14 真意一到2
「お前たち……」
明久と倉本の間に割り入る様に現れたのは、妖刀三振り。初音、篝、夜月が、その手に己本体である妖刀を持ち戦いに参加してきたのだ。
「何一人で戦おうとしてんのよ!」
この修羅場に乱入するなり、篝は叱る様に言った。
「倉本と戦う時は私たち全員で……そう約束したでしょ、お兄ちゃん」
「一人で勝てるはずのない戦いに望むなど、狂気の沙汰としか思えません」
彼女たちのおかげで窮地を脱した明久だったが、その顔は憮然としていた。
「……なぜここにいると分かった?」
「あたしたちは主となった者がどこにいるかなんて、だいたい分かるのよ」
明久は、初音が姉妹剣である篝や夜月の居場所は何となく分かると言っていたことを思い出した。
そのような能力は、主となった者の場所すらも教えてくれるらしい。妖刀との間にできた縁とは、ずいぶん強固な物なのかと明久は思った。
「初音があなたの異変を察知したおかげで、あなたの考えは大体読めましたよ」
「あんなの、なにか隠してるってバレバレだよ」
「……そう、か」
我知らず明久は苦笑していた。どうやら彼女たちは、思っていた以上に笹雪明久という人間のことが分かっているらしい。
「くく、これはちょうどいい」
明久たちは、油断なく倉本を視界にとらえる。彼はここにきてなお、その顔によこしまな笑みを張りつけていた。
「明久を屠った後で改めて探そうと思っていたが、まさか自ら儂の前にあらわれてくれるとはな。さあ妖刀どもよ、おとなしく儂の刀となれ」
「誰があんたみたいなゲスな妖の刀になるもんですか」
篝は吐き捨てるように言って、倉本を睨みつけた。
「人間でありながら人を裏切り堕落した、醜悪な妖。倉本豊後、それがあんたの正体よ!」
「……見かけに反して、なかなか言うではないか」
「私たちは、あなたの正体を知っています。いえ、正しくは、あなたを妖とした存在を知っている」
「……なにぃ?」
倉本の目が警戒するように険しくなった。
「私たちが斬るべきは、あなたの影に潜むそれです。言っておきますが、逃げ場はありませんよ?」
「そうだよ、泣いて謝ってもあなたは許さないんだから」
「当然よ、あんたの様な奴、生かしてはおけない!」
三者の敵意を聞いてなお、倉本は怯えも狼狽えもしなかった。
ただ口元を抑えて、堪え切れない笑いをもらし続ける。
「つくづく愚かな……妖刀とはいえ、その見た目通り頭は弱いようだな。貴様ら三人……いや、明久を入れて四人か。その程度の数、技量で儂に勝とうなど……片腹痛いわ!」
倉本が操る二本の刀が舞い踊る。先ほど明久を襲った時よりも素早く、軽やかに。
目にもとまらぬ速度で斬撃を放つ二刀を受けたのは、初音と篝だった。
「これはあたしたちが引き受ける! 夜月と明久は倉本を討って!」
初音と篝は殺意めく刃の嵐のことごとくをその手の一刀で受けながら、倉本への道を作った。
今、倉本は孤立していた。対してこちらは二人。
「勝機は今です。初音と篝が念動力で操作されてる刀を相手にしている内に、私たち二人で倉本を斬りましょう」
「……ああ」
夜月に言われるまでもなく、今が勝ちを得る時だと明久も了解していた。戦いが長引けばいずれ矢上がやってくる。そうなるとどう戦いがこじれるか分からない。
ここで決着をつけるのが最上である。
明久と夜月は、倉本に一気に詰め寄り、底冷えする刃を彼に向けた。
「これで、二対一。倉本、お前の余裕もここまでだ」
「舐めてくれるなよ、小僧」
倉本はその左手に握っていた刀の切っ先を突き付けた。
まがまがしいまでに妖しく照り光るその刀身は、見ているだけで吸いこまれそうになる。
一見して尋常な一刀ではないのは明らかだった。余程の名刀か、あるいは……。
「妖刀、だな」
倉本はにぃ、と笑うだけだった。しかしその笑みが雄弁に答えている。
おそらくは今初音と篝を襲っている刀も妖刀だろうと明久は考えた。もし通常の刀なら、あの二人なら容易に斬り折れるだろう。しかし妖刀となればそうもいかない。あの二人の加勢は望めないだろう。
「明久、加減は無用です。このまま圧し勝ちましょう」
「ああ」
夜月は八双に、明久は上段に一刀を構えた。どちらも一撃必殺を期した一刀を打ち放てる構えである。
無言で左右に別れ、倉本の側面から挟み撃ちにしようとする二人を見て、倉本は先手を取って斬りかかった。
明久を狙って倉本の正眼の剣が跳ね上がり、上段から振り落とそうとする。その瞬間に夜月が動いていた。
明久を斬ろうとする倉本の先を制する形で、夜月のけさ斬りが放たれる。
「っ!」
驚愕にならない声は夜月のものだった。突如体を入れ替えた倉本は上段からの斬り下ろしを旋回させ、明久でなく側面から迫りくる夜月を狙い撃ちにしたのだ。
夜月は咄嗟に一刀を盾にして倉本の剣撃を受けた。耳に突き刺さるような鈍色の音が響く。
倉本の腕力があまりにも予想外だったのか、夜月はうまく力を受け流せずに数歩よろめいた。
そこを狙って、倉本の一刀がまた舞い踊る。夜月のがら空きの胴を薙ぎ払おうとして……今度は突然深く沈み込み、背後に振り向きながら一刀を斬りあげた。
夜月に気を取られている隙に背後を取っていた明久の斬り下ろしに、倉本は対応していたのだ。
斬り上げと斬り下ろしが交差する。明久はここぞとばかりに倉本の一刀を打ち落とす勢いを乗せた。
「なっ!?」
しかしあろうことか、倉本は斬り上げの勢いそのままに明久の一刀を弾きあげていた。剣撃の威力で明らかに勝っていないと起きない現象である。
――これが妖の力か!?
