花火×散って×夏の終わりへ!
「昴君……よかったらこれ食べていいよ」
なだらかはおしとかにそのお皿を昴によこす。これに昴は断固NOの姿勢を貫いた。
「お気持ちは嬉しいですが好き嫌いはダメですよ、なだらか先輩。好き嫌いというのは健康を害しますので!」
「だってニンジン嫌いだもん……」
思ったよりもなだらか偏食というか、味覚はお子ちゃまのままだったのだ。これには昴も苦笑を隠せず、にやにやしながら一つ提案をする。
「なら俺が食べさせましょうか?」
「それだったら自分で食べるし!」
なだらかはフォークで鮮やかな橙色のニンジンを突く。おもむろに火が通って柔らかくなったニンジンにフォークを突き入れ――。
「むぐ……甘ったるくてぐにゅぐにゅしてる……うっ」
一瞬青くなった顔に、昴は背中に冷たいものを感じた。
味を分からなくするためか何回も噛み続けたなだらかは、橙色の悪魔を無事飲み込んだ。
「もうこれでいい?」
「病み上がりなのでそれくらいしときましょう」
「ふう……」
明らかに安堵を見せるなだらかは、るんるん気分で普段通りの食べ方に戻った。
それを不満そうに眺める傍観者が一人。わかりやすくハンカチを歯噛みする龍嬢雨母だ。見た目完全に悪役令嬢である。
「グググ……絶対に何かありましたわ、あの二人」
「その姿、似合い過ぎだろ「なんですって?」……何でもないっす」
別荘の一室で愛の巣を作りつつある二人を監視するため、雨母たちは扉の陰に隠れている。家政婦のごとくこっそりと。英露には若干とげとげしさがなくなったようにしか見えないが、雨母から見るとこの短い間に相当な進展があったらしい。
「なだらか様のお顔に柔らかさがあるといいますか、確かに見違えましたね……」
「包助さんが言うなら本当なんだろうなー」
「なぜ黒崎のことは簡単に信じますのかしら……!?」
英露はそれは信頼の差……と言いたくなるのを我慢した。取り出された扇子が今にもうなりをあげそうだったからだ。
「ま、まあそれはともかく。俺は昴が嬉しそうで嬉しいけどな」
「私には危機感しかありませんわよ」
しかし、この空間に割って入るほど雨母は愚かじゃなかった。いくら昴であろうと、邪魔者となれば冷やかな視線を送ることだろう。それは絶対に耐えられそうにない。
今は潜むのが善策なのだ。
とはいえ何もしないのは龍嬢雨母の名が廃る。雨母の扇子が包助に向けられた。
「黒崎」
「はっ、お嬢様」
包助は敬愛するお嬢様の命を受け、さも今来たかのように洋風のドアをノックする。
「さ、私たちは戦略的撤退ですわ」
雨母は存在を気取られない内に英露と一緒に逃げ出した。
一方、部屋に入った包助は苦笑しつつ、二人に挨拶していた。
「今晩はたいへん涼しい夜ですよ、昴様、なだらか様。それはそうと、お躰の塩梅はいかがでしょうか?」
「こんばんは、包助さん」
「あ、その節はお世話になりました。ここまで運んでいただいたみたいで……」
なだらかがかしこまって言うと、包助は「いえいえ」とにこやかに返す。どこまでも出来た男だ。
「それよりもお伝えしたいことがございまして」
「……?」
包助は懐から何やら細い紙の束を取り出した。昴となだらかは、見覚えのあるそれに懐かしさを込めて言った。
「「線香花火!」」
「それだけではないですよ。外にもっと多くの種類の花火を用意してあります。旅行を締めくくる思い出作りには、ちょうどよいのではありませんか?」
とてもではないが無視できる話ではない。
昴は二つ返事で返事をする。
「なだらか先輩も行きましょうよ」
その弾むような声で誘われるなだらかはと言えば。
「……うん」
「……」
と、小さい声だが素直に応じた。これに驚いたのは他でもない完璧執事の黒崎包助だった。以前とはまるで表情も雰囲気も違う少女の様子に、胸中唖然としていた。
(これは――自信)
なだらか本人も気づいていないレベルの己への信頼。それが昴の誘いを受ける手助けをしたのだと包助は見抜く。
包助は白地の綿手袋に包まれた指先で顎をさすった。
(これは……お嬢様はいよいよもってウキウキしていられませんね。まあ、余計な手出しをするほど無粋な真似はしませんが。ふふふ)
執事はあくまで主を正しく導くのが仕事。それが主君への愛。包助はそこをきちんとわきまえ、敬愛するお嬢様の恋路を応援するつもりである。
