夏だ×海だ×BBQだ!
初夏が過ぎ、日本晴れの続く日。
世の学生に「夏休み」と呼ばれる休暇が、どこそこで始まっていた。俗世高校もその例に漏れず、夏季休暇中である。
そして、その長い時間を昴が無視することなどありえないわけで。当然なだらかを誘い、遊びに出かけたわけだ――海に。
「……暑い」
「暑いですわね」
底峰なだらかはビーチパラソルの下で体育座りをしてジッとしていた。隣では真っ白なビーチペンチに寝そべる巨乳……もとい龍嬢雨母が、側に執事の黒崎包助を立たせてゆったりとしている。当然、彼女のスタイルに合う水着はビキニタイプのものであり、雨母はさらに鮮やかな花柄のパレオを腰に巻いている。
なだらかも似たような恰好だが、彼女は最初、学校指定の水着を持ってこようとしていたのだ。それで雨母から大ブーイングを喰らい、渋々ビキニに着替えたのだ。
(昴君はどっちでも喜びそうだけどね。英露くんは……ノーコメント)
取りあえず、学校水着を惜しんでいた変態のことは置いておいた。
(それにしても――)
「なんで昴君はあんなに元気なんだろう……?」
「さあ? 昴だからじゃないですの?」
日傘の下組の前では、弾ける笑顔の高盛昴と対照的にゲッソリとした変態エロこと新戸英露が、ストレッチを終えて組体操をしていた。
ここは雨母の所有するプライベートビーチの一つであり、一行はバカンスをしているはずなのだ。にもかかわらず英露の気力が底辺をうろついているのは、ここがプライベートビーチだからだ。
「水着のお姉さまが居ないよぉ。女の子が二人しかいない海なんて海じゃない……」
「何を言うんだエロ。だったらお前が女の子になればいいんだよ!」
「流石にその理論は意味わからんわ! てかそれだと俺が楽しめねえだろ!?」
せっかく海に来たのだからもっと他のことに精を出せばいいのに、頑なに水着の女の子が重要だと譲らない英露。しかし、彼の言うことも公衆海場においてはもっともな意見の一つ。無碍にするものではない。
何度も言うが、それが許されないのは、ここが雨母のプライベートビーチだから。この変態に危険な行為はさせる訳にはいかないと思っての処置だろう――というのは建前で、本音は人混みが大嫌いだから。
――そのわがままに巻き込まれる英露には、残酷な処刑に他ならないが。
「こんなんだったらせめて彼女の一人か、女友達でもいっぱい作っとくんだったぜ」
「それは無理だろう、お前の……いやなんでもない」
昴は分かっていた。こんな変態に近づきたいという希少な女子は、それこそ地球の裏側にでも探しに行かなければ見つかりはしないということを。
そんな奇妙な組体操中の二人に、包助から声がかかる。今日も燕尾服を装着した彼は、なんら暑さをものともせずにこやかだ。
その手には遊泳グッズが揃えられている。とことん有能な執事だ。
「シュノーケルとフィンがありますので、どうぞお使いください」
「包助さん、俺は海の美しい景色を見たいんじゃないんだ。きれいなお姉さんたちの桃源郷を拝みたいんだよ」
「はい? でしたら気絶させていい夢を見せることくらいしか私めには……」
「すみません、だからその手刀をお納めになってください」
完璧執事であるところの包助からすれば首トンもできてしまうのだ。
英露が軽く脅迫されている後ろでは、昴が海に飛び込む。どうやらなだらかに珍しい海産物を見せたいらしく、張り切って潜水していった。
ナマコでも取ってくるつもりなのだろうか。なだらかは暑い日差しから守られながら、ぼうっと考えを巡らせ、男二人を見送った。
「さて、私たちは準備ですわ。黒崎、バーベキューですわよ」
「B・B・Qですね。はい、お嬢様」
「なぜ区切りましたの? まあいいですわ。任せましたわよ」
