16 魔力と欠片
帰宅早々に実の息子にげんこつを落とした燈の父は、母と共に笑顔で話しながら台所へ消えていった。
私は、足元で倒れている慎次を見下ろす。すっかり意識を失っているようだ。ないとは思うが、燈の父を怒らせないように注意しよう。
「ランさん、行きましょう。慎次はちょっとここで頭を冷やしてもらわないと」
「あ、ああ……」
着ていた制服の袖を引っ張られたので見ると、燈がこちらを見上げていた。慎次には悪い気もするが、ここは一旦退かせてもらおう。私は燈に引っ張られるようにして玄関を後にした。
二階で一旦燈と別れ、部屋に戻った。
寝台の上には、上下揃った服と、小さな紙が置いてあった。
”慎次のですが、部屋着として使ってください。元の世界の服は多分、動きにくいでしょう”
読んでみれば、寝台の服は慎次の部屋着らしい。私の持ってる衣服が、元の世界で着ていた分厚い法衣しかないため、貸してくれるとのことだった。
私は素早くそれに着替えると、燈の部屋を訪ねた。
燈も既に部屋着に着替えた後で、私を笑顔で部屋に迎え入れてくれた。
「今日はお疲れ様でした。色々わからないことだらけだったけど……」
「燈の方こそ、疲れているだろう。色々とありがとう。それに……予想しなかったとはいえ、迷惑をかけた」
あの黒い蔦の化け物が出てくるとは思いもしなかった。この世界は、魔法が存在しないと聞いていたから、あのような魔法で対抗できる化け物がいるとは誰も思うまい。
「先生にははぐらかされたような気もしますけど……。ルネミーニャに訊けば、何かわかりますかね?先生の話だと、私が魔力の源らしいし」
先生という言葉をわざと恨めしそうに強調している燈は、今回の件で、彼女は肝心なことを話さない鬼塚先生を軽く恨むようになったようだった。
そして、聖獣ルネミーニャ。そういえば、すっかり存在を忘れていた。学校では生徒らに包囲されたり放課後には化け物と戦ったりと、当初の目的である魔力集めのことですら頭になかったほどだ。
ビアンの記憶をもつ鬼塚先生との邂逅で、ルネミーニャにも問いたいことが山ほどできた。燈の言う通り、彼女がいることで魔力が絶えないのなら、ルネミーニャは魔力切れを気にせずに現れることができる筈だ。
私は胸のペンダントを外し、掌へ置くとそこへ呼びかけた。
「ルネミーニャ、出てこられるなら出てきてくれ。私はお前に訊きたいことがある」
「ランさんだけじゃなくて、私も。出てきてルネミーニャ」
ルネミーニャは、自分の意思で姿を変えられる。だから、私たちが強制的にこちらに呼び出すことはできない。でも、呼びかけは聞こえている筈だ。
「ルネミーニャ、お願い、出てきて」
「お前、何か隠してるだろう。早く出てきて説明しろ」
私が言い終えるか終えないかのうちに、燈に思い切り指をさされた。
「もう、ランさんてば、そんなふうに言ったら余計出てこなくなりますよ!」
「す、すまない……」
『その通りですよポンコツ』
聞き覚えのあるこの声。この、冷静でいて人(主に私)を煽るこの声の主は、まさに私たちが今呼んでいる存在だった。
私の手の中のルナの石が、眩い輝きを放つ。白い閃光を放った次の瞬間には、あの薄桃色の小動物が私の腕の中にいた。
『聖獣にものを頼む時は、もっと丁寧になさい』
ルネミーニャは、自分は燈の呼びかけに応えただけであって、私の声に応じたわけではないと言い張った。どこまでも冷静にこちらを下に見る態度に、私はいつも通りかすかに腹を立てる。
「ルネミーニャ、聞きたいことがあるの」
『わかっていますよ。アナタたちの日中の出来事は、ルナの石に姿を変えていた間もずっと見ていましたから』
そこまで言うと、ルネミーニャはさっさと私の腕から燈の腕へと飛び移った。そこまで私に抱かれるのが嫌か。
燈に頭を撫でてもらいながら、ルネミーニャは口を開いた。
『アナタたちは、学校でビアンの転生体と出会いましたね』
「鬼塚先生のこと……だよね」
燈の言葉に、ルネミーニャは一つ頷いた。
『そうです。まあ彼女がペラペラと話してしまったから、ワタシが嘘を吐いていることが早々にバレてしまったわけですけど。元の場所に戻るために魔力集めをする必要がなかったということが』
「嘘!?……知っていることを全部話してもらおうか」
私はルネミーニャに詰め寄った。ルネミーニャは顔を背けるでもなく、ただ私を真っ直ぐに見つめた。
ルネミーニャは本物の聖獣だ。故に、嘘は嘘でも悪意からのものではないことは理解している。
だが、知りたかった。何故この聖獣は、私にわざわざ不必要な魔力集めをさせようとした?燈が魔力の源だというのは本当なのか?
