頑張るけど走るけど悔しいけど
眠りから目覚めた天上院。
懐かしいドイツ留学の夢だった。
「『もっと踏み込みなさい』か」
それはエミリアに言われた言葉。
きっと今の自分、悩んでいるティーにどうすればいいか分からず戸惑っている自分に一番必要な言葉だ。
「ドイツにはもう行けないけど」
天上院はベッドから起き上がり、拳を握り締めて想いを固める。
「『踏み込め』という約束は果たすよ」
遠い世界の少女へ、天上院はそう誓った。
「放課後にワイゼル達と話し合おう、ティーエス」
昼休み、ティーエスと食事しながら天上院はそう切り出した。
他のメンバーとはなんとなく気まずくて別に食べている。
先週ティーエスが魔獣に襲われて以来、バンドメンバーの雰囲気が険悪になっている。
昨日の一件でそれはもう誤魔化しの効かないレベルになってしまった。
どうにか解決したいが、どうすればよいのかも分からない。
ティーエスが襲われた時にアレックスが取った行動を、恐らく皆は気にしているのだろう。
だが客観的に見て彼の行動は至極正しいものだと思う。
確かに助けようとしたワイゼルの行動は人情的に正しく、アレックスは非情に見えるかもしれない。
だがワイゼルは天上院が助けなければ、魔獣の攻撃で大怪我を負っていただろう。
故に状況を冷静に判断し、ワイゼルを引き留めたアレックスの判断は正しかったということになる。
ティーエス自身もそれは分かっている。
今回は二人とも自分が正しいと判断した行動を行い、そのどちらも間違いではなかった。
アレックスはティーエスに謝ったが、彼が謝る負い目など一つもないのだ。
「そうね……」
誰も間違っていないのだ。
故にどうやって事態を解決すればいいか分からない。
「とにかく皆と話さなきゃ」
しかしこのまま何の行動もしなければ、事態は解決しない。
もう一週間後にはライブ本番なのだ。こんなことで時間を無駄にするわけにはいかない。
どうにかもう一度バンドメンバーを招集し、話し合って練習を再開しなければ。
決意したティーエスは、早速スマホでメンバーに連絡を取った。
しばらくして全員が放課後集まることに賛同し、事態は好転の兆しを見せた。
「よかったね」
「うん、絶対にどうにかしてみせる」
ティーエスは天上院に微笑み、昼食を食べ終えると立ち上がった。
「ありがとうヤコ、私頑張るね」
「うん、私も出来る限りフォローするよ」
なにか憑き物が落ちたような笑顔でティーエスは笑う。
その顔を見てほっとする天上院。
まだ集まることが決まっただけだが、なんだかんだ言って仲のいい4人だ。
きっと仲直りできるだろう。
ティーエスと天上院は教室に戻る。
「あっ、ごめんヤコちゃん。私お手洗い行くから先教室行ってて」
「わかった」
「~♪」
ティーエスは上機嫌だった。
スマホで放課後集まることを提案した時の反応はとても良いものだった。
きっとなんとかなるだろう。
そしてまた皆でバンド練習を再開するのだ。
「~♪」
もうすぐお昼休みが終わる。
生徒はもうほとんどいない、自分も早く帰らなければ。
お手洗いから出たティーエスは急いで教室に向かおうとする。
しかしその時突然背後から口元を布で抑えられた。
「-----ッ!」
刺激臭がする。
脳が震える感じがした。
視界が暗くなっていく。
口元を抑える誰かの手を思いっ切りひっかくが、その拘束が緩まることはない。
そしてティーエスは意識を失った。
「セージさんが見当たりませんが、誰か彼女が今どこにいるかご存知ですか?」
昼休み終了後の授業、担当教員が席に座っていないティーエスの行方を聞く。
「あ、お手洗いに行っています」
「そうですか、では授業を始めます。教科書の103ページを開いてください」
しかし授業開始から30分経ってもティーエスは帰ってこなかった。
流石におかしいと思ったワイゼルが天上院へ小声で話しかけてくる。
「おいヤコ、ティーのヤツ、流石に遅くねえか?」
「私も気になってきたところだよ、どうしよう」
「スマホで連絡取ってみてくれええか?」
「そうする」
