天上院弥子の地球浪漫 ~日本編、その1~
色を失ったモノクロの世界、といえば少し陳腐な表現でしょうか。
私が高校に入学するまで、世界はとてもつまらないものでした。
小学校の頃からエスカレーターで進学した椿ノ宮。
親から敷かれたレールの上を歩み、いつか親の用意した殿方と結婚する。
それが私、清宮姫子の人生でした。
「姫子お嬢様、そろそろお時間です。お車にお乗りください」
「わかりました」
自分を客観的に見るような人生を送って16年。
世間的には青い春というモノを送る年頃らしいですが、私にはそんなものは必要とされてませんし、ありません。
お嬢様学校である椿ノ宮には異性と交際する機会すらありません。
メイドに案内されて車に乗り込み、退屈な中学の3年間と全く変わらない通学路を眺めます。
これから高校という更に退屈な3年間が始まるのです。
今日は椿ノ宮高校の入学式。
受験して見事合格してくるエリートの高校入学生徒、通称「高入」と私のような中等部からのエスカレーターの生徒、通称「一貫生」の初顔合わせの日でもあります。
椿ノ宮が名門学校としての地位を保たなければいけない以上、古くからの伝統だけでなく、どうしても偏差値というのが絡んできます。
有り余る資産によって英才教育をなされた一貫生の成績は基本的には良いのですが、かけられた教育費=頭の良さというわけではありません。
最高クラスの教育を受ければ一定ラインに届くのは当たり前のことで、そこから先は能力次第です。
私の家、清宮家は昔からの名家であり、膨大ともいえる寄付金を学校に提供することで御世辞にも良いとは言えない成績である私の椿ノ宮高校進学は許可されました。
そんな落ちこぼれに下げられた偏差値を回復する為に、椿ノ宮は外部から高入というエリートを選抜します。
ですからそんな高入のおかげで私は名門である椿ノ宮に進学させて頂くことが出来るのです。
「着きましたよ、姫子お嬢様」
「わかりました」
入学式はセレモニーホールで行うと、事前に配布された入学要項に説明がされていました。
毎年やってくる多くの新入生を歓迎する美しい桜並木も、見慣れた私にとっては劣等生に義務付けられる朝掃除の対象となる花びらを落とす憎らしい存在にしか過ぎません。
早くも気分が憂鬱になった私は思わずため息を付いてしまいました。
「ごめんなさい、ちょっとお伺いしてよろしいですか?」
そんな辛気臭い雰囲気を纏った私に、春を告げる風が聞こえました。
「はい?」
振り向くと、そこには私よりもほんの少しばかり背の高い女の子がいました。
私が今着ているのと全く同じ学生服、間違いなく椿ノ宮の生徒です。
一瞬私以外の誰かに呼びかけて後ろを振り向きましたが、誰もいません。
他に登校中の生徒はちらほら見受けられますが、その人達とは距離が遠いですし、間違いなくこの少女は私に話しかけているのでしょう。
「なにか御用ですか?」
私はこの女の子と会ったことはありません、確信を持って言えます。
何故なら私には友達と言えるような人は殆どいませんし、小学校の頃から椿ノ宮で話したことのある人は教師を除けば両手の数に満たないでしょう。
イジメられている、というわけでは別にございません。
この学校の子供達は習い事などに通っている子が多く、一般的な中学生と異なり、休日に誰かと遊ぶという発想が無いのです。
なのでお互いかなりドライな関係であることが多く、深く関わっても精々同じ部活動の部員同士くらいなものでしょう。
「セレモニーホールの場所を知りたいんですが、どちらにあるかご存知ですか?」
ふむ。
この人物が高入であることは確定しました。
セレモニーホールでは中学の合唱コンクールや卒業式などが行われる為、一貫生が場所を知らないというのはありえません。
その情報を知った私が、どうするか。
私は女の子に自分が出来る最大限の笑みと共に、ある方向を指差して言いました。
「あぁ、セレモニーホールはあちらに見える白い建物を少し歩いた先にある教会ですよ」
嘘です。
セレモニーホールは教会などではなく、まさに今言った白い建物の2階にあります。
教会はそもそも学校内にあるだけで、一部の生徒以外は基本立ち入ることはありません。
何故こんな嘘をつくのか?