『順を追ってお話ししましょう。ジダーリャ王国がクレンヴ女王によって建国される以前の話です』
――何もない太古の大地に、一人の少女が降り立った。
少女は天空神クレンヴ。乾いた大地を哀れに思い、そこに自らの力を使って生命を宿したのだ。
クレンヴの魔の力は乾きひび割れた大地を水で潤し、そこに草木を茂らせる。そしてそこから、ひとりでに生き物たちが生まれた。
生き物たちの中でも人間という種族は次第に知恵をつけ、集団を作って生活するようになった。やがてその集団はいくつかの国家となり、その中の一つ、ジダーリャ王国の王になったのは、クレンヴだった。クレンヴは人間を見守るため、聖獣たちの助けを借りながら王として国を守った。
しかし、一部の人間たちは欲に駆られ、各地で争いを引き起こすようになる。それを見たクレンヴは、自分の国で戦が起こったことを境に、自分が大地に生命を宿したのが間違いだと思うようになった。
戦争の最中、クレンヴは天に神の矢を放ち、大地を壊した。天で矢は爆発し、神の力を地上に振りまいた。その力により、大地で生きていた命たちは瞬く間に時空の狭間に呑み込まれ、過去や未来に飛んだ。一部の命は消滅して輪廻の輪に乗り、転生した。
大地の生命が時空を越える中、クレンヴは己の都合で大地一つを消滅させたことを他の神々に咎められ、魂を千々に引き裂かれた。
小さな欠片となった彼女の魂は、時空の波に呑み込まれた。ある欠片は過去の時代をさまよい、またある欠片は輪廻の魂と融合し、人間として転生した――
ここまで話せば解りますかね。ルネミーニャは静かに私と燈を交互に見た。
「それでは私の主である女王は……クレンヴ女王陛下は、神々の怒りを受けて消滅したということなのか!?」
私は聖獣の話を聞いている間、ただ驚くより他はなかった。
私の思った通り、やはり女王は神だったのだ。彼女が大陸に命を宿した全ての根源であったならば、砂漠を人の住みよい場所に変えることができたのには納得がいく。
そして、私のいたジダーリャ王国とこの日本という国は文化があまりにも違うことから、私は異世界へ飛んだとばかり思っていた。しかし、ルネミーニャの話を聞いていると、どうやら私がいた世界とこちらは同じ空間にあるらしい。ただ、時間が違うだけで。こちらの方が明らかに文明が発達していることから、私がいた方が過去になるのだろう。
様々な考えを巡らせている一方で、ルネミーニャはこれまでにないほど、呆れたように大きなため息を吐いた。
『どうやらポンコツの方は話を聞いていなかったようですね。最高魔道将として、神に頼られていながらこのザマとは』
珍しく感情のある声だったが、そこでも馬鹿にされて腹が立つ。
「う、うるさい!お前が一気に大事なことを話すから、理解しきれるわけがないだろう。それで、女王は。女王はどうなったのだ」
やはり理解していないではないですか、と呟くと、小さな聖獣は燈の腕に顔をうずめた。
『アナタの言うクレンヴ女王は魂の段階で粉々になり、もうその姿をとることは不可能に近いでしょう。……しかし、この燈がいれば話は別です』
「えっ、私?」
急に話の矛先が自分に向いた燈は、驚いて肩を揺らす。その拍子にルネミーニャを取り落としそうになった。彼女の腕の中で完全に油断をしていたルネミーニャは、慌てて飛び上がり、燈の肩に乗った。思ったよりも重量があったのか、燈は軽くよろめく。それを見て思わず吹き出してしまった私を、ルネミーニャは『失礼な』と睨みつけてきた。
しばらく私を睨んだ後、気まずそうにルネミーニャは咳払いをした。
『……ええと、それでですよ。燈の魂には、ポンコツの言う女王の魂の欠片が混じっているのです。つまり、その魂の欠片を全て集めるか、欠片の分を他の生命からの魔力で補うかすれば、女王はこの地に蘇ることができるのです。ワタシがいなければ知り得なかった事実ですよ、ペンダントを託してくれた女王に感謝なさい』
女王が蘇る。あの、慈愛に満ちた眼差しを、少女のような笑顔を、また近くで見守れる日が来るということか。聖獣ルネミーニャのもたらした情報は、混乱していた私の心を一つにまとめ、その上に光で照らしだした。
「私も協力します!ランさんの言う女王が蘇るために」
燈のやる気に満ちた声を聞いて、私は安心する。女王の魂の欠片を宿す彼女が協力してくれるなら、女王を蘇らせることが少しはスムーズに進むだろう。
『燈、それは…………いえ。……魔力は前に言った通り、感謝の心から得ることができます。それを集めるため、ポンコツ、アナタはここで生活をするのです。焦ってはなりませんよ』
「わかっている。どんなに長い時間をかけてでもいい、私が女王を蘇らせてみせる」
ルネミーニャがルナの石に戻り、私は自分の部屋に戻ることにした。
部屋の扉を開けると、寝台には人が一人足を組んでこちらを睨みつけていた。見ずともわかる、この少しの殺意を含んだ視線の主は、慎次だ。
「……よう、ランさん。お前、姉ちゃんの部屋で何してたんだ?」
「何もしてない。お前が想像するようなことは」
「俺が想像するようなことって何だ!?あ、さてはしたな!?したんだな!?」
……彼はどうしても私を悪者にしたいらしい。
姉のことを大切に思っているのはいいことだ。しかし、慎次の場合は(私に対してのみ)度が過ぎている。
この後慎次が暴走し、再び彼が笑顔の父のげんこつで沈んだのは言うまでもない。