しかしそれから10分経ってもティーエスからは何の反応もなかった。
もう10分すれば授業が終わってしまう。
「テンジョウインさん、セージさんの様子を見に行ってもらえませんか?」
「はい、わかりました」
教員が流石に怪しみ、天上院にティーエスの様子を確認してくるように依頼する。
天上院は二つ返事で了承し、すぐにお手洗いへ向かった。
「ティー、大丈夫?」
ティーエスが向かったお手洗いのどの部屋も確認したが、どこにもティーエスの姿は見えない。
急いで教室に戻る天上院。
「先生、セージさんの姿が見当たりません」
「本当ですか? どこにもいなかったんですね?」
「はい、全ての個室を確認してきました」
「入れ違いになってしまった可能性は……薄いでしょうね。わかりました、至急職員室全体に通達します」
授業時間が丁度終わり、教員は急いで職員室へ戻る。
ティーエスはこの海底都市で一番の権力者である都市長の娘だ。
場合によっては大事件になりかねない。
「おい、ヤコ。ティーのヤツはどこいったんだ」
不安に思ったワイゼル達がティーエスの居場所を天上院に聞いてくる。
「……ごめん、私がティーエスと付いて行っていれば」
「ヤコちゃんのせいじゃないでしょ。ティーエスは本当にお手洗いに行ったのよね?」
「うん、それは私がこの目で確認した」
「念の為もう一回学校内を探してみよう」
天上院達は学内を捜索しようとしたが、6時間目の授業が始まってしまう。
「クソッ、どうする」
「皆は授業を受けて。私ちょっと熱が出てきたから早退する」
「……わかった、そう伝えておくわ」
ワイゼル達に別れを告げた後、天上院は学校を出て、意識を集中した。
「ティーエス、どこに行ったの」
頼りになるのは美少女感知センサー。
天上院は心を研ぎ澄ませ、か細いティーエスの反応を頼りに走り出した。
天上院は走る。
ティーエスの反応は時々消えるのだ。
恐らく相当弱っているのだろう。
彼女の身が危ない、念の為天上院はティーエスの家に電話を掛ける。
「はい、どなたですか?」
「お世話になっています、ヤコ・テンジョウインです。ウミオー・セージ都市長に代わっていただけますか?」
「畏まりました」
待機音楽が鳴った後、しばらくしてウミオーが電話に出た。
「テンジョウイン殿か、ティーエスが学校から居なくなったと聞いたが本当か」
「はい、今ティーエスを捜索してます」
「手がかりがあるのか?」
「何故かは言えませんが……確実に居場所がわかります」
「そうか、なら場所が特定出来たらまた連絡をしてくれ」
「わかりました」
天上院はウミオーとの通話を切り、再びティーエスの反応を頼りに歩きだす。
速度はなかなか早い、車と同レベルだ。
走って追いかけたいが、反応が本当に微弱なので走ったらすぐに捉えきれなくなってしまいそうなのだ。
急いで助けたいのにも拘らず、急げば反応しづらくなるというもどかしさ。
自然と早歩きになる。
「どこだいティーエス……無事でいてね」
折角放課後に皆で集まり、仲直りが出来そうだったのに。
これではあんまりじゃないか。
やがて天上院は一つの建物の前で立ち止まった。
見た目はそう大きくないコンクリートの武骨な建物。
天上院は離れた所から再びウミオーに電話をした。
「テンジョウイン殿か、どうした」
「ティーエスの居場所が特定できました」
「早いな、もう目の前なのか?」
「はい、その建物の前にいます」
「そうか、ならスマートフォンを介して場所を特定するからそのまま少し待っていてくれ」
スマホの位置情報を利用して場所の特定というのが平然とできるようだ、恐ろしい。
「ふむ、ビジネス街か。今すぐそちらに調査部隊を派遣する。客人に対して大変申し訳ないのだが、怪しい動きがないか見張っておいていただけないだろうか」
「普段お世話になっていますし、なにより親友であるティーエスのことですのでお気になさらないでください」
「すまぬな……」
「いえ、心中お察しします」
自分の孫娘が恐らく事件に巻き込まれているのだ。
しかも明らかに都市長である彼の娘を狙った犯行。