しかし、蚊帳の外というのは寂しいものだから――。
(しがない執事は皆様の青春のお手並みを拝見させていただくに限りますね、ええ)
包助はニッコリ笑顔の内側に野次馬心を実らせる。執事は成り行きを見守ることにしたようだ。
*
星空の綺麗な夏の夜のビーチで、火花が儚く散る。
昴、なだらか、英露が楽しんでいる最中に雨母が別荘から登場したのだが……。
「私けむいのは苦手なのですが……」
「文句言わないで雨母もこれ持って」
昴から手渡しされたものを拒否できるはずがなく、巨乳お嬢様は頬を赤らめて手持ち花火を受け取った。先端から十センチほど火薬が詰められた一般的なものである。
雨母からしてみれば普段は絶対に見ないしやらない物だった。遊び方も知らない。
「で、これに火をつければいいんですの?」
「ストップ、龍嬢さん! その持ち方だと自分の方に火が!?」
雨母は柄の長いライターで、花火を上に向けてじかに着火しようとしていたので、慌ててストップが入った。
「お嬢様……」
まさか花火の楽しみ方を知らないとは思っていなかった包助以外の三人は冷や冷やしたものだ。なだらかが蝋燭の火でゆっくりと火をつけるのを観察して、雨母も理解したようだった。
常識はともかく頭は残念ではないので、彼女はすぐに風上の方に移動して火をつけた。途端に火の粉を噴出して輝く魔法のような棒。
赤、黄色、緑。
(なんだか、私のようですわ)
雨母の持つ花火が時間をかけて三色に変化する。安定しない不規則な色合いが、自分の個性を物語っているようだ。
少し離れた場所では、英露が花火の煙でなにやら文字を書いているようだった。そして、それを鑑賞するなだらかと包助。
「……」
「どうだ雨母。花火、悪くないだろ?」
「でも少し派手すぎますわね」
昴が隣に来たが、雨母はすっかり鎮火した棒切れをまじまじと眺めるだけだ。雨母が思うよりも随分と花火の寿命は短かかった。
「それに、すぐ終わってしまいましたわ」
「ははは」
「何を笑っていますの」
昴は不機嫌そうにする雨母に一本の線香花火を渡した。
「ならこっちの方が良いかな」
「これは?」
「線香花火。こうやって……」
昴はもう一本の線香花火に着火すると、火の玉を落とさず器用に扱う。強風もないのですぐに落ちる心配はない。
「こいつを落とさずにずっと持ってるんだ」
「ふうん、今度は偉く地味ですわね――きゃっ!?」
線香花火がいきなり火の粉を噴いたので、雨面はびっくりして尻もちを着く。しばらく呆けた彼女は、線香花火が綺麗に終わるまでボーっと眺めた。
昴があまりに真剣な表情をして花火をしていたからだ。
「ま、まあ綺麗でしたわ」
「素直じゃないな、流石ツンデレお嬢様」
「うるさいですわね! 私もやりますから見ていなさいな!」
そう言って花火片手に意気込む雨母だが――。
「あ、落ちた」
線香花火は一番美しくなるその一瞬手前で、いつも地面に落ちてしまう。砂浜に黒い染みがいくつも出来ていく。
「この花火は私のことが嫌いなのかしら……!」
線香花火がまるでなだらかのように見えてきて、雨母の手元が狂うのだ。
見かねた昴が雨母の手を取って一緒にやって見せる。
「ったくしょうがないなー」
「な、何をしますの! 一人でできますわよ!」
「出来てなかったじゃん」
「……むぐ」
あっという間に意見を封殺された雨母は、真っ赤になりながら昴の手ほどきに従う。すると線香花火はさっきまでとは見違えるほどきれいな閃光を放った。
花火にまで皮肉られているような気がして、雨母は少し落ち込んだ。
「……」
「うまくいっただろ?」
「ええ……まあ、花火も良いものですわ――っ!」
「お、打ち上げ花火ですね。包助さんかな?」
ちょうど線香花火の種火が消えた瞬間、頭上から光が差し込んだ。
雨母が良くしっているタイプの花火だった。というより、打ち上げ花火しか知らない。どんなに大輪を咲かせる花火も、一瞬で終わってしまう。だから雨母はいつも花火を見た後は寂しさを感じていた。
しかし、今日は昴が腕を掴んでいてくれていたので温かい。
「もう少し……」
「……ん?」
「ここで見ていたいですわ」
雨母はその日、少しだけ素直になった。
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