・番外編 <狩りの始まり>
・番外編 <狩りの始まり>
※このお話は三人称視点でお送りします。
分かっていたこととはいえ敵の出現は突然だった。ある程度の練度を持った人間が八人、それは四天王とミトラスを除けば、脅威以外の何者でもない。
だからこそ、彼らは単独、または誰かを庇えるような配置をした。
予想外だったのは闇の中に現れた敵が、一切の躊躇なく、彼女たちへの攻撃動作に移り、その間にディーよりもサチコに狙いを定めたということ。
あまりにも『慣れた』速やかさだった。明らかに人間も襲い慣れている。
ディーは弾かれたように飛び退いた。サチコの服を片手で掴むとテントの影、岸壁の裏へと回り込み身を隠す。
「サチウス……!」
急いでサチコの負傷具合を確認する。先ほどディーの目には二本の矢が見えていたが、それらはサチコの帽子と眼鏡を奪っただけだ。
気を失ってはいるが、眼鏡の鼻当てが触れていた箇所に、痣が見られる以外の傷はない。
(悪運の強い)
ディーは胸を撫で下ろした。咄嗟に伏せることはできなかったが、自分の叫び声に怯え、身を縮めたことで一発目が外れ、振り向いたことで二発目は、眼鏡で済んだ。
あれが無ければ後頭部に矢が突き刺さっていたことだろう。ミトラスから不死の呪いを、受けているとはいえ、痛みはある。致命傷の傷みなど、死なずに知覚してしまえば、常人なら最悪発狂も有り得る。
サチコの頬を一度撫でて岩陰に隠すと、ディーは密猟者を迎え撃つために、身構えた。彼女の胸には今、敵への怒りではなく、己への苛立ちがあった。
今まで戦いとは、敵を早く殺せば、それだけ仲間を守れるというものだった。しかし今回は違う。
殺してはいけないという条件のせいで、敵を倒すことと仲間を守ることが、分かれてしまった。ほんの僅かな違いに、彼女は強い違和感を覚えていた。
戸惑ってしまった。
(我ながら情けない……!)
敵が現れた時、敵に襲い掛かるべきか、サチコの安全を優先すべきかを迷った。そのせいで、弓矢ごときに反応できず、まんまと撃たせてしまった。
悔しさと不甲斐無さに、歯を食いしばる。
(ともかく、今はあいつらを倒さないと)
ディーは跳躍すると音も無く壁に張り付いた。握力で壁面を掴みながら元来た方へと引き返し、捕食者の静けさで相手の出方を窺う。
テントのほうへ、水を蹴立てる音が近づいて来る。
(気配、臭い、魔力、間違いなく八人いる。こっちに来るのは一人。様子見で囮。さっきの射手も含めて、残りは動いていない。待ち伏せだ。これ以上の接近は駄目か)
篝火の照らす範囲を避けながら回り込もうとして、止まる。視線を感じたのだ。相手にも夜目の利く者がいる。これ以上は気付かれてしまう。
直後、男の野太い叫び声がした。テントの中に押し入ったようだ。それから少しの物音があって、静寂が戻ってくる。動く気配だけが伝わってくる。
一人が動いて、その後遠くから濁りのような空気の塊が移動してくる。仲間を呼び寄せたようだ。
テント内を検分する為に何人かが入り、何人かが外を見張る。視線が消えたのを察し、ディーは自分の髪を服の中へと仕舞い込んでから、彼らの頭上へと移動した。
外側を見張っているのは四人。内三人はいずれ劣らぬ屈強そうな人間だった。体格だけならディーと並ぶほどだろう。
一人は禿頭。一人は逆に顔中が毛だらけの男。髭も髪も伸ばしたい放題でたてがみのようになっている。そしてもう一人は角刈り。二人は黒目に黒髪だった。目の色はともかく髪は染めたのかもしれない。
装備は鎧ではなく何かの動物の毛皮だ。寒さ対策をしている。武器は槍と盾、カイトシールドというものだった。これも黒塗り。
四人目は黒いローブにフードを目深に被った者。
男か女かは分からない。
小柄であり手には刃の突いたワンドを握っている。
(こいつか)
最後尾で、テント内の探索にも行かず、絶えず周囲を警戒している。恐らくこの人物こそが密猟の主犯格であり、転移魔法の使い手であることは、ほぼ間違いなかった。
やがて『来てくれ』という声がして、彼らはテントの入り口に集まった。初めて聞く声は淡々と、しかしはっきりと聞き取ることができた。
聞き耳を立てるとき、相手の声質や滑舌は、極めて重要な要素である。
地味だが、冒険者の中では仲間との連携のために、発声練習や滑舌の訓練を行うということは珍しいことではない。
そういう意味では、今回は相手に恵まれたようだ。
彼らの会話は以下の通りだった。
――何が分かった?
