清宮姫子の幕開け
彼女が去った部屋で、私は椅子に座ったまま呆然と閉じたドアを見つめました。
つい先ほどまで暴れていた私を押さえつけ、今も心配そうな目でこちらを見るドレッドさんには申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
それ以上に、今回も最悪なタイミングで私の邪魔をしたこの左目に宿る悪魔に対する憎悪は、腹の底で暴れる程に煮えくり返ります。
『最高に上手くいったよ。いやぁ、我ながら素晴らしいね』
この、悪魔。
折角天上院様と、再び心を通わせることが出来たかもしれないのに。
あの方と再び、甘い口付けをしたかったのに。
舌で舐めた私の唇に残るのは、鉄の香り。
常ならば顔を顰めてしまいそうなその匂いも、彼女の残した痕と思えば愛おしい。
しかし同時に、二度と感じることは出来ないだろう幸せを塗りつぶす絶望の味。
「おい……」
いつまでもこうして彼女の残滓に浸っていたいと願った私に掛けられた、ドレッドさんの声。
天上院様が去ったドアの方に軽く目をやったあとに、私の後ろに回り込んで拘束を解いていきます。
「大丈夫だ。ヤコには、後で私から伝えておく。どうせお前の本意じゃねえんだろ」
気遣うようにドレッドさんは、優しい声で私に言いました。
天上院様と会う前に私の相談相手になってくださった彼女は、今回の事態を察しているとばかりの声音です。
『本意じゃない? 君はヒメコちゃんのことをなぁ~んにも分かってないね』
しかし私の頭の中で響く悪魔の声は、不快な程に愉快そうな笑い声を上げます。
本意じゃない、そう、本意じゃない。
いや、本意だったのです。私が天上院様に伝えた言葉は、紛れもなく私の心の奥底に燻っていた私の感情。
天上院様とキスをする時に邪魔をしたのは、間違いなくこの悪魔。
しかし悪魔は私の内なる想いを爆発させただけで、今までのように身体を直接乗っ取ることはしませんでした。
天上院様は、私だけを選んでくれたと思っていた。
叫んだその言葉は、間違いなく私の言葉。
悪魔の嘘ではなく、私自身が作り上げた傲慢の塊。
きっと、悪魔が喋ったのなら、彼女はそれを見抜いたでしょう。
しかし、それが紛れもない私の本心だと悟ったから、天上院様は部屋を去ったのです。
『さぁ、どうする?』
何をしろと、言うのだろうかこの悪魔は。
『彼女と同じ星の下、彼女を拒絶した君。これからだ、これから君の懺悔は始まるんだ』
懺悔、何が彼女への懺悔となるのでしょうか。
悪魔に唆された分際で、神にでも祈れと言うのでしょうか。
死にたいと願っても、この悪魔は私を決して殺してはくれないというのに。




