マズいけど本当にマズいけどそんなことよりマズいけど
「羽が……」
「覚悟しろよ? 少年。逃げ帰れば良かったというのに、ノコノコとここまで来たんだ」
そういってヒストリアは右手をかざすと、クラーケンが触手を思いっ切り天上院に打ち付ける。
「ぐあっ!」
避けようとした天上院だったが、翼が謎の物質に固められており速度が格段に落ちていた。
結果的に触手を避けることが出来ず、その攻撃を食らってしまう。
「ちょっと激しすぎだよ。もうちょっと優しく出来ない?」
「無理な相談だな。生憎興奮していて理性が保てん」
天上院が痛みを堪えて放った冗談に、笑顔で返すヒストリア。
状況は圧倒的に天上院の不利だ。
身武一体の制限時間もそろそろ尽きる。
「そういえば先程と姿が違うな。その羽はいつから生えたのだ? そして股間部の息子はどうした。二本あったのが一本に減っているが」
「正直股間に二本も槍はいらんよ動きづらいし」
現在の天上院ことアレックスの姿は先程とは異なり、股間の槍は二本から一本になり、男の象徴には葉っぱのような緑色の何かに包まれている。
「まぁいい、また何かわけのわからんことをされる前にとどめを刺させてもらうぞ」
「ちょっと休憩させてよ、疲れちゃった」
「その余裕な表情をいつまで保ってられるかな?」
ヒストリアは再び右手をかざし、クラーケンに指示を出す。
「終わりだ少年。貴様が死ぬまで嬲って……ん?」
天上院への死刑宣告をしようとしたヒストリアは、異様な雰囲気を感じた。
正確にはヒストリアの背後からソレを感じたのだ。
「まさか!」
「……?」
来る攻撃に身を強張らせていた天上院は、ヒストリアの焦った様子をみて怪訝な表情をする。
そして天上院は見た。
クラーケンに乗っているティーエスを閉じ込めたガラスケース。
それに大きなひびが入っているのを。
「『歌姫』!」
ヒストリアがそう叫んだ瞬間、ガラスケースが完全に砕け散る。
舞い散るガラスの破片。
その鋭利な輝きの中、藍色に輝く二つの光。
ティーエスだ。
彼女の体は謎の光を放ち、煌いている。
「-------!」
「ッ! ぐあああああああ!」
ティーエスが口を開けると、ヒストリアが突然苦しみだす。
一瞬何事かと思った天上院だが、天上院もまたヒストリアと同様に苦しむことになった。
何やら物凄い勢いで体中を打ち付けられている。
全身の皮膚が剥けるような痛みを味わった。
苦しんでいるのはヒストリアと天上院だけではない。
外交窓口に集まった人魚達も例外なく、その武器を放り捨てるほど叫びをあげて苦しむ。
ティーエスを乗せたクラーケンは何故か動きがない、気絶しているのだろうか?
或いは既にもう。
天上院の翼に付着した謎の物質も、ティーエスの何かを受けて砕け散る。
瞬間翼に力が戻り、痛みが僅かに緩む。
「何事!?」
天上院はティーエスの姿を仰ぎ見る。
彼女もまた、何かの痛みを堪えるように顔を歪ませ、頭を抱えている。
明らかに正気ではない。
(主、制限時間が近い。身武一体が解除されれば最早全てが終わるだろう。その前に早く!)
「わかってる!」
天上院は翼を広げ、ティーエスに向かって飛ぶ。
しかしティーエスに近付けば近付くほど体への衝撃は強くなる。
「ぐっ……」
身武一体の強化を受けて尚感じるその痛みに天上院は苦悶の声を漏らす。
痛みはどんどん増していく。
動かぬクラーケンの頭の上に乗り、ティーエスの目前に降り立った天上院。
しかし痛みのあまり天上院は思わず一歩後ろに下がってしまった。
「だ、め……!」
天上院はティーエスを睨み付け、拳を固める。
「もっと前に!」
そして再びゆっくりとティーエスに向けて歩き始めた。
「うっ……」
前へと足を踏み出した天上院だが、ティーエスによる衝撃波は絶え間無く天上院にダメージを与える。
ティーエスの側に近付く事で衝撃波の正体がわかった。
衝撃波が打ち付ける度にティーエスの喉元が動いている。
ティーエスが音として聞こえないほどの高い音で歌っているのだ。
「彼女の口を無理矢理抑え付ければイケるかな?」