――先ずはこいつを見てくれ。地図と食糧だ。服もある。女物だ。
――女、じゃあさっきの怪しい奴は女だったのか!惜しいことしたぜ。
――そんなことより地図だ。これには良いことと、悪いことが書かれてる。
――同業者か?
――かもしれんし、もっと厄介かもしれん。
雨と風の音が、ノイズのように盗聴を邪魔するが、それでもディーの耳は、彼らの声を捉え続けていた。水面の黒に艶を出す篝火の灯が、音も無く爆ぜる。
――どういうことだ?
――地図には幾つかの場所に印が付いているが問題はここだ。この一文。
――ゴーストとスケルトンの配置……なんだ、まるで魔物を使うみたいじゃねえか?
――ネクロマンサーか!?
――どういうことだよ。ここは害獣に海を荒らされて打ち捨てられたって話だったぞ。
――だからだろう。ネクロマンサーにとってこんな良い場所ねえぜ。
彼らの話を聞きながら、ディーは困惑した。ネクロマンサーとは死人、死霊を操り人間側からは悪の魔法使いとして広く認識され、忌避されている魔物だ。
どうやら地図にメモしておいた一文と着膨れた異様な姿から、サチコがそうだと誤解されたようだ。
――そりゃそうだ。案外あの邪魔なドラゴンもそいつが操ってんのかもな。
――この島がネクロマンサーの縄張りだってんならそれも頷けるぜ。
――それで、良いことってのはなんだ?
――ここから島の反対側に回り込むとな、もう一つテントがある。逃げるとしたらそこだ。
――腕の立ちそうな護衛が一人いた。あそこで片方を仕留め損ねたのは痛かったな。
――どうする、追うか?
そこで一拍の間を置いて、初めて聞く声が、静かに話し出した。細く、高いが、男の声だった。
――追う。不安の種は取り除きたい。それにもしかしたら、その女を部下に加えられるかも知れんしな。
――おいおい、何をとんでもないこと言ってんだ。オレは嫌だぜ!
――落ち着け。ここを獲り尽くしたら、次の商売を考えないといけない。そこに行くと、ネクロマンサーからは金の匂いがする。ここの儲けを元手に、今度は坊主のフリをするんだ。本当に宗教をやってもいい。上手く転べば堅気になって更に良い目が見られるぞ。
――お前本当に悪い奴だな。魔物は怖くねえけど、お前の考えることは怖いっての。
――方針は分かった。行くなら急ごう。
――待て、二人はここに残ってもらう。もう少し探したら、使えそうな物を持って後から合流しろ。
――分かった。オレとイェンで残ろう。
――よし、じゃあいくぞ。
話が終わると、彼らは足早にテントを出た。七人が出て、一人がその場で見張りに着く。中にまだ一人。見張りに付いているのは、これまた小柄な男だった。
ボウガンとは異なる、小さく短い弓と、短刀で武装している。髪は後ろへ撫でつけたオールバック。
フードの男とは違い筋肉質な体つきをしていた。
ディーは気配を殺して、テントの隣に降り立つと、目の前の小男に近付き、首を徐に掴んだ。否、掴んだのではない。蟻が顎を閉じるような速さで首を挟み、叩いたのだ。先ず一人。
振り返りテントの中へ入ると、一人目とよく似た、十代の少女の肌着に興奮し、それを被ったり咥えたりして無防備になっていた男がいた。
その後頭部を拳骨で一撃する。これで二人。
彼らをテント内のロープで縛り上げ、代えの靴下を猿轡として噛ませる。残りは六人。
彼女の狩りは、まだ始まったばかりだ。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




