19 妖之剣3
「倉本、ここまでだ。もうお前に勝機はない」
「舐めるなよ明久! まだ儂の念動力は健在よ!」
まるで意思を持ったかのように倉本の周りに二本の刀が集った。初音たちとは比べられないとはいえ、あれもまた名の知れた妖刀に違いない。
だが、それを前にしても明久は焦りを抱かなかった。あちらが念動力で二本の刀を操るとしても、こちらには人の姿をとる妖刀がいる。
念動力に操られる妖刀が舞い上がり、構えを取って斬りかかってくる。
「あんたのちゃちな念動力の相手はあたしたちよ」
「さっきはよくもやってくれたよねっ、私怒ったんだから!」
明久に殺到した二本の妖刀は、申し合わせたように初音と篝が相手取った。彼女たちの体力はすでに限界だったが、それでもなおその体が動くのは、主を守ろうとする意思によるものか。
倉本が操る二本の刀を初音と篝が抑え込んでいる間に、妖刀夜月を手にする明久がやすやすと倉本の前に立ちはだかった。
「決着をつけよう、倉本」
「明久……!」
鋭い目でねめつけてくるその視線を受け流し、明久は八双に構えた。
倉本もまた八双に構えた。明久の八双よりも切っ先を立て、今にも襲い掛かりそうな獰猛な気配を放っている。
明久と倉本は、そのまましばらく睨みあった。明久がわずかに足を左に運んだら、間髪置かず合わせるように倉本も足を運んだ。
一触即発の状況下で隙を伺いながら、倉本は驚くことに念動力を維持していた。どうやら初音たちを操っていた時と愛刀を操るのは勝手が違うらしく、このような離れ技も可能らしい。
つくづく恐ろしい。明久は素直にそう思った。
初音と篝、そして夜月の協力があって初めて、こうして尋常な剣の勝負へとたどりつけた。もし一人で倉本と戦っていたら、必敗はまず避けられなかっただろう。
そして、矢上の存在もなければ……思えばこの状況は奇跡的だった。多くの偶然と協力があったからこそのこの勝負。
負ける訳にはいかない。そして、明久は不思議と負ける気がしなかった。
この手にあるのは妖刀夜月。妖を斬るために生み出された妖刀、至極の一品である。
目の前にいるのは妖、倉本豊後。そして笹雪明久という人間は、妖を斬るために存在する家系の人間である。
焦りは無かった。一度死にかけたからだろうか、真剣勝負の最中、明久は不思議と落ち着いた心境になっていた。
先に動いたのは、倉本だった。
倉本は、八双から一歩踏み込み気勢を乗せた斬り下ろしを放った。妖と化したその肉体から繰り出される一刀は、一陣の突風のようだった。
明久もほぼ同時に動いていた。倉本の一刀を迎えうち、互いに刃が噛みあい、弾かれ合う。衝撃を逃がす様に足を踏みかえて、両者はまた八双に構えた。
明久がけさに斬りにいく。倉本は足を運んで体を開き、明久の一刀を避けた。そしてそのまま俊敏に体を入れ替え、正眼に構えて突きを放ってきた。
明久はそれを刀で払いのけ、左脇構えになって切り上げた。倉本は舌打ち一つそれを一刀で受け止める。
二人はそのまま鍔ぜりあうことを避け、また距離をとった。
ほんの一瞬、明久と倉本の視線が噛みあう。一刀を握るこの瞬間、互いの目には一切の曇りが無かった。
ただ、この手に握る一刀にて眼前の敵を斬る。両者ともそれだけが頭にあった。余分な思考が淘汰された二人の斬り合いは、息が詰まるほど痛ましい。
明久が斬り、倉本がしのぎ、倉本が斬り、明久がそれをまたしのぐ。一進一退の攻防が続くにつれ、その顔に汗を浮かべるのは倉本の方だった。
一刀を交わせば交わす程、明久の動きはより柔軟に、俊敏になっていく。剣の腕はますます冴えを見せ、徐々に倉本を追い詰めていった。
何度目かの競り合いを経て互いに距離を取った時、倉本が憎々しげに口を開いた。
「バカな、なぜ貴様ごときにこれほど手こずる……? わ、私は妖となって、人間などという存在をはるかに凌駕したはずだ……!」
「確かに、お前の身体能力は全てにおいて俺に勝っている。だが、体に優れるものが常に勝つのが剣の勝負か? 力だけがすべてなら、この世に術理など必要ないはずだ」
「……っ!」
倉本は言い返せず、低くうなるだけだった。妖と化したこの体がどうして通じないのか。そのことだけが倉本の頭を支配する。