(多少はマシになるだろうな)
歌声攻撃は常に強い衝撃が来るわけで無く、その威力が弱まるタイミングがある。
次に威力が弱まるタイミング。
それを狙って天上院は一気にティーエスへ接近する事にした。
足を踏ん張って強い衝撃を耐え、弱まるタイミングを待つ。
押し寄せる痛みの波をひたすらに耐える。
レーザーで体中を焼かれているような感覚を覚えた。
永遠に感じられるような時を耐えた後、遂にその威力が弱まり始めた。
「今だ!」
弱まり始めた瞬間、天上院は一気に足を踏み出す。
もっと弱いタイミングなど待ってはいられない。
体が限界だと悲鳴をあげているのだ。
少しでも弱くなった今しか気力が保たない。
先ほどまでのゆっくりとした歩みと異なり、素早くティーエスに接近する。
そして遂に天上院はティーエスの目の前にたどり着き、その顎と頭を思いっきり押さえつけ口を閉じさせる。
「ーーーーー!」
「ティー!」
自らを押さえつける者を振り払おうとティーエスは暴れるが、天上院は必死に彼女の口を開かせぬよう力を込める。
しかしティーエスの暴走は激しく、もう少しで振り払われそうだ。
「助太刀するぞ少年!」
いつの間にかヒストリアが天上院の隣に立ち、天上院と同じくティーエスの口を押さえた。
警戒する天上院だが、ヒストリアの必死な表情を見て、その心を探る事にした。
「なんでティーはこんな事になってるの!」
「知らん! 『歌姫の力』なのは間違いない!」
「『歌姫』ってなに!」
「人魚のくせに知らんのか! 200年前の中央戦争でミーシン・セージ様が操っていた力だ!」
「こんな無差別に周りを攻撃する力なの!?」
「この少女の様子を見ればわかる。暴走しているだけだ!」
「なんで暴走したのさ!」
「完全に私のせいだ!」
「ぶっ殺すぞテメエ!」
天上院は今すぐヒストリアをぶん殴りたいという想いに駆られたが、今のティーエスを1人で抑えるためにはヒストリアの協力が必要だ。
「どうすれば暴走が止まるの!」
「おそらく私が彼女に洗脳の術をかけた事がトリガーで暴走したのだろう。今から彼女の洗脳を解除する。それまで耐えるぞ!」
「本当に洗脳を解除するんだよね!?」
「これ以上暴走されてたまるか、今だけ私を信じろ!」
そう言ってヒストリアは右手をティーエスの額に乗せて目を閉じる。
天上院は暴れるティーエスへ馬乗りになり手と頭を押さえつける。
「洗脳解除にどれくらいかかるの!」
「わからん! この少女次第だ!」
ティーエスは押さえつける天上院達に全力で抵抗している。
暴走が収まる気配は見えない。
「ティー……!」
「クソッ、『歌姫の力』が体内を駆け巡っているせいで洗脳解除の音波が通らん!」
状況は膠着したまま、一歩も進展しない。
「洗脳解除が出来ないって……どういうことさ!」
「正確には洗脳の解除自体は『歌姫』の力が暴れだした時点で為されている。問題なのが洗脳の最終段階である『人形状態』、つまりなんでも言うことを効かせられる状態だな。それは解除されているんだが第一段階の『判断力の欠如』が解除されていない。それも本来なら解除できるんだが『歌姫』のせいで解除音波が阻害されている」
「じゃあどうすればいいの!」
「呼びかけるしかあるまい。もしくは一気に現実へ引き戻されるようなショックを与えるとかな」
「なら手伝えバカ!」
「わかった」
そう言って天上院とヒストリアは共にティーエスに向かって叫び始めた。
「ティーーー! 戻っておいで!」
「目を覚ますのだ少女よ!」
つい先ほどまで命のやり取りをしていた者同士が一緒に暴れる少女に向かって叫ぶという奇妙な光景が繰り広げられていた。
しかしティーエスに目覚める気配はない。
「ティー! 起きないとチューしちゃうよ!」
「そうだぞ! この全裸で股間に葉っぱを巻いた変態男に唇を奪われるぞ!」
ヒストリアにそう言われて天上院は思い出した。
天上院は今アレックスの姿なのだと。
そのことに気付いて天上院は思った。
これはいけないと。何故か?
