・これも人間の性か
・これも人間の性か
「うーむ……」
鏡に映る自分の顔を見る。百歩譲って十人並みの顔はむっつりしている。
そばかすはイベント会場に出かけているうちにできたもので、名誉の負傷みたいなものだが、眼鏡の力を借りても誤魔化すのは厳しい。
体も腹さえ引っ込めばぼんっきゅっぼんだ。些か堕肉のついた、この腹さえ引っ込めば。
切るのを面倒くさがった髪の毛は、今や背中まで伸びている。傷みが酷かったが不老不死の呪いのおかげなんだろうか、見たことがないほどツヤツヤだ。
総評、普通の人よりやや劣る外見。異世界に召喚したなら、補正くらいかけろよな。
「しっかしなあ」
昨日のことを思い出す。魔物的には住処と職場は同じであるという認識らしく、寝るための宿直室やシャワー室(浴槽付き)があるとは思わなかった。
職場で暮らし続けると書くと凄まじいブラック臭がするけど、まあそこは文化の違いだな。船乗りなんかは何年何か月と洋上生活を続けたりするんだし。
そして驚いたのはこの建物、役所とは名ばかりで『課』がない。普通役所なら税務課とか戸籍課とか総務課とかがあるはずなのに、何もない。
何がないって制度がない。魔王軍との戦いから復興も進んだらしいが、制度はごく一部の都市部を除き、俺の住んでた町の町内会レベル。
これでは何ができて、何をすればいいのかさえ把握しかねる。
一応食事のほうは元の世界から出前(召喚)してくれるから問題はないけど、これではヒモかペットと変わらん。
早いとこ仕事の一つもして身を立てないと、精神衛生上まずいよな。
*
「で、早速仕事に取り掛かろうかと」
「いい心がけですね! 頑張りましょう!」
着るものがないので、制服らしい紺色のローブを貸してもらい、それに着替える。
服のサイズを胸に合わせて貰ったから、他の生地が少し余っているので不格好だ。
寝間着も脱いだから下は肌着だけでスース―する。
後で身の回りの物を、一式整理して書き出しとこう。
ちなみにミトラスとはペアルックだ。だってこの場には二人しかいないから。
「まずは苦情の解決からいこう。とは言っても魔物の苦情かあ」
役所に仕事らしい仕事もないから、できそうなことから手を付けていくしかない。
これがゲーム的にポピュラーなものなら、家畜や農作物を荒らされたり、強力な魔物が暴れて、既に危険が危なかったりな内容である。
そして冒険者ギルド的な場所に、依頼が張り出されたりするものだけど、どっこいこちとら苦情案件だ。近所の嫌いなお宅から張り出した枝を、切ってくれと言われても不思議はない。
「これがここ一月分の苦情のまとめになります」
「ありがとう」
ミトラスから分厚い冊子をもらって早速目を通す。印刷技術は主に娯楽(性的な意味で)に触発され、魔王が輸入したらしい。コピー用紙は貴重らしいけど。
「そういや俺ってこの世界の言葉を話してるのか?」
「気付くのが遅いですよ……。字だって読めるようにしてあります。そこを何とかできなかったら、対話ができないじゃないですか」
それもそうか。ご都合という便利というか、しかし考えてみると、俺は術にかかっているってことか?
術が解けたら話ができなくなって困るんだな。
いいや、そんなことより仕事しよう。
「どれどれ。『魔物が弱すぎる』」
んん? どういうこと?
