第72節 リーゼロッテ様祭り その13
抗うことができないような運命的な流れに翻弄されている主人公です。
司教様と僕が、転移門の中に消えていったので、晩餐会会場は大騒ぎになっていた。
皆口々に何か言っているのだが、うるさくて聞き取れない状態だったらしい。
しかし、公爵様と宮宰様だけが、ニヤニヤしていたらしい。狙い通りだったからね。
全ては綿密に計算された劇のようなものだったらしい。ザクセン騎士たちの共通認識の中に、オットー卿の剣、そして、卿が戦いの最中に転移門で現れたという過去の歴史的事実。年配の貴族たちは、実際に見ているから、この光り輝く、青い穴のようなものが大天使のものだとわかるわけだ。
公爵が立ち上がり、右手を挙げて、2本の指を曲げてみせた。これから話をするという仕草だ。皆が黙った。さっきの喧噪が嘘のようだ。
「皆のもの、王子がどのような方か、わかったと思う・・・説明は要らぬだろう?
私も最初は信じられなかったし、訳がわからなかった。しかし、今は確信している。王子を遣わしてくださったのは、大天使であり、すなわち、我らの、いと高きところにいらっしゃる神の御意志なのだと。
かつて、我らザクセン人は、この地で、悪魔の軍勢と対峙し、明らかな劣勢に苦しんだ。城塞都市から撤退しなければならなくなる、その直前に、それを押し返すことができたのは、大天使より賜った、オットーの聖剣であった。
そして、いよいよ、ライン川以東の我らの領土から奴らを駆逐し、人の手に取り戻す時が来たのかもしれない。
ライン川は千尋の谷となり、対岸には荒野と化した土地が広がっている。あの荒れ地は、かつてのフランク王国ではなく、地獄の一部が盛り上がってきたものと幻視者が言っている。かつての人の土地は取り戻すことができないかもしれないが、まずはこの東側だけでも、人の手に取り戻すのだ。狭い砦の中で怯えて生きるのではなく、森を、泉を取り戻し、失われた城を奪還し、再びこの土地を人のものとするのだ。その先は、神に委ねるしかないだろうが・・・」
誰もが理解していた。ライン川の西側の荒れ地を人の手にどうにでもできるわけでないことを。しかし、王子のあの力は、一縷の望みを抱かせるものだった。
宮宰レオポルトが口を開いた。「オルドルフ卿、もういいだろう。ドアを開けてやってくれ」
オルドルフがドアを開けると、東方辺境伯の従者だった。何か伯爵に言伝があるようだ。従者は恐縮しながら中に入り、伯爵の耳に小声で何かを打ち明けた。伯爵は、その報告を聴きながら、みるみる顔色を青く変えたかと思うと、次に赤い色に変えた。
「公爵様、発言をお許しくださいませんか」
「うむ、ブルン。いいぞ」
「今夜、私が一番に会場入りしました。そして、一番最初にミヒャエル王子に挨拶させていただく栄誉を得たわけです。王子は、我が先祖、ベルンハルト1世の武具チェストを調べよと仰いました。戯言かと思いましたが、そのチェストは私も小さい頃から知っておりました。すでに帷子などは入っておらず、幼い頃、中に隠れて遊んだことがありますから」
ブルン・フォン・ビルング伯爵は、早口で話すと一息ついた。そして続けた。
「私は従者を家にやり、調べさせたのです・・・」
皆が注目している中で、ブルンは、従者の手から小さな袋を取り上げ、中身を出してみせた。金色に輝く、そう、金貨だった。
「殿下は、ベルンハルト1世より、見せてもらったという宝物が出てきたのです。殿下のお言葉の通り、チェストの蓋は2重になっており、羽目板を取るとこの小さな袋が出てきたそうです。私は子供の頃何度もこの蓋を開けたのに・・・」
「すまぬ、ブルンよ。その金貨を見せてくれないか?」宮宰が言った。
ブルン伯爵は、従者に金貨を一枚渡した。従者は布を出し、その上に置いてもらってから、前方のテーブルに座る宮宰にお見せした。
「おや、これは、ラテン語で書かれていないぞ・・・ギリシャ語だな・・・マグヌス?
