生は軽く愛用の短鞭を振った。

「これから部活あるんだけどさあ、ちょっと見学してかな~い?ちょっと部員に紹介するくらいなもんだからさあ」

「私は構わん、ないですが……。燈はどうする?」


 燈に問いかけてから気付く。

 どうするも何も、私が見学するのなら、燈も同行しなければならないのだった。

 私はこちらに来てまだ一週間と経っていない。だから、私が一人で行動することはすなわち迷子を意味する。私がこの地域で迷えば、燈にもその家族にも迷惑がかかる。

 それともう一つ、私が迷子になるのとは別に理由がある。

 燈一人では、体育倉庫で出会った蔦の化け物に襲われる可能性があるのだ。故に、事情を知り、かつ化け物を倒すことができる私と鬼塚先生の傍にいた方がはるかに安全だ。


「燈、何か用事があるのなら、今日は帰ろう。別に私も急いでいるわけじゃないし……」

「え?い、いえ、大丈夫ですよ。行きましょう」

 燈は、キョトンとした顔で答え、歩き出した。その後を、短鞭を振りながら先生が追う。

「よかったあ。もし拒否されたらどうしてたかわかんないよ~。大変なことになっててねえ」

「冗談はよせ……ください。……大変なこと?」

 笑い声と鞭による風切り音を響かせる先生の背を、私は慌てて追った。

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