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Sweet ♡ sweet pepeer 

作者: 澳 加純 

黒井羊太さま主催の『ヤオヨロズ企画』参加作品です。

がんばるお母さんに、笑いを込めて。

 息子はピーマンが嫌いだ。

 高校2年生になるというのにいまだにピーマンが大の苦手で、料理の中に入っていると、目ざとく見つけて箸でつまみ出す。箸の先の先に恐々挟むと、危険物駆除をするかのごとく慎重に、そして時折母の視線を気にしつつ、素早く皿のふちに隔離する。



 みじん切りにして大好きな肉料理の隙間に紛れ込ませても、どういうカンが働くのか緑の破片は弾いてしまう。

 食べ盛りの大食漢。底なしの食欲を持て余しているというのに、ピーマンを使ったメニューだけは食べてくれない。いや、的確にピーマンだけを弾き出す。

 かくして食事を終えた息子の皿の上には、哀しげな緑の小山が残されていると云う具合になっているのが常だ。



 和洋中、そしてエスニック!


 形状を変えても味付けを変えても、効果はナシ。息子は母の努力を一瞬のうちに無にしてしまう。

 更なる上は……と、不意打ちをねらい、不定期に間隔を置いて息子の目をあざむこうという小業も試みてみたが、これも作戦失敗に終わった。


 普段はボーっとしているくせに、そういうことにだけは探知センサーが機敏に働くらしい。どうしてその機動性が勉学の方面に働かないのかと、母は歯がゆく思う。


 息子よ、ピーマンにどんな罪があるというの?





 ピーマン、トウガラシの1変種で欧米のアマトウガラシのこと。その愛らしい名前は、フランス語のピマン(piment)から。

 つやつや緑の大きなたまご型の果実には数条の縦溝が走り、中身は空洞。辛味はなく、カルシウムやビタミンを多く含み、炒めてよし揚げてもよし煮てもよしのハイスペック野菜。


 日本にやって来たのは明治時代。普及したのは第2次世界大戦後。今やブランド物もアリ。味や大きさも日本人の嗜好に合わせて多種多彩になりつつある。



 あきらめはしない。主婦歴ン年、母親歴ン年の実績に掛けて、わたしは息子にピーマンを食べさせてみせよう!





 さあ、戦闘開始だ。

 わたしはテレビのスウィッチを切ると、すっくと立ち上がり、エプロンを手に取った。

 家人のいない午後は、BSチャンネルで映画鑑賞にふけりストレスを解消するのが、昨今のわたしのひそかな楽しみだ。


 今日は、大好きな古いフランスの恋愛映画を観て、存分に英気をやしなった。

 やはり美男美女のラブロマンスは目の保養、精神(こころ)の栄養だと思う。繁多な日常から逃避するには、架空の世界の物語であろうとなかろうと陶酔できなければいけないのだ。

 頭の中では、観終わったばかりの映画のテーマ音楽が余韻を奏でている。


 いざ、わが城へ!


 わたしはヴェルサイユ宮殿の庭園をそぞろ歩く貴婦人たちの足取りで、キッチンへと向かった。



 残念ながら、3LDKのヴェルサイユ宮殿は狭い。加えて離宮も噴水も『鏡の間』も無いが、キッチンはわたしの城だ。冷蔵庫から食材を取り出し、シンクやワークトップに並べていく。

 最後に野菜室から、ピーマンを取り出した。


 緑色の、愛らしい、ピーマン。


 わたしはピーマンを見つめる。そして、そっと微笑んだ。

 大丈夫よ。今日こそおいしく料理してあげる。

 そのためのレシピも、ちゃんと仕入れて来たもの。

 

 おいしくて箸が止まらなくなるピーマン。


 ねえ、素敵なタイトルでしょ。シンプルで手順も簡単、なのに病みつきになるほど美味しいメニューなんですって。


 わたしはピーマンをひとつ手に取ると、静かに運命の時を待つ「彼」に語りかけていた。





 時計の針は、そろそろ息子が帰宅する時刻であることを告げている。急ぎ料理に取り掛かることにしよう。


 わたしは彼をボールの中に落とす。なんのためらいも無く。

 ボールには水が張ってあった。軽い音を立て水没した彼は、慌てて水面に浮上する。


 突然のことに余裕を無くし焦るその姿に、わたしの嗜虐心が目覚めてしまいそうだ。まな板の上の包丁の鈍い光が、危険な心を煽っている。

 口の端に浮かぶ微笑を隠すことなく、捕まえた彼を水中でさっと振り洗いザルへと引き上げた。

 頭の中では、調理の手順を確認しながら……。



 水洗いされた彼の表面を、水滴が滑っていく。LEDライトに晒され、緑は一層あざやかに映り、そのみずみずしさを誇っているようにも、恥らっているようにも見える。


 ぴんと張った果肉は緊張感を醸し出し、それでいながら短楕円形の三分の二ほどのところに小さくゆるやかなくびれがあって、こちらはあやうい不安定さを感じさせる。



 アンバランスな形態は、若い少年を思わせた。

 少女ではない。ピンク色の頬をした年若い10代の少年だ。中性的な顔立ちで、まだ幼さも残す、不確定な一瞬の美しさを放つ少年のようだ。


 脳内では、すみやかに彼は美少年変換されていた。息子のようにニキビづらでなく、がさつでも無い少年の姿が形成されていく。


 わたしの指がつややかな果肉の上をそっと滑ると、彼は待っていたかのように身を震わせた――ような気がした。


 わたしがほほ笑むと、彼はいじらしい視線を投げかけてきた――ような……


 ――じっと見つめられている……ような…気が……










(ああ、ようやく気付いてくれた。ずっと無視され続けたから、もう気づいてもらえないんじゃないかと悲しくなったよ)



 え、あら。ピーマンの分際で、ずいぶん不遜な態度ね。

 あなた、わたしに料理されちゃうのよ。



(そうだね。僕は、あなたに料理され、あなたの息子に食べられる。

 でも、口にしてもらえるかどうかはあなたの腕次第――なんでしょ)



 ああ、それを言わないで!!



