・サチコと夏祭り3
食事時に見ないほうがいいです
・サチコと夏祭り3
遠くの山に、赤い太陽が沈んでいく。世界が燃えるように輝いている。そしてじきに、青く染まって行くだろう。
ちょっとセンチメンタルな気分になった俺は、気を持ち直そうと、近くの仮設トイレに入った。
こういうイベントでなくてはならない存在として、早期から設置場所の決定と、工事が済んでいたけど、ちゃんと機能しているようだ。
「どっこいしょ」
今まで着物に下着付けないとか、何を考えてるのか分からなかったが、一発で出せるとこまで持って行けるのは、画期的と言わざるを得ない。
レバーを引いて水を流す。水はどうやら海水を魔法で引っ張って来ているらしく、出した物は下水へ合流するように、設計してあるらしい。
電車のようにタンクに溜める方式ではない。なぜかと言えば、これは群魔区だけの悩みなのだが、排泄物の盗難防止の為である。
魔物の排泄物は肥料としての価値があるの、で汲み取り式などにすると、文字通り汲み取られて盗まれる危険があるのだ。
そしてそれなりの値段で取引されるらしい。水に流すことで、それを防ごうというのだ。
「ふー」
にも関わらず、トイレから出た矢先、それは聞こえてきた。
「た、助けてくれええーーーーーーーーーーー!!」
「え?」
遠くから四足歩行で走ってくる巨体がある。見覚えのある赤ら顔のレッドドラゴン。バスキーだ。
彼は俺に気付くと一目散に駆け寄ってくる。
駆け寄ってきて、今出てきたトイレに入る。
無理だ。大きめに作ってあるとはいえ、バスキーが入れるトイレは限られている。
無くてもいいだろうとパンドラは言ったが、流石に公衆衛生を考えると良い訳がなかったので、二か所に設置したが、それはここではない。
それでもバスキーは無理矢理トイレに入るとドアを閉めた。
「さ、サチウスちゃん。頼む! 匿ってくれ!」
「はあ?」
仮にも四天王とまで呼ばれた竜が、こんなに恐怖しているとはいったい何か。心の準備もできてないうちから、それらは人の流れをかき分けて現れた。
「くそ、どっちへ逃げた!?」
「まだ遠くには行ってないはずだ、探せ!」
「デカい割に逃げ足の速い!」
男たちは祭りの客らしかったが異様な剣幕だ。彼らがバスキーを探しているのだろう。借金取りなら突き出さないといけないな。
そんな彼らから人並みが自然と引いていく。彼らは周りを睨むように探していき、やがて仮設トイレに目を留めると、足早に寄ってきた。
「そこの御嬢さん。ここに小さいドラゴンが、入って行かなかったかい?」
「え、ええ、いや、その」
俺は返答に詰まった。あれで小さいのか。言われてみればそうかも知れない。パンドラのように変身してサイズを縮めているのだろうか。
なんにせよ、俺は無難な答えに縋った。
「さっき来ましたけど、ここ並んでるの見たら、そのまま走って行きました。向こうに」
「そうかい、邪魔したね」
目線でトイレを示す。
男たちは舌打ちをすると、そのまま大通りの先へと走っていく。何故あっさり騙されたのか。
この世界の人間が日本人に比べて幾らか善良とか、そういう訳ではなく、トイレに人が並んでいたら自分も並ぶか、余所へ行くかの二つしか、選択肢がないからだろう。
トイレにいる人を襲撃するのが目的ならまだしも、用を足すならその辺でするか、トイレでするかのどちらかだ。そしてトイレに来た時点で前者は消える。
これはトイレが存在する世界で、普遍的に通用する基本道徳なのではなかろうか。
少なくとも俺は自分が漏れそうだからって、並んでいる人を無視して入ってる人を力ずくで追い出すような狂人には、遭ったことがない。一生遭いたくない。
「もう行ったぞ」
「ありがとう、サチウスちゃん。それからちょっと、下がっててくれんか」
「なんだもしかして出られないのか……っておいおいおいおいおいおい!?」
こいつ信じらんねえ! おっ始めやがった!
仮設トイレからすごい勢いで排泄音がする!