単なる高入に対しての逆恨みです。
高入という優秀な人達のおかげで、私のような落ちこぼれが進学できる。
劣等感の塊である私は、エリートである人達を邪魔することによって下らない自尊心を癒すのです。
醜いというのは理解している。
でも、たまらなく気持ちいい。
人を貶めるという行為が。
「ふーん……」
ですが、その女の子は私が指差した方向を見ると、軽く髪の毛を搔き上げます。
そして再び私に向き直ると、にこりと微笑んで言いました。
「よろしければ私とセレモニーホールまで行きませんか?」
笑顔で提案してくる少女ですが、私にとってはかなり返答に困るお誘いです。
勿論私も入学式に出席する以上セレモニーホールに向かうのですが、この少女に嘘の場所を教えた以上、このお誘いに乗るわけにはいきません。
仕方ない、適当にかわしましょう。
「私は別の場所に用がございますので、残念ですがそのお誘いを受けることは出来ません」
「そっか、残念」
勿論用なんてございません。
適当にでっち上げました。
この後はさっさと入学式での参加者名簿に名前を書いてホールに入るだけです。
「呼び止めてごめんなさいね。ではまた!」
「えぇ、ご機嫌よう」
そう言って女の子は私がセレモニーホールだと教えた教会に向かって走っていきました。
まぁ、そこまでの距離もないですしすぐに気付くことでしょう。
私からのせめてもの慈悲です。
◇◆◇
セレモニーホールは建物の二階と三階にあり、吹き抜けになって繋がっています。
二階に私達新高校一年生が一貫生と高入生で向かい合うように座っており、三階の席に二年と三年生が座っています。
現在入学式の真っ最中。
中等部の頃とは別の校歌が、我が校自慢のコーラス部によって歌い上げられます。
私は適当に口パクで歌ってるふりでもしながら、あくびを堪えるのに必死です。
分かっていたことですが、やはり暇ですね。
何かパーッと派手な事でも起こらないでしょうか。
こんな面倒な行事に参加するくらいでしたら自室に引きこもって読書でもしていた方がよっぽど有意義に感じます。
『それでは、次に新入生代表の挨拶です』
頭のいい人グランプリ一位の発表ですね。
高校入学試験で一番高い点を取れた人がこれに選ばれると小耳に挟んだことがあります。
一応中等部生徒も建前上受けるのですが、これで高入の人達レベルの合格点を取る必要は無く、様々な救済措置があります。
私も受けましたがボロカスな点数だったので記憶の闇に葬り去りました。
『では、新入生代表。天上院弥子さん。よろしくお願いします』
「はい!」
その言葉と共に新入生代表の方が高入生の中から立ち上がって、登壇しました。
『本日は、私ども新入生のために、このように盛大な入学式を催して頂き、誠にありがとうございます』
その人はまるで小鳥が歌うかのような美しい声で挨拶を切り出しました。
厳かな雰囲気の会場に、彼女の声を深く聞き入るかのようなシンとした空気が流れます。
一方私は死ぬほど動揺してました。
余りの驚き加減に何回も目を凄い勢いで閉じたり開いたりし、思わず「ひっ」という変な声が出ました。
おかげで隣の人からは変な眼差しを向けられましたが、それどころではありません。
『歴史と伝統ある椿ノ宮高校の学生としての誇りを持ち、その名に恥じぬよう実りある学生生活を送ることをここに誓います。新入生代表、天上院弥子』
だって新入生代表が、つい先程私が嘘をついた女の子だったのです。
思わぬところで驚かされましたが、一通り入学式が終わる頃にはやっと落ち着いてきました。
この後は事前に配布されていた資料に記載されていた教室に向かって、新しいクラスメイトや教師と顔合わせをするだけです。
私のクラスは1-A。
以前は一貫生と高入生のクラスを分けていたそうですが、完全初対面の相手がクラスに何人もいることで、高校生になったと言う自覚と刺激を与えるという理由で混合になったそうです。
