・山の上の古代遺跡
・山の上の古代遺跡
朝露に煙る山の朝。少し体が痛いけど、割りとよく寝たな。いつもはミトラスが規則正しく起きるから、俺もそれに釣られて目が覚めた。
言い換えれば寝足り無いんだけど、今回は普段とは違うから、睡眠時間そのものは多かった。
けどそれはミトラスの起きる時間が、遅くなったということでもない。目が覚めて辺りを見れば、既に着替え終わって、お茶の用意をしてくれている、小さな背中があった。
「おはよう。よく眠れた?」
「おはよう。うん。ミトラスも機嫌が治ったみたいで良かったよ」
水筒からコップに水を注ぐと、彼はリュックからお茶の粉末の入った缶を取り出して、中身を少しばかり入れる。
コップを両手に持って息を吹きかけると、それだけで温かい紅茶になる。いつ見てもミトラスの魔法の使い方は特殊だ。
「あ、そうだ。トイレに行きたいんだけど」
「ああ、分かりました。この建物を出て、ぐるっと裏に回ると個室があります」
外にあるのか。そりゃまあそうか。少なくともこの世界、というか神無側では、屋内に排水と下水を完備してるのは街までだ。
俺たちは一度外に出た。昨夜は暗くて分からなかったけど、辺りは斜面と木々に囲まれている。直ぐ傍には山という名の壁がある。今日はこれを昇っていくことになるのか。
そんなことを考えながら歩いていると、小さな石造りの、公衆トイレらしき場所が見つかる。男女の区別なく、和式の流さない方のやつ。
個室が三つほどある。何故か紙だけは置いてある。俺って髪長いからこういうとき不便なんだよな。首にマフラーのように巻いて、余りは上着の中に入れる。
個室の鍵は紐で結び付けられた木の板を、ドアと壁の左右に渡す閂式。隣の個室でも音がする。ミトラスも入ったみたい。もしかして俺が起きるのを待って、我慢してたんだろうか。なんだか悪いことしたな。
『ふう~』
数分後。
コテージに戻った俺たちは、軽い朝食を済ませて、山登りを開始することになった。手はミトラスが魔法で出した水で洗った。手洗い用の水場もあってくれたら良かったのに。
「少し歩いたら階段があります。それでずーっと上っていきますから、そこまで行ったら飛びます。いいですね」
「お願いするよ」
体力が付いてきたと言っても、ハイキングができるほどじゃない。楽させてもらえるなら、突っぱねる理由もどこにもない。
そうしてしばらく山道を歩いていると、開けた場所に出た。勾配の急な階段があって、上の方に行くほど整地がなされて、段差がはっきりとしてくる。
「サチウス、乗って」
「お邪魔しまーす」
しばらくぶりのおんぶだ。ミトラスは自分の体が、もっと大きければと小さく零した。お姫様抱っこはまだしてもらったことがない。
「光燐の祝福よ、我が足に集え、『胡蝶歩』」
呪文を唱えるとミトラスが妖精のように宙を飛ぶ、いや、浮く。俺を落とさないように、そっと飛んでくれる。
少しずつ高度を上げていくと、景色は次第に山から丘、丘から建造物へと変わる。
山の中腹に差し掛かった辺りで現れたそれは、緑の景観を押し退け、砂塵を纏いながらその姿を現した。あれが件の古代遺跡か。
地面は整地され、積み上げられた石の壁が、道を仕切っている。規則正しい段差と階段は、上下の階層があることを示している。
使われている石材一つ一つも、規則正しい長さに切り出されており、一見迷路のような構造ながら、広場や小さな神殿のような場所もある。これはまるで。
「マチュピチュじゃねえか」
「オカヤマですよ。古代遺跡オカヤマ」
いやこれどう見ても世界遺産なんだよね。最初は切り開かれてない山って、こんなに大きいんだなくらいの感想だったけど、改めて自分たちを俯瞰して想像すると、やっぱりこの山でかいよ。そして広い。これが霊園だっていうのか。
「ミトラス、あれ」
「……パンドラの言ってたことは本当だったんだ」
見れば昼間だというにも関わらず、血色の悪い人間や魔物たちが、遺跡のそこら中で戦っている。武装していたり素手だったりするが、数十は下らない。まるで映画の一シーンに迷い込んだみたいだ。
見ている間にも山の向こう側から、まだゾンビたちが向かってくるのが見える。
人間のゾンビと魔物のゾンビが戦っているようだ。傷跡とかそのままだから、外見がグロデスクで辛い。あと臭いが風に乗ってここまで漂ってくる。
腐臭って胃とか喉にくるのがきつい。半透明なのはゴーストだろうか、そっちは原型を留めているから、視覚的に助かる。
「こっちよ二人とも!」
声のしたほうを振り向けば、遺跡の外周の一角でらディーが大きな手を大きく振っている。その周りで他の四天王が、背中を合わせて大量のアンデッドを迎撃しているではないか。
失礼だけど普段からは想像できなくらい格好いい。
「パンドラ! バスキー! ディー! ウィルト! 無事か!」
「遅えぞ! とっとと構えろ!」
甲冑姿のパンドラが、手近な人間ゾンビを掴んで、放り投げて叫ぶ。ミトラスがゆっくりと皆の元へ降り立つと、俺は荷物を持ってミトラスから降りる。
「こいつら、何か目的があって集まってるのか」
「耳を澄ませてみなさい。うわ言が聞こえるでしょ」
ウィルトはそう言うものの、死者の呻きに聞き耳を立てるなんて、危ないと思うんだけど。でも戦いの音に聞こえて、確かに声が聞こえる。
雄叫びを上げているのは魔物側だけ。人間ゾンビのほうは、確かに何かを言っている。
――は、かー……はかあ、いれろ。はか、いれろ!
「墓?」
「どうやらこいつら、この先のお墓を目指しているみたいなの」
ゾンビがお墓を目指して、押し寄せてるってことなのか。帰巣本能なのか、それとも何か明確な理由でもあるのか。
「カロンは」
「ゾンビたちへの処遇が決まってないから、手を出せないらしいの」
「死神のくせに役に立たねえな!」
ミトラスが問いディーが答えパンドラが毒づく。
カロンっていうのは死神なのか。
ゾンビをどうしていいか分からないから、この状況をほったらかしなのか。
「カロン!! 出てこい! こういう時のためにここにお前がいるだろう! カロン!」
「おま、ミトラス、落ち着け、おい、落ち着けって、どうしたんだよ」
いきなりミトラスが、空を破らんばかりの勢いで、怒鳴った。こんなに気分を害している彼を見るのは、初めてだ。怖いというより不安になってくる。
周囲のゾンビたちが一斉にこちらを向く。こちらに向かってくるかと思われたが、そんなこともなく彼らはその場に倒れ伏した。
魔物と人間、両方のゾンビがだ。
「そんなに怒らないでください。私だってどうするべきか、分からないんですから」
どこからともなく声が聞こえてきた。辺りの気温が急激に下がる。はっきりと寒くなる。
三月の日中なのに、吐く息が白くなる。
遺跡の一番上の階にある、建物の中から黒い人影が姿を見せた。
「お、お久しぶり、です。殿下……」
「カロン。話がある」
黒いローブに身を包み、卑屈そうな笑みを浮かべた病的に色白の男の名を、ミトラスは呼んだ。明確な敵意が込められている。
なんとなく分かる。今まで魔物は皆ミトラスのことが好きだった。でもこいつは違う。
上手く言えないけど、魔物でも、仲間でもない。
そんな気がした。
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