あ、そうか。王子と帰ったのだったな。皇帝らしい人物があり、裏にはギリシャ語でヴィクトリアと十字架が描かれている。恐らくソリドス金貨だろう」
「ということは、ローマ皇帝ヘラクリウスですか・・・この顔は」ブルンは驚きを隠せない。
500年ぐらい前に発行されたものだからだ。もともと彼らの領土には、金が殆ど産出されないため、金は貴重だ。さらに古いものだ。値打ちものなのだ。
公爵は面白がって見ていたが、急に話しに加わってきた。
「いや、驚いた。ビルング家のものでさえ、知らぬのに、我らの王子は知っていたのか?」
「はい。それどころか、ベルンハルト1世から見せてもらったと仰っていました」
「そんなことを仰っていたが、子供の戯言・・・いや失礼。冗談かと思っておったぞ」
「兄上、王子は至って真面目なお方ですぞ。マグヌスと馬が合うようですからね」
周りの貴族たちは、聴き耳を立てていた。ビルング家は、ザクセンでも一二を争う高貴な貴族だ。リウドルフィング家とも血縁がある。リウドルフィング家が断絶した場合には、ザクセン族の族長になるであろう家だ。王子との交流は当然あっただろう。この話は、あやふやだった王子の立場を更に確固としたものにした。特に、ミヒャエルを皇帝にしようと企む勢力は、浮足立ったようだ。ザクセン貴族も一枚岩ではないのだ。皇帝に忠誠を誓う一派や、教皇に忠誠を誓う一派、リウドルフィングを担ぎ上げて、今一度ザクセン朝の再興を狙う一派などがいる。公爵に宮宰、そして司教はそのコントロールに困っているらしい。
そのころ、ミヒャエルは、謁見の間にいた。丁度転移門でうつったばかりだったのだ。
そこには、フィリップが居た。お互いに誰もいないと思っていたのだ。
「うわ、びっくりした。王子じゃないですか。驚かさないでください。晩餐会はどうしたのですか?」
「うわ、僕も驚きました。こんな暗がりで潜んでいるなんて・・・」
「いやいや、周りに気付かれないようにワザと暗くしていたんですよ。無論、衛兵には話していますから、隠れているわけではありませんぬ」
中に一人しかいない筈なのに、会話が聞こえたので、不審に思った衛兵がドアを開けて覗き込んだ。
「フィリップ様、どうされましたか?あれ、王子。いつの間に」
「こんばんは」僕はとりあえず挨拶だけした。フィリップさんは怪訝な顔をして回答した。
「いや、気にしないでくれ。王子様が聖なる魔法でここに飛んできたんだよ」
「おお、噂の大天使の転移門ですね?さすがリウドルフィング家の王子様」
「あ、大丈夫だから下がってよいぞ」
「これは失礼しました」
衛兵は顔を引き締めて、ドアを閉めて、また任務についた。
「フィリップさん、どこに行かれていたんですか。僕らは、レオポルト様の家に居た時に、お二人が僕たちを呼んでいるって聞かされてお城に向かったんですよ。それなのに、フィリップさんだけいらっしゃらないのだもの」
「いや、すまんすまん。実は旅の準備をするために、一度森番の小屋に向かったんだ。もともと、高級貴族だけの晩餐会だから、宮宰様の一家来のワシは出席できぬし・・・。そして、今ここに控えているのは、公爵様のバイエルンへの親書を預かるためなんだよ。すぐに出たかったのだけど、もう夜になったので、出発は明日だな」
フィリップさんは、すまなそうにしている。
「親書というのは、リーゼロッテ様の事ですね」
「うむ。ワシらザクセンは、良好な関係をずっと築いてきているのだよ。だから、変な誤解や行き違いは絶対避けなければならないのだ。まぁ、殿下には余計な御注進かもしれぬが・・・」
「いや、勉強になります。政治的な配慮って難しいですよね・・・」
「まぁ、そうかもしれぬが・・・しかし、殿下は謙虚ですね。悪魔の付け入る隙間がないですぞ」
いきなり悪魔の話が出たので、すこしビビッてしまった僕・・・
「悪魔って、あちこちに居るんですか?」
「まぁ、その話は、ワシより、司教様に訊いたほうが確実だと思いますよ。殿下は、淫欲にはあまり関係ないだろうから、貪欲に注意すればいいでしょうな。もっと食べたいとか、もっとうまいもの、高いものが食べたいとかと思うようになると、既に後ろに悪魔が立っていることでしょう」
「フィリップさん。怖いです。どうすればいいのでしょう」
「またまたまたぁ・・・殿下は大丈夫ですよ。本当に謙遜されるのだから、感心ですぞ」
「そ、そんなことはないです。謙遜だなんて・・・」