「ふ、ふふ……なるほど、そうか。儂の考えが甘かったということか」
乾いた笑いをした直後、初音と篝が相手をしていた妖刀が、力を無くしたように地に落ちた。
「このような……念動力に集中力をさいては、貴様に勝てないのは道理! 明久よ、今一度勝負といこう。次こそ儂の全力を見せてやる」
倉本は、念動力の維持を放棄して、妖である驕りを捨てた。それはひとえに、明久に打ち勝つ為だった。
よどみない動きで倉本が正眼に構えた。剣気がその刀身から溢れ、部屋中の空気を底冷えさせる。
「……愚かね、念動力による二振りの刀を捨てたら、あたしたち全員に勝てるはずがないのに。明久、今が勝機よ」
篝の進言は正しい。念動力を放棄した今、全員で斬りかかればおそらく倉本はあっさり討ち取れる。だが……明久は静かに首をふった。
「いい、倉本は俺が斬る。二人はそこで見ていてくれ。夜月も……黙って、見ておいて欲しい。これは俺と倉本だけの勝負だ」
「なっ……ほ、本気で言ってるの!?」
信じられないとばかりに憤慨し詰め寄ろうとする篝を初音が押さえた。
「篝ちゃん、お兄ちゃんが……私たちの主がそう言うなら、信じよう」
「わ、分かってる、けど……!」
『……心配ありません篝。明久なら負けません』
二人に言い含められ、篝はようやく落ち着いたようだ。明久に近づき、脇腹を軽く小突いてくる。
「死なないでよ」
「ああ」
明久は安心させるように篝の頭を撫でた後、数歩倉本に歩み寄り、間合いの際で立ち止まった。
「待たせたな」
「臆したかと思ったわ」
唇を釣り上げる倉本だったが、そこに挑発の意図はないようだった。
「……俺も一人の剣客として、剣の勝負を挑まれれば是非もない。受けて立つぞ、倉本」
「良く言った明久。では、参る……!」
正眼に構える倉本は気息を充溢させ、するすると明久との距離を詰めて来た。
明久も正眼に構え、倉本の一挙一動を慎重に探る。
ついに倉本は己が得た妖という肉体、その力を放り捨て、己の身が培った剣術という技術に勝負を託してきたのだ。
明久もまた、自由になった初音と篝の力を頼ることなく、この体に染みついた剣術によって倉本を打倒する気概だった。
そうしなければいけない、と明久は感じていた。家族が倉本に殺され、倉本に世話をされながら退魔の剣客として過ごしていたこの二年。その年月に、己の手で決着をつけなければいけない。
二人の距離が詰まり、正眼に構える切っ先同士がわずかに触れ合った。そこで倉本は動きを止め、互いに隙を伺った。
明久と倉本が互いに剣を突きつけ合って静止する時間は、ひどく痛ましい。見ている初音や篝すらも呼吸を止めてしまい、ただ静かに時が流れ続けた。
突然、倉本の目がカッと見開かれた。放たれる剣気を明久は感じた。
倉本は、正眼から踏み込み喉を突く……と見せかけ、明久の刀を払った。
明久の正眼の構えが崩される。無防備に空いた彼の体に向かって、倉本が俊敏に一刀を上段に掲げ一息に斬り下ろした。
それよりもほんのわずかに速く、払われた明久の一刀が舞い踊った。倉本の斬り下ろしを跳ね上げ、明久はそのまま一刀を閃かせて倉本の胴を薙ぎ払っていた。
それは、まるで雲の切れ目から差し込む月光のような、静謐な一刀。一色流に伝わる、基本にして奥義とも言える理合。
相手の動き、力に逆らわず、その流れを制して勝ちを得る。一色流は妖を斬る家系であり、その一刀が対するのは妖を想定している。
自然その根底にある勝ち口は、対する相手の動きを生かして勝ちを得るものとなっていた。
今明久が放った剣技は、それを見事に体現した一刀と言えた。
――これが、秘剣、か。
一色流に伝わる秘剣は、その理合を体現することにある。それゆえに、同じ秘剣でも使い手一人一人ごとに違った剣の使い方、名称があった。
「秘剣、妖之剣」
明久は静かに、心の内から溢れた言葉をこの剣に名付けた。
この一刀に至れたのは、初音、篝、夜月、矢上……そして、倉本。彼ら、妖に連なる者たちとの関わりがあればこそだった。そこに敵味方の区別は必要ない。明久のたどった人生全てが、この一刀を導いたのだ。
ゆえにその名は、妖之剣。笹雪明久の秘剣であった。
「……見事だ……明久」
脇腹を深々と斬られて崩れ落ちる倉本は、力を振り絞るようにして明久にそう言った。
「倉本……」