妖と化した倉本の身体能力は、人間の比ではなくなっている。見誤っていたつもりはないが、予想以上だったのは否定できない。
その驚愕が明久の動きをわずかに鈍らせる。
「甘いわっ!」
明久の隙を見逃さなかった倉本が、俊敏な一刀を放った。明久が反応するよりも早く、割り込んできた夜月がその一刀を受けとめた。
ギッ、と刀と刀が交差し噛みあう。ほんの一瞬、倉本と夜月の動きが止まった。
「明久、今です!」
夜月の指示を聞いて、明久はすぐに動いていた。倉本の右脇から駆け抜ける様に一刀を放つ。
だが倉本は身体を引いて噛みあう一刀を引き外し、夜月の体が泳いだ隙を狙って彼女に肩を強打した。夜月の矮躯が吹き飛び、倉本の脇腹を斬ろうとしていた明久にぶつかる。
「くっ……!」
明久は慌てて刃を返して、夜月の体を受けとめた。そのまま大きく退いて、距離を離す。
倉本は好機とみたのか、一気に間合いを詰めて来た。夜月の体勢はようやく整い、また乱戦が始まった。
驚くことに倉本は、明久と夜月の二人が放つ刃の雨を悉くしのいでいた。
明久が斬りにいくと見せかけ呼吸を外し、死角から夜月が薙ぎ払いを放てば、倉本は明久に目もくれず夜月の刃を救い上げ彼女の胴体を蹴り間合いを外す。
その隙に明久が斬りにいくと、目ざとく彼の反応を見た倉本は正眼に構え明久の動きを制した。
攻めあぐねた明久が一歩間合いを外した時には、体勢を整えた夜月がまた倉本に斬りかかり、凌がれ、明久がその隙に斬りにいき、また凌がれる。
――これほどのものか!
何度となく繰り返した攻防に切れ目が生まれ、溜まらず明久と夜月は倉本から距離を取る。
「驚きましたね……見誤っていました」
冷静な夜月すら、倉本の実力に戸惑いを隠せていなかった。
倉本の剣の腕は一流と呼んでも差し支えないことは明久も知っていた。だが、これほどの技量とは想像だにしていなかった。
――強い、強すぎる……!
思わず明久は歯を噛みしめる。自身への怒りによる反応だった。
倉本の技量自体も高いのだが、真に厄介なのはその身体能力だった。
倉本は妖と化したことで身体能力が向上し、反応速度まであがっているのだろう。同じ妖である夜月すらを寄せ付けないその実力は、とても明久の手におえる相手ではなかった。
明久と倉本の実力差は、頭一つどころか三つ四つは抜きんでている。現状、数の利に勝ってはいるが敗色濃厚であった。
「悔しいですが、一度引くべきかもしれません。倉本の付き人が戻ってくれば、明らかに私たちが劣ります」
憎々しげに言っているが、夜月の提案は現状をよく理解していた。
彼女たちからしても、倉本の実力は予想以上だったのだろう。
しかし倉本が尋常ではない実力者がゆえに、ここから簡単に逃げ出すことはできない。倉本がそんな隙を与えてはくれないのだ。
撤退を考えながらも、引くことができない。明久と夜月のそんなわずかな焦りを、倉本は見逃さなかった。
倉本が突如、念動力で操っていた二刀を引き寄せる。そのまま明久と夜月の背を狙う……と見せかけ、倉本は己の周りに刀を浮遊させ呼吸を外した。背に迫った危機を感じて警戒した二人は、大きく体勢を損なっていた。
そこを狙って、倉本がすぐさま二刀を舞い踊らせる。殺意めく刃が二人にさっとうした。
「くぅっ!」
明久と夜月は、二刀の乱打を浴びせかけられる。雨のように降り注ぐ乱打をしのぎにしのぎ、ほんの数秒の間に二人の周りは火花で彩られた。
いったん自由になった初音と篝がこちらに加勢に来るまで、まだ数秒ほどはかかる。倉本はこの猛攻で明久か夜月を斬り倒す算段なのだろう。
――まずい、このままでは……!