(嫌われているのは知っている。僕は、彼の好みのタイプじゃないらしいからね)

(あなたには「かわいい」って言ってもらえるけど、彼は見向きもしない。それどころか、あからさまに避けられているんだから)


(嫌いな理由? 匂いとか、苦みとか)

(仕方ないよ、僕はトウガラシの仲間なんだから。十人十色とか言うでしょう。あれといっしょ。僕ら野菜だって、いろいろなヤツがいるんだ。そこのところは大目に見て欲しいよね)



 そうよ――!

 同じ野菜だって、キュウリは食べるのよ。最初は嫌がったくせに、中学生になったら、浅漬けをポリポリ食べるようになったわ。

 枝豆だって、好きよね。パパの酒のつまみを横取りするくらい。


 なのに、なぜにピーマンはダメなの?


 息子のお友達のアキ君は肉詰めにしたら食べたっていうから、作ってみたわ。

 そしたら中身の肉だけペロリと食べて、あなたは残したのよ。残されたあなただけがペロンとお皿の上に残された姿って、まるで捨てられたTシャツみたいに惨めだったわ。

 油吸った果肉が柔らかくなってシワッとした姿は、見ていられなかった。思わずギュと抱きしめて、あなたが悪いんじゃないって叫びたくなってしまったの!



(彼は好みがうるさいから)

(え、好き嫌いが激しいって、はっきり言って構わないって。厳しいな、あなたは。確かに、あの時はつらかったよ。よくもここまで嫌われたものだと)

(でも、嫌いなものは嫌いってはっきり言うところは、あなたと似ていない?)



 だからって、もう高校生よ。デカい図体して、ピーマン怖い、なんてみっともないじゃない。

 緑色の野菜なんて食欲がわかないですって。

 冗談じゃないわ。それじゃ、なぜ枝豆は食べるのよ!

 今日こそは、四の五の言わせず、食べさせてみせるわ。



(どうするつもり? 僕は、あなたに従うよ。煮るやり、焼くなり、好きにして)



 ――かわいい子!

 息子もあなたくらい素直だったら、どんなにラクかしら?

 もう、年々、憎たらしくて手に負えなくなってくるんですもの。



(でも、かわいいんでしょ。僕なんかより、ずっと。だから、僕を料理しようとしている。すべては彼のため)



 だめよ。

 そんなせつない声を出さないで。料理しづらくなるわ。

 包丁を入れるのが、まるで罪のように感じるわ!



(そうだよ。だから、ぼくを食べてよ。余すところなく全部食べてよ。あなたの欲望の糧にしてよ!)



 もちろんよ、あなたはわたしが食べてあげる!

 そして、息子にも食べさせるの!



(やっぱりあなたは僕なんかより、彼のほうがかわいいんだ。あなたの心を独り占めには、出来ないんだ)



 ごめんなさい。ゆるして。

 だって、だって、わたしは…………!








  ******





 その時、キッチンの入り口に人の気配を感じた。見ればニキビづらの高校生が、冷めた目でこちらを見ている。


 いつ帰宅したのだろう、息子だ。


「……キモいんスけど。ピーマンに頬擦りすんの、止めてくんね?」


 その途端、今まで私の耳を潤していた、甘い彼の声は聴こえなくなった。艶っぽく誘っていた果肉はだもその輝きを失った。かわいいピーマンは、短楕円形の緑色の物体に戻っていた。

 わたしを置いて、彼は消えてしまったのだ。


 ああ、こんなにも突然、別れが来るなんて――――!

 




 ショックから抜け出せないまま、わたしは無言でピーマンを刻み始めた。


 彼の言ったとおり息子のために。

 美味しくて箸が止まらなくなるピーマン、を作るのだった。


 



ピーマン(日)=piment(仏)=sweet pepeer(英)

ピーマンというユニークなネーミングがどこから来たのだろうと調べ始め、英語名である「sweet pepeer」からラブストーリーっぽいものが書けないかなぁと、試行錯誤を始めたのがこのお話誕生のきっかけ。

本来の目標からは、完全に逸脱しております。

sweetと言うとまず「甘い」という意味を連想しますが、「優しい」とか「香りが良い」とか「楽しい」などの意味もあるそうです。

愛らしい名前の持ち主なのに、嫌われ度ランキングの常連ピーマン君。でも栄養価は高いので、お皿の隅に弾き出さずに、ちゃんと食べてあげてください。


――ということで、今回の話は、ちょっと悪ノリしてみました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 肉詰めピーマンは最高にうまいのにな。ひき肉の油を吸って、独特のほろ苦さがアクセントで最高にうまい。 てかピーマン嫌いな人って、ピーマンは苦い!って言うけれど、大丈夫な自分からしたらちっとも…
[良い点] レビューにつられて拝読しました。 めちゃくちゃ面白かったです!! いや、作者様の筆力に圧倒されました。 この擬似ピーマン少年のお色気たるや。 結局、息子さんに食させることができたかどうかが…
[一言] チャーミングな物語でした! 面白かったです(*´∇`*)
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