閑話 クリスタの苦しみ
クリスタの再登場です。
皆さん、覚えていますか?
そう邪眼のクリスタです。
クリスタは、もう二日何も食べてなかった。
父親が病に倒れたため、貯えが尽きてしまったのだった。親戚も頼れる人もいない。父親が亡くなれば、家族寮も出なければならない。
(野宿とか平気だけど、食べるものがないのは辛いな)
部屋にいても仕方ないので、取り敢えず、寝たきりの父親を置いて、街に出てみることにした。父にもスープぐらい食べさせてやりたいと思っていた。
寮の階段を下りて、鉱山街のメインストリートに出た。なんか力が出ない。クリスタが向かうのは、いつも同じで、砦の礼拝堂だ。リーゼロッテ様のご遺体が安置されてからは、毎日祈りに通っている。暁の明星亭の前を通ると、アーデルハイトが店の前を掃除していた。
「おはよう。クリスタ」
「おはよう。アーデルハイト」
「クリスタ、元気がないみたいね・・・帰りにちょっと寄ってね」
「あ、はい」
毎日、同じ時間に通っているので、色々な人が声を掛けてくれる。砦の正門を通る時には、警備兵が声を掛けてくれた。
「クリスタ、お父さん、どうだい?」
「ずっと寝たままで、なかなか起きられないんですよ・・・」
「そうか・・・アグネス様に相談してみるといいんじゃないかな・・・」
(アグネス様は貴族だから、話しかけにくいよ・・・)
「・・・ありがとうございます」
皆が心配してくれるのだが、手を差し伸べるような余裕があるわけではない。クリスタにできることもない。もうすぐ6歳になるので、鉱山で下働きでも、父親が所属している組合のマスターにお願いしようとも思っている。それまでに、飢え死にしなければの話だが・・・
礼拝堂に入ると既に何人かの女性たちが祈っていた。皆、生活に苦しんでいる感じが一目でわかるほどやつれている様子だ。クリスタは、なるべく前のほうの空いている席を選び、座った。リーゼロッテ様の横顔が見えた。先程までの焦燥感が嘘のように消えていくのが不思議だった。
(綺麗な人だな・・・お姫様だからかな・・・しかし、死んでも腐らないって凄いな・・・うちのお父さんとか、私だったらきっと腐るなんてものじゃないだろうな・・・)
クリスタは、自分が死んで腐っていく姿を思い浮かべてしまい、後悔した。そんなためにここに来たのではないと思いだした。跪き台に膝を載せて、両手を合わせて祈ることにした。
(天国に上げられた姫様、どうか私の願いを神様に伝えてください。今日のご飯を与えてください。私のお父さんにも食べられるものを与えてください。できることなら、お父さんが病の床から立ち上がることができますように。アーメン)
リーゼロッテ様の横顔を見ながら祈っていたクリスタは、姫様がすこし口の端をあげて微笑んでくれたような気がした。
(こんな美しい姫様なのに、アンデッドを操ったりしてたんだよね。毒を持って毒を制すっていうやつなのかな。死霊をもって悪魔を倒すみたいな感じ?)
クリスタは、少し後ろの席に誰かが座った気配を感じた。クリスタは、礼拝堂を出ることにした。そっと跪き台から膝をあげ、元の椅子に腰を下ろした。そして立上り、席を離れる際に、後ろに来た人をちらっと見た。
修道女アポロニア様だった。
(すごい集中力。なんか美しいよ・・・)
そっと礼拝堂を出ていった。正門を出て、第2門付近の飲食店が集まるエリアについた。
アーデルハイトが、店の前で手招きしているのがわかった。クリスタは、ニコリと笑って、アーデルハイトのほうに歩いていった。
「クリスタちゃんは、祈るの早いよね。ここで見てると、すぐ戻るのがわかるから。アポロニアさんは長いのよ。いつまでも出てこないから」
「ああ、わたしは、なんか皆に悪くて、短くしちゃうんですよね」
「クリスタちゃんは、気にしすぎよ。もっとどっしりとしないとダメよ」
「・・・はい」
「あ、ちょっと、こっちに来てくれない。私のお家に」
返事もきかないで、ずんずんと歩き出したアーデルハイトさんについていった。
アーデルハイトさんは、お店隣のお店との間にある、すこし狭い通路に入っていき、お店の裏庭に出た。昔からある納屋の横に、城壁を壁の一部として利用している小さな小屋があった。小屋には扉が二つあった。
「こっちよ。左側のドアね。右側は変な人が住んでいるから、関わり合いになったらだめよ。お嫁にいけなくなるかもだから」
(こ、こわい・・・よく、そんな人が隣にいて寝ていられるわね・・・流石、アーデルハイトさんだわ)
「どうぞ、入って」
私は言われるまま、部屋に入った。
「あら、暖炉が消えちゃってるわ・・・ちょっと待ってね。火を起すわ」
アーデルハイトさんは、暖炉の横に置いてあった薪をくべて、火をつけようとしている。
「もう、なかなか着かないわね・・・失敗したわ。苦手なのよ」
「私がやりましょうか?」
「あら、お願いしてもいい?」
私は、火をつけるふりをして、母ゆずりの邪眼で火をつけた。火は急に大きくなったので、アーデルハイトさんは、首を傾げていた。まぁ、アーデルハイトさんは、私の力を知っているはずだから、気づいているかもしれないけど。アーデルハイトさんは、ドア横の戸棚にいって、なにかを持ってきた。