彼は斬るべき男だった。しかし、彼は根から悪人だったのだろうか。
二年前、明久に手を差し伸べたのは打算があったのかもしれない。しかし、それはもしかしたら彼の中にあった元々の善性が少しだけ顔を覗かせていたという可能性もある。
追い詰められた最後の最後、己がその身に修めた術技を頼りにしたところから見ても……倉本はきっと、もともとはまともだったはずだ。
明久は夜月が言っていた妖の名前を思い出していた。妖、アクイ。倉本の心をこうもゆがめたその存在が、明久は許せなかった。
「……なんだ?」
異様な気配を感じて、明久は倉本の死体に目を向けた。
倉本の死体から、なにかがうぞうぞと這い出して来る。
それは暗く、死の気配を携えた影だった。影は倉本から這い出し、一つに集っていく。
『きますよ、倉本を狂わした原因が』
「……お前が言っていた、アクイという妖か?」
『ええ、あれは人に寄生し、人の心を狂わせるのです。宿主を失ってようやく正体をあらわしたようですね』
一つに集った影は大きさを増し、人間大の球体となった。凝縮された闇のようなその姿は、見るだけで人の心を震わせる忌まわしさを持っている。
『戦国時代……いえ、それよりももっと前の時代から混乱する世を徘徊し、人の心を狂わせ妖とさせ、更に荒れた世に彩る……世が荒れ人心狂えば狂う程世界に恐怖の権化、すなわち妖が跋扈する。そんな世を作ろうとするあれこそが、人類の仇敵。妖、アクイ』
光を放つ太陽のように、アクイからは闇があふれ出てくる。しかしそれは、外から差し込む朝日にさらされてかき消えていった。
明久は、ついに対面したアクイの忌まわしさを感じて生唾を飲み込んだ。
『あれは人に取りついていなければ全くの無力です。ですが気をつけて、あなたの心が隙を見せれば、すぐに捕りついてきます』
「ああ、分かった」
アクイという漆黒の球体からわずかに放たれる生ぬる風。それは人の心の奥底に眠る恐怖を揺り動かすような不愉快なものだった。
おそらくはこの妖は、こうして人の心を弱らせ、自分が取りつく隙を探っているのだろう。
「……斬る」
強く心を保って、明久は呼気を掃き出し決心を固めた。
構えは上段よりも更に上。両手を伸ばし、剣先を天に向け刀身を頭上より直立させる、大上段の構え。
明久は一歩深く踏み込み、雄々しく斬り下ろしを放った。膝を折って、折り敷きながら地に触れるギリギリまで一刀を振り落としたその剣線は、さながら空から降り注ぐ光のようでもある。
手応えは十分。アクイの頭上からその真下まで、しかと両断した確信を抱く。
明久の一刀に深々と斬り裂かれたアクイは、その切れ目からはじけ飛ぶように霧散した。
後に残ったのは、明久たちと倉本の死体だけだった。あの忌まわしい風も気配も、どこにもなかった。アクイは音もなく散り、その残滓は一つ残らず陽光に触れて消え去った。
「終わりましたね」
夜月が刀から人の姿に戻り、明久にそう言った。
明久は黙ってうなずいた。そう、全てが終わった。倉本を斬って、アクイを斬り裂いて、戦いは終わったのだ。
この二年間の忌まわしい日々が、解き放たれていくようだった。いや、この二年よりもきっと前から、倉本とあのアクイによる忌まわしい時は流れていたのだ。
きっと、今は亡き父の時から……そう思うと、少しだけ明久は寂しくなった。
父は倉本にいいように扱われていたことを、死の間際でようやく悟ったはずだ。彼の無念は、だが今ここで果たすことができたのではないか?
失った者は戻ってこない。そんな当たり前のことを、今こうして全てから解放された明久は感じていた。
それでも、彼は満足していた。ここから先の己の人生に、倉本の呪縛はない。
そして今明久は、なによりも大切なものをこの手にしたことを実感した。
刀でありながら人の姿に化ける妖、妖刀。初音、篝、夜月。彼女たちが、この愚かだった者の傍にいてくれる。
「初音、篝、夜月」
静かな明久の声を聞いて、三人が彼に視線を向けた。
明久は、三人の目を見返して、少しだけ言いよどんだがはっきりと言った。
「礼を言う。お前たちのおかげで俺は救われた」
明久とそれなりの時間を過ごした彼女たちですら一度も見たことがない満たされた顔を見て、三人とも言葉を無くしていた。