天上院弥子の地球浪漫 ~日本編、その3~
「10問中9点か~。惜しかったねぇ」
私は採点された自分の答案用紙を見ながら悔恨の思いで震えます。
今までテストの点数を気にしたことなど殆ど無かったのですが、これほど悔しいものだったのでしょうか。
今までの私がこれを見たら上出来と思うでしょうか、それとも奇跡だと思うでしょうか。
しかし今の私はたった一問間違えただけでこんなにも悔しい。
「premiumをpremiamって書いちゃうミスね~。よくあるタイプのスペルミスだと思うし、覚える期間一日でこれ以外全部正解だったのは凄いと思うよ」
それは最後の最後まで迷ったスペルでした。
aだっけuだっけと迷った挙句、最後の最後でaと書いて提出しました。
その結果がこれです。
「じゃあ約束通り、1秒間私とチューしよっか♪」
非常に口惜しい。
というかこのルール、よく考えたら間違えた問題が1問だろうが10問だろうがキスすることには変わりないじゃないですか。
満点以外は等しくゴミという人がたまにいるそうですが、その意味が少しだけ理解出来た気がします。
「……逃げも隠れもしません。かかってきなさいな」
「お? 素直だね」
事前に私はその約束で同意をしました。
ここでみっともなく抵抗するのはそれこそ私のプライドが許しません。
幸い放課後になってからかなり時間が経っていますので、人は殆どいません。
私は目を瞑って天上院弥子の口付けに構えます。
しかしいくら待っても天上院弥子はキスをしてきません。
どうしたのかと思っていると、何故か天上院弥子はキスではなく私の髪を撫でてきました。
「そんなふうに構えてちゃ、気持ちよくなれないよ?」
優しく撫でられた髪に意識が向き、私は目を開けて天上院弥子の顔を見ようとしました。
しかしその時すでに、私の唇は奪われていたのです。
「……!」
やられた。
折角身構えていたというのに、一瞬の隙を突かれてしまいました。
無防備になった私に襲い掛かる優しい口付け。
それは私の思考を止めるに十分すぎる衝撃でした。
この女がやるようなキスは、この女の性格のように強引で独り善がりなキスだと思っていました。
しかし現実はどうか。
それは相手を落ち着かせ、一時の安らぎを与えるかのよう。
「……はい、1秒」
そして天上院弥子はそう言って唇を離し、まるで出会った日に見た悪戯な笑顔を浮かべました。
「結構気持ちいいでしょ?」
気持ちよかった? という確認の言葉ではありません。
絶対に気持ちいいと確信している傲慢な言葉に、思わず呆れた笑いが出ます。
「……随分と長い1秒ですのね」
でもまぁ。
「悪くはなかったです。貴女とのキス」
◇◆◇
「試験時間は60分です……開始!」
試験官の合図と共に、紙を捲る音が教室中に響き渡ります。
そしてシャーペンで名前を記入する音が鳴った後に一時の静寂が訪れ、問題用紙を捲って後ろから解く人、最初のページから解いていく人などに分かれます。
私こと清宮姫子は未だ問題用紙も開かず、名前すらも記入していません。
理由としましては、試験が始まってから30秒は何もせずに目を瞑って心を落ち着かせろと天上院弥子に指示されたからです。
言った張本人も、私の隣で動かずにじっとしています。
(25、26……)
思えばこの二週間、今までの人生の中でもかなり濃い日々を送った気がします。
こんなに勉強したのも初めてでしたし、自分が出来ないことに悔しいと思ったのも初めてでした。
(27、28……)
体を何やら強い力が巡っているような気がします。
今までテストの日は力無くうなだれていましたが、今日の私はやる気に満ちています。
(29、30)
さぁ、やりましょう。
◇◆◇
「平均は63点。最高点は100点の天上院弥子さんですね、流石です。赤点ラインは39点ですので、引っかかってしまった人は追試までに勉強し直してくださいね」
期末テスト終了後の最初の授業。
教師に返却された答案を見て一喜一憂する生徒たちの声に、教室内は騒がしくなります。
私は憂の方でして、自分の点数を睨み付けながら震えます。
「どうだった? 姫子ちゃん」
「……御覧の通りです」
私の点数は57点。
赤点と言う程悪くはありませんが、平均点よりも下ですし良いとは決して言えません。
「おぉ。結構良かったじゃん」
「100点の女に言われても嫌味にしか聞こえませんわ」
結構手ごたえはあったつもりなんですがねぇ。
いざ結果を見ればこのザマです。
フォローしようとしてくれているようですが、満点の彼女に何を言われても正直全く響きません。
「いやだってさ。姫子ちゃんは二週間前まで赤点余裕って言ってた人なんだよ? それがもうちょっとで平均点ってとこまで持ってきたのは凄いと思うし、今回のテストは高校で最初のテストだから気を引き締める為に結構難しく作ってあるんだよ」