迫りくる一刀をさばきながら、明久は目の端で倉本の姿をとらえてぞっとする。倉本が、夜月に迫っていたのだ。
念動力で舞い踊らせた二刀は囮。それに二人の注意がひかれた隙に、倉本はするりと身を屈め夜月に気づかれず距離を詰めていた。
構えは脇構え。このまま切り上げ夜月を斬るつもりだ。
今の夜月の姿は、本体である妖刀の意思を人の姿へと変えたもの。彼女自身が妖刀ではあるものの、それを斬られたからと言って本体の妖刀自体に影響が出ることは無い。
妖刀の意思の現れである人の姿が斬られれば、一時的にその姿を現すことができなくなるだけである。
そのことを、倉本は知っていた。彼はまず厄介な夜月からを仕留めにかかったのだ。
そのことは、明久も知っていた。だが、なぜか彼の体は勝手に動いた。ほとんど反射的と言ってもいい。明久は、倉本と夜月の間にその体を投げ出したのだ。
夜月が迫りくる倉本と目の前に現れた明久に気づいた時、鮮血が飛び散った。
「あ……明久っ!」
「う、嘘……」
初音と篝は呆然としていた。目の前の光景が信じられなかった。
明久は夜月を庇い、その体に倉本の一刀を喰らっていたのだ。
切り上げが胴に食い込み、明久は弾かれたようにたたらを踏んで背から夜月に向かって倒れ込む。
どっと力が抜けていく。えづく程の痛みと、灼熱感が一気に襲ってきた。
「相変わらず、その癖は直ってないようだな」
倉本の吐き捨てる様な声が響いた。もしかしたら彼は本当に唾を吐いたのかもしれない。明久を愚か者として。
「愚かな男を頼ったな、妖刀ども。その男は家族を……特に妹の死体を目の当たりにしたせいで、どうしても貴様らのような容姿の者には甘くなる悪癖がある。儂の狙い通りよ」
初音たちは、明久と初めて対峙した時のことを思い出していた。
明久は真剣勝負の最中でも、初音ら三人を本気で斬りにいくことはできなかった。その理由を初めて知った篝は、やるせなさで歯を噛みしめた。
「つくづく甘い男だ。やはり貴様に笹雪家の当主は荷が重いな。まあ、今となっては関係ないことだが」
倉本は夜月を狙っていたのではなかった。明久の性格を利用して彼を効率よく排除しようと罠をうったのだ。
「貴様の父秋鷹が昔、息子の剣には天稟の物があると漏らしていたから、貴様だけは処分せずにとっておいたというのに……これならあの時家族共々屠っておけば良かったか」
倉本が漏らした言葉に、激痛で乱される明久の思考が鮮明になった。
おびただしいほどの血が流れている。だがそんなことに意識を向けず、明久はふらつきながら立ち上がった。
思わず夜月は明久の体を支える。遅れて、初音と篝も彼の体に手を添えた。
「く、倉本……やはり、あれは貴様が仕組んだのか……!」
「ほう、少しはその可能性に思い至っていたか。その通り、お前の家族を殺したのはこの儂よ」
「……ッ!」
絶句する明久がさも面白いのか、倉本の哄笑は止まらない。
「あの夜、儂と斬り合ったことはまだ思い出せんか? くくっ、そのような愚かな男だからこそ、温情を与え儂の手駒として今日まで使ってやったというのに……今になって儂に逆らうとは、恩を仇で返しよって」
「き、貴様は……!」
息も絶え絶えで、口から血を零しながら明久が憎悪に燃える声を吐いた。
唇がつり上がり、歯をむき出しにして、目は血走っている。憎悪に染まった悪鬼の表情はちょうど、こんな風なのだろう。
「おお……!」
そんな形相で睨まれてなお、倉本は愉快そうだった。
「そう、そうだ、いい表情だぞ明久。お前は妖刀の主となって、その体は人というより妖に近くなっているのだろう? ならばその顔こそが、妖刀の主に相応しい!」
「倉本、あなたは……!」
夜月の声は、怒りのあまり震えていた。
「明久よ、儂に忠誠を誓え。その額を畳に擦りつけ、高らかに言うのだ。これまでのように儂に従うと。そうすれば命を助けるどころか、その妖刀三振り貴様に献上してやってもいいぞ」
「……ッ!」
怒りのあまり明久は咳き込んで、血の飛沫が舞った。
「貴様は、どれほど俺を嬲れば気が済む。俺の家族を殺したのは貴様だと? 俺が笹雪の当主になり剣を振るうようになったのも、貴様が仕向けただと? ならば、俺のこの二年はいったいなんだったのだ! 俺はただ貴様にとって都合のいい人形だったというのか!?」