ついで臭いが外に漏れだしてくる。俺は急いでその場を離れた。
もしも着物に臭いが付いたら絶対ぶっ殺す。周辺の魔物、人を問わず悲鳴が上がる。
騒ぎを聞きつけて通りの向こうから、BC兵器担当みたいな白衣の連中が、猛然と走ってくる。
よく見れば油紙で作られた合羽だ。頭部はフルフェイス型の兜。格子状の穴ではなくT字のラインが入ったカップのようなタイプ。その内の一人が。こちらに詰め寄ると、俺の肩を掴んだ。痛い。
「君! さっきは嘘を吐いたな!?」
「ごめんなさい! 助けてくれって頼まれて、襲われてるって思ったんです。こんなことになるなんて思わなかったんです!」
どうやらさっきの男たちらしい。どこで着替えてきたんだ。
自分でも気が動転しているのか、ちぐはぐな言い方になってしまったが、それが説得力に繋がったのか、相手は手を離してくれた。
「……そうだよな、すまない。自分も最初は君と同じだった。思わないよな。こんなこと」
「準備できました!」
「よし! 君は離れていなさい。突入!」
目の前の男たちがスコップ片手に樽や甕を持って、仮設トイレの扉を破壊する。そこからの光景は見たくなかったので、俺は背を向けた。
音だけが聞こえてくる。
「な、なんじゃお主たち!? こ、こんな真似をして只で済むと、あ、あ、止めい! お主らには人間の基本道徳というものがないのか!?」
「構うな! 運び出せ!」
「やめてくれーーーーーーーーーーーーーーー!!」
どれくらいの時間が経っただろう。俺は風上に移動していた。夏風が今を盛る草木の香りを運んでくる。
近くから水気のある粘着質な音がする。スコップが突き立てられる度に、その音は繰り返されるが、それを聞いている者は、ほとんどいなくなっていた。
「終了しました」
「よし。皆さんお騒がせしました! 我々はこれより撤収します。ご協力ありがとうございました!」
誰も手なんか貸していないが、邪魔をしなかったことが協力なんだろう。恐る恐る振り向くと、そこには生来の朋友を失ったかのように、やつれ果てた古竜がいた。
「なんだったんだ、アレ」
「何って、農家じゃよ……」
農家、俺はおうむ返しに呟いていた。あれがこの世界の農家。仮設トイレを完全に破壊し最中のドラゴンそっちのけで、排泄物を採っていく存在。
「我らの排泄物は作物にようキク。だからそれ故我らは冒険者からは命を、農家からは尻を絶えず狙われているのじゃ。売っても幾らかにはなるらしい。冒険者に襲われにくくなったとはいえ、奴らの存在を完全に失念しておった……迂闊じゃった……」
何も言えねえ。かける言葉が見当たらねえ。慰めの言葉が出て来ねえ。
この猟奇的な犯罪、なのかも分からない行為の犠牲者に、俺は初めて哀れを感じていた。どうしていいか分からねえ。夕日の赤さが目に染みる。
「拭いた?」
「拭いた」
それしか言えねえ。何かしてやれることはないか。この哀れなドラゴンにかけてやれる、慈悲の証はないのか。皆この状況に成す術がない。力ない俺たちは、項垂れるしか、いや、ある。一つだけある!
「バスキー! えんがちょ!」
「っ! サチウスちゃん!?」
「急げ!」
バスキーは無我夢中で両手で輪を作っていた。それを俺の方へと差し出す。俺は召喚されたときの、ミトラスの言葉を思い出していた。
自分たちを基準に相手を呼んでいると。そしてそれは力を指すのでなく、性格や生活様式、文化や考え方のことだ。
言い換えれば、俺から見ても、互換性があるということだ。そして、見事にそれはあった。奇跡だ。
「切―――――――――――――――ったァ!!」
振り下ろされた手刀を追って、黄昏時に一陣の風が吹く。
竜の形作る円は両断され、旧き縁が失われていく。どこからともなく、拍手が俺たちに贈られてくる。
人類最古にして最高の賛辞が、この場の二人に贈られている。バスキーの俺を見る目は、いつになくスッキリとしたものだった。
周りのバスキーを見る目もまた、優しいものになっていた。
「サチウスちゃん、いや、サチコくん」
「なんだい。バスキーさん」
「ありがとう。ありがとう」
俺は無意識のうちに両手を握ると、天へと突き上げていた。沸き起こる謎の喝采、意味の通らない感動と興奮。世界が俺たちの味方だった。
――その後俺たちは、駆けつけたスタッフに事情を説明し、何故か大いに怒られた。それから目が覚めた俺とバスキーは、とくに口も利かないまま、その場を後にした。
次はどこに向かおうか。
辺りはもう薄暗くなっていた。
祭りの終わりまではまだ時間があるが、急いだほうがいいだろう。
なんか無駄なことに時間を取られ過ぎてしまった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