「さて、よかったら食べてね。シチューとパンしかないけど」
「え?いいんですか・・・」
アーデルハイトさんの急な申し出に驚いてしまった。
「いいわよ。気にしないでね」
「あの、持って帰って食べてもいいですか?お鍋は洗って返しますので」
「あはは。お父さんの分でしょ?他にスープをとってあるから、そっちは全部クリスタちゃんが食べていいのよ」
「え、いいんですか・・・」
私は、涙が溢れて止まらなくなってしまった。アーデルハイトさんは、私を引き寄せて抱いて、髪を撫ぜてくれた。私は、アーデルハイトさんの胸に顔を伏せて、嗚咽を堪えていた。
「無理しなくていいのよ。大変なんだから。よく耐えていると思うわ。貴女は一人じゃないのよ。地を這うザクセン人の傭兵団の人たちもいってたわよ。困ってたら、いつでも頼っていいんだからね。貴女は既に傭兵団の仲間なんだって、カールさんが言ってたわよ」
「そうなんですか・・・ありがとうございました」
(空飛ぶじゃなくて、地を這うだって・・・そうよね・・・前から変だとは思ってたけど・・・空飛べないものね)
「さぁ、座って。食べましょう?」
「ありがとうございます」
「明星亭の女将さんがね。貴女のお父さんが病気で倒れたって聴いてきたのよ。でね。今日から、私と一緒にご飯を食べましょう」
「それは・・・ちょっと申し訳なさ過ぎて、気が引けます・・・」
「いいのよ。どうせ食堂の余り物だからね。貴女、バイエルン人なんでしょ?女将さんがすごく気にしているわよ」
「いいえ、バイエルン人ではないです。大攻勢の少し前に何か理由があって、中継の街近くに来た、アレマン人だったと聴いてます」
「ふーん。まぁでも同じゲルマン人よね。女将さんが気にするからバイエルン人じゃないかと思ってたのよ。気にしないでね。ほらほら、食べちゃって。パンだってまだあるから、お代わりしてね」
「は、はい」
この二日、なにも食べてなかったので、胃が痛くなってしまったけど、飢餓感に苦しむことがなくなり、一息つくことができた。
「ごちそうさまでした。アーデルハイトさん」
「ふふふ。顔色が良くなったみたいだわ。お父さんにも持っていって差し上げてね」
私はトレーにスープとパンを載せてもらって、部屋に帰った。お父さんの上半身を起こして、後ろに枕をいれて、食べさせた。スープはショウガが入っていて、ソーセージの小さな輪切りがゴロゴロ入っていた。お父さんは、美味しそうに少し食べ、私を見ていった。
「あとは、クリスタがお食べ、何も食べてないんだろう?」
「残念でした。これは病人用に明星亭の女将さんが作ってくれたんだよ。わたしはアーデルハイトさんから、別にご馳走になってお腹いっぱいだから大丈夫。人の心配より、自分が元気になることを考えて」
「そうか・・・」
私はパンを割いて、スープに浸し、柔らかくして父に食べさせた。
「美味しいよ。沁みるような味だな・・・」
そう言って、お父さんは、目を閉じた。
「お父さんは、少し寝るから、クリスタ。女将さんとアーデルハイトさんに、よくお礼を言っておいてくれ」
お父さんは満腹になって眠くなったようだ。顔色も心なしか良くなっているようだ。
(一時期はどうなるかと思っていたけど、すこし落ちついたな・・・これ、リーゼロッテ様が動いてくれたのかも・・・器を返しに行くときに、姫様にもお礼をしておこうっと)
クリスタは、明星亭に行き、器を返し、お礼を言った。いつかは、どこかで、お返ししたいと思ったが、何もない自分には、どうにもできなかった。
明星亭を出て、砦に向かい、また礼拝堂に入った。今は誰もいないようだが、警備兵だけは中に一人いた。
(ふふふ。やった。今は一人ね。リーゼロッテ様を独占できるわ・・・)
クリスタは、嬉しかった。今の塩砦では、姫様は超人気者だ。いつ来ても、誰かがいるし、警備兵も常駐している。塩砦では、バイエルン出身者も多く、プファルツ伯やヴィッテルスバッハ家の息のかかった者の子孫も多かったため、始祖の娘である、リーゼロッテ姫が悪魔に打ち勝った聖女であるということが、どれだけの価値を持つものなのか、説明は不要だった。姫様のご遺体をバイエルンに運ぶとなると、バイエルンに所縁のあるものすべてが、護送団に参加したことだろう。
クリスタは、バイエルン系の民ではないので、あまり関係ないが、何故か、姫様が好きだった。自分は貧民の鉱夫の娘だし、姫様とは天と地ほどの差があるが、姫様の生き様にすごく憧れを抱いていたのだ。
(姫様、ありがとうございます。姫様のとりなしで、今日、必要な糧を得ることができました。お父さんも、すこし元気になりました。女将さんとアーデルハイトさんのために祈ります。二人が元気でいることができますように。アーメン)
クリスタが、リーゼロッテ姫と親しい時間を過ごしているのに、なんか騒がしくなってきたようだ。視界の右側に、なにかが現れたのだ。
(折角、姫様と二人きりだったのにな・・・)
ふと視線をやると、そこには、蒼い転移門が発生していた。
(あれ。転移門だ。悪者君?あ、いけない。使徒様?)