死にかけの体とは思えない怒声だった。あるいは、これが笹雪明久という人間の魂の、最後の燃焼だったのかもしれない。
明久の体を抱えながら黙り続ける妖刀三振りは、彼の憎悪に呼応していた。その目は怒りに燃え、唇を噛みしめている。
「ああ、この二年、お前はよくやってくれた。ご苦労だったな」
「倉本ぉ……!」
明久の足が前に進もうとして、慌てて初音が食い止める。
「だ、だめ……死んじゃうよ」
「明久、無理をしたらあんたは……!」
死にかけの体を慮られても、知った事かと明久は一歩踏み込んだ。
その時凛とした声がその耳に届いた。
「明久、今は引く時です」
夜月だった。彼女は金色の瞳を明久に向けている。曇りのない、冷静な眼だった。
「今のあなたでは、倉本には勝てない。その体で何ができるというのです。無駄死にはやめてください」
「よ、夜月、あんた」
ともすれば明久を逆なでしてしまいそうなことを言う夜月を、篝は小さくたしなめる。
しかし夜月は構わず続けた。
「あなたがここで死ねば……初音と篝は主を失います。そうなれば倉本が二人を打ち負かし、妖刀の主になるのは想像できるでしょう?」
「……ッ」
「あなたは、何のためにここに居るのです」
夜月の淡々として冷えた声は、明久の怒りを静めつつあった。夜月の金色の瞳を初めて見た時のことを明久は思い出していた。凛として、底冷えのする冷えた瞳。まるで刀剣が放つ冷気のような印象を抱いたのだ。
――そうだ、俺は……。
なぜ明久は今この場で倉本と対立しているのか。
そのことを彼は思い出すことができた。
彼女たちが自分をここに導いたのだ。倉本に隷属するだけだった自分の人生を振り返る。家族が死に、選択肢もなく倉本に言われるがまま一刀を振るうだけの毎日。
暗く、色のない日々だった。そこに色をつけてくれたのは、きっと初音だったのだろう。
明るく爛漫な彼女に面を喰らいながらも、なぜか嫌な気分にはなれなかった。
篝もそうだ。生意気な彼女の声は、どこか心地よかった。軽口をかわすだけで、彼の心は少し明るくなった。
夜月は……彼女は、明久に真実への手がかりをくれた。
明久は心の底で倉本のことを疑いながらも、己を信じ切れずに疑念を封じていた。倉本の身辺を調べることすらしなかった。
見て見ぬふりをしたと言ってもいい。真実から目を逸らして、思考することせず楽な道を選んでいたのだ。
堕落していた明久の心に火をつけたのは夜月だった。倉本が妖だと聞かされて、それに疑問を持ちながらも、もしそうだとすれば倉本を討つのが使命ではないかと、そう思ったのだ。
強く歯を噛みしめる。口中には血の味が広がっている。苦い鉄の匂いが、明久の心を急速に冷やしていた。
「お前の……言う通りだ」
憎しみを搾りだす様にして、明久はようやく頷いた。
「……そうとなれば、これ以上の鍔迫り合いは不要です」
「逃がさんといっただろうがっ!」
逃げようとする先を制するように、倉本は明久に向かって俊敏な一刀を放った。
すでに死に体の明久にはこれに応じる余裕はない。だが、その一刀を篝が食い止めた。
「夜月! ここはあたしと初音が時間を稼ぐ! あんたは明久と逃げなさい!」
「篝……ですが」
「大丈夫だよ、夜月ちゃん」
心配そうな夜月を慰めるように、初音がにこりと微笑んだ。
「私と篝ちゃんは、お兄ちゃんを主として認めているから……倉本に負けても、そう簡単には主従関係にはならないよ」
「だいたい、負けるつもりはないけどね!」
二人とも普段と同じ声色だった。しかしそこにどこか寂しさを匂わせている。
二人は知っているのだ。自分たちでは倉本には敵わないと。そして、明久の傷は致命傷だということを。
それでもなお、二人は倉本に向けて堂々と一刀を構えた。
夜月はほんの一瞬だけ二人の背を見て、迷いを捨てる様に背を向け明久を担いでいく。
「夜月……お願い、明久を死なせないで」
願うような篝の声が、夜月の背に届いた。
夜月の背後から剣戟の音が響き始めた。彼女は一切振り向くことなく、明久を担ぎ続けた。