・お読みの御下知は正常です
・お読みの御下知は正常です
「新しく『課』を増やす?」
「ええ、うちも人が増えたし、けっこう手狭になって来ましたからね。頃合いかなあと」
時は五月の上旬、年度末のあれこれを終わらせて、通常運行に入り始める時期。
そして今はお昼。区役所の食堂で自作の弁当を広げながら、俺はミトラスの提案を聞いていた。魔法瓶型の弁当箱で、一番上以外は温かいままだ。
ちなみに三段。
「うちですぐにでも有った方がいいってなると、水道か衛生だな」
「よろしいよく分かってるね、生活衛生のほうです」
ミトラスも同じタイプの弁当箱。
ただしおかずの内容が異なる。
俺のほうは昨日作った肉じゃがの残りと、朝作った卵焼きに、ユグドラさんから頂いたシソ昆布の佃煮。真ん中がご飯で次の段、要するに一番下には、朝の味噌汁の残り。
昨日から今朝にかけての在庫処分弁当である。
一方ミトラスは味噌汁と佃煮は同じだが、昨日食堂で買ったから揚げと、彼お手製の煮魚が入っている。おかずを入れる容器は、中に仕切りがあるからこそ、できる芸当である。
汁気が他のおかずを侵食しにくいのだ。
「水道は市が一括でやってますからね。何せ『局』から『部』と来て『課』ですからね、まるで規模が違いますよ。ありがたいことです」
器用にも箸を使いこなして、食事をするミトラス。この世界に来たばかりの頃は、俺に匙を使わないのかと言っていたのに、今ではご覧の通り。
この世界では箸は普及していないようなので、現在は俺の予備の箸を渡して、大事に使ってくれている。お下がりを渡せば間接キスだったなと、気付いたときは悔しさで頭を抱えたが、今では良い思いでだ。
「生活衛生って言うと……えーっと、ゴミ出しの日取りの決定や害虫、害獣駆除、墓地と埋葬の案内、食品と水周りの監督、動物等の衛生管理指導及び、伝染病等の疫病への、行政的指導と対策!」
目を瞑り暗記していた分を、思い出して口にする。良し言えた。これもウィルトの授業のおかげだ。
彼は休日にふらりと役所を訪れると、自室でだらけている俺の所に来て、問答無用で勉強をさせることがたまにある。
たまに殺意を覚えることもあるけど、こうして役に立ったりするんだから、堪ったものではない。
なおディーのほうは無理矢理にはしない。彼女は俺を勉強に誘い、俺は彼女を遊びに誘う間柄である。
「よく出来ました! ちゃんと勉強してたんですね、偉いぞサチウス」
「いやーなんのなんの」
平和だな。努力も報われたことだし、こういうことがずっと続けばいいんだけど。
俺たちは上機嫌のまま、弁当のおかずを交換するなどして、恙なく昼食を終えた。
『ごちそうさまでした』
弁当箱を手提げ鞄に仕舞い、食堂を後にする。
便利だけど、狩衣に似合わないのが問題だな。
和装っぽい服装に似合いそうな、鞄の設計を今度ユグドラさんに相談してみよう。
「それで、新しい課の名前は『生活衛生課』にしようと思うんだけど、まだ細かい人員や業務内容は、詰めてないんだ。魔物は人間と違い種族が沢山いるから、人選には気を遣うと思うからね」
そうだな。黒人街の役場で、白人がそんな看板を掲げていたら、真っ赤になってもおかしくないもんな。
そんなことにはならないまでも、最初の滑り出しくらいは、課が住民に持たれるイメージを、損なわない人選をしたいっていうのは分かる。あとは。
「そうか、業務内容で扱える部分が増えれば、区で対処できる魔物の数も増えるのか」
「ええ、とはいえあまり数が増えても困るから、そこが考え物なんですけど」
今までの群魔区は仮に放っておいても、自分たちである程度暮らしていける、魔物たち頼みだった。
言い換えれば、こっちでフォローしないといけない魔物は、住民として迎え難いし、中々来て貰えないということもある。それは群魔区に登録している住民を見れば明らかだ。
人型を中心に虫や植物系の魔物もいる。しかし湿地帯に住んでいるようなリザードマンや、数の上では多いはずの獣人の姿は、そこまで多くないのだ。
トレーニングセンターに所属している分を除けば、一握りと言ってもいい。
それはつまり、群魔区内に生活環境が整っていないからである。勿論他に理由もあるだろうが、ミトラスの懸念はそこにあるんだろう。
「これ以上住人を迎えられなくなる前に、手を打っておきたいんです。人口が増えて居住区が一杯になってしまうと、誰もが後から、人が来られなくしようとしてしまう。それは他の魔物たちへの断絶や、裏切りにもなりかねないからね。ここからどれだけの種類を、抱え込めるようにするかが、課題になるでしょうね」
いつになくしっかりとして表情で、俺にそう告げるミトラスだったが、口元のご飯粒が付いているのを、俺は見逃さなかった。
「うんうんそれで」
無言で手を伸ばして、口元のそれを取って食う。
「……今日はもういいです」
自分がどういう状況にあって、何をされたのか理解すると、彼は顔を真っ赤にしてぷるぷる震え始めた。
この顔を見てるだけでもっと米食えるな。十分くらいその様子を眺めていると、彼の背後に見覚えのある銀髪少年が現れた。
「おや、丁度いいところに」
「うわ!?」
ウィルトに声をかけられ、ミトラスが大いに驚く。前につんのめって胸を押さえている。涙目で自分の師匠へと振り向くときの表情は、どこか恨めしそうで、そんな顔を向けられたほうは困惑するばかりである。
「そんなに驚かなくてもいいだろう。せめて私が持ってきた通達に、目を通してからにして欲しいものだ」
そう言ってウィルトが懐から出した、一枚の羊皮紙には、大きめの字で次のように書かれていた。
――王国暦―――年・魔物認定規則(王国令 第○○号の○)
――猿を住民として擁する全自治体に告ぐ。この日より猿を人・魔物と認めるべからず。
「頭大丈夫かこれ」
強い幻覚でも見たのかと思って目を擦っても、文面は変わらない。それどころかミトラスの赤かった顔が今は青くなっている。目が泳ぎそうなくらい、左右に揺れている。
「大変なことになった」
それだけをやっとのことで口から絞り出すと、彼はそのままどこかへと、出かけて行ってしまった。
この時点で俺に分かったことと言えば、ああ、また問題が起きたんだな、ということだけだった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




