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魔物のレベルを上げるには  作者: 泉とも
魔物と明日を歩むには
224/227

・こういうときは

・こういうときは


 翌日。一通りの準備と贈り物を頂いた俺は、昼食を済ませてついでに、シノさんの家を訪ねて、また魔法を使えるようにしてもらった。腕も鈍っているから、要練習だ。


 それからミトラスと共に、近所の公園に来た。町の東側。市場を抜けて、住宅街に隣り合う川の傍。時刻はそろそろ二時。


 こういうときに週休が、きちんと二日あると、週を跨がなくていいから、大事だよ。春の淡い日差しと、通り抜ける穏やかな風が、緊張を解していく。


 川のせせらぎを聞きながら、まだ少し肌寒い昼下がりに、二人並んでベンチに座る。


 一度役所に戻ったときに、用意した水筒からお茶を淹れる。カップは一つしかないから、先にミトラスが飲んで、次に俺。


 不思議だ。ここに来るときは、いつもお互いに向き合っていた。今は隣り合っている。だから二人は顔が見えない。


 俺たちはいつも、二人に何かがあったとき、ここに来て、二人きりで話すんだ。


 それはいつのまにか、約束みたいになっていた。


「僕はね」


 先に切り出したのは、ミトラスだった。真っ直ぐに前を見つめたまま、口から紡ぎ出される言葉は甘く、それでいて鋭い響きを持っていた。


「僕は、君に帰って欲しくなかった」


 聞いた瞬間に胸がざわついた。肩に少しだけ重さが加わる。慣れた重さ。彼の匂い。


 怖いとは思わなかった。


「もしも、またこの世界に戻った君が、あまりにも、変わってしまっていたら。もしも、君を受け入れられなかったら、そんなの、絶対嫌だもの」


 俺を嫌いになりたくないってことは、嫌いな俺にはなって欲しくないってことだ。そんなの、当たり前のことだ。彼の肩を抱いて続きを聞く。


 今はまだ、俺がこうしてやれる。


「でもね、それって結局、僕の我が侭なんだ。でも、君と前に口論になって、思ったんだ。我が侭を言うならせめて、もっと他になかったのかなって」


 だから、俺に付いてくるなんて、言い出したのか。我が侭を言わないっていう選択肢はなかったんだな。嬉しい方向転換だけどさ。


「分かってるよ。俺が良かれと思って、皆のために、明日のためにと思ってやった自己満足を、否定されて酷いと思って、勝手に傷ついて、自業自得のくせに、被害者ぶって、甘ったれて逆恨みをする。特に意味も無い頑張ったつもりを、認めてくれなかったってお前に向かって喚く。そんなときがきっとある。だけど、それを許して欲しい。俺だって我が侭だよ」


 胸にもたれかかり、体を預けてくるミトラス。猫耳を撫でる。もう何度、これを繰り返しただろう。もう三年か。


「嫌だ」

「何が」

「全部、本当はね」


 顔を上げたミトラスと目が合う。

 金色の瞳に隠れるように、女の顔が映っている。


 いつからだろう。


 保護者気取りのつもりでいたのに、今はもう、そんな顔をしていられない。


「君が僕の手から離れたら、そこからは君の運命が、また始まる。もしもの君が、沢山出る。そこには二度と僕たちと会えず、不幸になるサチコがきっと出る。

それが嫌だ。僕は、君を手放したくない。運命だって独り占めしたいんだ」


「どうしてか分かる?」とミトラスは呟いた。


 ううん、という音が、俺からした。


「僕にはね、母親がいないんだ。父が関係を持った誰かの子ども。それが誰かは誰も知らない。僕にとって周りの人は、皆を除けば友だちしかいなかった」


 思えば、彼はずっとその話題を避けてきた。父親のことを、嫌っているのは知っていたけど、母親のことは単純に、その記憶が無かったからなんだな。


 何も言うことが、無かったからなんだ。


「でも君を呼び出して、一緒に暮らしているうちに、お母さんってこんな感じなのかなって思えて、すごく安心した。温かくて、嬉しかった。けど、君はだらしなくて、あどけなくて。子どもみたいだったり、お姉さんみたいだったり、妹みたいだったり……」


 彼が、目を静かに閉じるのが分かる。俺がずっと、隣で見てきたように、向こうもまた、俺のことを見ていたんだな。


「僕にとって、サチウスは多くの意味で、初めての人だったの。そうして家族みたいに暮らしていたのに、今ではもうそれさえ、物足りなくなっちゃった。僕はもう、ちゃんと言えるよ」



 ――ずっと、あなたと一緒にいたい。



 ぶつけられた心の一つ一つが、その重さが嬉しい。目を閉じればあの日、弱り切り、何かにつけては恥じらい、戸惑っていたミトラス。


 俺のミトラス。


「そうして、くれるんだろ」

「……違うよ、そうじゃないよ、サチウス」


 彼は徐に立ち上がると、俺と向き合いながら、改めて俺の上に座り、背中に腕を回した。


 抱きしめられた。できることならば、何だってしてあげたい気持ちになる。


「あの日、帰りたくないと、言ってくれたあなたが、今は帰ると言っている。ねえ、それなら僕が、同じことを言っても、いいかな」


 囁く声が熱を帯びて、俺を抱く腕に力が籠る。


 あの日は、この子には笑顔でいて欲しいと、願っていたな。それが叶って、いつの間にか、もしかしたら最初から、ずっと守られていたのは、俺のほうだったのかも知れない。


「お願い、言ってよ」


「僕は一緒にいたい。だからそろそろ、一緒にいてくれって、言って欲しいの」


 満たされて行くのが分かる。

 少しだけ、目が潤む。


「ああ、一緒に、いてくれ。ミトラス、ずっと、ずっと俺と、一緒にいてくれ……!」


 声が震えてるのが分かる。自分が今、どんな表情をしているのか、分からない。


 きっと笑っているはずだ。だけど、俺は自分の笑顔が分からない。


 こんなに幸せな気持ちになるなんて、たぶん生まれて初めてだから。


「お願いだ」

「ありがとう、そう言ってくれて」


 首元に彼の頭が埋められていく。甘えるように押し付けられるそれを、俺も精一杯、抱き返した。


 不意に、胸がいっぱいになって。


 いけないとは思っていても、滲む視界から零れるものが、彼を濡らすことを止められなかった。


 この日、俺の異世界からの帰還を、ミトラスと一緒にすることが決定した。


 俺の運命は彼が握っている。一緒にいてくれると、そう告げられた。


 あの日から何も変わらない。


 いや、あの日よりもずっと、彼と一緒にいたいと、思った。


「帰ろう、サチウス。今日は、僕たちの家に」

「……うん」


 どれくらいの間、そうしていただろう。まだ二時間は経ってないはずだ。でも、とても長い、間そうしていたような気がする。


 ベンチから立ち上がり、帰路に着く。


 そのとき、所在がなかったので、何となく空を見上げた。どこにでもある雲が、青空の中をゆっくりと、流れていく。


 あの日もこんな天気を、していたんだろうか。


「サチウス」

「あ、うん、今行く」


 俺の前には、ちっとも変わらない背中があった。

 小さいようで、大きくもある。

 でも、確かに変わっているんだ。お互いに。


 ミトラスだけじゃない。


だって、今じゃこんなにも、俺は、お前のことが。

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