気が気でないだろう。
天上院は注意深く建物を観察する。
さっきからやけに人の出入りが激しい。
間違いなくティーエスの誘拐に成功した為、関係者が集まっているのだろう。
「久しぶりだな、テンジョウイン殿」
後ろから声を掛けられたので天上院が振り返ると、そこには天上院が海底都市に訪れた時に質疑応答を行った防衛隊長のウッケンが現れた。
「ウッケンさん、お久しぶりです」
「都市長の孫娘の歌姫様が攫われたという依頼を聞いてな、至急現場に訪れたんだ。で、歌姫様はどこだ」
「歌姫様?」
「ん? 知らなかったのか、ティーエス様のことだ。彼女は200年前の中央戦争の時に人魚達の先陣を切ったミーシン様の……あぁすまない、今はそれどころではなかったな」
「後でゆっくり教えてくださいね、ティーエスならあの建物の地下です」
「分かった。 『全隊員に連絡、対象の位置を把握。至急取り囲み、突撃の合図に備えたし。尚、犯人の目的が未だ明らかでないため対象の安全確保の為、待機を厳命する』」
そうウッケンが言い終わった瞬間、建物から爆発音が聞こえた。
爆発音に天上院達が振り返ると、そこには舞い散る土埃と共に崩れ去った建物と、巨大なカニが現れた。
「なんだあいつは!?」
「総員! 武器を構えろ!」
突然現れた巨大なカニに対して警戒を強めるウッケンの調査部隊。
やがて巨大カニの甲羅の上に、一人の人魚が立った。
その人魚は黒と白のコントラストが鮮やかな姿をしている。
服は真っ黒だが、その体は髪の毛に至るまで病的なまでに白い。
しかしその眼だけは真っ黒で、その存在感をより際立たせていた。
「光の届かぬ海底都市に住まう人魚達に告ぐ」
拡声器でも使っているのだろうか。
海底都市中に響くその声はとても中性的で、不思議と人々の心に響いた。
「我々人魚は200年前より傲慢なる人間達からこの海の底へ閉じ込められ続けてきた」
その人物は拳を握り締め、海底都市の金属で出来た天井を見上げる。
「輝く光を奪われた我々は統一学校による教育という洗脳によりいつしかその牙を失い、支配する者に対して何の疑問も抱かなくなった」
そして天に吠えるがごとく拳を突き上げる。
「しかし! この私ヒストリア・ストレインが今日この時を持って人魚達の権利を! 享受すべき幸福を! そして光を取り戻すことをここに誓う!」
そう言ってその人物、ヒストリアは巨大ガニになにやら指示を出す。
指示を出された巨大ガニは、その胴体に見合わず、高速で横歩きをしだした。
「マズイなあのカニ。あの方向は間違いなく都市長様の邸宅だ」
「私が止めてきます」
「やめなさい」
「大丈夫です、力ならあります。ティーエスを襲った巨大ダコを討伐したのも私です」
「違う、力の問題じゃない。これは我々人魚の問題だ」
そう言うウッケンの顔には怒りがありありと浮かんでいる。
「これは人魚が起こしたクーデターだ。悪いが自国の恥を異国の人間に雪いでもらうわけにはいかない」
そう言ってウッケンは隊員に指示を出す。
都市長の邸宅に辿り着く前にヒストリアを拘束する心積もりのようだ。
「テンジョウイン殿、申し訳ないが、貴女は今回の件に介入してはいけないのだ。貴女は確かに強いのかもしれないが、人間である貴女がこの騒動を鎮圧すれば間違いなく奴らの反人間感情はより一層高まる。だから君にはどこか安全なところで隠れていてほしい」
そう言ってウッケンは懐からメモ帳を取り出し、なにやら書き加えて天上院に渡した。
「防衛局本部の住所だ。スマホでそこを検索して、事態が収まるまで隠れていてくれ」
「……わかりました、ただこれだけは言わせてください」
「なんだい?」
「あの巨大ガニの中から、ティーエスの反応がします」
「……最悪だが、とても重要な情報だ、ありがとう」
そう言ってウッケンはヒストリアを追って隊員達と共に走り出した。
残された天上院は、ウッケンから貰ったメモを握りつぶしてしわくちゃにした後、それを引き延ばしてそこに書かれた番号をスマホで検索し、ゆっくりと歩き出した。