この区の魔物には人権があるから、襲ったりしたらいけないはず。悪戯かな。気を取り直してもう一枚。
「どれどれ。『魔物のレベルが低すぎる』」
んん? さっきと同じ人かな? 素人目にも筆跡が違うように見えるけど芸が細かいな。気を取り直してもう一枚。
「どれどれ。『魔物のレベルが』それはもういい!」
おかしい。絶対に変だ。俺は片っ端から残りの苦情を確認する。字こそ違えど中身はほぼ同じ。せめて、何か、何か別の苦情は。
『モンスターの色町が欲しい』
「くそう!」
怒りに任せて、ついつい紙の束を机に叩きつけてしまう。ミトラスが怯えたのが見えたが、今はこの焦りをどうにかするほうが先だ。
「どういうことだ、苦情内容が実質一件だけだぞ!」
「うぅ……そ、そうなんです。それこそがサチウスを呼んだ何よりの理由なんです。改めて、話を聞いてくれますか?」
問い詰めるとまたチュートリアル、いやこの場合はデモシーンだろうか。とにかくそんな感じのことが、始まりそうな空気が漂い始める。
どのみち飛ばせない以上、選択の余地はない。
「たのむ」
「分かりました」
ミトラスが軽く咳払いしてから、この苦情の説明をし始めた。
「以前ご説明した通り、この世界では人類は魔物との戦いに勝利し、魔王を倒しました。そして生き乗った人たちは、初めの内は復興にも精を出していました。でも、それも落ち着いてくると、戦う相手を失った人たちは、見る見るうちに荒んでいきました」
なんとなく想像できる。元の世界なら仮想敵とか幾らでもいるけど、こっちの異世界は実際に人間以外の敵がいたんだもんな。
ゴロツキや盗賊ならまだしも、しばらくは国や人種を敵として、認識できるようにはならないだろう。
「何よりも鍛えられた肉体が鈍ることを、彼らは恐れたのです。そして、そういう人たちの暴走を防ぐためにと、生き残った魔物たちでトレーニングセンターを開いたんです」
いいのかそれで。
魔物と戦うために鍛えていたのが、鍛えるために魔物と戦うようになったのか。そういうのを本末転倒って言うんじゃないのか。
「ですがこの街にいるのは、元々戦いを嫌っていた者たちですから、実践慣れした人間には、とても敵いません。一方的に蹴散らされて終わりです。その弱っちさにトレーニングセンターを利用する方々の、不満が溜まってこういうことに……」
後半戦で遭遇する雑魚敵って、序盤のボスより強いもんな。きっと勇者の隠れ里に、ラスボスがやってくるようなことに、なったんだろうな、
「それならトレセン通いを辞めればいいだろうに」
ミトラスがぷるぷると首を振った。緑髪から見え隠れする猫耳は、ぺったりとくっついている。
「それは無理です。この辺で魔物と戦える場所はもうここしかありません。戦うこと以外に取り柄のない人からすれば、生殺しにあっているようなものです」
「そんな気持ち分かりたくないなあ」
要するにだ。仕事がなくなった脳筋たちのストレス発散が、できる程度に魔物を強くしろってことか。
「第一、魔物ってどうやって強くなるんだ?」
「普通なら殺傷した相手の血肉や、魂を取り込むものですが、当然ながらこのご時世で、刃傷沙汰はどこもご法度です。それ以外の方法じゃないと」
「じゃあどうするんだ」
「分かりません」
きっぱりとミトラスが言う。そして何故か期待するような目で俺を見ている。
嫌な予感がするが確かめずにはいられない。報告・連絡・相談は避けてはいけないのだ。
「もしかして、それを俺に考えろってことなのか?」
「はい!よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げると、今度は猫耳もぴこぴこと動いた。
召喚条件の『問題が解決できる』ってこれかあ。
「分かった。分かった何とか考えるよ。うん、うん」
「ありがとうございます!」
モンスターのレベルアップの方法か。俺は今日まで遊び倒した、ゲームの記憶を必死になって穿り返す。異世界とはいえ、フィクションの中身が通用するんだろうか。
「とりあえず、そのトレセンとやらに行って、実際に見てみようか」
「分かりました!」
こちらに丸投げしてからというもの、一々ミトラスの歯切れが良いのが微妙に腹が立つ。だがこうして苛立っても仕方がない。
戦いを忘れられない人間のために、魔物を戦いに引き戻すのか。そんなことを考えつつ、俺は彼と共に、他に誰もいない役所を後にした。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。