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魔物のレベルを上げるには  作者: 泉とも
魔物と明日を歩むには
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・サチコとミトラス

・サチコとミトラス


 年度末の仕事も終えて一段落。この真空地帯とも言うべき時間が終われば、今度は新年度の仕事がやって来る。


 例え俺の行きと帰りが、この世界では一瞬のこととはいえ、三年経過した俺が、仕事のことを完全に忘れている可能性は、否めない。


 なので仕事納めをするまで働いて、その次の休日、つまり今日帰ることになった。なんて勤労意欲に満ち溢れた、悲しい生き物なんだ俺は。


 ちなみに血液云々はもう済ませてある。


 他の労働者たちが引き上げた後の、区役所内を掃除して、彼らの要望や発注の記録を取りまとめ、見回りと各所の点検を済ませる。


 三年前のただ広いばかりで、ろくに課も無く、訪れる人の姿も無かった、役所の姿はどこへやらだ。


 あの怠惰で何も無かった時間が懐かしい。


 今では課も増えて、サービスも増えて、利用者も増えた。問題も少し増えたようだが、対処はまだ何とか出来ている。


 流石に新年度からは、職員を増やそうということになった。これまでは三区を併合した状態だったにも関わらず、ほぼ四天王のマンパワーだけで、押し切っていたような形だったからだ。


 それではいけない。


 魔物の役人なんて、聞いていて気持ちの良い単語ではないけど、仕方ない。これも時世だ。


 全滅寸前だったものが盛り返したと、前向きに考えることにしよう。しかしこの建物にも、随分と世話になったな。


 現代的な安っすいカーペット。所々傷んだ鉄筋コンクリート。切れっ放しの電灯に、出の悪い水道。中途半端に高い階段、自宅の台所でもある食堂。いつもの会議室。ほとんど立ち入らなかった、三階の区長室。


 改めて見れば、そこまで魅力的な要素はない。


 でも思い出が一杯だ。アドモからパティを庇って

拳を怪我した広間。ユグドラさんやウィルトと話した廊下。バスキーとくだらないことを話し合った受付。


 役所を不審者の集団に取り囲まれて、籠城戦をしたこともあったな。


 何気にディーがよくいて、パンドラはちょろちょろとあちこち動き回って。地下のシャワー室なんかもう怖くもなんともない。


 そしてどこを見ても、ミトラスのいた光景が、思い出せる。


 自然と、溜め息が出た。


「おいサチウス。そろそろだろ」

「ん、ああごめん、今行くよ」


 様子を見に来たパンドラが言った。


 今日は宝箱、というより重箱姿だ。赤漆が塗ってあり艶やか、何故か烏帽子を被っている。正装のつもりなんだろうか。


「何その格好」


「何っておしゃろだよ。一瞬のこととはいえお見送りだからな。他のやつらも似たようなもんだぞ」


 言われて役所の裏に行ってみれば、そこには確かに何時に無く、着飾った面々の姿が。


「おうおう、今日の主役だと言うに、着の身着のままとはのう」


「そんな大仰なものじゃないと思うんだけど」


 バスキーは黒い皮製のコートに、何やら飾りの沢山付いた、王冠の様な物を被っている。以前はもう少しうるさい格好をしていたけど、今回は控え目だ。


「何言ってるのよ。私たちにそうでも、サチウスは違うじゃない」


「そういうもんかな」


 ディーは彼女のサイズに合わせた水干を着ていた。はっきり言って似合ってないけど、時と場所と状況は弁えた姿だと言える。


 服装のセンスも治っては来てるんだけどなあ。


「節目なんでしょう。難なら、今から着替えに戻ってもいいですよ」


「それだったら今度帰ってくるときは、ちゃんとしときます」


 ウィルトは少し野暮ったい純白の祭礼服だ。ひらひらのだぼだぼ。十字架は付いてない。俺はといえば、春物のピンクのトレーナーにジーンズ。


 若さとは無縁のチョイス。


「あんまりしてこなかったけど、やっぱりオシャレってしたほうがいい?」


「今やオレよりその辺に気を遣えてないって言えば、分かる?」


 パンドラが質問に質問で返すという、侮辱めいた、ある意味何よりも直球な回答をする。喋るたびに蓋をパカパカ開けやがって、鬱陶しいんだこいつめ。


 でも。


 何だか皆して、急に見送りなんかしてくれて、しんみりとしてしまう。見れば、少し離れた所にミトラスがいた。彼だけはシャツとズボンの私服姿だ。


 ついでに生活用品を、山ほど詰めたリュックサックを背負っている。


「それにしても、お前も物好きだな。折角いい暮らしが出来てるのによ」


「本当にそう思う。まあ、思いつきだよ。やってみたいっていう」


 変な話だな。預けたままの高校生活に、胸を躍らせるんじゃなくて、今なら頑張れるんじゃないかって、挑戦してみようかっていう気持ちに、衝き動かされている。


 未練も愛着もないくせにさ、けじめでも付けたがるみたいに。


「それじゃ、行こうか」


「うん……やっぱり緊張するね……君を、元の世界に、戻すだけなのに」


 どこか視線が定まらず、声が少し上ずっている。


 俺はミトラスの魔法で送り返してもらい、彼はウィルトの魔法で、それに付いてくる手筈になっている。


 でも、自分が異世界に行くということには、慣れていないからなのか、落ち着かない様子だった。


「怖じけるなミトラス。一瞬後にはお前たちのまま、三年後のお前たちがここにいる。安心しろ、私たちが一緒なら、お前たちの運命はいつも一つだ。だから、希望を持て。ミトラス」


