14 お姫様と禁忌の魔法
突如として体育倉庫の床から現れた、巨大な植物の蔦。
まるで闇に染まったかのごとく黒いそれは、うねうねと不気味にうねったかと思うと、燈目掛けて襲い掛かった。
私は燈の前に立ち、魔力で防御壁を張った。咄嗟に繰り出したものだから力の加減ができず、いつも通りの出力で張ってしまった。が、胸で揺れるルナの石には、魔力が尽きたような様子はなかった。
「きゃあっ!」
燈の悲鳴が背後で聞こえた。振り返ると、遅れて生えてきたらしいもう一本の蔦が燈の身体に巻き付いていたところだった。
すぐに助けたいが、今目の前の蔦を防いでいる防御壁に注ぐ魔力を絶やすわけにはいかない。
その時、私の傍を疾風が駆け抜ける。……いや、疾風ではなく、それは先生だった。
先生は高く跳躍すると、手に持った短鞭を振りかぶって蔦に叩きつける。ヒュンと風切り音を立てた鞭は、蔦の表面を切り裂いた。蔦にも痛覚はあるのか、燈を放り投げてのたうち回った。放物線を描いて宙を舞う燈は、無事に先生の腕に受け止められた。
「白藤さんは任せて~!君はその蔦を倒すことに集中してね~!」
「わかった!ビアン、燈を頼むぞ!」
祖国を脅かす敵と共闘しているという状況に気持ちが昂ってしまった私は、思わず先生をビアンと呼んでしまった。それに苦笑した先生は、燈を背後に庇って立ち、鞭を持ち直した。
「炎の精霊よ、我に力を与えたまえ!フラム・リオーネ!」
私は眼前で蠢く蔦に向かって両手を突き出す。すると、そこから炎の精霊に与えられた魔力が発現させた炎の渦がほとばしる。それは、獅子のごとく瞬く間に蔦を喰い破った。やはり見た目の通り、この蔦は火に弱いらしかった。これならば十分に戦えそうである。
「魔法を使うことをためらっちゃ駄目だよ~?白藤さんがいる限りは、魔力は尽きないんだから~」
詳しくはわからないが、鬼塚先生によれば、燈がいることで魔力が果てることはない……つまり、燈が魔力の源ということか。疑問は尽きないが、今はこの、正体不明の蔦を全て倒さねばならない。私は再び魔法展開の呪文を詠唱した。
私が炎の魔法を連発する傍で、鬼塚先生は何の変哲もない筈の短鞭を振るい、大人の胴の二倍はあると思われる太さの蔦を切り裂いていた。それも、燈を庇いながら。流石はヴィーティス銀狼兵団の将……いや、将の記憶を宿す者か。魔法で蔦を滅しながらも、私は感嘆の意を覚えた。
床から生えている蔦をあらかた片付け終えた時、新たな振動が私たち三人を揺るがした。
咄嗟に身構えて周囲を警戒する。すると、蔦共が生えてきたためにできた床穴から、一際大きな蔦が姿を現した。その先端は誰かの血を吸ったかのように赤黒く変色しており、これまで倒してきたものよりも強固そうだった。真っ直ぐ伸びたら、天井を突き破りそうだ。一目で、一筋縄ではいかないと思った。
「これを倒せば終わりだよ~。頑張ろうね~?」
妙に緊張感のない間延びした声で先生にそう言われ、私は再び諸手を突き出す。先生は燈にじっとしているように言うと、前方へ飛び出した。私も勿論それを黙って見ているわけにもいかず、火炎魔法を放った。蔦に向かって鋭い連撃を放つ先生に当たらぬように軌道をコントロールする。
火炎魔法で発現した炎の獅子は、目の前の蔦に喰らい付く。しかし今対峙している蔦はそれまでのあっけなく焼き千切れたものと違ったようで、大きく自身を振り回すと、その風圧で纏わりついた炎をかき消してしまった。もっと強力な炎でなければ歯が立たないとうわけか。
「ねえ、最高魔道将~」
鞭を折れてしまうほどしならせ、閃光に近い素早い攻撃を叩き込み続けている先生――いや、ここはビアンと呼ぶべきだろうか――に、声を掛けられ、私はそちらを見た。
ビアンは蔦の攻撃を最低限の動きでかわし、自身の攻撃の手は緩めていない。私へ話しかけてはいるが、身体の方は完全に蔦に意識が向いている。そこで私も攻撃を絶やさず、なんだ、とだけ言った。
「何でだと思う~?」
「何がだ」
彼女の特徴とはいえ、この非常事態にもその変に伸びた口調で言われると少々苛立つ。その苛立ちをぶつけるのは大人げないと分かってはいる。しかし、自分の感情まで完全に制御できるわけではないので、ただ普通に「何がだ」と尋ねようとしたところ、案外棘を含んだ口調になってしまった。
私の苛立ちの滲む声を受けてもなお、ビアンはにこにこと笑った。……彼女がやや特殊な人間ではあるとは理解している。理解していているのだが、こうも通常、一般人がするであろう反応を全く取らないでくれていると、やはりその頭の中が心配になってしまう。
「体育倉庫はめちゃくちゃになってるし、蔦が動き回るせいで大きい音がする。倉庫に入った筈の鬼塚先生と天月くんと白藤さんはかなりの時間が経ってる筈なのに出てこない。不安な要素がいくつもあるのに、何で他の先生や生徒たちは気付かないんだろうねえ」
