10 転入生包囲網
燈の通っているという三滝高校(だいぶ流暢に発音できるようになった)は、ずいぶんと広い。私が学んでいた王立魔道学舎よりも規模は大きいとみえた。
「広いな」
素直に感想を述べると、燈は、三滝高校がこの地域ではかなりの規模を誇る学校だと教えてくれた。
学校の門をくぐると、校庭やグラウンドと呼ばれるらしい広いただ平坦な地を、私たちとは違う、上下青の服を着た学生が数人、ぐるぐると大きな円を描いて走っていた。
「ランディーヤさんは、転入生として紹介があると思うから、教室に行く前に職員室に寄りますね」
何も知らないこの建物の中では、頷いて燈の後に続くしかない。私は黙って彼女の背を追った。
階段を上り、燈は廊下沿いにあるいくつかの部屋のうちの一つの扉を引いた。彼女が「失礼します」と言いながら入ったのに倣って私も入室する。
燈は迷いのない足取りで、一人の老齢の男の座る席へと向かった。その男は、私たちが近付いてきたことに気付いたらしく、こちらに人好きのする笑みを向け、手招きした。
「おはようございます、先生」
「おはよう白藤。その子が転入生かね?」
「はい。ランディーヤ・ブランさんです」
どうやらこの男が燈の担任教師らしかった。私も男に頭を下げる。
しかし顔を上げてみると、男は怪訝な顔をしていた。何か間違ったことでもしただろうか。
「何言ってるんだ、転入生の名前は天月ランだと聞いていたが。白藤、また変な夢でも見たんじゃないのかね?」
「あ……あーそうです!夢に出てきた人と間違えてました」
天月ラン。これがここでの私の名か。おそらく、ルネミーニャがこちらでの偽りの身分証明の書類を作る際に適当にあつらえた名なのだろう。確かに私の名は、この日本という国では異質なものだとわかる。しかしその日本にも他国人が住んでいないわけではなさそうだし、別の名を考える余計な手間がかかるよりはそのままの名の方がいいだろうと思う。……その辺りのことは、次に聖獣様が現れた時に訊こう。
「あ……天月、ランです」
「僕は夏岬。二年一組の担任をしている。これからよろしくね」
夏岬先生はよっこいせと呟きながら立ち上がり、部屋の外へと出た。燈も先生について行くので、私もそちらへ向かった。
廊下を歩いていると、その側面にある教室からがやがやと騒がしい声が漏れ聞こえてくる。その雰囲気は、まだ幼い見習い魔法師の勉強する教室に似ていた。良く言えば温かく、悪く言えば子供じみている。
二-一という札が壁に突き立っている教室の扉の前で、夏岬先生は足を止めた。そして燈の方を振り返ると、教室の扉を開けて彼女に先に入るように促す。それに従った燈は、私に「また後で」と小さな声で言い残し、中へ入っていった。
残ったのは、私と先生の二人。先生は私ににこりと微笑んだ。その微笑みは、魔道学舎の馬番のお爺さんに似ていて、親しみを感じた。
「天月はここで待っていてくれ。僕が呼んだら入ってきてね」
「はい、わかりました」
私の返事に満足げに頷くと、先生は燈と同じく教室の中へと消えていった。
耳を澄ませば、先生の声が途切れ途切れに聞こえる。生徒たちの方は静かだったが、ある時を境に急にざわつき始めた。どうしたのだろうか。
ざわめきは収まることなく続き、何だろうと首を傾げていると扉が開いて、先生が顔を出した。
「天月、入ってきて」
私は先生の後に続いて教室に足を踏み入れた。
教室には、先生の立つ教壇に向かい合うように、ざっと三、四十くらいの制服を着た生徒たちが席についていた。皆私を見て何やらひそひそと話している。その字面だけを見れば陰口を叩かれているとも取れるが、そのひそひそ話は単なる興味から来るものらしく、陰湿さは微塵もなかった。