案の定、蒼い門からは、使徒様が出てきた。更に、知らない大人が一緒出てきた。白い高い帽子をかぶっている。かなり高位の聖職者のようだ。クリスタが知っている聖職者は、従軍司祭のブルーノ神父様と、聖戦奉仕会の修道女、アポロニア様だけだ。彼らは、いつも非常に質素な服をきているが、目の前に急に現れた聖職者は、白地に豪華な金の刺繍が沢山施された立派な祭服を着ていた。
「あれ、クリスタじゃない? 久しぶり」
「あ、使徒様。お久しぶりでございます」
「おや、使徒殿、どなたですか? 私にご紹介ください」
クリスタは少し困惑していた。こんな素晴らしい祭服を見に纏っている人が、私に対してどなたですかとか、ありえないよね・・・」
クリスタは、今日来ていた服を恥じていた。とはいえ、これ以外に服はないのだから、どうにもできないのだが・・・
「マグヌス殿。こちらはクリスタです。私のポーター仲間です。クリスタ。こちらはマグヌス様、城塞都市の司教様です」
(ちょっと、待って。司教様って・・・そういえば、いつだったか、帝国からベルンハルト枢機卿様がいらっしゃったこともあったよね・・・どっちが偉いの? 司教様と枢機卿様って?)
「あの、クリスタといいます。鉱夫の娘です」
「こんにちは。クリスタ。私はグレゴリウスです。使徒殿の子孫なんです。司教と呼ばれていますが、貴女の僕だと思ってくださいね。因みに、趣味は、信徒の足を洗うことです」
グレゴリウス様は、上機嫌な感じだ。いつもこんなにハイテンションなのだろうか。クリスタの変な表情を見て、使徒殿も困った表情になった。
(よく、わからないけど、この司教様は、気さくだけど危険かもしれない・・・いい人だけど、うまく距離を取らないと・・・)
「クリスタ。信徒の足を洗うというのは、教会によっては、そういう儀式があるんだよ。パパ様でさえ、そういうのするらしいよ。キリストがやったことを真似してする感じ」
「ふーん。そうなんですか・・・」
「おお、こちらがリーゼロッテ姫ですね」
司教様は、嬉しそうに祭壇前に近づき、跪いて、祈りを捧げだした。
(凄い集中力。司教様って変わってる人とか思ったけど、祈る姿が美しい。本物の聖職者なんだ・・・)
使徒様も、少し後ろに跪いて、両手を顔の前で合わせて、静かに祈りはじめた。
「マグヌスよ」
皆、はっとして顔を上げ、声の方、左側を向いた。
祭壇の左横には、司教様と同じような高い帽子をかぶった僧服の人が立っていた。驚いた二人は立ち上がった。使徒様は、知っている人のようで、話しかけた。
「あれ、ウィンフリート様じゃないですか。今日は凄い豪華な祭服をお召しですね」
「うむ。これがワシの普段着なんじゃ」
「へー。そうなんですか。かっこいいです」
「そうじゃろ?」
使徒様がウィンフリートと呼んだ高僧らしき人は、自慢げだ。
司教様は、不思議そうな表情で、急に祭壇脇に現れた高僧と思われる人物をみている。(出入り口は正面しかないのに・・・横を通った感じもなかったし・・・いきなりだよね)
クリスタも首を傾げた。
「使徒殿、ご紹介いただけますか」
「マグヌス、先程もワシの祭壇前で、ワシに取り成しを願っておったろう?」
「え? もしかして・・・聖ボニファティウス様?」
司教様は、しまったというような表情をした。
「ワシが、お主のしょうもない悩みを、なんとか神様にお願いしてやろうと思っていたのに・・・姫に鞍替えするとは、ワシ、悲しいぞ」
(あ、何でも屋さんで飾っている、ご像の人なの?)
第2門の近くにある、お店は、なんでも売っている。聖像や信心用具、バックラーに短剣も、器やエールのジョッキも、とにかく雑多な品ぞろえだ。前に、父と買い物に行った時に、いつかは、小さくてもいいから、十字架像でも買いたいねって話していたが、その時の聖具用品コーナーの中に、ずっと売れない聖像があって、確か、聖ボニファティウスと書いてあったと思う。
(マリア様のご像は、帝国からの便で届くと、結構早く売れちゃうんだよね・・・皆、買うためにお金貯めてるから・・・)
クリスタの、見ただけで対象を発火させる目力は、
今回は薪に火をつけただけでした・・・
次話は、二人が転移した後の城塞都市のお話です。