「!確かに……」
そう言われてみればそうだ。私はこの倉庫の中で何回も魔法を展開しているし、蔦だって燈を狙って激しく動き回っている。そうなれば音を立てないなんて不可能だし、倉庫も床をはじめとして多くの個所を損傷している。いかにここが人があまり来ないという場所であっても、完全な無ではない。流石に誰か一人は気付く筈である。
ビアンは笑い声を上げる。
「ここはぜ~ったいに気付かれない場所なんだ~。だから、割と禁忌な魔法も展開しちゃっていいんだよ~?白藤さんのおかげで魔力は尽きないし、禁忌を犯しても誰も文句言わないから~」
言外に、私が禁忌とされた魔法を会得していることを知っていると告げられた。
確かに私は、国が存在すらも禁忌とした太古の魔法をいくつか会得している。方法を記した書物はずっと過去に抹消された筈なのに。私は決して、自らで方法を模索したのではない。ただ、物心ついた時にはそれが何の魔法かは知らないにしても、詠唱する呪文の系統、魔法の属性、効果などを全て把握していた。ただ、己の魔力が足りないせいで展開できたことは一度たりともなかったが。もしも何もわからない頃にそれを展開していたら、きっと私は禁忌を犯した罪人として処刑されていただろう。いや、あのお優しいクレンヴ女王のことだ、処刑までは執行しようとしないだろう。牢で懺悔の日々を繰り返す一生を送っていたかもしれない。
しかし、何故私が心の内に秘めていたこのことを、敵国の将である彼女が知っているのか。彼女の全てを霧で覆ってしまうように、疑問は湧いて出てくる。
彼女は一体、何者なのだろうか。
「きゃああっ!」
そうこうしているうちに燈の悲鳴が上がり、思考は嫌でも現実に引き戻される。隙を突いて燈に迫った蔦を、ビアンが鞭で払いのけたところだった。考えるのは後回しだ。
「は~や~く~!でないと私たち、帰れないよお」
「わかった、わかったから!ただ、詠唱は少し長い。その間守ってくれるか」
「守ってだってさ~!私、最高魔道将の王子様になっちゃたのかあ」
「うるさい!つべこべ言わず私を守れ!」
「仰せの通りにお姫様~」
誰が姫だ……とは言わないでおく。これ以上口を開けば長引きそうだ。
私は意識を集中させる。その間は、蔦のことも、ビアンのことも、燈のことも存在を忘れる。
「我、焔の祖フィライメと契約を交わす者。今ここに蘇れ、全てを滅す地獄の業火!イクスプロージョン・ヘル!」
瞬間、私の周りの空気が炎を纏う。それも普通の炎でなく、地獄で罪人を焼くための悪魔の炎。それは私を中心にして渦を巻きながら舞い上がり、悪魔の姿を形どる。私は真っ直ぐ、右手で蔦を指示した。すると悪魔は嗤い声を上げ、蔦に襲い掛かった。
蔦も流石に地獄の炎を振り払うことはできなかったようで、のたうち回りながら全身を灰へと変えていった。
どんな効果があるのかは知識としては知っていたものの、こうして魔法を展開したのは初めてだ。あまりの威力に少し恐怖を覚え、身体に震えが走った。
「最高魔道将お疲れ~。私も疲れちゃったよ~」
「援護、感謝する。燈、行こう……燈?」
体育倉庫の外へ向かうビアンに続こうとして、燈がついてこないことに気付く。
振り返ると、燈は床に座り込んでこちらを見上げていた。困ったような、恥ずかしそうな顔をしている。
「どうした、燈。立てないのか」
手を差し伸べるとそこに手は重ねられたが、一向に立ち上がる気配がない。
「…………腰、抜けちゃって……た、立てないです……」
困ったように笑った燈。しかもその肩は、小刻みに震えていた。
そうだ、彼女のこの反応こそが正しいのだ。異世界から来た私、そしてその世界にいた頃の記憶を持つビアンが、この世界では異端な存在なのであって。普通は、あんな植物の化け物が出てくれば燈のように怯える。ここには本来、魔法は存在しないのだから。
どうやって腰の抜けた彼女を運ぼうか。考えを少し巡らせると、一つの案に辿り着いた。
「燈、私の首に腕を回してくれ」
私はへにゃりと笑う燈の前にしゃがみ、彼女の背と膝の裏に手を差し入れた。燈は驚いたようで顔を真っ赤にしながら足をばたつかせていた。……そんなに嫌だったか。
「すまない、やはりこの抱え方は嫌だったか……」
「いっ、いえ!ありがとうございますっ!」
燈は気が動転したのか、私の首に絞め殺さん勢いでしがみついてきた。私は一瞬、天の国に通じる光を見たような気がした。
体育倉庫を出ると、辺りは入った時よりも濃い夕日の橙色に支配されていた。見れば、部活動に勤しんでいた生徒たちもばらばらと帰宅の準備をしているところだった。
「この倉庫のことはどう説明すれば……」
私は燈を抱えたまま倉庫の方を振り返る。そして、次の瞬間には目を見開いていた。
床や壁、天井などをことごとく破壊された倉庫の外面は、まるで何ともないとでも言うかのように静かで、綺麗だったのだ。