む。確かに言われてみればそうかもしれません。
難易度に関しては正直よくわかりませんが、確かに納得のいく理由に聞こえます。
「それを平均以下とはいえ突破できたのは、間違いなく姫子ちゃんが実力を付けた証拠じゃない?」
なんでしょう。
天上院弥子と2週間一緒に勉強をして思ったのですが、この女は人を褒めるのが妙に上手いんです。
何度か挫けそうになりましたが、その度に彼女は励ましてくれました。
「だからさ。次の期末まで一緒に頑張ろ? それで今度こそ姫子ちゃんの納得のいく高得点を取ろうよ」
……もうやめましょう。
もう彼女は、「この女」呼ばわりしていいような人ではありません。
ここまで私を手助けしておきながら、これからも力を貸してくれると言う。
そんな人を敬わないのは、それこそ私のプライドに関わります。
「えぇ、約束のデートはその時まで楽しみにしておきますね」
腐っても私は清宮家の令嬢。
それに相応しい立ち振る舞いなら、散々叩き込まれてきました。
「ですからこれからもよろしくお願いします。天上院様」
◇◆◇
それから私と天上院様は、今までよりも仲が良くなりました。
正確には天上院様の方からはずっと優しくしてくださっていたのですが、私が勝手に警戒して距離を遠ざけていただけです。
なのでその必要が無いと分かった今となってはすっかり気の置けない友人となりました。
ですが、天上院様と一緒にいると少々大変なこともあります。
「て、天上院さん!」
その大部分がこれです。
現在私と天上院様は理科の授業の為に実験室へ移動していたところですが、その途中で呼び止められました。
またか。という思いと共に振り向くと、そこには決意を決めた表情の女子生徒が手紙を胸に持って立っています。
「私、2年の藤垣桜って言います! こ、この手紙を受け取ってください!」
そう言って頭を下げながら天上院様に渡されるハートマークの付いた手紙。
間違いなくラブレターです。
女性が女性に告白するなんてことは所詮フィクションだけの世界だと思っていましたが、ここ最近は日常的な光景過ぎて見慣れてきている自分がいます。
「わかりました。受け取ります」
そう言って天上院様は手紙を受け取ると、渡した女子生徒はその場で泣き出してしまいました。
最初の頃は突然泣き出す人を見て慌てたものの、ここ最近は「あー、泣いちゃうタイプですか」と冷静に分類するくらいになってきました。
この子のように泣き出すタイプや、顔を真っ赤にして逃げ出すタイプ。
恥ずかしくなったのか取り返そうとしてくるタイプなど様々です。
この女子生徒のように泣き出してしまう子が相手だと、天上院様は決まってその腰に手を回し、泣き止むまで何も言わずに頭を撫でます。
女子生徒サイドからすると告白で泣いてしまった自分を慰めてくれる優しい人に見えるのかもしれませんが、毎日見ている私としては早く終われとしか言いようがありません。
「姫子ちゃん、先に教室行ってて」
「……わかりました」
きっと天上院様は彼女が泣き止むまで付き合うつもりなのでしょう。
ひょっとしたらそれで授業に遅れてしまうかもしれません。
毎日のように告白されながらも、一人一人の思いを軽視せずに『最後まで』向き合う彼女だからこそモテるのだと思います。
「これから授業を始めます……天上院さんがいないようですね」
「あー。天上院さんは少し体調の悪い生徒を助けています」
「そうですか、では先に授業を始めましょう」
勿論嘘です。
というか先生サイドも嘘だと知っています。
今の『天上院さんは体調の悪い生徒を助けている』というのは『天上院さんが恋という病に掛かった生徒の対応をしている』という意味になっています。
天上院様が告白してくる生徒に対応していて授業に遅れるというのはほぼ毎日ある出来事です。
当然授業に遅刻するというのは本来お叱りを受けるものですが、相手は学年トップの天上院弥子。
彼女は言わずもがなの模範生ですし、せっかく勇気を振り絞って告白して来た女子生徒に「授業が始まるから今度にして」と言わせるのは女子生徒も天上院様も傷付く結果になるので名目上『体調が悪い生徒を助ける』として多少の遅刻は多めに見ることになっています。
天上院様の規格外さに驚けばいいのか、椿ノ宮の対応が優しすぎるのか迷うところです。
「すみません、遅刻しました」
授業が始まって10分程経過した後に天上院様は教室に入ってきました。
「体調不良生徒のを助けていたそうですね、お疲れ様です。早速ですが……」
そう言って教師は軽く天上院をからかうと、黒板を指差して言います。
「この酸化還元反応式を説明してください。ちょっと難しいですよ?」
それは授業を受けていた私達にも説明がされていない問題です。
ですが天上院様は笑って言います。
「女の子を慰めるよりは簡単ですね」