「龍嬢さん、多分、世間一般の人たちはそれを「私たちで準備する」とは言わないと思うんだ」
そんななだらかの意見も間もなく一蹴され、せっせかと包助が動き出す。働き者というよりも忠義者な彼は、雑用だろうとなんだろうと構わずに笑顔で仕事を遂行するのだろう。
包助はきっと自分の個性と仕事に誇りを持っていて、きっとそれを楽しみや生きがいにしている。見ていて、なんとなくそう思う。
「羨ましそうな目をしていますわ」
「そんなことないよ。だって私には執事やメイドさんみたいな仕事は向かないから」
「……そういうことではないですわ。まあ言っても分からないのでしょうが」
雨母は一度ため息を吐くと、二度柏手を打ち、あらかた準備の終わった様子の包助を呼び戻す。
「そろそろ昴と変態を呼び戻してちょうだい」
「かしこまりました」
綺麗に剥かれた夏蜜柑を口に運び、彼女はプチプチとした果肉を噛み締める。その酸味は、やけに口の中に染みた気がした。
「貴女はこの夏蜜柑のようですわね」
「何それ? 意味が分からないね」
なだらかは冷ややかに言い放ち、パラソルの庇護下から抜け出し、太陽の光を浴びに行くのだった。
「……嫉妬は、醜いものだけではありませんのでしてよ。時には、この甘い夏蜜柑を引き立てる酸味のようにね」
その呟きが、なだらかに届くことはなかった。
*
「うめえ! うめえぞ! 肉最高!」
英露は肉を頬張りながら、満面の笑みを浮かべている。鉄串に彩られるとりどりの野菜と原始的な旨味を含んだ牛、豚、鶏、海産物のパレードが、皆の頬を緩ませていた。
表情が笑顔で固定されている包助も舌包みを打ちつつ、主人と来客の反応に満足しているようである。
「焼きそばでシメましょう」
包助がそう言い、コック姿で現れた。
香ばしいソースで味添えされた縮れ麺と海鮮が混ざり合うが出来上がり、これもまたあっという間に昴たちの腹の中に収められてしまったのだった。
「なだらか先輩、一緒に遊びましょう!」
「え、やだ」
「そういうと思って浮き輪を用意しておきました。これに乗ってぷかぷかしているのも気楽で楽しいですよ!」
昴はそういって、決してなだらかのほぼ全てを肯定する。そして、ネガティブな自分の考えをポジティブに変えてくれる。
(そういうところが困るんだよね)
と思いつつも、浮き輪を拒否できない自分が恨めしい。
なだらかは海際に立つと、花が散るような波しぶきを浴びた。暑い日差しと冷たい水滴の差が肌をくすぐり、すぐに海の上に浮き漂いたくなる。ためしに浮き輪を置くと、楽しそうにゆらゆらとなだらかを誘った。
確かに昴の言う通り、ここの穴の中には待ってゆっくりするのはなだらか向きだと思われる。
「はあ~、気持ちいい~」
太陽から光を受けながら、なだらかは漂う。今、自分の時間だけは、外の世界の十分の一くらいのスピードで進んでいる気がした。
海辺から離れないように、昴がパラソルからロープで浮き輪を繋いでいたので、安心して目を瞑って寛げた。
(あ、眠い……)
瞼が垂れ下がる。波の音がドップラー効果のように遠ざかっていくのを瞳の奥で想像しながら、海上の浮島で堪能する。
意識が落ち、時の進みが早まっていく。
――ザパァン!
「――!?」
波がうねりを見せて荒ぶった。
なだらかは、その荒々しい目覚まし時計さながらの音で意識を呼び戻される。その時には浮き輪から放り投げだされ、頭から海へと落とされた。
「ごぽっ!?」
鼻と口から水が流入する。
海水が目に染みてどうなっているのか分からないが、どうやら自分は溺れたようだということだけは理解できた。
(海面へ――ッ!?)
ただ浮くことだけを考えて、足をバタバタ動かせば、ゆったりとしていた筋肉は緊張にさらされたことでふくらはぎがつってしまう。
(誰か――)
なだらかは、水底に沈んでいこうとしていた。