 ウィルトが優しく、力強く教え子に言い聞かせる。兄のようであり、父のようでもある。燃え尽きたような態度は昔のことで、肝心なときには、いつも頼りになる。


「お前たちのおかげで、私もまた誰かの人生に関わる勇気が持てた。必ずお前たちを、サチウスの世界へと送り届けよう」


 この妖精の魔法使いに、何度助けられただろう。

 この人も随分、笑うようになったな。


「じゃあ、始めよう」


 そう言うと、先にミトラスが呪文を唱える。


「汝我が意に応えし者、我が望みを満たせし者、我が力を以て汝を言祝ぐ。我が意を以て汝の願いを聞き届けん。帰るがいい。『招天移しょうてんい』」


 唱え終わると、不意に俺の足元から、光が溢れる。重力が途切れるかのように、体が宙に浮く。


 ああ、俺、帰るんだな。

 自分で自分の夢を、一度終わらせるんだ。


「時の翼よ、異界の風よ、我が命に従いて、我が命に準じよ。番の影を追い、決して離し給うな。番の命、決して分かち給うな、『追転移ついてんい』」


 次にウィルトの呪文が聞こえて、ミトラスも同じように光に包まれる。


「それじゃ、またねサチコ!」

「次に会う君を、楽しみにしとるぞ」

「面倒ごとがあったら、ちゃんとミトラスを使えよ」

「体に気を付けて」


 皆が声をかけてくれる。

 何だよ、まるでお別れみたいじゃないか。


「皆、行ってきます!」

「またね!」


 それだけ言って、俺たちは今度こそ光に包まれた。


 ――そして。


「あ、帰って来た。変な服着てるな。おしゃれなのかそれ」


「いやしかし本当に一瞬じゃったのう」

「父さん、本当に三年経ってるの?」

「そのはずですよ。お帰り二人とも」


 目の前に広がっていたのは、本当に三年前の、あの日の続きだった。本当に俺の三年間が、一瞬で済んだみたいだった。元からそういう話だったのは覚えてるけど、なんだかなあ。


「皆! 会いたかったよ! 久しぶり!」


 ミトラスが感無量といった様子で、久しぶりに会った四天王にひしっと抱き合う。ああ、本当に、ここはあの異世界なんだな。


 役所も彼らの顔も、あの日のままだ。当然といえば当然だけど。


 俺たちは俺のいた世界に戻って、高校に行って、色々あったけど卒業した。そして帰って来た訳だが、それが相手にとっては、つい今しがたの出来事ってなると、今一つ感慨が深まらない。


「お帰りサチウス、向こうはどうだった?」

「ちょっと逞しくなったな、ちゃんとレベルは上げたみたいだな」

「ああ、レベル、レベルな……」


 悪いけどその単語はしばらく聞きたくない。まさか元の世界があんなことになってるなんて。


「久しぶりの我が家だ。今日はゆっくり休むぞー!」

「明日からまた仕事だかんな」

「忘れているならこれを機に思い出すといい」


 ああ、今日は休日だったな。そう、週休二日なんだよな。こっちは。まだ今日は午後が丸々休みなんだ。良かった。


「それで、元の世界はどうじゃった」

「もう二度と行かねえ。こっちが一番だ」

「そんなこと言って、また何かの拍子に行くんじゃないかな」


 冗談じゃない。もう迂闊なやる気で戻るなんて言わないぞ。高校も出たんだし。


「ま、二人の三年間は今度聞くとして、先ずは言ってもらわないといけないことを、まだ聞いてないわよ、兄さん、サチウス」


 魅力的な低音で、やんわりとディーに叱られた。


 ああ、この声も久しぶりだな。そうだ。確かに言ってない。言わなければならない。


 隣を見れば、彼も分かっているようで、こちらを一瞥して頷いた。


 俺たちは、声を揃えて言った。


『ただいま!』


「お帰り」という返事を再び頂いて、俺たちは役所の中へと戻る。帰ってきた。俺は、この世界に。この世界で、これから生きていくために。


 随分と長引いたものの、ようやく節目を終えることができて、ほっと胸を撫で下ろす。


 バスキー、パンドラ、ディー、ウィルト。

 そしてミトラス。


 改めて、彼らと共に過ごせる日々に、戻って来れたことを、彼ら自身に感謝しながら、俺は彼らと並んで歩いた。


 これからの明日は、この世界と共に来るんだ。


 そよぐ春風があの日と同じものだと気付くと、本当に、三年前のあの日に戻ったのだと、実感する。


 あの日の続きが、今から始まるんだ。俺は誰にともなくもう一度「ただいま」と呟いた。


 そう、帰って来たんだ。


 ただいま、群魔。ただいま、皆。そして。


 ーーただいま、俺たちの明日。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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