1、アレックスの姿でティーエスとキスをする。
2、ティーエスが目覚める。
3、ティーエス「アレックスが私を助けてくれたのね//」
4、二人はフォーリンラヴ。
5、天上院とティーエスがドスケべするルート消滅。
これはいけない。
そもそも頭と顎を必死に抑えて暴れるティーエスを無理矢理抑え込んでいる現状でキスもなにもあったもんじゃないのだが今の天上院はそこまで頭が回っていない。
「やっぱキスは無し! 頑張って起きてティーエス!」
「むしろ本当にやる気だったのか少年……」
若干ヒストリアの視線が冷たくなった気がする。
最早天上院にアレックスに対する良心の呵責などは存在しない。
「とにかく少女を安全な所に移すぞ。今は気絶しているようだが、クラーケンがいつ目を覚まして暴れるかわからん」
「クラーケンまだ生きてるの?」
「活動できなくなったら魔獣は溶けて消えるからな。下手すれば私がクラーケンに掛けた洗脳も解かれている可能性が高い」
「ヤバいじゃん」
「そうだ、相当ヤバい。ここで暴れて海底都市が滅茶苦茶になるのは構わんが私の同志にまで被害が及ぶ。だから即急に少女をコイツから降ろした後再洗脳する」
「……一応聞くけど、クラーケンを殺すっていう選択肢は?」
「残念だが存在しない。私は一時的に少年と協力しているだけであって、和睦したわけではないからな」
「あっそ」
天上院はヒストリアの行動を止めなければいけない立場だろうが、未だ腕の中で暴れるティーエスを手放すわけにもいかない上、そんな状況でクラーケンが暴れだしたらもう収拾がつかない。
だからヒストリアに対してとりあえずは一歩引くことにした。
ティーエスを天上院と共にクラーケンから降ろした後、ヒストリアは再びクラーケンの頭の上に行き、掌を当てて洗脳を開始する。
それをチラリと天上院は見るが、最早どうにもならないと諦め、ティーエスの復活を優先する。
「ティー」
天上院の腕の中、ティーエスは暴れ続ける。
やはり一人で今の彼女を抑えきるのはキツイ。
少しでも気を抜けば彼女を放してしまいそうだ。
何度も呼びかけるが彼女に反応はない。
「ティー、起きてよ……!」
「ティーーーーーーーー!」
「は?」
一瞬天上院の手が緩みかけ、ティーエスの口が開きそうになった。
それを慌てて抑えた天上院は、今一度ティーエスの名を呼んだ自分以外の存在に目を向ける。
天上院が見たティーエスの名前を呼びながらこちらへ走ってくる人物。
それは天上院だった。
「ティーーーーーーーー!」
自分が叫び声をあげながら勢いで走り寄ってくるという奇妙な光景を、天上院は見た。
天上院は一瞬目の前の状況に困惑した。
それはそうだろう。
自分の姿をした何かが目の前から走ってくるという体験をした者はなかなかいないはずだ。
しかし天上院は冷静に考える。
自分は誰と入れ替わっているのかと。
アレックスだ。
つまり、こちらに走り寄ってくる天上院の姿をした何者かの正体は。
「ティーーーーーー!」
間違いないアレックスだ。
ここで天上院が何故アレックスと体の入れ替わりをしているのかを思い出してみよう。
人魚同士の争い、それも人間の都市へ攻め込むと叫ぶ人魚がいる争いに人間である天上院が加入してはならないと防衛隊長のウッケンに言われたからだ。
それなのに人間の、天上院の姿をしたアレックスがどうやって来たのかこの場に現れてしまった。
なんかもう色々台無しになってしまった気がする天上院である。
しかし、天上院弥子はそんな状況でも自分に有利なように事を勧められる方法を考えた。
「アレク!」
「うおっ、俺がいる! なんかすげえ変な感じだな」
「同意するよ。でも今相当緊急事態だから手伝ってくんない?」
「見ればわかるぜ。ティーが苦しんでるが、俺は何をすればいい?」
「今すぐティーにチューして」
「……は?」
真剣な表情でティーエスと天上院の傍で膝を突いたアレクは、天上院の言葉に一瞬呆ける。
「すまん、もう一回言ってくれねぇ?」
「今すぐティーにチューして」
「はぁああああああああああ!?」
天上院の言葉にアレクは顔を真っ赤にして飛びのいた。
何度も言うが今のアレクは天上院の姿である。
女の子とキスをしろと言われて顔を真っ赤にする自分の姿を、どこか新鮮な思いで天上院はアレックスを見た。
「何言ってんだお前!」
「ティーエスを助けるためなの! 早くして!」
天上院が考えていることはこうだ。
現在天上院の姿であるアレックスとティーエスをキスさせ、それによってティーエスが目覚めれば。
1、天上院(中身はアレックス)がティーエスとキスできる
2、ティーエスが目覚める。
3、ティーエス「ヤコちゃんが私を助けてくれたのね//」
4、天上院とティーエスがフォーリンラヴ
「これしかねえ」
もう天上院がアレックスの姿で頑張ってたり現実がそう甘いわけがない点などに関してはもう天上院はどうでもよくなり始めていた。
この作戦は天上院がキスしたとは言い難い結果になるが、天上院がアレックスの姿でキスしても天上院がキスしたと言えるか微妙な気持ちとなったため、苦渋の決断である。
天上院の姿をしたアレックスがこの場に来た時点でもう「人魚の姿で解決」というプランは壊滅なのだ。
こうなったら「人魚と人間でも仲良くなれるよ」プランに移行するしかない。
「なんで俺がティーとキスする必要があるんだよ!」
「それでティーエスがどうにかなるんだって!」
「ほんとかよ!」
「知らない! 多分どうにかなる!」
「駄目じゃねえか!」
「据え膳食わぬは男の恥って言うでしょ! さっさとチューしろ!」
「今の俺女だから!」
(主! マズイ、そろそろ時間だ!)
「本当にもう時間がないの! せめてティーエスの口が開かないように抑えて!」
「わ、わかった!」
アレックスに早くキスをしろと言う天上院だったが、ここで最悪なことに身武一体の制限時間が来てしまった。
天上院は身武一体が解除される前にアレックスにティーエスを渡す。
「待たせたな、少年。今しがたクラーケンの再洗脳が……人間?」
「ロウター、フォローよろしく」
(今回は本当に大変そうだな……)
クラーケンの再洗脳を終えたヒストリアが戻って来たころ、丁度天上院の変身が解けた。