教室の一番後ろの窓際の席……つまり教室の角に、燈はいた。目が合ったので朝食の時のように笑いかけてみたが、燈は顔を真っ赤にして机に突っ伏してしまった。周囲は彼女の奇行を見て一際大きなざわめきに包まれた。
一向に静かにならなさそうな教室に、パン、と手を叩いた音が響いた。横を見れば、穏やかな顔の夏岬先生が、手を合わせて生徒たちを見渡していた。どうやら今の音は、先生が手を叩いたものだったらしい。
「はいはい、皆静かに」
怒りなど欠片ほどもない声色だが、生徒たちはその声でさっと静まり返った。
魔道学舎にいた頃もそうだが、慕われている教師とそうでない教師とでは、生徒たちの態度はまるで違うのだ。生徒たちは心から慕っている教師には従順で、そうでない教師の言うことには即座に従うそぶりを見せないことがある。また、わざと反抗的な態度を取ったり教師を煽ったりする者もいるので厄介だ。どうやら夏岬先生は前者のようだ。
先生は背後にある黒板に私の名前を縦に書くと、生徒の方へ向き直って私を手で示した。
「今日からこのクラスで一緒に勉強することになった、天月ラン君だ。皆仲良くね。天月、皆に何か一言言ってくれないかね」
先生に肘で脇をつつかれて、私は口を開いた。
「私は異国出身故に知らぬことが多いが、ここで色々と勉強したい。よろしく頼む」
…………。
私が挨拶をし終えると、しん、と先生が咎めた時よりも静まり返ってしまった。何か悪いことでも言ってしまったのだろうか?
「……ず、随分と堅苦しいね。まあ、皆仲良くしてやってくれ。席は……白藤の隣だ」
何故か苦笑しながら、先生は燈の座る席の隣の空席を指さした。私の中の疑問は解消されなかったが、大人しくその指示に従う。
「燈、これからよろしく頼む」
隣に座る燈にそう言うと、彼女はわずかに顔を赤らめながら笑った。
「はい。ランディ……ランさん、一緒に頑張りましょう」
前へ向き直ると、ほとんどの生徒がこちらに注目していた。皆何に驚いたのか、目を丸くしている。さっきの沈黙といい、この注目といい、何だというのだ。全く心当たりがない。
そこで、パン、と先生が手を叩いた。それで、生徒は名残惜しそうに前を向いていく。
「おしゃべりは朝礼の後で。……で、今日の予定は……」
学校といっても、通っていた魔道学舎とは全く違う場所。先生の口から流れてくる今日の予定の中には知らない単語が少なくなく、私はわかっているような顔で聞き流すことに決めた。わからない語句は後で燈に訊けばいい。
「朝礼は以上」
起立、と燈が急に言い出した。すると、その声が合図だったのか、私以外の全員がさっと席から立ち上がった。私は何事かときょろきょろとしていたが、燈が手で立ち上がるように促してきた。
私が立ち上がったのを確認すると、燈は礼、と言う。またもその声の直後、皆その場で頭を下げた。
「授業の準備しておくようにね」
夏岬先生はそれだけ言って、教室から出ていった。
先生が教室の扉を閉めた途端、バッと教室にいるほぼ全員がこちらを振り向いた。皆目を真ん丸にして腰を低く落とし、こちらを伺っている。その様子はまるで獲物を狙う猛獣のようだった。
「……燈。どうしたんだ、彼らは」
「え……わ、わからないです。皆どうしたの?」
燈もこの状況になった理由がわからないらしく、首を傾げるばかりであった。
腰を落とした姿勢のまま、じりじりと近付いてくる生徒たち。何を目的に距離を詰めてきているのかが完全に不明なため、私は一応魔法を使えるように身構える。
生徒たちの包囲網が私と燈の席まで迫った時、彼らの中から一人の女子生徒が出てきた。黒髪おさげに丸眼鏡という出で立ちの彼女は、眼鏡のフレームを押し上げる動作をすると、燈にずいっと顔を近付けた。一方で、燈の方は顔を少し後ろへ引いた。
「白藤さん。貴方、彼とはどういう関係で?」