事態×急変×急展開!
猛暑が過ぎ、残暑を嗜む季節となった。
俗世高校では新学期を迎えたことで、学生たちの活気もまた新たなものなっていた。特に一年一組は異様な盛り上がりを見せていた。
「昴! これを御覧なさい!」
「なにこれ」
「新学期の学力調査テストですわ! 今度こそあなたを負かしてやりますわ!」
突っかかってきたのはお決まりの龍嬢雨母。懲りるというものを知らない彼女は、定期・期末テストと同じように昴の点数を聞きに来た。
しかし大抵……
「五教科総合得点492点か。この前より高いな」
「そうでしょうそうでしょう! さあ……」
「だけど俺は満点だ!」
「んなっ!?」
昴は自信満々に採点用紙を叩きつける。そこにはオール満点の結果が。そう、この男常軌を逸した行動に隠れているのだが、スペックだけは異様に高いのである。
「うっ……ううっ」
頬っぺたをパンパンに膨らませてハムスターみたいになる雨母。半べそをかくかおもいきや、雨母はいつものヒステリックを発症させる。
「キーッ」と自分の採点用紙をくしゃくしゃに丸めて、どこかへ行ってしまった。大方、敵を甘く見積もっていた自分を鍛え直しに図書室にでも向かったか、という感じだろう。後ろから密やかにミスターパーフェクトが付いて行っているのが笑いを誘う。
「派手にやったな」
それを苦笑交じりに言うのは、最低点更新中の新戸英露。どうやら入学時だけ猛勉強して、その後はぐうたら三昧の日々を送っていたらしい。堂々と一桁の点数を見せびらかす彼に羞恥心という言葉は不要なのだろう。多分、日本とブラジルくらいの距離をおいていると思われる。
ひとまず、この低きに流れゆく変態はおいておくとしてだ。
「あれくらいしないとネチネチ後を引くからな」
「よくわかってる。俺がアイツに唯一勝った保健体育でプチ自慢したときは半年くらい逆襲されたからな。もう懲りたぜ」
「雨母の負けず嫌いはビッグバンより激しいからなー、中学生時代に学んだんだ」
当然一敗たりとも許したことはないけど、と昴は付け足した。プライドと勝負は非情なのだ。
「ふむ、雨母もうまくかわしたことだし。俺は先輩を迎えに行く!」
「おう……そろそろハートを掴んで来いよ!」
「ああ、この昴に任せておけ……!」
昴と英露はガッツポーズを打ち付けて教室で別れた。
*
二年二組は、昴たち一年生がいる階からさほど離れていない。だから物の一分もかからず、昴はなだらかの迎えに来れる。
そして、それを習慣化された中で、なだらかは表情の死んだ顔で机に突っ伏していた。腕に巻いたアトリビュート・デバイスが当たって邪魔だが、それすらどうでもいい。
(どうしよう、学校再開初日だよ? 絶対昴君迎えに来るよ? どうする? にげる? いやいや、絶対彼なら追ってくるでしょ――)
なだらかの様子と言ったら思考回路をショートさせそうな具合だった。
(夏休みは、あの海の後一歩も外に出なかったから良かったのに。何で学校なんてあるのよ!)
学生であることを根本から全否定していると、枠窓が割れそうな勢いでクラスの戸が開かれる。
「なだらか先輩、好きです! 今日も一緒に帰りましょう!」
「ひいいいい!?」
「そんな……絶叫するほどうれしいんですね。俺、感激です!」
「おかしいよね!? ちょっとシチュエーションを考え直してみようか!?」
そうはいっても昴のテンションが鎮火することはない。
周りのクラスメイト達はやれやれといった雰囲気でふざけ交じりで見守っている。しかし、彼らは違いに気付けない。
なだらかが、明らかに心のバリアを解いていることに。
今までなだらかは物理的な距離で半歩引いていた。それが、今は机を介して真正面に立たれていても動じていなかった。
体の距離は心の距離だ。両者の距離が近づいたことに誰一人として気づく者はいなかった。
(昴君と話していると、言葉がつっかえないで出てくれる。不思議……)
海旅行で得た”自信”は、なだらかに会話の力を与えていた。それと同時に、心と顔が火照っていく。良くも悪くも、今の彼女は『普通の女の子』にしか見えない。
「いつまでも一人で帰れないなんて、昴君はお子様だね」
「それでなだらか先輩と帰れるんだったら、俺はいつまでもお子様のままでいたいですね」
「またそういうこと言うんだから」
お互い談笑しながら教室を出て帰るまで、その変化は気づかれなかった――。
「ところで昴君はさ、進路って考えたことある?」
「なんですか藪から棒に」
なだらかは、昴の言う通り唐突に質問を投げつけた。
「いや、考えたことがないならいいんだよ?」
「え、気になりますね」
なだらかは無個性だ。どうしようもない事実がそこにある。
無個性に用意されるレールは、この社会にはどこにもない。それを分かっているのだろうか、という意味で問いかけたが……昴には興味のない問題だったようだ。
「だってさ、無個性を必要としてくれる場所はないじゃない? プレーンと無個性でさえ、違いはあるのに。プレーンなら周りに合わせられるっていう長所があるのに、無個性にはそれすらないじゃない」
「う……うーん。なかなか難しい考えをお持ちですね」
昴は考えるそぶりを見せる。ほら、やっぱりとなだらかが思うのもつかの間。
「でも俺は必要ですよ、なだらか先輩が」
「……っ」
その一言で、なだらかは全身が沸騰するのを感じ取った。
「先輩の居場所なら百でも千でも、それこそ無限に作って見せる所存です!」
「そ、そんなに要らないから! じゃ、じゃあね!」
なだらかは居たたまれなくなって駆けだした。
「あ、ああ……行っちゃった」
手を伸ばした昴が、ぽつんと立つ交差点。そこはちょうど、二人が別れるいつもの帰路だった。
なだらかは――。
(熱い、熱い……!)
これは走っているせいなのだろう。なだらかはそう決めつけて足を動かし続ける。久しぶりに昴に会ったことが、妙な気分にさせていた。心から湧き上がるもやもや。決して負の感情ではない。しかし悩ましいそれを抱えつつ、帰路を急ぐ。
我に返れば、マンションの自分の部屋の前にいた。
「……私、どうしちゃったんだろう」
心がざわついているのはわかっている。その原因も。しかし、認めたくなかった。
(私は昴君のことを……)
「ん……」
ドアポストからはみ出す封筒には速達の印と、多くの切手が張り付けてあった。
「お父さんたちから……なんだろう?」
その場で開封するのは危ないので、玄関のカギを詰めてからリビングで封筒の端を切る。ハサミで慎重に切って、取り出すと。三つ折りにされた用紙が出てきた。
なだらかはそっと折りたたまれたそれを開く。
――なだらかへ。いきなりで済まないが、お前を転校させることにした。詳しい内容は後日、私と母さんがそちらに行って話そうと思う。日時はメールで送るのでチェックしておいてくれ。父より――
「……え?」
カサッ、と音を立てた手紙はフローリングの床で怠惰に捨て置かれた。