その時、ドアの向こう側で声がした。くぐもっているのでよくわからないが、すぐに衛兵が扉を開けた。そこには、松明に照らされたオットー卿の心配した顔があった。
「殿下、どこに戻ってくるのか事前にお知らせくだされ!」
「オットー卿。すみません。全然計画性が無かったので、戸惑ってしまいました・・・」
「あ、そうですな・・・もう、レオポルト様の天才的計画にはついていけませんな・・・あ、フィリップ殿もいらしたのですか・・・いや、今のは他言無用に願います」
「いや、お察しします。私も宮宰様にはいつも振り回されておりますので、お気持ちはわかります」
「お互い、下々の者は疲れますなぁ・・・」
「いかにも。でも、これで不思議とすべて納まるので、天才たる所以でしょうな」
なんだか、傷を舐めあう中年のおっさん二人という感じだ。いや、中年なんていったら怒られるかもな。オットー卿もフィリップさんもシミジミと話し、ふーっとため息をついている。
「あ、そうだ。忘れていましたが、殿下。一旦、この上の客間に参りまして、そこで御休みいただきます。で、明日は、ザクセン騎士団の護衛で、宮宰様の御屋敷に戻ります。朝からです」
「オットー卿、騎士団の護衛って、なんか嫌な予感がします」
「お厭かもしれませぬが、これを避けては、ザクセンが分裂します。今宵呼ばれなかった他の貴族達にも、機会を与えてやってほしいのです」
「どうすればいいのですか?」僕はオットー卿の言っている意味がわからなかったので、尋ねた。
「殿下は、城から宮宰様の邸宅まで、行列をして移動していただくだけですが、その警護に、ザクセン貴族が全員参加し、同行いたします」
「え?」
(僕は、なんでそんなことをするのか全く見当がつかなかった。変な顔をしていたのだろう。オットー様は、すこし困った顔をしながら、説明してくれたんだ)
「殿下。いいですか。例えば、ブロン様っていらっしゃいましたよね」
「はい、わかります。最初にご挨拶した方ですよね。クマさんみたいな大きな人でした」
「あはは、言いえてますね。いや、そうじゃなくて・・・あの方は、本来なら東方辺境伯なんです。つまり、宮宰様と同じくらいの身分なんです。大きな領地と城を持つ方なんですぞ。
悪魔に支配された土地であるがゆえに、みな一緒に城塞都市に住んでいるだけなのです。私のような田舎騎士では、本来なら話すことさえできないような方なのです」
「よくわからないのですが、それとザクセン騎士団の護衛とは、どういうことなのですか」
「つまり、今夜の晩餐会に呼ばれたのは、上位の一握りの貴族なのです。ザクセン騎士団は、私のようなものを含めると何千人もいるのです。皆、殿下に会いたいし、殿下のために働きたいのです」
「ということは、護衛というのは、その大勢の方が、参加されるということですか?」
「そうです。全員は無理なのですが、中級貴族以上が参加することになりました。皆、完全武装し、従者を引き連れ、殿下の車列の護衛にあたります」
「ええええ? そんなの困ります」
「そんなこと言われる方が困ります。ともかく、殿下は何もせず、馬車に乗っているだけですから。殿下の馬車の行列に皆が勝手に参加するだけです。下級の騎士達は、沿道を警護するために、整列します」
「そんなぁ・・・白から宮宰様邸まで、そんなに遠くないですよね」
「いや、それだと、全員が参加できないので、遠回りをして、カテドラルで折り返して戻ります」
(ちょっと。カテドラルだったら宮宰邸を通り越してどころか・・・三倍ぐらい遠くなっているじゃん。どうしてなんだろう)
「カテドラルは、教会の威信のため、避けられません。マグヌス様なら笑って必要ないというでしょうが、他の高位聖職者や修道会が黙っておりません。殿下が民の前で、教会に立ち寄り、教皇への従順を示す必要があります」
「なんだかわかりませんが、ご指示ください。僕は、嫌われるのが嫌ですし、問題を起こしたくはありませんから」
(なんだろう。もう・・・こんなことなら、フィリップさんに会いに来るんじゃなかったよ。どんどん違う方向に引っ張られて進んでいく船のようだよ)
「さすが、王子。政治のことがお分かりですな」
皆が声の主のほうを振り返った。ドアのところには、公爵様が立っていた。
ザクセン族は、ゲルマン民族の一派でした。
部族的な社会をかなり後まで維持していました。
悪魔の支配地で、一族の団結は強まっていったのでしょう。
次話は、王子のパレードです。