化物
体に魂が馴染み、ガラス越しに見ていた景色が、自分の視界と重なってくる。
手袋をはめているようだった手が、皮膚と馴染み、手の感覚が戻る。
心臓の位置に、暖かいものが収まり、自分の体に戻ってこれたことがわかった。
そして、今の自分の状況もわかった。
辺り一面に転がる肉、骨、指、ぬいぐるみ、剣、脚……
自分が握りしめていた剣を見る。滴る液体、胃袋が中身を押し戻す。
反吐の酸っぱい匂いと共に、嗅いだことのない匂いがする。脂の匂い? いや、違う。脂にしては甘い匂いのような……
辺りを見回すと、肉から体液とは異なる汁が、流れ出ているのが見えた。この匂いはあそこからか。
コールタールのようにドロリとした、黒い液体。
指につけて舐めると、信じられないくらい美味しかった。蜜のように甘い。手ですくって舐める。手ですくっていては時間がかかりすぎる。他の誰かに取られるような気がして、汁に直接口を付けて啜った。
なんだコレは? 何かはわからないが、たまらなくうまい。いつまでも味わっていたいくらいだ。
「やっぱり、キミだったんだね。ウシノ」
振り返った先にいたのは、赤毛の少女。
「アレク……? なぜここに」
彼女は死んだはずでは?
「そんなことはどうでも良いでしょ。それに、キミの顔の方がひどい。契約の代償に頭上げちゃうなんて、どうかしてるよ」
「頭? 契約?」
なぜ彼女が生きているのか、自分は一体どうなってしまったのか、この街はどうなってしまったのか。何1つわからないまま、彼女に手を引かれて、森にある小屋へ戻った。
*
小屋には、誰もいなかった。
「あの魔術師の男は?」
「お爺様なら、お出かけ中です」
「そうか」
椅子に座って、呆然とする。この短時間で色々なことが起きすぎた。
「とりあえず、今の状況について、説明します」
アレクの声を、ぼんやりと聞く。
「まず、この国の首都は壊滅しました。次に、私は一度死にましたが、お爺様のおかげで、なんとかなりました」
静まり返った街と違って、森は色々な生き物の声がするな。
「次に、悪魔との契約についてですが」
アレクが言いかけた瞬間、小屋が砲弾で破壊された。
崩れてくる壁と、落ちてくる屋根がスローモーションのようにゆっくり動いて見える。
自分でも、信じられないスピードでアレクを抱え、外へ飛び出した。
「そこを動くな!」
外は、武装した集団でいっぱいだった。
集団の中の、ひときわ美味しそうな香りのする男が、前に出て高々と述べる。
「我々は、この国の兵士である。首都を襲った悪魔の討伐に参った」
悪魔? 悪魔なんてどこにいる?
「この悪魔め! その女性をはなせ! これ以上、ここでは好きにさせない! 兵長の名にかけて!」
男が腰の剣を抜くと、両腕が黒く染まり、筋肉が膨れ上がった。
一瞬で間合いを詰めて、俺の首を狙った刃を、間一髪でかわす。
まだ知りたいことは沢山ある。なのに次から次へと、いろんなことが起きて、頭が追いつかない。
男の攻撃を避けて、少しよろめいた瞬間、兵士たちの槍が、次から次へと体に打ち込まれた。
痛い。とても痛い。でも、致命的ではない痛さ。
「やめろ!」
腕を振り回すと、僕の近くにいた兵士たちは数メートル吹き飛んで、動かなくなった。
槍を持って遠巻きにしていた兵士が、恐怖で顔を歪ませる。
「ば……ばけもの!」
バケモノ? そんなものどこにいる? 詰め寄って、その兵士を木に押し付けた。うまく回らない口をぎこちなく動かして、兵士に問う。
「バケモ……ノ?」
「ヒッ」
兵士がつけている甲冑の表面に、歪んだ自分の顔が映っていた。
爬虫類のように光沢のある黒い体表、長い牙が口からはみ出し、黄色い目が、縦についた瞼で瞬きをした。
「そうか……」
放してやると、兵士は、失禁しながら走って仲間の元へ走っていった。
そうか。バケモノは俺か。自分の手を見れば、不自然に長い指と、鋭い爪。不自然に長い腕、逆関節の足。どこに出しても恥ずかしく無いバケモノだ。
異世界まで来て、俺は、バケモノになってしまったのだ。