セレモニーホールから教室のある授業棟までの距離は少し遠く、運動不足の私にとっては若干苦痛です。
一年の教室は授業棟の最上階にあり、イライラが加速します。
エレベーターがあるにはあるのですが、怪我人や教員以外は使用禁止の為に階段を使う以外の選択肢はありません。
手摺りに掴まって気だるげに登っていると、突然誰かが私の肩に手を置いてきました。
「ッ! 誰です?」
すわ痴漢か---いやここは女子高だからそれは無い。
ですが突然人の肩に手を置いてくるような不届き者の顔を拝んでやろうと振り向いた私は、痴漢よりも恐ろしいものを目にしました。
「やぁ。さっきぶりだね」
新入生代表、天上院弥子。
そして、私が嘘をついた女。
とっさにマズいと判断した私は、とりあえずすっとぼけてみることにしました。
「さっきぶり、とは? 恐らく人違いではないでしょうか」
「ありえないよ。こんな魅力的な女性を見間違えるわけないじゃん」
なんですかこの女、皮肉でもいいたいのでしょうか。
「生憎と私は本当に貴女を存じ上げません。さようなら」
とにかくこの女から離れなければなりません。
関わってもロクな目に合いそうにないですし、ちょっと辛いですが階段をちょっと早めに登ります。
「えー、待ってよ」
しかしどういうことかこの女、全く同じ速度で追いかけてきます。
私なりに結構な速さで登っているのですが、全く苦にならないといった表情です。
「さっきの事なら気にしてないよー」
さっきの事とは、嘘をついたことでしょうか。
本当に気にしてないか否かはさておき、一度知らないと言った手前ここは無視して登ります。
「だって、嘘だって知ってたもん。勿論、セレモニーホールの場所も」
「……なんですって?」
その言葉に、私は思わず立ち止まって振り向いてしまいました。
天上院弥子はにまぁっと笑って、制服のポケットから一枚の小さな紙を取り出します。
「だってほら、新入生に配布された資料の中に、入学式を行う場所の地図が入ってたもん」
天上院弥子が取り出した紙を見てみると、確かにそこには簡単な地図と共にセレモニーホールの場所が記載されていました。
ご丁寧に『教会の手前にある白い建物がセレモニーホールのある建物です』とも記載されています。
なんたることでしょうか。
しかし、それでは何故。
「では何故、私にセレモニーホールの場所を聞いたのです?」
「んー? 可愛い女の子がいるなー、って思ったから適当な口実でナンパしようとしただけだよ」
「は?」
なんですかその理由は。
やはりからかわれているのでしょうか。
私は軽い舌打ちをして、再び階段を登り始めました。
しかし天上院弥子はその後何度もしつこく私に話しかけてきます。
そして、授業棟の最上階。
やっと長い長い階段を登り切りました。
これから毎日これを昇降しなければならないと思うと憂鬱になりますが、やっとこの女から解放されると思うと多少は気分も晴れます。
1ーAと書かれた看板のある教室の扉を開け、これから一年間通うことになる教室へ。
「へー、すっごい広いなぁ」
何故か天上院弥子も一緒に入室してきました。
「いつまで付きまとう気ですか、自分のクラスに帰りなさい」
「んー? 大丈夫だよ。だって私も1-Aだもん」
……は?
この女、今なんと言いましたか?
「今、なんと?」
「私も同じクラスだよ」
私は一瞬目の前が真っ暗になり、思わずよろけてしまいました。
ですが天上院弥子が私の腰に手を回して支えた後、呆然とする私の顎をクイと持ち上げます。
「大丈夫ですか? お姫様」
大丈夫じゃありません。
「顔が近いです、離れなさい」
「対応がしょっぱいなぁ」
嘆いても仕方がありません。
同じクラスだろうと、あまり関わらなければいい話です。
だからせめて席はこの女と離れていて欲しいと願いを込め、黒板に張られた座席表を確認します。
「……」
私の座席は黒板から見て一番左側の後ろから二番目。
そして。
「おっ。後ろから二番目かぁ」
天上院弥子の、隣の席。