・セーフティーネット
・セーフティーネット
兵業区は前情報通り、大分険しい地形をしていた。全体的に平地が少なく、ごつごつとした小さな起伏の多い足場は悪い。
街の中が川で仕切られていると言っていい。そのせいで街中でさえ、移動に制限がかかる。私有地でもないのだ。土地自体はそこまで高くはなく、郊外へ目を移せば低めの山と、そこから尾根が続いている。
全体的に住み難い。豊かな自然を開拓していないせいか、兵業の街は他の町より小さく、何より治安が悪かった。まだお昼前だが、ここ来るまでに既に二度のエンカウントを経験している。
「あの、族長。あの人たちは」
「冒険者崩れですな。いつも大声で喧しく、我々に牙を剥いてくる。話し合いの席に着くことも、彼らから何か話を持って来たこともない。恐怖の乱暴者です」
目の前で猿たちに連行された元冒険者はどうなってしまうのか。気にしないことにして、俺はミトラスから預かった言葉を、族長ジョージに伝えた。
なお、今回の同伴はウィルトとバスキーだ。俺たちは現在兵業区の、イエティ族の集落にいた。前回群魔区で会ってから、まだ二日しか経ってない。
藁と粘土で建てたテントみたいな家が幾つも並び、そこには族長とよく似た、白毛の猿人たちが暮らしていた。
俺たちは族長に手招きされ、焚き火を車座に囲んで座る。上座は当然族長だ。
「たった今こんなことがあったばかりで申し訳ないのですが、区長から現状への対策を、言付かって参りました。これです」
そう言って俺は鞄から一枚のチラシを取り出した。チラシには『冒険者募集』と書かれている。これは神無側市内にある、冒険者ギルドのものである。
「お嬢さん、これはまたいったい、どういうことで。冒険者というのは、あのならず者共のことでしょう。まさか私たちにああなれと」
族長は怪訝そうな表情をする。苛立ちと不信が感じられたので、どうしたものかと思案していると、ウィルトが代わりに、話し始めてくれた。
「お気持ちは分かります。この兵業はただでさえ神無側で嫌われている。それもそのはず、程度の低い冒険者たちが、屯して居座っているから、一向に何もかもが良くならず、一時は市から切り離すべきという声まであがりました。その原因になれと言われれば誰だって怒るでしょう。ですが、我々はそういう意図でこれを持ってきた訳ではありません」
整然と話すウィルトの態度に、族長は落ち着きを取り戻した。自分の思っているところを、相手が踏まえていることで、安心してくれたのだろうか。
「ここだけの話じゃが、市長は昔妖精町か、竜人町のどちらかの代わりに、この町を群魔に押し付けるつもりだったそうじゃぞ」
バスキーがこっそり教えてくれる。冗談ではない。なんでいきなり野党の巣窟を、押し付けられなきゃいかんのだ。酷いと思う反面、よく思い留まってくれたな市長。
「不幸中の幸いは、あのならず者共がいるおかげで、誰もこの土地に目もくれなかったこと。だからこそ、あなたがたはこの土地を追い出されずに住んだ。これを逆手に取ります」
かつてディーは俺に言った。冒険者の資格を取る条件には『人間であること』という条文はないと。それこそ犬でもなれるし猿でもなれる。
犯罪者半歩手前の輩を人間にしておくこと、世の中が何度も再生産する、犯罪者や貧困層の受け皿として存在するのが『冒険者』という、ふわっとした存在である。
「魔物との戦いが終わりギルドもどんどん縮小傾向にあります。冒険者を廃業する者も。今のあなたがたは猿扱いですが、一度冒険者になれば、最低限の身分が保障されます」
冒険者の肩書きを遠回しに最低限の身分と言い切った瞬間である。
「なるべく多く皆さんに、冒険者になって頂き、身分を得て頂くと共に、先ずはこの街を確保するべきだと思っています。冒険者なら街にいても、問題はありませんから」
猿が大量に、市街地に入り込んだら騒動になるが、冒険者なら話は別である。一応。
そしてここが大事なのだが、冒険者は家を買える。家を買えるとはどういうことか、条件を満たせば冒険者は住民としての登録が、できるのである。
整理するとこういうことだ。
冒険者が家を買う。当然ながらそういう物は『何処』の『誰』が買うのかという情報が必要だ。日々の買い物のように名無しで済ませられるものではない。『誰か』は冒険者ギルドに、登録されている訳だが、それだとただ買える『だけ』である。
街で暮らすには住民登録が必要だ。身元が分かって家を買えたとしても、住民票もない奴が勝手に暮らしたら不法滞在みたいな扱いになるのだ。
ブルジョワが別荘で、夏休みを過ごすのとは、訳が違う。買ったはいいけど住めない、暮らせないということになってしまう。それではこの話は『冒険者は家買えるけど住めません』というオチが付くのか。
否。
そう、要するに、冒険者が家を買えるというのは、条件を満たせば、住民登録ができるということを意味するのだ。猿でも人間になれちゃうのである。
犯罪者予備軍を犯罪者にしない、冒険者という名のセーフティーネットが、今は猿を救おうとしている。塞翁が馬とはこのことか。
――ただ、その条件というのが、気の長い話なのであるが。
「今も区長は他の手段を探していますが、取り急ぎ皆さんで受けて貰えればと」
「なるほど、考えましたなぁ。時間はかかりますが、何もしないよりはマシでしょう」
一しきり説明を受けたジョージ族長が頷く。そう。時間が掛かるのである。
冒険者になるには特に何も要らないけれど、冒険者が住民になるには、その土地で数年間の活動実績がなければならないのだ。
目覚しい活躍があればいいってものじゃないのが、厳しい。とはいえ土着の住民からすれば、大した問題でもないが。
「活動実績における依頼ですが、うちからも少しずつ出させて頂きます。どうでしょうか」
ウィルトの言葉に、族長は何やら考え込んで、脇に置いておいた槍を掴むと、足元の地面に何やら書き始めた。家のようなマークが点在し、それを線で結ぶ。外側に大きな丸を描くと、首を振った。最後に描いた家から線を伸ばして最初に家のマークに結びつける。
「さて、どちらを行かせるか」
ジョージ族長の決定を待つこと十分。彼は俺たちを見回して言った。
「皆さん、我々もこれには前向きに検討したいと思います。勿論、他の部族とも、協議にかけて見ますよ。何から何までお世話になり、ありがとうございます」
その言葉が、この話し合いの終了の合図だった。
族長が立ち上がり、奥へ去っていく。俺たちはというと、見送りに数匹の猿が来てくれた。いずれも若そうだった。彼らに見送られながら、ウィルトの転移魔法で群魔へと帰る。
「とりあえず、一つ目は終わりましたね」
「いや、これから始まるんじゃろ」
何気ないバスキーの言葉に、ウィルトが大きく溜め息を吐いた。そう、現在群魔区が奔走している猿騒動の解決手段は、まだ一つ目である。
「これ仮に全部上手く行ったとして、どれくらい時間が掛かるのかな」
「止しましょう。やる気が出せなくなりますよ」
それもそうだ。まだまだやることはあるんだから、わざわざ嫌なものを見て、気分を打ちのめされてはいけない。
俺は自分に言い聞かせると、二人と一緒に、役所の食堂へと戻ることにした。
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